==【仮説】なぜ創価学会が広まるのか?==
創価学会が大都市で勢力拡大できてしまう原因の一つに、日本社会における「ソーシキ」のめんどくささがあると思われる。
具体的にヨーロッパとかではどうなってるのか知らないから日本だけがヘンなのかは分からないのだが、、とにかく日本の葬式はヘンだ。
なぜかというと、日本では葬式がおっそろしく金が掛かるうえ、「葬儀屋」と「寺」(多くの一般的な日本人の場合)の言いなりになって葬儀を進めざるを得ないからだ。そして、それに先立つものはお金だ。お金がなければ絶対にまともなソーシキはできない。これは、大都市においては、地域共同体の助け合いが極めて希薄になっているからであり、やむを得ない部分もある。
ところが、「創価学会」に入会すれば、そのような不安は一切無用なのではないか?と最近思うようになった。身内の人が死んだら、すぐに「学会」に連絡して一切合切を「学会」の人達に手伝ってもらえばよいからである。日々の(選挙)活動をしっかりやっていれば、多少カネがなくてもしっかりソーシキをやってくれそうな感じがする。(←憶測だが・・・)。「葬儀場」として「創価文化会館」でソーシキを行えば、ヘンな式場で葬式を行うよりも「葬儀に掛かるお金」は安上がりなのではないかと思う。こういうのを積み重ねていけば、今の日本だったら少々の変節でも「信者」が付いてくる、政党が成り立ちうるのではないかと思われるのだが、どうだろうか?
創価学会が大都市で勢力拡大できてしまう原因の一つに、日本社会における「ソーシキ」のめんどくささがあると思われる。
具体的にヨーロッパとかではどうなってるのか知らないから日本だけがヘンなのかは分からないのだが、、とにかく日本の葬式はヘンだ。
なぜかというと、日本では葬式がおっそろしく金が掛かるうえ、「葬儀屋」と「寺」(多くの一般的な日本人の場合)の言いなりになって葬儀を進めざるを得ないからだ。そして、それに先立つものはお金だ。お金がなければ絶対にまともなソーシキはできない。これは、大都市においては、地域共同体の助け合いが極めて希薄になっているからであり、やむを得ない部分もある。
ところが、「創価学会」に入会すれば、そのような不安は一切無用なのではないか?と最近思うようになった。身内の人が死んだら、すぐに「学会」に連絡して一切合切を「学会」の人達に手伝ってもらえばよいからである。日々の(選挙)活動をしっかりやっていれば、多少カネがなくてもしっかりソーシキをやってくれそうな感じがする。(←憶測だが・・・)。「葬儀場」として「創価文化会館」でソーシキを行えば、ヘンな式場で葬式を行うよりも「葬儀に掛かるお金」は安上がりなのではないかと思う。こういうのを積み重ねていけば、今の日本だったら少々の変節でも「信者」が付いてくる、政党が成り立ちうるのではないかと思われるのだが、どうだろうか?
”創価学会とは何か?”ということを
考える上で参考になればと思い、一冊
の本を紹介します。
新潮新書
「創価学会」
島田 裕巳著
ISBN4-10-610072-X
¥680(税込)
最近珍しい、客観的な立場で創価学会
を分析しようと試みた本です。
よろしければ、ご参照ください。
もし、読まれたあとなら申し訳ない。
↑↑この本は、本屋でちょっと立ち読みしたぐらいなので、読んでみようと思います!
あほくさー(>_<)
もしかしてお若い方ですか? 学会の歴史、きちんと勉強されてくださいね。捉え方、かなりヘンテコですよ。
むしろ、これしきの知識しかないのに、こうも、言葉に書けちゃう無防備さ、無邪気さがうらやましい気もします。
一応「仮説」とあるようですが、虚偽情報を喧伝するのはいかがなものかと考えます。
それに創価学会の信者数が爆発的に増えたのは、まだ日蓮正宗(寺)と離別していない昭和30~60年時代の頃です。
もう少し調べてみてはいかがでしょうか。
昭和60年代(1985年以降)以降はほとんど信者の数は増えてないんですか?
