山崎元の「会社と社会の歩き方」

獨協大学経済学部特任教授の山崎元です。このブログは私が担当する「会社と社会の歩き方」の資料と補足を提供します。

【秋学期8回目】 転職する理由と目的について

2010-11-17 06:34:45 | 講義資料
 今回は転職の理由について考える。就職するときに、将来その会社を辞めようと考える人は少ないかも知れないが、会社や職場の状況も、本人の気持ちも、時間と共に変化するので、転職した方がいい状況になる場合が将来あるかも知れない。「私は、将来も絶対に転職しない」と言い切れる人は殆どいないはずだ(そう言うこと自体が無駄だ)。
 キャリアプランニングに於いても、将来の転職の可能性は排除しない方がいい。

 以下の文章は、私(山崎元)がリクルート・エージェント社のサイトに書いたもので、転職の理由について説明したものだ。
(「転職原論」第5回。http://www.r-agent.co.jp/guide/genron/genron_05.html)
 
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★転職に「攻め」も「逃げ」もない

転職の理由は何でもいい。本人の心の中にごまかしが無ければ、本当に何でも構わない。

しかし、世間を見渡すと、若者の転職にケチを付ける大人の言動が少なくない。たとえば、「攻めの転職はいいけれども、逃げの転職は良くない」などという、分かった風な言い草だ。転職に慣れていない人は不安もあるし、現在の職場を離れることに対して後ろめたい気分を持つことがあるので、自分がしようとしている転職は「逃げ」なのではないか、などと気に病む場合がある。

しかし、転職自体は自分の取引相手となる会社を変えるだけのことであり、何らやましいことではない。

「逃げはいけない」と言っている人は、やりかけの仕事から離れることがよくないと言っていたり、嫌な環境を克服できないことがよくないと言っていたりするようだ。そして、もう少し現在の職場で時間を使えば「逃げ」が必ずしも「逃げ」ではなくなる、というようなことを言う。

だが、基本的に仕事に責任を負っているのは会社の代表者や上司の側であり、彼らの要求を無限に聞く必要はないし、それを聞かないことを「逃げ」呼ばわりされるいわれはない。また、職場との相性は誰にでもある。転職でこれを改善しようとするのは普通のことだ。

そして、もっと大切なことは、時間は無限ではないし、チャンスには限りがあることだ。「よりよい職場」があるなら大体は早く移る方がいいし、転職のチャンスがいつでもあるとは限らない。説教好きの大人は、しばしば若者の持つ時間の価値に対して鈍感だ。無意識のうちに、若者が持っている時間に嫉妬しているのかも知れない。

★人間関係が理由で辞めても構わない

転職の「実質的な理由」でたぶん一番多いのは、職場の人間関係だろう。世間の転職の半分以上が、そうではないだろうか。上司との関係で悩む人も多いし、同僚との人間関係がしっくりいかないという人もいる。人間同士が集まって仕事をしている以上、これは仕方がない。自分が他人に対してそうならないという保証はないが、「嫌な人」「苦手な人」というのは、どこにでもいるものだし、これが我慢できないこともある。不必要な我慢はしなくていいし、不可能な我慢は不必要な我慢である。

ただ、転職の「実質的な理由」と書いたように、対外的な説明では、必ずしも人間関係の困難を、転職したい主な理由として述べる必要はない。最初に転職を考えたきっかけが人間関係だとしても、具体的な転職を決めるときには「こちらよりも、こちらがいいと思ったから」という理由があるはずだ。もっとも、この場合でも、転職を決意した理由の一部として人間関係を挙げることは何ら悪いことではない。

経営学者の故P・F・ドラッカー氏は組織を辞めることが正しい時として「組織が腐っているとき、自分がところを得ていないとき、あるいは成果が認められないとき」を挙げている。人間関係が上手く行かないと感じているときの多くは、これら三つの何れかに該当するのではないだろうか。

★転職の三つの理由

筆者の転職にも、特に若い頃には、職場の人間関係がきっかけだった場合が何回かある。しかし、もう少し距離を取って個々の転職の意味を考えると、自分の転職には次の三通りの「意味」あるいは「目的」があった。

若い頃の転職で多かったのは、「仕事を学ぶ」ための転職だった。最初の転職は、ファンドマネジャーの仕事を覚えるための転職だったし、その後二回の転職も目的は、もっと自分の仕事のスキルのレベルを上げられる職場に移ることだった。

外資系の会社に移る頃からの転職の典型的な理由は「機会を得る」ということだった。経済的な条件も考慮しないわけではなかったが、主な目的は、よりよい仕事の環境を得ることだった。尚、この段階に入ってからも、よりよい仕事を覚えることに主目的のある転職が二回ほど混じっている。

最近二回の転職は40歳代になってからのものだが、これらの目的は「ライフスタイルの実現」であった。会社の仕事と自分の仕事を並行して行う形を作り、また、自分の名前で自由に意見を発表できるような仕事の条件をつくることが、転職の目的だった。自分が働きたい形で働けるようにということもあるし、将来への準備を早めに始めるという意味もある。

