すっごいネタバレ(というか引用)を含むので、それでもいいという人だけ読んでくださいね。
いや、今回のキーリ、ヤバ過ぎるね。
もう、素敵すぎ。
自分、涙腺緩んでるのかなぁ、と思わずにはいられないです。
物語もいよいよ終盤に迫ったわけですが、劇中で登場人物たちが各々、一歩一歩、少しずつだけど、でも着実に、いろいろと決着をつけていっているのと平行して、物語も一歩一歩、少しずつだけど、でも着実に、終わりに向かって進んでいっている感じで、こうしみじみと感じられて、なんともいえません。
壁井さんの文章の特徴として、(読点が異常に少ないというものありますが)一人称もどきというか、視点は明らかに一人称の文章なのに、語られ口は三人称であるというものがあります。
この文章のよさが遺憾なく発揮されたという感があるのが今回の巻で、登場してきた各々のキャラにその場その場で深く感情移入出来るようにしつつ、かつ一人称がコロコロ代わってしまうことで生まれやすい物語の断絶を最小限に抑えられていて、まさに一人一人が決着をつけていっているという感じが深く感じられます。
ハーヴェイも、キーリも、兵長も、ベアトリクスも、ヨアヒムも、ユリウスも、シグリ卿も、(ヨシウも、)それぞれがそれぞれに自分の生を生きていく。
自分の心に決着をつけていく。
そして、そんな姿が描かれつつ、物語も終わりへと向けて静かに進んでいく。
その感じがとても素敵です。
今回のキーリ、引用したいようなシーンがたくさんあります。
こう、グッとくるようなシーンがたくさんあるんです。
そのうち、特に自分が惹かれた文章を何個か。
猫たちは……わかっていないのだろう。
彼がすでにこの世にいない人だということを。駅に漂うさまざまな人々の残思念の一つでしかないということを。
「なんで行かないんだよ……。俺じゃなくてもいいだろ、餌をくれる人間なんて他にもいるよ」
まいったなあとうなだれて溜め息をつく男の様子にキーリは少し笑ってしまった。恨めしげな視線を向けられて慌ててごめんなさいと取り繕い、
「あの、あなたのこと、好きなんだなって思って」
「最初に餌やったのが俺じゃなかったら、俺じゃなくても別によかったんだよ」
「でも、餌をあげたのはあなただったから」
キーリの答えに、意外そうに男が瞬きをした。自分の口から出たことにキーリ自身少し驚いてしまい、自分の台詞の意味を考えつつ話す。
「……あなたじゃなくてもよかったのかもしれないです。他の誰かでも同じだったのかもしれない。でも、そのとき現れたのはあなただったから、この子たちが好きになったのはあなただった。……それだけのことじゃ、駄目なんでしょうか?」
(第二話より引用)
ホント、そんなもんなんでしょうねぇ。
きっと、誰かが自分にとって特別な存在になるなんて、偶然なんでしょうねぇ。
その誰かが誰であるかなんていうのはホント気まぐれで、でも、なってしまった後は他の誰であってもダメで。
考えさせられます。
振り払おうとしたがシグリは手を放してくれず、キーリの手の甲に自分の額をこすりつけるようにして頭を下げる。
「すまない、本当にすまない……」
「私に謝ったって、お母さんは帰ってこない。私はあなたを父親だなんて認めない」
土下座でもするように額をつけて謝罪の言葉を重ねるシグリの手の中からキーリは強引に自分の手を引き抜いた。身をひるがえして半ば転がるように、座り込んだシグリをその場に残し今来た廊下を取って返して走り出す。
幻滅した。こんなのは絶対にあり得なかった。
教会のトップの人間というのはもっと居丈高で尊大で不遜な悪役の幹部で、いもしない神さまの教えを人々に吹聴して人心を惑わす詐欺師の親玉で、キーリの前に立ち塞がる巨大な悪の壁でないと駄目なのだ。ユドを殺して、母親を殺して、ハーヴェイをぼろぼろにして、ベアトリクスを捕まえて、そんな許しがたい行いの数々の元凶である、キーリにとって最大の憎むべき敵が、あんなただの疲れきった普通の人では駄目なのだ。この程度のつまらない敵のためにキーリの大切な人たちが今までさんざん苦しめられてきたなんて、そんなのは認めない。こんな程度じゃ許さない。あの人は簡単に謝ったりしては駄目なのだ。こんなに簡単に謝られて決着するんだったら、私は何と戦いに来たのかわからないじゃないか――。
