おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

認知バイアスについて②-「外れ値」を恐れ、アタリマエのリスクを軽視するバイアスから-

2024-07-19 06:51:48 | 日記
人間はなぜ、同じような間違いを繰り返してしまうのだろうか。

誤った政治的決断とその背景にある社会が抱った幻想に関する体系的な研究の歴史も、はるか昔に遡る。

トゥキュディデスは、ペロポネソス戦争で戦った両陣営が犯した選択の誤りを、きわめて詳しく分析することによって、その歴史を切り拓いた。

彼には先見の明があり、こうした特定の戦争において、何を誤ったのか、を深く理解することによって、その後のあらゆる戦争で繰り返し失敗する可能性がある事柄を明らかに出来ると考えていた。

例えば、ロシアがウクライナ侵攻など、現在起こっていることについて理解するために、最も良い道標となるのは、アテネが約2500年前にシチリアに侵攻したときに、まさに同じ過ちをどのように犯したのかを研究することである。

また、アリストテレスはもっと違った経験的手法を取った。

ギリシャにある158の都市国家の憲法を集め、そこに書かれているさまざまな統治ルールの中のどのような要因が最も成功、あるいは失敗に繋がりやすいかを見極めたのである。

社会の過ちを明らかにする近代の取り組みは、ローマ帝国の衰亡に関するエドワード・ギボンの見事な歴史的分析から始まり、ごく最近になって、社会の成功と崩壊の地理的決定要因に関するジャレド・ダイアモンドの卓越した分析によって、そのような取り組みは頂点に達したように思われる。

確かに、人間の行動の動機を理解することは、とても難しい。

それは、人間が、自らが採る自滅的な行動に対して都合のよい言い訳をする能力に非常なまでに長けているからに他ならないだろう。

人間の行動の大部分は自動的に行われ、持って生まれた無意識の本能と、ある程度生来のものである気質に対しては、意識による統制がほとんど及ばない。

人間はたいていの場合、自らの経験とシナプスが指示していたことを行っており、何故そうした行動をとっているのかを頭で理解しているわけではない。

つまり、人間は、最初からそうした行動を自発的に選択して行い、自分が行っていることを本当に「わかっているかのような」もっともらしい物語を後から作り上げている。

私たちの大切な「意識」はたいてい、プラトンのいう馭者に例えるのなら、敏腕な馭者ではなく、言うなれば、おとなしい語り手であるため、心のなかにいる暴れ馬が、無頓着に馬車を引く理由や、その行き先について、納得のいく正当化をしようとしているのである。

したがって、社会として、人間をうまく制御する方法のひとつに、人間を突き動かす無意識の力について考えてみることが、挙げられるだろう。

さて、コンピューターは、統計を扱うことに優れているが、人間の脳はそうはいかないのかもしれない。

コンピューターは、数値の処理を好むが、人間は概して物語を創作することが好きである。

確かに、人間は、5000年にわたって、数学的観点からも世界を研究してきたが、統計を使い始めたのは、ほんの500年ほど前からであり、今でも、多くの人は、日々の決断に統計を応用することにはいまだに抵抗があるようである。

私たちは、ライオンやテロリストに襲われるといった、統計上では「外れ値」と言われる、滅多に起こらない大事件を酷く恐れる。

一方で、交通事故、院内感染、熱中症、薬物の過剰摂取、など、もっと当たり前に起こる、しかも命取りとなるようなリスクを極端に(→実は、自分で思うよりもはるかに)過小評価しているのである。

例えば、ほとんどの有権者は、さまざまな経済政策が持つ潜在的価値を、示されている数字の意味ではなく、政策を提案している人の好き嫌いで評価しており、
医師は、何万例と積み上げられた結果ではなく、過去数例の結果に基づいて判断を下すことがあまりに多く、
さらに、一般の人々は、気候変動のリスクを、過去の傾向や今後の可能性について、科学者が作成した統計モデルではなく、最近の天気に基づいて判断してしまう傾向がある。

世界は、ますます、複雑になっているようである。

そのような中、ビッグデータに基づいて統計プログラムを実行するコンピューターを使わずに理性的な判断をすることは、ますます、難しくなっていることは、確かであろう。

しかし、統計上の真実よりも、物語的な真実へ向かう、あまりにも人間らしい性質が、多くの人々に物語的な嘘を、ときには、鵜吞みにさせ、最悪の決断に至らせてしまうのである。

過ちは、人の常かもしれないし、その理由を突き止めることは良い気分をもたらさないかもしれない、しかし、過去に目をつむる者は、現在にも盲目となり、未来も同じ過ちを犯すだろう。

過ちの背景のひとつであり、これまでと、これからも私たちを支配してきた認知バイアスについつて考えてゆくことは、やはり、同じ過ちを犯さないためのひとつの方法では、ないだろか。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

毎日、暑いですね^_^;

体調管理に気をつけたいですね( ^_^)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

*昨日は、代官山の蔦屋書店に行ってきました( ^_^)

代官山はお洒落な街すぎて、本屋さんもお洒落すぎて、戸惑いすぎて、もはや、笑うしかありませんでした^_^;
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帰り道、急に、いつもの神保町の本屋さんが、無性に懐かしくなりました(*^^*)