The letter from YOKOHAMA

Yokohamaは未来に開けた街で、新らしいものを歓迎する進取の精神が生きている、そして、ここにしかないものがある

江戸の実像 3

2018-07-25 11:38:54 | Weblog
 
 この調査の時、東北の間引きの風習に触れた、かつてのニッポンは貧しく、子供を育てられないケースがあり、ひそかに処分した、これを間引き(まびき)と言う、となりの家は息を殺して見守る、育てるならお祝いをいう、間引きするなら、見て見ぬふりをしなければならない。
 
 どんな方法があったか、
 1、山に捨てる 
 2、川に流す  
 3、ぬれた和紙で顔をおおう  
 4、シリで圧殺する  
 5、真冬 戸外に放置する 
 そして、
 6、臼(うす)の下に置く

 そう、あの「サルカニ合戦」には、実例があったのだ。
 

江戸の実像 2

2018-07-24 13:59:00 | Weblog
 
 山形県の本間家を見学したことがある、2月の下旬だったか、おヒナさまが飾ってあったが、
 「これが ふるくてキビが悪かった」

 夜、動き出すんじゃあないかな、古い家には不気味なトコロがある、
 「人間以外のなにかが 住んでいるみたいだ」

 昔の人は、
 「家霊(かれい)」
 あのザシキワラシも、この一族だろう、チャンネルがあってしまうことがある。

江戸の実像 1

2018-07-18 10:43:35 | Weblog
 
 先物取引を確立していた江戸の社会、そう、タイヘンに発達していた、あのまま行っていたら、こんなものではなかったのではあるまいか。
 
 ニッポンのはしっこの大名、どれほどのものか、ちょっと評価しすぎのようだ、NHKのドラマ、こまったものだ、ところでコメの相場で連戦連勝のオトコがいた、本間宗久(1724-1803)、東北の出羽の人。

 「ホンマさまにはおよびもないが せめてなりたやお殿さま」

 殿さま以上なのだ、相場で勝つ、言うのはカンタンだが、これほど難しいことは無い、江戸時代、こんなすごいのがいたのだ。

明治維新の分析 7

2018-07-17 11:44:17 | Weblog
 
 18世紀、大坂・堂島から江戸の日本橋へのハタ通信、これに先物取引の価格が入っていたか、先物取引とは、
 「将来の一定期間に現品の受け渡しor決済を行う約束をした売買取引き」

 これに対するのは現品取引、現在だけではなく未来をも取りこんだもので生産者は安心して生産できる、またマーケットの価格の乱高下を防ぐことができる、これ、人類で初めてではあるまいか、シカゴの商品取引所の石碑には、これが、しっかりと明記されているらしい。

 ニッポンの血のにじむようなODA,あの国では人民に教えてこなかった、抗議すると飛行場のスミに、小さく小さく記したという、なんという違いであろうか。

明治維新の分析 6

2018-07-12 08:54:12 | Weblog

 東海道を駆けあがる、そこに、箱根の山、しかたない日本通運の前身・飛脚(ひきゃく)にたのむ、
   白いふんどし  
   きりりとしめて   
   ハコネの山を かけあがる  

   肩の上には カミいちまい
   これほどかるいものはない  

 オトコ度胸のハコネごえ、  
   エイホー エイホー  
   肩の上には 紙イチマイ  
   これほどかるいものはない   

 やがて下り、
   白いフンドシ ゆるりとしめりゃあ
   なかからどじょうが こんにちわ
   ぼっちゃん いっしょにあそびましょ
   わたしゃあ 山ごえあそべない・・・

 そんなこんなで箱根の小山、
   肩の上にはカミいちまい    
   これほどおもいものはない  

 なかなかの作業、このカミにはコメの先物(さきもの)価格も記されていたようだ。


明治維新の分析 5

2018-07-10 09:54:57 | Weblog

 大阪の堂島でコメの価格が決まった、そこから日本全国に発信されたのだが、ツールは旗通信である、あのハタ・ハタである、
  アカ上げて
  シロ上げないで
  アカ上げる    

 一区間はどれくらいか、大坂から京都まではあっという間、それでもクモリヤアメはどうだったのか、よっぽど目のいいのを使ったんだろう。

 そして、この情報が東海道を駆けあがるb、 
  アカ上げて
  シロ上げないで
  アカ上げない   
  あっ まちがえちゃった   

 そういう時の規則もあったことだろう、ところがこの通信の前に、あの箱根の山がたちふさがった、さあー どうした。

 