(中略)
「……私、ここにはきっと大きな敵がいて、そいつを倒せばぜんぶ問題が解決するような気がしてた。でも、ここにはそんな敵なんていなくて……」いたのは、過去の行いを後悔している疲れた普通の人だけで。
「ずるいよ。私は、何を憎んだらいい……?」
(第三話より引用)
そこには巨大な悪があって、それを倒せばすべてが終わる――そんな考えでいたキーリが、憎むべき敵であるはずの父親と実際に会ってみると、そんな巨大な悪なんてものは存在していなく、ただの疲れきった、そして自分の行いを後悔している、普通の人がいるだけであった、というシーン。
やり場のない怒りを、いったいどこへぶつけたらいいんだ、というキーリの混乱がすごく伝わってきます。
(上の引用の後、ヨアヒムがシグリを殺そうとしているシーン)
「……君は何がしたいんだ? 何が目的でこんなことをしている?」
逆に相手のほうからまた問われた。「目的?」殺そうとしている側と殺されようとしている側の立場で何故こっちが質問を受けているのか疑問だが――そもそも自分は今のところ長老殺しの連続犯などではなく真犯人は悪霊どもの呪いなわけだが、その質問には少々興味がわいた。暗殺者のつもりになって答えてみる。
「ぶっ殺したいからやってる。むかつくから、ぜんぶぶっ壊す」
「ふむ……それで、君はそのあとどうする」
「そのあとって?」
予想外の問い返しに面食らってつい素で訊き返してしまった。
ナイフの刃先が触れた男の首に血の筋が滲む。命乞いしてみろ、他のジジイどもみたいにみっともなくすがりついてみろ。そう思ってナイフを押しあてるが、肩をはずされ苦痛に顔を歪めながらも男の口調は静かだった。頬にうっすらと自嘲の笑みすら浮かべて。
「……私にも昔、望みがあった。それを手に入れるためにさまざまなものを捨ててきた。しかし実際にそれを手に入れられる場所まで昇り詰めてみたら、何が欲しかったのかわからなくなってしまった。実体のない、つまらない理想を掴まえようとしていただけだったのだと気がついた。……そのときにはもう、取り返しのつかないものを捨ててしまっていた。
愚かだったよ……今さら後戻りして罪を償うことができるなどと、あの子を取り戻すことができるなどと、一時でも期待していたなんてな……」
(第三話より引用)
何かを掴もうとして、大切なものを捨てていった。
しかし、気づいたときには何が欲しかったのかが分からなくなってしまっていた。
シグリの後悔がしみじみと伝わってくるとともに、ヨアヒムに深い問いかけを投げかけています。
神サマナンテイラナイ――
でも……本当にそうなのだろうか。
「オレは、教会はこの惑星に必要ないものなんかじゃないって、やっぱり今でも思ってる。戦争が終わったとき、飢えと略奪が横行してめちゃくちゃになってたこの惑星の街々に、食べ物を配って暖房を作って、秩序を回復することに手を貸したのは確かに教会だった。それは、それだけは本当に本当だったんだ。オレも、そんなふうに惑星の助けになれたらって、ずっと思ってきた……」けれど今、憧れてきたものがもやっとした灰色の霞に包まれてよく見えなくなっている。自分が今まで信じてきたものはなんだったのだろう。
聞いているのかいないのか、隣の男はただ欄干越しに眼下に広がる首都の町並みを左右で色の違う瞳で何気なく眺めて煙草を吸っている。回答がもらえるはずもない。そもそも回答があることを期待して話したわけではないけれど、それでも何らかの返事を期待してしまう。
しばらく沈黙が下りた。せわしない人の流れが途切れることなく連絡橋を行き過ぎる。
「ユリウス」
と、思いがけずふいに反応があったので緊張して次の台詞を待っていると、
「お前さ、自分が本気で惑星中の人間を助けられるなんて思ってんの?」
素で理解できないという口調で言われ、高まった期待が心の中でがらがらと音を立てて崩れ落ちた。憤慨と羞恥のあまりユリウスは顔を真っ赤にして、
