*殻便*[カ・ラ・ダ・ヨ・リ]*2004-2005

コリアン・ディアスポラ・アーティスト Yangjah の日々の旅をおすそわけ。

静かなるカラダ

2005-01-28 | Performance
きのうはソロの振付けの日でした。
2月5,6日に伊丹のAIHALLで笠井叡さん振付け・演出・構成のダンスパフォーマンス公演があるので、猛特訓の日々です。
振付けからは遠ざかり、即興のパフォーマンスばかりをしてきた私には新鮮な気づきにあふれる毎日です。

とにかく覚えが悪い。
そう思い込んでいると、本当に覚えられないのです。
不思議ですね。

笠井さん曰く「3人称」で踊ると、動きがちゃんとからだの中に入ってくるのです。
自分でありながら自分でないからだ。
そうあることで、ダンスが生まれるのですね。

きのうはみんなの稽古が始まる前に、笠井さんがソロの振付けをしてくれました。
とにかくこの日を無意識に恐れていたので、からだもこころも頭も中がぐるぐる渦巻いていました。ダンスがからだの中に入って来ないので焦ります。何度やっても焦ってしまう自分が存在するだけでした。

笠井さんが真正面から近づいてきて目をまっすぐ見て、
「からだの中が速くなって焦っているよ。ゆっくりでいいから。すぐに覚えようとしなくていいから。次の動き、次の動きと先のことでいっぱいになるんじゃなくて、今を丁寧に踊ればいいから」というようなことを言ってくれました。
わたしも振付けが怖いことを口にしました。

それを期にダンスがカラダの中にすうっと入ってきました。
即興で踊っている時のように、今この瞬間しかないダンス。
他人に振付けてもらうことで、今までの自分からは生まれてこなかった動きやリズムが自分の宇宙から引き出されてきます。
生かされている安心感に近い感覚。
自分のからだがちっぽけなものでありながら限りなく広がっていくように存在すること。
わたしがダンスと共にある根源のところを思い出しました。

最近日常でも自分の中がいそがしかったのです。
それが踊りに出ていました。
ダンスには今の自分が嘘のように映し出されます。
そこが魅力でもあり怖いところですね。
今を踊ることで、自分の中が静かに静かに落ちついてきました。

人形のように
自分の意志を超えて
踊る

自分の意志で毎日をそして人生を生きているような気がしてくるけれど
本当は何か大きなちから・流れに動かされています。
そして自分のその大きなもののかけらなんですよね。

今日も稽古です。