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数学ガール(上)。

2008-11-28 02:41:46 | Review...
結城さんが原作のマンガ、『数学ガール(上)』を買いました。

いや~、これはいいですねw
ある場面で、思わず「蹴ったぁ!」と叫んでしまいましたwww
数学うんぬんというよりかは、普通に(クールな)不思議ちゃんがヒロインの恋愛マンガw
数学知らなくても全然楽しめます。

といっても、自分も一応数学やっている人間なんで、やっぱり数学の内容に目が行きます。
特に目新しいこともなかったですけど、やっぱりこういう感じの方が入りやすいんですかねぇ。
自分の専門分野の、最適化とかで二次創作的なものをやったら面白いかもしれませんw

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映画『スカイ・クロラ』。

2008-08-17 00:47:15 | Review...
押井守監督の映画『スカイ・クロラ』を見てきた。

とりあえず、見終わってまず最初に思ったことは、「どうしたらここまで気持ち悪い設定を考えることが出来るんだろう?」ということ。
まぁこの設定を気持ち悪いと感じるかどうかは人によって違うだろうけど、とりあえず自分は気持ち悪く感じた。
といっても、嫌いではないのだけれど。
むしろ、その発想にある種の感動を覚えたけれど。
けど、やっぱり気持ち悪い設定であることに変わりはないというか。

この作品を見ている途中は、正直何をやりたかったのかが分からなかった。
というか、どう盛り上げてどう落とし所をつけるのかが分からなかった。
けど、見終わってから考えると、この作品はあくまで「序章」にあたる部分を描いていて、「何も起こらない」というのが正解なんじゃないかなぁ、と。
最後の最後にこの世界がどのような世界なのかを見ている人に与えて、その先は想像にまかせる――予定調和がくずれるのか否かはその想像しだい――という構造と見るのが正しいような。
この作品内に「起承転結」が存在するのではなく、最後の最後に、この物語は「承」(最初は「起」かと思ったけれど、よく考えると「承」の方がしっくりくる)を描いたものであり、さらに「承」が繰り返されることがほのめかされて終わる、という感じ。

――今このエントリを書いてて思ったんだけれど、これって物語を終わらせないことで物語の主人公たちを物語の外へと連れ出すということに成功しているのかもしれない。(問題意識については、私。のあとがきとかを参照のこと)

閑話休題。

とにかく、この作品は何を言いたいのかが分からない感じが強い。
作中ではっきりとした意志を持って出てくる主張(セリフ)は、戦争の必要悪というかだけれど、このセリフにはたぶんあまり意味がない。
というのも、このセリフのために劇が動いている感じじゃないから。
むしろ、このセリフで先ほどの構造の永続性を保とうとしている感じ。

この世界において、人は意味を為さず。
死にも意味がなく。
ただ役割のみが意味を持つ。

とりあえず、戦闘機の戦いの描写とかは迫力あって凄かったから、そういうのが好きな人は見てて面白いかも。
有川さん(『塩の町』とか『図書館戦争』書いてる人)とか、こういうの凄く好きなんだろうなぁ、と見てて思った。
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『SHI-NO ーシノー愛の証明』。

2006-12-31 23:24:00 | Review...
『SHI-NO ーシノー愛の証明』を読んで。

ここ数日、やっと本を読む余裕が出来て、いろいろと積ん読してた本を読了。
マリみてとか、マリみてとか。(って、まだ妹決まらんのかOTL

このSHI-NOも、1、2巻はすでに読んでいたんだけど、3巻を読んでいなくて、一昨日読み終わったとこ。
で、昨日4巻を購入して、読了、といった具合。

正直、ところどころよく分からない・・・^^;
なんとなくで読み流しているせいかもしれないけど。
まぁ普通は、志乃ちゃん萌え~、という感じで十分なんだと思う。。。

ただ、この4巻においては作者の思想性がより濃く出てきていて、そこが非常に興味深かった。
永井先生の<私>につながる思想なんじゃないかなぁ、と。
ちょっと引用してみると、

 だって、自分は自分だ。例えば身長が数センチ伸びて喜ぶのも、胸が大きくなって喜ぶのも、眼が悪くなって悲しむのも、怪我をして苦しむのも、成長を喜びながら、老化を悲しみながら移ろう時の中で、それでも──僕は僕でありつづける。
(『SHI-NO ーシノー愛の証明』より、引用)



「人間がDNAに支配されている? そんなのは、全く愚かしい発想です。DNAだろうがミトコンドリアだろうが、そんなものはどうでも良い。有っても無くても構わないものです。ここに居る『わたし』は、全ての他人を、社会を、時間を、神さまさえも超越する者。唯一にして絶対の自己。『わたし』がここに在るのは全て、『わたし』が望んだ結果に過ぎません。ただ、そう在りたかっただけの話」
(『SHI-NO ーシノー愛の証明』より、引用)