「なっなんだよ、悪いかよっ」
(ここで、不死人のできそこないが襲いかかってくる。ユリウスは避難誘導の手伝いをしに、ハーヴェイはキーリを助けに向かうことに。)
「ユリウス」
その背中に声がかかった。振り返るとハーヴェイがまだ立ちどまってこっちを見ている。奇妙な顔でいったん足をとめるユリウスに、ぞんざいな口調で次の台詞が続く。
「俺は、お前のそういう、自分なんかが本気で惑星を救えるなんて思ってるところはほんとに笑えると思うけど」
「わ、悪かったなっ。そんなことで呼びとめるなっ」
頬を紅潮させて怒鳴るユリウスに、相手はふいに笑みを見せた。「でも……そういうことを本気で信じられるお前は、素直にすげえと俺は思うよ」普段のにやりとした薄笑いよりもやわらかい笑い方。こういうふうにも笑えるのかと、意外な一面と意外な台詞にユリウスはぽかんとして口をつぐむ。
「頑張れ」
エールを最後に、神官服の長身をひるがえした。一時その場に突っ立って見送るユリウスの視線の先、人々の混乱の中へと赤銅色の髪の後ろ姿が消えていく。
頑張れ――。
追いつきたいとずっと思っていた相手から言われたそんな言葉に、何故だか泣きたくなった。自分のほうがぼろぼろでふらふらのくせに、人にエールなんか贈ってる場合か。
「……お前も頑張れ」
すでに相手に聞こえるはずもない。それでもきっと届くようにと願って呟き、ユリウスも反対方向へときびすを返して走りだした。
(第五話より引用)
やべ、引用してて目頭熱くなった(^^;
教会をどう思っていいのか分からないユリウス。
そんなユリウスにスポットライトが当てられているシーンです。
前半はユリウスの心の揺れがよく表されています。
後半は父子の対決、というものを思い起こさせますね。
越えたいと思っていた背中から、認められ、対等とみなしてもらえた。
しかし、みなしてもらったということがすでに対等ではなく、対等たるためにもと頑張ろうとしているユリウスの姿に心惹かれます。
「ベアトリクス」
炭化銃を肩に堤げ走りだそうとしたところをもう一度呼ばれた。「ん。何?」立ちどまって気軽な口調で応じたが、こいつが略さないでちゃんと名前を呼ぶときは真面目な話をしようとしているときだとわかっている。
次の台詞があるまで一拍の間があり、
「……みんなで帰ろう」
体裁悪そうに視線を落として照れたような仏頂面で、そいつはそう言った。ぽかんとして瞬きしてから、ベアトリクスは内心でぷっと吹きだした。
中身は何も変わっていないように見えて、やっぱりいつの間にか変わったのだなと実感する。前はこんなに素直に感情が表面に出てくる奴じゃなかったのに。百年近い年月の中のたったの数年。それでも、ずっと変化もなくだらだらと続いていたものが多少なりとも変わるくらいに自分たちにとっては密度の濃い出会いがあった、数年。
「当たり前よ。すぐに追いつく」
片手を伸ばし、自分の頭よりも高い位置にある赤銅色の髪を軽く抱き寄せて。
「あんたはあんたで頑張るのよ」
ずっと昔、幼い弟に言った台詞を。
少女だった自分がうまく感情を伝えられずに突き放すように吐き捨ててしまった台詞を、今はやわらかくあたたかく言いなおすことができた。
自分にとっても間違いなく変化があった、たったの数年。その数年に、後悔はない。
再会を約束してきびすを返し、二人それぞれ別の方向へ走り出した。
(第五話より引用)
ベアトリクスとハーヴェイのやり取り。
ハーヴェイ大人になったよ、ほんとに。
そして、ベアトリクスも。
ベアトリクスにとってはこれが救いにもなっていて、ベアトリクスの過去の話とあわせるとグッときます。
数十メートルの高さを腕一本でぶらさがった状態で、まるで他人ごとみたいにヨアヒムが引きつった薄笑いを作った。
「わっかんねえなあ、お前。ぜんぜん意味わかんねえよ。殺す殺す言っといてなんで助けるんだよ?」
「意味わかんねえのはお前だっ」
渾身の力でヨアヒムの体重を支えながら怒鳴り返した。
「お前は何がしたかったんだよ、何が欲しかったんだよっ。俺のまわりうろちょろして邪魔ばっかりしやがって、それで今度は殺してくれってのはなんなんだよ、結局どうして欲しかったんだよ、俺にっ」
