( この絵は、1975年に出版されたS・M先生の単行本「あとがき」に載った私のイラストです。)
【 はじめての方は、どうぞ 「漫画家アシスタント 第1章 その1(縮小版)」 よりご覧ください。】
その10.......................................'05年 4月13日 2時39分 (公開)
Kさんのところでの仕事(1976年頃)は、比較的規則正しいものでした。
1本(20p位)の制作にかかる日数は、だいたい3日+α ・・・。
第1日目、大ゴマ用の漫画背景を制作。第2日目、各ページの背景を制作。第3日目、各ページの背
景、そして徹夜で仕上げる。 つまり、3日+α 。
1日の作業パターンは、正午より始業。 3時にティータイム。 6時~7時に夕食。 11時に終業。
3日目は徹夜と決まっていたので、深夜も仕事をつづけ、だいたい3時頃に近所のサッポロラーメン店
で夜食。 その後、2,3時間仮眠。 そして、朝から正午までに仕上げる。
1本の作品がこの様に3日+徹夜1晩で規則正しく制作されていました。
アシスタントは5人。交代で一人休むので、仕事はいつも4人でやっていました。 しかし・・・・・
すごいと思うのは、Kさんが7日に一度休むのですが、その日は必ずバンドのリードギタリストとして
の練習と草野球の練習に汗を流す事を習慣としていた事です。
Kさんの当時の口ぐせ・・・
『 俺の取柄は、体が頑丈な事だけなんだよ・・・ 』
誠実で謙虚。 作家特有の尊大な態度がまるで無い。誰に対しても礼儀正しい人でした。
例のごとくコビる様にアシスタントHが・・・
「アシスタントなんて気楽ですよ! それに比べたら漫画家は大変ですよねェ。」
Kさんは、苦笑いしながら、しかしハッキリと・・・
「アシスタントの方が大変だよ。 俺はアシスタントの方が大変だと思うよ。 きっと・・・・・。」
Kさんは、アシスタントの経験がありません。でも、とてもアシスタントに気を配っておられました。
こんなKさんを私は裏切る事になる・・・・。
その話は、まだ少し先になります・・・・・。
「漫画家アシスタント物語 第2章 その11」 へつづく・・・
・前の記事へ戻る時はこちら→「 第2章 その9 」
* 参考 *
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
.............. 私(yes)のアシスタント履歴
1974年昭和49年 さがみゆき先生 主に(少女系)怪奇漫画。単行本1冊分、
4,5ヶ月のお手伝いでした。 (19歳)
1976年昭和51年 かわぐちかいじ先生 この当時、氏は今ほど有名ではなか
ったのですが・・・・。背景技術をみっちり仕込まれました。(20歳)
1977年昭和52年 村野守美先生 漫画界一の豪傑と言われ、エピソードには
事欠きません。たった1週間しか、勤まりませんでした。(21歳)
1978年昭和53年 ジョージ秋山先生 当時「浮浪雲」(ビックコミックオリ
ジナルに連載)が、すごい人気で、渡哲也、桃井かおりの
主演でTVドラマ化されていました。(23歳)
‘05年平成17年、現在なお、秋山プロにぶら下り中。 (50歳)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
( より詳しい履歴は 「漫画家アシスタント 第1章 その1」 にあります。 )
【 各章案内 】 「第1章 その1」 「第2章 その1」 「第3章 その1」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
( 但し、第1~3章は『縮小版』になります )
【 はじめての方は、どうぞ 「漫画家アシスタント 第1章 その1(縮小版)」 よりご覧ください。】
その10.......................................'05年 4月13日 2時39分 (公開)
Kさんのところでの仕事(1976年頃)は、比較的規則正しいものでした。
1本(20p位)の制作にかかる日数は、だいたい3日+α ・・・。
第1日目、大ゴマ用の漫画背景を制作。第2日目、各ページの背景を制作。第3日目、各ページの背
景、そして徹夜で仕上げる。 つまり、3日+α 。
1日の作業パターンは、正午より始業。 3時にティータイム。 6時~7時に夕食。 11時に終業。
3日目は徹夜と決まっていたので、深夜も仕事をつづけ、だいたい3時頃に近所のサッポロラーメン店
で夜食。 その後、2,3時間仮眠。 そして、朝から正午までに仕上げる。
1本の作品がこの様に3日+徹夜1晩で規則正しく制作されていました。
アシスタントは5人。交代で一人休むので、仕事はいつも4人でやっていました。 しかし・・・・・
すごいと思うのは、Kさんが7日に一度休むのですが、その日は必ずバンドのリードギタリストとして
の練習と草野球の練習に汗を流す事を習慣としていた事です。
Kさんの当時の口ぐせ・・・
『 俺の取柄は、体が頑丈な事だけなんだよ・・・ 』
誠実で謙虚。 作家特有の尊大な態度がまるで無い。誰に対しても礼儀正しい人でした。
例のごとくコビる様にアシスタントHが・・・
「アシスタントなんて気楽ですよ! それに比べたら漫画家は大変ですよねェ。」
Kさんは、苦笑いしながら、しかしハッキリと・・・
「アシスタントの方が大変だよ。 俺はアシスタントの方が大変だと思うよ。 きっと・・・・・。」
Kさんは、アシスタントの経験がありません。でも、とてもアシスタントに気を配っておられました。
こんなKさんを私は裏切る事になる・・・・。
その話は、まだ少し先になります・・・・・。
「漫画家アシスタント物語 第2章 その11」 へつづく・・・
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* 参考 *
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.............. 私(yes)のアシスタント履歴
1974年昭和49年 さがみゆき先生 主に(少女系)怪奇漫画。単行本1冊分、
4,5ヶ月のお手伝いでした。 (19歳)
1976年昭和51年 かわぐちかいじ先生 この当時、氏は今ほど有名ではなか
ったのですが・・・・。背景技術をみっちり仕込まれました。(20歳)
1977年昭和52年 村野守美先生 漫画界一の豪傑と言われ、エピソードには
事欠きません。たった1週間しか、勤まりませんでした。(21歳)
1978年昭和53年 ジョージ秋山先生 当時「浮浪雲」(ビックコミックオリ
ジナルに連載)が、すごい人気で、渡哲也、桃井かおりの
主演でTVドラマ化されていました。(23歳)
‘05年平成17年、現在なお、秋山プロにぶら下り中。 (50歳)
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( より詳しい履歴は 「漫画家アシスタント 第1章 その1」 にあります。 )
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「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
( 但し、第1~3章は『縮小版』になります )
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