・・・この小説、永井先生が書いてるんじゃね?www
まぁさすがに、そんなことはないと思うけど。

ただ、『わたし』(あるいは、<私>)というものが記号のなかに存在するものである、というような解釈は、個人的にはあまりいただけないかなぁ、と。
もちろん、それは証明できたりするものではないので、信念の世界でしかないのだけれど、個人的には<私>というのは肉体の持つ機能であると考えているから、肉体を失うということはそれと同レベルに扱えないんですよ。

記号の中に<私>の足跡は残せても、<私>は残せない

これこそが真実なんじゃないかなぁ、と思うんですよ。
それを認めることはとても恐いことなんですけどねぇ。
でも、だからこそ今ここにいる<私>というのが特別で大切なものなんだと思えるんじゃないかなぁ、と。

 手のひらを見る。自分の身体を見る。
 その中に、僕は居る。
 僕がここに居たいと願った。
 生きていたいと、そう願った。
 だから、生きている。
 生まれてきた意味とか、生きていく理由とか、そんなのを考えるのは馬鹿げている。
 そんなものを考える必要なんか、きっと何処にもない。
 答えは、最初からこの『生』の中にあった。
(『SHI-NO ーシノー愛の証明』より、引用)



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愛人[AI-REN]。

2006-04-22 01:07:00 | Review...
愛人[AI-REN]を読んで。

以前、心に少年少女の輝きをレビューで気になって、今日やっと5巻を入手して読んだのですが・・・

いや、素晴らしい!
ここまで活き活きとした生が、そして死が描かれているとは!

死への恐怖、それは同時に生への渇望でもある。
死ぬことを恐がって何も出来なくなってしまっては元も子もないですが・・・しかし、安易な「救い」に手を伸ばしてしまった瞬間に、その人の「生」は終わりを迎えてしまう──苦しみもがいていた「その人」はいなくなってしまう。

強く印象に残っているシーンから。

男 「なんて言いわけすればいい・・・
   明日もこの夜の中で
   新しい生命は何も知らされずに
   生まれてくるだろう・・・
   なんて言いわけすればいい
   生まれる前から
   きみは呪われていると
   世界は闇だと言わなければならない
   ゆるして・・・」
ナギ「ゆるさない!
   ゆるされないぞ!
   生きてなさい!
   まだだめです!
   朝がくるまで生きてなさい!
   呪われたまま!
   許されないまま!
   生きてなさい!
   呪われ病んで
   闇の中に生まれてくる子供たちを
   ようこそと手を広げて迎えましょう!
   わたしたちが歓迎しなければ
   どうするのです!」
(#38 夜 より)



そして、最後。
多くの人々の祝福のもとに生まれる新しい生命。

寒い・・・
まぶしい・・・
こわい・・・
こわいよ・・・
大丈夫 こわくないよ
この世界は 君を
応援しているよ
待ち望んでいるよ
歓迎しているよ
よく聞いてごらん
君の扉をたたく手は 何て言ってる?
みんなは君に 何て言ってる?
勇気を出して 目をあけてごらん
君を迎える たくさんの人たちと
うつくしい世界が 必ず見えるから
これから先
自分のことが 小さく醜く
汚いものにしか感じられない時も
くるでしょう
世界のすべてが よそよそしくて
冷たい石のようにしか感じられない時も
くるでしょう
苦しくて 苦しくて
泣き声さえ出せない時も くるでしょう
でも
おそれないで
それはとてもまっとうなことです
こわがる必要はありません
忘れないで
いま この瞬間
世界のすべては 全身全霊で
君を祝福している!
忘れないで
君はかけがえなく
愛されて生まれてきたんだ!
(#43 春の日に、君と帰る より)



祝福された生・・・
素敵すぎる・・・



それにしても、今改めてkagamiさんのレビューを見ると・・・
てっきり生への意志への称賛が書かれているだと思っていたら、そうではないんですよねぇ
むしろ、教会的な救いに価値を見出しているような、ニーチェの言っていることとはまるで正反対のことを書いてますしねぇ。
(ニーチェの引用(怪物うんぬん)も、まるっきり意味が違うような・・・あれは限りない懐疑、否定が可能なのかという自己への戒め、獅子の姿への批判ですよね?)
イクルも全然聖人君子なんかじゃなくて、ただの一個の人間──最後の最後まで生き抜いた一人の「人間」にすぎません。
もちろん、それが出来るかどうかは別の話になりますが(そして、自分には難しいとも思いますが)、どういった生が活き活きとした生なのか、人の心を動かすのかということが描かれていることは、十分に意味を持つと思います。