考えないまま口から出ていた。こいつにこんな説教をするつもりなんて別になかった。なんで自分はこんな奴のために必死になっているのか。
この道をたどってきてよかったと、後悔はないと確信することができた自分。それに対してこいつは何かに満たされたことがあるのか? よかったと思えたことが今までにあったのだろうか。つまんないことにいちいち反発して何もかも気に入らない顔して、結局こいつ自身は何を望んでいたのか――。同情とか救ってやりたいとか、そんなことを考えているわけじゃなくて、ただ理解できない苛立ちを半ばぶつけるように叫んでいた。道が交錯したり平行線をたどったりしながらも、それでも常にヨアヒムとは同じ距離を歩いてきたように思う。少しでもたどった道が違っていたら自分もこいつと同じになっていたかもしれない。こいつは別の道をたどったもう一人の自分だ。何も見つけられなかった自分だ。
ヨアヒムの顔から人を馬鹿にした薄笑いが消えた。見飽きるほどに見慣れた青灰色の瞳でまっすぐこっちを見上げる。一度視線が交錯する。
それから、溜め息混じりにそいつは言った。
「どこまで行っても呆れた馬鹿お人好しだな。だから大っ嫌いなんだ、お前なんか。何がしたかったって? 何が欲しかったかって? ……お前なんかに教えてやらねえよ。バーカ」
相変わらずの憎まれ口を叩いて、そして。
右手に持ったフォールディング・ナイフで、かろうじて体重を支えていた自分の左肘の腱をぶち切った。
(第五話より引用)
ハーヴェイとヨアヒム。
ハーヴェイの溢れる想いというか、激情というかが、ヨアヒムにぶつけられています。
そして、最後まで素直に――というか、ハーヴェイには弱味を見せまいとするヨアヒム。
この二人の道を分けたものはなんだったのか。
ハーヴェイは「この道をたどってきてよかったと、後悔はないと確信」しているわけです。
ヨアヒムは……このあとにヨアヒムの本音が出てきます。
お前は何が欲しかったんだ――。
欲しかったものなんて本当はどこにもなかった。結局自分でもわかっていない実体のないものを掴もうとしていただけなんだから、どこまで行ってもどこまで昇っても掴めないのは当たり前だった。
ああ、でも今、少しわかった。……俺はあいつみたいになりたかったんだ。めちゃくちゃ馬鹿お人好しで優柔不断でどうしようもなくて、でもだからこそたぶんあいつは、俺が望んでも手に入れることができなかった何かをいつの間にかたくさん手に入れていた。
(あーそうだよ。羨ましかったんだ、ずっと……)
スタートラインは同じだったはずなのに、何が俺とあいつの道を分けたんだろう。俺はどこで踏みはずしたんだろう。
もし道を踏みはずさなかったとしたら、俺は――。
欲しかったものの形がせっかく少し見えたのに……これで終わりだなんて、ちょっと残念だなと思う。長いだけでつまんない人生だったなあ。ま、いいか。こんな見も蓋もないくそつまらねえ最期っていうもの俺らしい。
右手を掲げて空を掴もうとした。
当たり前だが指の先すら空には届かず、
ころり。右手に持っていた自分の心臓が、手の中から滑り落ちて岩肌を転がっていった。
赤銅色に染められた視界が次第に白くなっていく。そこには何もなくて、光も音も匂いもなくて、孤独も絶望も苦しみも悲しみも喜びすらなくて。
世界の終わりには本当に何もなくて。
そこは本当に本当にまっさらな虚無だった。
(第五話より引用)
勢いで最後まで引用してしまった(^^;
結局、人のものが欲しかっただけ。
これがヨアヒムなんですね。
人の持っているものは羨ましく、手に入れたいと思う。けれど、手に入れてしまえばそれは欲しがっていたものではなくなってしまい、永遠に満たされない欲求のみが残る。
きっと、ちょっと気をつけていればヨアヒムもたくさんのものを手に入れていたのでしょうけれど、他人のものばかりが気になってしまい、自分が手に入れていたであろうものの大切さに気がつけず、どんどん手放していってしまっていたのでしょう。
果たして、ヨアヒムにとってこの「最期」は救いであったのか、どうなのか…