創価学会では「友人葬」と言っています。要するに僧侶を呼ばない形式ですね。葬儀屋に渡す費用だけが必要です。学会員は在家でも読経は上手ですから(笑)。
60年代以降の会員数の増減については分かりません。ただ、その期間に信者数がえらい勢いで増加した、ということは確かです。
創価学会が共産党を激しく攻撃するのは、共産党が公明党だけでなく支持母体の創価学会を批判していることが理由の一つです。政策論争なら大歓迎だが、なぜ支持母体を攻撃するのか?という理屈です。ちなみに小説「人間革命」では、マルクスに対し一定の評価がなされています。
ウェルカムですよ!意見が違ってもこうやって丁寧にコメントしてくれて嬉しいですよ。
>葬儀屋に渡す費用だけ
何というか、僕らみたいな「平均的な(?笑)」日本人は、つい”葬式”というと、坊さんを呼ばなくちゃいけないというような思いこみがあると思うんですね。
で、順番からいって
「葬儀屋に連絡する」(死亡届など行政的な手続きのサポート)→「お寺に連絡する」(通夜、葬儀などの段取りを付ける)
という風になると思うんですけど、創価学会の場合はどうなっているのかな、と興味を持ったんです。
学会も基本的には他と同じように葬儀屋を使うんですね。参考になりました。
やはり、「創価学会系」の業者さんなんでしょうか?
あと、やっぱり気になるのは後段の方で、「友人葬」です。
「友人葬」なら、少なくとも通夜や葬儀で業者に払うお金は安くすむのではないかと思うんですが。。。
そうすると、やっぱりその辺が創価学会のメリットの1つになるのではないか、と思ったわけです。
創価文化会館で葬儀はやらないのは、外部からすると意外な感じがします。
やはり、あれは飽くまで「文化施設」ということなんですか?
>政策論争なら大歓迎だが、なぜ支持母体を攻撃するのか?
共産党は、宗教団体でも間違ったことを言っていたら、創価学会に限らず批判すると思います。
あと、共産党は「公明党=創価学会」という言い方をするんですけど、基本的に同じ組織だと見なしているからでは?
たとえば、先に言及した「創価文化会館」などで選挙活動をやっている。「創価文化会館」は一応、宗教施設ですから税金の優遇があります。
ですから、他の党と違って、公明党は極めて有利な条件下で選挙活動が出来ている。このことが「政教一体」になるからです。
>政策論争なら大歓迎
これは本当にそうですよね。でも、往々にして「政策論争」が非難の応酬になりがちですが・・・。
>マルクスに対し一定の評価
そうなんですか?始めて知りました。
「人間性社会主義」というのがそうなんでしょうか?
宗教というのは、「死」をつかさどるだけではなくて、「生」を考える行為だと思うんですね。
ですから、学会員の方には他宗派や他宗教、他党派のひとの考え方や苦しみにももう少し目を向けて欲しいなと思います。
たまに読む『政教新聞』からはそういう観点が見えてこないのが残念です。
長くなりましたが、書き込んでくれて本当に嬉しいです。これからも宜しくお願いしますね。
<葬儀手続き>
学会系の葬儀業者は存在します。
ただ私の親族の葬儀の時には、学会関連ではない業者に依頼しました。
会員の人としては、同じ信仰を持つ人が運営している会社の方が、心情的、あるいはまた儀式の進行上、依頼しやすいと思います(まぁ、当たり前ですね)。
金銭的な面ではよくわかりません。
メリットではあると思いますが、在家主体で葬儀を行う、という意味において宗教的な意義の方がより大きいと思います。
<組織>
公明党の支持母体が創価学会、という認識で良いと思いますよ。学会の会館とは別に選挙事務所が存在するし、会館から電話かけるわけじゃないですから。
税制の優遇については、もと学会員の起こした裁判があったと思います。
>政策論争
まさに。
>宗教というのは、「死」をつかさどるだけではなくて、「生」を考える行為だと思うんですね。
その通りだと思います。創価学会は「生きるための」宗教です。人間の可能性ってすげーよ!と説いているのが法華経です。
>他宗派・・・
自分たちの方法(学会に入会し、日蓮の教えを実践すること)が一番良いと信じているので、他宗の人(あるいは無宗教の人)で苦しんでいる人がいたら、その人が幸せになれるよう、入会に導くわけです。
「確固たる思想を持つ」のは良いと思うのですが、「頑として他の思想を受け入れない(理解を示そうとしない)」態度は良くないですね。宗教は人生の羅針盤なので、あれもこれも・・・というワケにはいきません。ですが、独善的態度や選民思想的な態度に陥ってはならないでしょう。肝に銘じる必要がありますね。ほんとに。