鉄道唱歌だそうですね?
まだ知らなかったとき、品川駅で聞いてピックリしました。「あれ!〝Humuun turulhtun”じゃない?!なんでモンゴルの歌がここで流れているんだろう?!しかも歴史的な、有名な歌!」
Humuun turulhtun というのはその歌の名前で、「人類」という意味です。1920年代に作られた歌で、「同じ人間なのに軽蔑され、苦労ばかりして来た女性よ、人間らしく生きられる時代が来た」という内容です。1921年に独立革命が起こり、それと同時に社会主義国へと歩みはじめたモンゴルは男女平等を唱え、その唱歌になったのがこの歌でした。女性は髪を短く切り、字を習い、そしてこの歌を歌いながらダンスをしました。束縛していた封建的習慣を脱ぎ捨て、自由に生きようとする若い女性達の励歌であったのです。
さて、この歌(曲)はどうやって日本からモンゴルへ渡ったのでしょう。
たぶん満州経由だと思います。満州鉄道からモンゴルの南から入ってきたのではないでしょうか。しかし、どのようにして、この歌へとなったのはなぞです。
これで、著作権違反で訴えられなければいいのですが。
まだ知らなかったとき、品川駅で聞いてピックリしました。「あれ!〝Humuun turulhtun”じゃない?!なんでモンゴルの歌がここで流れているんだろう?!しかも歴史的な、有名な歌!」
Humuun turulhtun というのはその歌の名前で、「人類」という意味です。1920年代に作られた歌で、「同じ人間なのに軽蔑され、苦労ばかりして来た女性よ、人間らしく生きられる時代が来た」という内容です。1921年に独立革命が起こり、それと同時に社会主義国へと歩みはじめたモンゴルは男女平等を唱え、その唱歌になったのがこの歌でした。女性は髪を短く切り、字を習い、そしてこの歌を歌いながらダンスをしました。束縛していた封建的習慣を脱ぎ捨て、自由に生きようとする若い女性達の励歌であったのです。
さて、この歌(曲)はどうやって日本からモンゴルへ渡ったのでしょう。
たぶん満州経由だと思います。満州鉄道からモンゴルの南から入ってきたのではないでしょうか。しかし、どのようにして、この歌へとなったのはなぞです。
これで、著作権違反で訴えられなければいいのですが。
この本、モンゴル語にも翻訳されているそうですね。
ほんの少しモンゴルについて理解できたかな!
マ、内容に付いて触れるのは省略。
この本の中に良く出てくる鯉渕教授による後日談を紹介。
1996年2月13日教授はモンゴルに旅立ちました。
ツェベクマさんを始め司馬さんを慕うモンゴルの友人達に司馬さんの訃報を伝えるツライ旅です。モンゴルについた教授は
モンゴル国営テレビの報道に釘付けになったそうです。 テレビは、「日本の著名な作家司馬遼太郎氏が急逝した。氏はモンゴルを愛しいくつかの著作を(略)。私達はモンゴルを愛してくれた氏をいつまでも忘れないだろう。」外国の作家の訃報を伝えるのは異例中の異例の事だったから。
司馬さんにとってモンゴルは「光の国」だったと結んで有りました。
本当に司馬遼太郎さんほど、モンゴルを愛し、これほどたくさんの本を書いてくれた人は、モンゴル学者を除いて、いないでしょうね。ただ、モンゴルでは、日本といくらか関係のある人以外、一般人の間ではそれほど知られていません。「草原の記」のモンゴル語訳をたくさん読んでもらえたらなと思っているところです。
この歌の歴史を98年にモンゴルへ初めて行ったとき 聞いた話です。
1930年頃 日本の社会主義者 片山潜(かたやま せん)がモスクワで生活していたとき病気になり、モンゴルで療養(りょうよう)しました。彼の療養を手助けしていたモンゴル人女性に「鉄道唱歌」を歌って聞かせたのが始まりだそうです。ですから、中国経由ではないと思います。雑学でが、覚えていて損はないと思います。
ずっと気になっていたんです。知ってよかったです。