明治維新の分析 4

2018-07-04 08:24:26 | Weblog
 
 江戸の街を引き回されている時、赤ん坊にチチをやっているのを見た、処刑される前にチチを吸いたい、この役人、
 「まっておれ たのんでみる」

 江戸のおんな、
 「ようござんす」
 見ている江戸の人々、
 「ワアッー」
 とんでもないコトになった。

 若い母親と赤ん坊とオトコ、
 「さあさあ あにさんは こっち 赤ちゃんはこっち」
 赤ん坊と罪人がハイタッチ、
 「イエーイ」
 
 「この世のなごり 
   さあー さあー    
   すって すって すってくんなまし
   いのちの かぎり  
   すって すって すってくんなまし」 
 をの時、
 「どーして オイランが出てくるんだ おかしいじゃあないか」
 いつの時代にもうるさいヤツがいる、
 「絵になるだろう うつせえことをいうな 作者がクローしてんだ この三流インテリが ひっこめ ひっこめ」

 「おんなのちぶさ いのちのちぶさ 
  あの世への旅路の はなむけに
   すってすって あっ すってくんなまし」

 江戸の罪人、
 「みなさん ありがとう 
  これで こころおきなく旅立てます」

 「いよー ニッポン・イチー」
 「おいら 花をそなえてやるぞー」
  
 紫の雲たなびく江戸の街、ほんとうの人間の営みがあった、これをぶちこわしてしまったのだ。

 ー上は、大坂・堂島の米の会所、これでコメの価格が決定した、両者には緊密な関係があったー 

 

明治維新の分析 3

2018-07-03 10:14:34 | Weblog
    
 幕府は1790年、石川島に人足寄場えを建設する、これは軽い刑の者に、手に職をつけさせる施設で実に近代的な試みだった、「教育刑」と呼ばれるが、これは、ヨーロッパよりも早い、明治政府の過酷な刑罰と比較できない。
 
 さて、江戸の社会はタイヘンにシャレていた、罪人が処刑されるとき、願いをひとつかなえられた、
 「ソバが食いてえ」
 「ちょっと待ってろ」
 そういって、はこばせる、
 「だんな うまいですぜ」
 「よかったな」
 「だんな まつりばやしが聞こえてますね」
 「ああ 秋の祭りだ」

 なかには、
 「イッパイ のみてえな」 
 なんと酒を飲みたいというのだ。

 「どうだ」
 「いいサケですね」
 「ああ よかったな」

 「だんなはいい人ですね」
 「そうか」
 「だんなみたいなヒトに会えていたら こんなにはならなかったんだな」
 「どうだ もうイッパイ」
 「いや このくらいにしておきましょう 赤いカオじゃあ エンマさまにカオを向けられませんや」

 このぐらいはいいのだが、「チュパ チュパ」したいというオトコがいた、タイヘンなコトになった。

明治維新の分析 2

2018-07-02 10:24:23 | Weblog
 
 世界の2大権威は、ローマ法王と日本の天皇陛下、国際儀礼上、そう決められているが、こちら側では明治の出発から天皇陛下にはモンダイがあった、

 さて、幕府と朝廷が協力して近代日本を建設しようとした孝明天皇(在位 1847-1866)はなかなかの天皇ではあるまいか、それを暗殺するとは、どーゆーことか、そうなったら自分たちの利益がなくなるからで、
 「いなかもんの考えそうなことだ」
 
 鹿児島や山口県、いまでも遠い、ムリしないほうがいい、イナカにはイナカの良さがある、だから、原宿やアキバには向いていないんだな、まして100数十年前だ、おそろしいくらいだろう。

 だから、あんなきれいごとであるはずがない、
 「そうでしょう NHKさん」

明治維新の分析 1

2018-07-02 08:14:01 | Weblog
 
 イギリスの外交官・アーネスト・サトーの”A Diplpmat in Jaoan"には、
 「孝明天皇は 岩倉らによって暗殺された」
 
 この本は、あの大戦が終わるまで「禁書」だった、幕府と仲良くして近代の日本を建設しようとする若い天皇を暗殺して目的を達成しようとしたのが薩摩であり、長州、西郷は、その一派である、とてもどうこう言える人物ではないという意見がある。

 陰謀と策略、そうニッポンという巨大な利権の取り合いであり、とてもキレイゴトではなかった、最近の研究で、徐々に明らかにされている、
 「あのNHKは なんと答えるか」