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『キーリ9 死者たちは荒野に永眠る(下)』。

2006-04-09 03:17:00 | Review...
キーリの最終巻、『キーリ9 死者たちは荒野に永眠る(下)』を読んで。

なんというか、とうとう終わってしまいました。
物寂しい。

今回のキーリを読んでいて――そして読み終わってからもずっと感じ続けたこと・・・
「物寂しさ」
今回のキーリはキーリであってキーリではないというか、キーリをはるか上方に越えてしまった物語というか・・・

物語の話をすればですね、もうこれ以上ない終わらせかたなわけです。
でも、それでもなお、キーリには別のものを求めてしまっている自分がいる。
――「人間臭さ」「しらがみ」「葛藤」、そして、格好悪いほどの「生への執念」。

もちろん、そういったものがない方が、人間としては成長しているというのかもしれない。
けれど。
けれどもしかし。
そういったものこそが人の心を惹き付けてやまないのだと思う。
物語を劇的なものに、人の心を掴んで離さないものに変えていくんだと思う。
そういったものが<赦し>という形で昇華されていってしまっているのが、なんとも寂しかった。

もちろん、これだけの旅をしてきたわけだけら、人間的に成長しなかったら何やってんだか、という感じはあるのかもしれない。
けれど、どんなにボロボロになろうと生きようとしてきた――あがき続けてきたハーヴェイ、あるいは、敵を作らずにはいられない自分に嫌悪したり、それが自分のエゴだと分かっていてもそれでもなお兵長・ハーヴェイにいて欲しいと必死になっていたキーリ、この二人には成長して達観した感じになってしまうくらいなら、どんなに泥臭くてもいいからあがき続けていて欲しかった。

キーリが幽体になったときの様子を見て、場違いながら「ニュータイプ!?」とか思ってしまったのだが、その経験を通して戻ってきたときのキーリは今までのキーリからは考えられないほどに達観している感じがあって(もちろん、そうなるのに十分なほどの経験ではあったのだけれど・・・)、本当にニュータイプになってしまった感じがあった。
第七話のエピソードで、きっと以前のキーリならあんな達観した見方なんか出来なかったと思う。お疲れ様だなんて言えなかったと思う。
子供を恨んで、ラジオに泣きついて、けれどそんな自分に嫌気を感じて、でも謝るなんて出来なくて・・・きっとそんな感じ。
でも、自分はそんなキーリのほうがとても共感がもてるし、「生きている」という感じがする。

ちょっと話は変わるけれど、みんながみんなニュータイプになって分かりあえたら、ホントにみんな幸せになれるのだろうか?
もちろんあの時代においては、みんながみんな分かりあえるというのは理想に思えただろう。
けれど、人間臭いドロドロした感情や行き違い、不理解などといったものがなくなってしまったとしたら――みんながみんな達観していて、理知的で、争いごとや悩みや葛藤がないような世界が実現してしまったとしたら、どうだろう?
それでもなお、依然として「生の輝き」というものはそこにあり続けるのだろうか?

『風の谷のナウシカ』(※マンガの方)から、ちょっと引用。


ナウシカ

「その人達はなぜ気づかなかったんだろう? 清浄と汚濁こそ生命だということに。苦しみや慈悲やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない。それは人間の一部だから……だからこそ苦界にあっても喜びや輝きもまたあるのに。」


墓の主

「娘よ、お前は再生への努力を放棄して人類を亡びるにまかせるというのか?」


ナウシカ

「その問いはこっけいだ。私達は腐海と共に生きて来たのだ。亡びは私達のくらしのすでに一部になっている」


墓の主

「種としての人間についていっているのだ。人類は私なしには亡びる。」


ナウシカ

「それはこの星が決めること……」


墓の主

「虚無だ!! それは虚無だ!!」


ナウシカ

「王蟲のいたわりと友愛は虚無の深淵から生まれた!」


墓の主

「お前は危険な闇だ。生命は光だ!」


ナウシカ

「ちがう! いのちは闇の中にまたたく光だ!!」




『風の谷のナウシカ』7巻より。一部省略で。
非常に考えさせられます。

まぁ、何はともあれ、キーリ終わっちゃったなぁ、という感じで。
物語を締めくくる最後の言葉が――ハーヴェイの言った最後の言葉が、この9巻がどうであったのかを如実に表していると思う。
そしてそれは、この物語へのレクイエムとして贈られているように思えてならない。

 キーリと会えてよかった。
 今の時代に生きててよかった。
 お前と会わせてくれた、俺をそれまで生かしておいてくれたこの惑星に、お前を今まで守ってきてくれたすべての人たちに。
 この惑星のすべてに。
 俺は今、感謝しています。



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