日々のヨギチョギ

ヨギチョギ=韓国語で「あっちこっち」。
サッカー日本代表を応援しつつ、日々いろいろ書き綴っています。

決勝戦を前に

2006-07-09 17:24:52 | サッカー
いやー忙しい。スタッフが一人減ったのでいつもの1.5倍は仕事しなきゃなんないのに、更に仕事が増えちゃって、毎日夜10時までがっつり仕事ですよ。
そんなに遅くまで仕事したくないっつーのに!
いかに効率よく、かつ上手く仕事を進めるかをモットーにしているので、ネットも徘徊できないくらいの忙しさはかなりストレスです。しかもどーでもいいことで仕事量ばかり増える現状は耐えられないわ!はぁー。

…愚痴タイム終わり。

さて、仕事に忙殺されている間にもうW杯も決勝ですよ。
イタリアとフランスの対決になりましたね。
地元開催のドイツが残るかと思われましたけど、イタリアの方が1枚上手だったんですかね。
イタリアは途中起用された選手が全員結果を残してるというのがすごい。
全員が全員で闘ってる、そんな印象を受けますね。
いつ誰が出ても自信を持って試合を動かせるというのが強みです。

フランスはやはりジダンの求心力という一言に尽きます。
全員がジダンのために、最高の舞台を用意しようとがんばってますよね。
ジダン以外のベテラン勢もジダンと共に自分達も輝きたい、という気持ちでいっぱいなんでしょうね。
ベテランと若手の融合がうまくマッチすれば、ここまで力を発揮できるんだといういいお手本です。
しかし、このベテラン勢が引っ張ったからこその勢いだとすると、若手の伸びがちょっと心配でもありますね。
ドメネク監督は選手をほとんどいじらないので、若手を試す場面が少ないというのも気になります。
次回、今のベテラン勢がいなくなった場合のためにもいろんな選手を使う場面があっても良かったのでは、とも思いますが。

3位決定戦のポルトガルとドイツ、前半からかなり面白い試合運びで
前半からこんなに面白くてどうしよ~!って嬉しい悲鳴をあげてました。
あのオウンゴールはかなりイタタタタな感じでしたが。

この試合の主審と副審が日本人の審判で、とても名誉な気分になりました。
今まで日本人審判はグループリーグまでのジャッジしかしたことがなく、
今大会は決勝リーグ以降、それも3位決定戦でジャッジするなんて、かなり凄いことですよね。
前回大会までの反省を踏まえて、今大会は審判のジャッジにも厳しく採点していたそうですが、日本人審判のジャッジは評価が高く、それでずっと残していてくれたんですね。
日本代表の選手としてはまだまだ3位を狙える位置ではないですが、審判の世界では堂々と胸を晴れる結果ですね。

W杯期間中、「決定版 世界サッカー紀行」という本を読んでいます。
著者の後藤健生さんは、これまで世界中のサッカーやW杯をほぼ毎回、全試合見ているのですが、
その蓄積されたデータベースから、それぞれの国のサッカー観やサッカースタイルの違いを鋭い視点で捉えた本です。

例えば、なぜイタリアは「カテナチオ」なのか、とか、
なぜイングランドは接触プレーを好むのか、とか。
誰もが一度は疑問に思ったことが、とても分かりやすく書かれています。
ちょうどこのドイツ大会に合わせて大幅に加筆修正されたものが文庫で出たので、
各国のサッカースタイルの違いを知っていれば、さらにW杯が楽しめるだろうと思って読んでいるわけです。

で、決勝のフランスとイタリアのサッカー観ですが
まずフランスについて。
フランスはあの有名な「国立サッカー研修所」が大事なベースになっていて、
その完璧な若手育成システムの成果が強いフランスを形成していると言える。
有能な選手達が次々と輩出されているのだけど、フランスと言うのはサッカー以外にもいろんなスポーツが盛んな国であり(ラグビー、テニス、自転車等々)
サッカーは国を挙げて応援するというわけでなく、いろんなスポーツの中の一つに過ぎない。
従って、サッカーに向ける人々の目線はとても冷静だ。
今回のように決勝まで勝ち進めば、さすがに国中お祭り騒ぎになるけれど、グループリーグの段階では、決勝トーナメントに進めるかどうかを一喜一憂するほど人々の関心が強かったわけではなかったらしい。
そういう、サッカーが好きな人だけが見るというものだから、ファンは当然目が肥えている。
試合は結果だけではダメで、内容も素晴らしいものでないとファンは納得しない。
だから、ジダンに代表されるようなテクニックに優れた選手がもてはやされる。
「つまらないサッカーで勝つくらいなら、面白いサッカーで負けた方がマシ」。
そんなサッカー観が見えてくる。

対してイタリアはこの逆と言ってもいいかもしれない。
イタリア人にとってサッカーとは都市対都市の代理戦争なのだ。
19世紀後半に統一国家になったイタリア共和国は、今も都市対都市という対抗意識が根強い。
現実的に戦争は無理なので、サッカーを通じて対抗意識のストレスを発散している状態と言える。
だから、フランスのように純粋にスポーツの一ジャンルとして捉えていない。
あくまでも代理戦争なので、サッカー好きじゃなくても老若男女問わずサッカーの結果が気になるのだ。
だから、内容よりもまず結果が求められる。
そこで語られるのが「カテナチオ」だ。
守りに多くの人数をかけて、一人か二人のフォワードを敵陣深くへ走らせる。
敵の守備陣の中へ勇気と知略をフルに使って一瞬の隙を切り裂く。
これは中世の戦争時代を思わせるプレースタイルなのだ。
また、イタリア人はラテン系なのでとてもルーズに思われがちだが、実は意外と几帳面な性質を持っている。
だからこそ、規律を持って自分の与えられた仕事をきっちりこなす。
徹底的に相手をマークし、スペースを消し、場合によっては削ってでも止める。そんな几帳面な仕事振りが守備の時にこそ発揮される。
守備が弱いブラジルあたりだと、中盤がゆるいためにMFやFWの華麗な技を堪能できるのだが、イタリアのように中盤からきっちり潰すと、スペースが無いので華々しい攻撃を見ることはなかなかできない。
そういった国の内情と性質が伝統的な「カテナチオ」を生み出したのだ。
守備をしっかりしてカウンターを狙うというのは、はっきり言って内容を度外視して結果だけを求めている。
フランスとは全く対極的にあると言えるだろう。

こうして各国のサッカー観を知っていると、試合を見るときも味わい深く見ることが出来ます。
もうW杯は終わってしまいますが、今までの試合を振り返って、だからああいう試合展開だったのか、と考えるのもまた一興。オススメの本です。

フランスとイタリア。
対称的な2つのサッカースタイルが、決勝でどういった試合を見せてくれるのか。
いまからとても楽しみです。

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