おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

geneであれ、memeであれ、共有の価値を理会させるように私たちを動かしてくれ-分断の時代に考える⑨-

2023-10-29 06:47:06 | 日記
「1羽のツバメが来ても夏にはならないし、
1日の好日だけでも夏にはならない。
同様に、1日の、あるいはわずかな期間の幸福で人は完全に幸せにはならない。」

とアリストテレスは、
幸福になること≒善の実践に捧げる生涯
を表現した。
......。
......アリストテレスが生きていたら、朝のニュース番組を見て愕然とするだろう。

そして同時に、
理性的な思考と大人の責任を犠牲にして、つかの間の快感に走る私たちの社会の傾向にも絶望するに違いない。

アリストテレスは人間の幸福について、初めての、そして最良の哲学的分析を示した。

彼は
「人間が存在する究極の目的は何か」
と問いかけ、
「幸福こそ人生の意味および目的で、人間が存在する1番の狙いであり、究極の目標である」と答えた。

アリストテレスの幸福(eudaimonia)の定義には、つかの間の快感も含まれてはいるが、
幸福とはそれらをはるかに超越するものだという。

アリストテレスは、世界の至る所に目的を見出し、
人間が生まれながらに持つ目的は、
精一杯道徳的に生きることだとしている。

確かに、人間の本性について皮肉的な見方をすれば、
私たちは、自分本位の受け手である。
これは、私たち全員に時々当てはまり、一部の人間にはいつも当てはまることが、これもまた私たちの経験から裏付けられている。

しかしながら、社会的行為や満足感に大きな影響を与える愛他心の遺伝子も、私たちの裡に生まれたときから確りと組み込まれている。

この際、それはgeneの働きであれ、memeの働きであれどちらでもよい、として考える。
(さらに、この際、V・E・フランクルの考えや論も後に回すとしよう。)

共有することが生存にもたらす価値をめぐっては、さまざまな議論があるが、

「善良な多くの人が何故進化の競争で敗れて皆無になったり、最下位になったりしなかったのか」
ということに焦点を当てるとき、
あまり有名でないが、私が好きな進化理論のひとつに、
「愛他心が集団レベルで生き残っていた」
と、いうものがある。
仲間内の協力をとても上手に進めてきた部族は、そうでない部族はよりも繁栄する確率が高かった。
愛他心の遺伝子はおそらく、
個人の向上と集団の生き残りの両方
を通じて生き残ってきたのであろう。
いずれにせよ、そうした遺伝子の存在を認識することは、私たちをもっと善良な人間にすると同時に、人類の大きなきぼうとなるはずだ。

その遺伝子がgeneの意味であれ、memeの意味であれ、はたまた、どちらを内包しているのであれ、どちらも内包しているのであれ、いい。
アリストテレスが現代に生きていても、そんな生き残りの姿に目を遣れば、少しはホッとしてくれるかもしれない。

ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
後回しにしたものはまた近々の回で描くことが出来たらなあ、と思います。
今日は久々に冷たい雨が降ったようです。
雨音を聴きながら描いていましたが、今、見たら雨があがって、雲は暗い色ですが、光が差してきていました。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。


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