すいません。こんな記事を見つけたので、今日もしつこく書いちゃいます。
成熟ジーコジャパン「考えるサッカー」根付く
02年W杯で韓国を4位に導いたヒディンク監督が、欧州強豪国と韓国代表の差を、こんな風に分析したことがある。
「闘志は欧州と比べても99%の完成度があるが、責任感は30%、コミュニケーションは20%程度にしかならない」
ジーコ監督が日本代表に植え込んできたものも、責任感とコミュニケーションだろう。相手の出方を見て、どう守り、攻めるのか。互いが指示を出し合い、状況を感じながら試合の流れを引き寄せる解決能力だ。
「戦術がない」と批判をされながら最小限の指示しか出さないのは、とかく監督に頼りすぎる日本サッカーのあり方を問い直すためでもある。
これこれ。この記事が今までのもやもやを解決してくれました。
ヒディンクのコメントも的確に言い当ててますよね。
さらに、今までの日本代表は韓国代表に比べると闘志も少なかったし。
日本も韓国も、監督に言われる事は忠実に守って、確実に実行できます。
マニュアル通りにできるち密さはあるけれど、自分で考えて応用する力が足りない。
監督の戦術通りに動いて結果を出したのがトルシエジャパンだとするなら(まあ、フラット3は結果的には崩れましたが)、選手自らが考えて自主的に行動するのがジーコジャパンなのでしょう。
2002年ワールドカップまでの間に、日本は技術的、戦術的にとても成長しました。
とくに組織力は各国からも高い評価を得ています。
そこまで成長してきて更なる進化のためには、これまでのような監督の指示通りに動くサッカーでは足りないのでしょう。
ジーコは自分の選手起用について「ブラジルでは、調子がいい時はいじらない」と言っていました。
今までの試合を振り返れば、確かにその言葉通りの采配でした。
2トップの決定力がない、サントスと加地はどうなんだ、4バックに戻した方がいいんじゃないか等々、どれだけまわりで口酸っぱくして言ってても、ジーコは動じません。
また、ジーコは自分の采配についてこうも言っています。
「私は選手にあれこれと指示するのではなく、私がこれまでのサッカー人生で経験してきたものを選手に伝えるだけだ」と。
それまでの練習でどんなに細かく指示を出していたとしても、ピッチの中は選手達だけ。
監督はピッチの中で選手達と一緒に闘うことはできません。
結局は選手自身の力で頑張るしかない。
選手を信じてピッチに送り出すだけなのです。
川淵キャプテンは、2050年には日本がホスト国となってワールドカップを開きたい、と言ってました。
約50年後、ジーコが残した足跡はどういう形で日本のサッカーに反映されているのか。
プレミアやリーガのように、世界中の人がわくわくしながらJリーグを見ている、そんな世の中になっているのでしょうか…。
むむむ…なんか支離滅裂な文章になってしまった…。
こういう話って、終わりがないからまとめるのが難しいですねー。
成熟ジーコジャパン「考えるサッカー」根付く
02年W杯で韓国を4位に導いたヒディンク監督が、欧州強豪国と韓国代表の差を、こんな風に分析したことがある。
「闘志は欧州と比べても99%の完成度があるが、責任感は30%、コミュニケーションは20%程度にしかならない」
ジーコ監督が日本代表に植え込んできたものも、責任感とコミュニケーションだろう。相手の出方を見て、どう守り、攻めるのか。互いが指示を出し合い、状況を感じながら試合の流れを引き寄せる解決能力だ。
「戦術がない」と批判をされながら最小限の指示しか出さないのは、とかく監督に頼りすぎる日本サッカーのあり方を問い直すためでもある。
これこれ。この記事が今までのもやもやを解決してくれました。
ヒディンクのコメントも的確に言い当ててますよね。
さらに、今までの日本代表は韓国代表に比べると闘志も少なかったし。
日本も韓国も、監督に言われる事は忠実に守って、確実に実行できます。
マニュアル通りにできるち密さはあるけれど、自分で考えて応用する力が足りない。
監督の戦術通りに動いて結果を出したのがトルシエジャパンだとするなら(まあ、フラット3は結果的には崩れましたが)、選手自らが考えて自主的に行動するのがジーコジャパンなのでしょう。
2002年ワールドカップまでの間に、日本は技術的、戦術的にとても成長しました。
とくに組織力は各国からも高い評価を得ています。
そこまで成長してきて更なる進化のためには、これまでのような監督の指示通りに動くサッカーでは足りないのでしょう。
ジーコは自分の選手起用について「ブラジルでは、調子がいい時はいじらない」と言っていました。
今までの試合を振り返れば、確かにその言葉通りの采配でした。
2トップの決定力がない、サントスと加地はどうなんだ、4バックに戻した方がいいんじゃないか等々、どれだけまわりで口酸っぱくして言ってても、ジーコは動じません。
また、ジーコは自分の采配についてこうも言っています。
「私は選手にあれこれと指示するのではなく、私がこれまでのサッカー人生で経験してきたものを選手に伝えるだけだ」と。
それまでの練習でどんなに細かく指示を出していたとしても、ピッチの中は選手達だけ。
監督はピッチの中で選手達と一緒に闘うことはできません。
結局は選手自身の力で頑張るしかない。
選手を信じてピッチに送り出すだけなのです。
川淵キャプテンは、2050年には日本がホスト国となってワールドカップを開きたい、と言ってました。
約50年後、ジーコが残した足跡はどういう形で日本のサッカーに反映されているのか。
プレミアやリーガのように、世界中の人がわくわくしながらJリーグを見ている、そんな世の中になっているのでしょうか…。
むむむ…なんか支離滅裂な文章になってしまった…。
こういう話って、終わりがないからまとめるのが難しいですねー。
ジーコのサッカーは強豪国のサッカーだと思います。
日本が本当の意味で世界にデビューする過渡期のような気もします。
もともと組織力とスピードは認められていたわけですから
その日本の良さを失わないまま
世界に肩を並べるサッカーへ向かって欲しいですね。
そうですね。ジーコなら今までの日本の良さを活かしつつ、さらに飛躍していくためのきっかけを作ってくれそうな気がします。
50年後に振り返ってみて、あの時ジーコのサッカーに立ち会うことが出来て良かったと思えるようなチームにしてほしいです。
ガッチリ約束事を作って、その中で指示をすると、日本はいいサッカーをする・・・そう断定されてきた日本代表。
国民性が出てしまうから、自分達で考えるサッカーは出来ない。国民性?いまの日本代表にそんな国民性を感じますかね?
ジーコが門を開けてくれるきっかけになったのは間違いないでしょう。
開けたからには、選手は自覚してプレーを迫られます。
しかし、本当に強国になるためには、避けては通れない道なんですよね。
支離滅裂になってきちゃった(笑)
とにかく自分達で考えるサッカーを始めた日本。
戦術、選手交代とジーコに対して意見もあるでしょう。
しかしここは監督を信じて一緒にサポーターも成長したい。
そんな事を考える今日この頃です。
話がまとまらん・・・。
撃沈だな(笑)
私が言いたいことは、kawakeroさんとほぼ同じです。
選手自身が自分達で考えて責任を持ってプレーするって事ですよね。
国民性も最近はずいぶん個性が多様化してますし、サッカーも個性で勝負する時代になってきた、ってことですかね。
とにかく、日本はこれまでの組織力をベースとした基礎の部分がきちんとしてるのですから、その上で応用力をつけていけば、かなりイイ線いくと思うんですよね。
やり方を変える時は時間がかかるものです。
私たちサポーターも焦らず、ジーコを信じて見守っていきましょう。