政府には3つのモデルがあり、そのすべてに、真実の核がある。
また、そのすべては極端に傾くと、危険なものになる。
現在のアメリカでは、民主党は政府のことを、国民の面倒をみるものとみなす傾向があり、共和党は、政府は強い力と態度で内外の敵を退散させるもの、とみなす傾向があり、また、自由至上主義者たちは、そもそも政府は最小の統治しかしないのが最良だと考えている。
立場を分極化させるこのような政治的姿勢によって、バランスのとれた「ゴルディロックス(ちょうどよい)」解決策の必要性が見えにくくなっている。
政府は、他の方法では満たすことの出来ない特定のニーズを満たさなくてはならない。
また、安全な環境を作らなくてはならない。
ルールを決め、公平な審判員となって、フェアに活動できるようにしなければならない。
しかし、同時に皆が楽しく活動し、能力を最大限に活かせるように、国民に自由を与えなくてはならない。
かつて、ヒトラーは、絶対的な政治的権力と警察権を自分に与え、ほとんど野放しの経済的権力を製鋼・兵器業者のクルップ社などの巨大企業に与えたが、国民には何の権限も与えなかった。
現在、そのようなヒトラーの戦略に似て、というのは、言い過ぎにしても、公務員から権力を奪い、それを自分と多国籍企業の役員たちの手に集中させようとする大統領が、また、アメリカに誕生することが、現実になるのかもしれない。
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確かに、無駄を省き、余計なものがない効率的な政府を多くの人が望むことは事実であろう。
しかし、(どの国であれ)政府の役割であったものを民営化する試みは、これまで、ほぼ常に失敗に終わったという事実に向き合えていないのが、私たちなのかもしれない。
利益のために民営化して、まったく駄目になった公共サービスはいくつかある。
外注は、理論と実践がかみ合わない典型例で、理論は素晴らしくても、やってみると大失敗という場合も多いのではないだろうか。
たしかに、民営化の議論は、説得力があるように思えてしまう。
政府は、市場の規律に向き合う必要がないため、もともと肥大化し、怠惰で無駄が多く、無能で非効率的なものではある。
公共サービスに民間業者が入札すると、自由市場での競争によって、さらなる低コストと、高い効率性が実現する。
しかし、たいていの場合、民営化によっていくらか非効率的だった政府による独占事業が、さらに非効率的な、またきわめて貪欲であることが多い民間の独占事業となり、その結果、もっとコストがかかるようになって無駄が増え、公益を提供するという責任感や義務感が失われる。
概して、民間業者の選定には、談合という汚職が蔓延っている。
利益の追求は常に公共の利益の上に立つ。
株主と企業幹部は、市民を犠牲にして利益を得る一方、公共サービスの質は低下する。
失敗し続ける民営化が、自ら正しく変わることはないだろう。
民営化は、政治の面でも、経済の面でも、理屈を無視するような強い勢いを持ち、繰り返す失敗から生じた結果にも鈍感で、国民の目にはわかりにくく、革命に激しく抵抗するものである。
こうした明らかに不利な点が在るにもかかわらず、民営化は促される。
なぜなら、利益を求める欲は、民営化への大きな原動力たり得るからである。
例えば、「シチズン・ユナイテッド」に対して、言論の自由という名目で最高裁判所が認めたとされる超富裕層や大企業による巨額の献金は、彼ら/彼女らに好意的な政治家を後押しし、その政治家は彼ら/彼女らに有利な民営化を支援する。
また、政府から、企業の天下りによって、民間業者には利益がもたらされるものの、公共の利益は害されるような、馴れ合いの法令や規制が取り決められるようになる。
その裏にいるのは、巨額の資金を持つ貪欲な者たちばかりであり、自分には必要がなく、使うこともないという理由で、税金で支えられている公共サービスを身勝手にも、懸命に削減しようとしている。
資本主義と民間企業は、増加する交易・取引の機会への対応として、約400年前に西欧で生まれた。
それ以来、その長所と短所、また公的機関と民間企業が提供するサービスの最良のバランス関係について、多くの経験が積み重ねられてきた。
「自由市場」を支持する共和党は、その政治哲学の父としてアダム・スミスを拠り所としているが、共和党が、彼の意図を誤解し、また誤って伝えていることにスミスは愕然とするだろう。
スミスは、自由市場の何物にも代え難い価値は、合理的な価格設定と、財、サービス、資源の効率的な配分に在る、と、指摘した。
また、自由市場では提供できないサービスを提供する政府な役割も強く支持した。
例えば、国防、郵便局、警察、消防、公共事業、保健、教育、司法、運輸、銀行、独占事業の管理、契約の施行、貧困層や弱者への対応などだ。
アダム・スミスが250年前に予測したとおり、バランスの悪いシステムは、機能しないのだ、と、私は思う。
また、トップダウンの政府に管理された経済も、規制の全くない自由主義経済も腐敗の蔓延と資源の誤った配分に繋がる、とも思う。
政府は、私たちが皆、ルールに則って活動し、公平な審判員としての責任を、決して外部に委託することは出来ないのだから。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
いつものことですが、また、考えたことを朝からだらだらと描かせていただく日記になりました^_^;
皆さま、いつもこんなだらだらした文章を読んで下さりありがとうございます(*^^*)
また、良かったら、お時間があるときに読んでやって下さい( ^_^)
今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。