読者がしようとしている転職も、「仕事を学ぶ」・「機会を得る」・「ライフスタイルの実現」の何れかの意味があるのではないだろうか。
「前」と「後」を冷静に比較して決める

転職の理由は場合によっていろいろだが、他人の言葉や評価を気にする必要はない。但し、転職を決めるにあたっては、現在の職場よりも、これから移ろうとする職場を冷静に偏り無く評価して、後者の方が総合的に「良い(のではないか)」という明確な理由が必要だ。

「偏り無く」というのは現実には難しいが、一般論としては、人は、これから手に入れるものよりも、現在手に入れているものの価値を過大に評価しがちなので、この点に注意すべきかも知れない。これは、全く同等と思える場合は、新しい会社の方がいいという意味だ。

何れにせよ、転職に明確な理由があれば、それを他人にも堂々と説明できる。この点は精神衛生上大変重要だ。
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以上

 以下の記事は、5年ほど前に『読売新聞』に載ったもので、私(山崎元)の転職にあって、大きな意味があったと本人が思う3回の転職について説明している。上下二回に分かれていて、読売オンラインで読むことが出来る。

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12回の転職の中で大きかった3回の転職(上) 山崎 元さん

 決して自慢になる話ではないが、筆者はこれまでに12回の転職を経験した。多くの転職を重ねたことを、決して恥じてはいないのだが、「想定の範囲外」であったことは認めざるを得ないし、転職に伴ってかかった有形無形のコストも小さくなかった。

 ちなみに、「コスト」というのは、たとえば、転職の時期によって貰えるはずのボーナスを満額貰い損なったり(合計6回ある)、退職金や年金で損をしていたり、新しい職場に適応するために手間が掛かったり、といったことだ。少なくとも経済的な損得からいえば、転職すること自体は得ではないから、覚悟されたい。しかし、幸い、筆者の場合はそれ以上に自分の仕事の内容や環境を自分で選択できたことのメリットが大きかった。

 さて、12回の転職は、後から振り返ってみると、自分にとって全てが等価であったわけではない。今回は、自分の職業人としてのライフスタイルの選択に大きく関わっているという意味で、自分にとって大きな意味を持っていた三つの転職について少し詳しく触れてみよう。
(1) 最初の転職(三菱商事→野村投信)

 最初の会社に就職する時から「十年も経てば世の中が変わっているだろうから、その時にまた考え直そう」というくらいの気持ちではあったのだが、4年目の時点で、世間的には「いい会社」といわれることの多い会社を辞めるにあたっては、かなり考えた。かれこれ1年以上かけて行き先を探していたのではあったが、現実に転職先が見つかってみると、「日本にあって、最初に勤めた会社を辞めても大丈夫なものだろうか」という事について、理屈では「大丈夫だろう」と思っていても、実感がないので自信が持てなかったのだ。

 結局、〈1〉仮に多少損になることはあっても、〈2〉心身共に元気で且つ人並みの勤労意欲があれば、〈3〉食うには困らないだろう、と最悪の事態について見当を付けることによって、自分の選択を肯定した。

 実際にやってみてどうだったのか、といえば、まだ大きな企業からの転職が珍しかった時期(1985年)のことでもあり、新しい職場への適応や、転職者であることへの自意識に苦労をしなかったといえば嘘になるが、結果的にはプラス面が大きかった。

 プラスと思えた要因は、〈1〉新しい仕事を覚えて職業人としての価値を向上させることができた、〈2〉自分で進路を選択して無事働けたことで自信がついた、〈3〉特に前の会社との「距離感」が分かって、会社というものを客観視する事ができるようになった、という三点だ。

 三点目について補足すると、一つの会社の中にずっと居ると、世の中におけるその会社の重要性や自分個人にとっての重要性がどれくらいのものかが分からなくなり、同時に会社にとって自分がどれくらい重要なのかも分かりにくくなる。しかし、一度転職を経験すると、自分が所属している会社が世間や自分にとって不可欠なまでに重要なものではないことや、自分が居なくてもその会社は無事に動いている、というようなことが分かる。

 要は、会社についても、自分についても、客観的な視点を持てるようになるということなのだが、筆者以外の転職経験者の話を聞いてみても、大なり小なりそのような実感を持つようだ。たぶん、転職を経験すると「少しオトナになる」ということなのだろう。

つづく
(2005年5月27日 読売新聞)
http://job.yomiuri.co.jp/howto/experience/ex_05052701.htm


12回の転職の中で大きかった3回の転職(下) 山崎 元さん

(2) 外資系的な雇用契約へ(住友信託銀行→シュローダー投信)

 最初の転職をクリアして、二度目、三度目の転職は、結果の成否はともかく、自分の意思でコース選択することができた。かくして辿り着いた会社は、当時の同僚に恵まれたこともあって、気に入った職場だった。

 しかし、ここでは事の詳細には触れないが、会社の方針について筆者としてはどうしても許すことができない点があって、せっかく張り合いのあった職場を早く離れた方がいいと思うような事態に至った。それまでに、三回転職していることもあり、日系の会社で良い就職口を探すのは大変だろうと思われたし、また、当時の日系の会社にはさほど魅力的な会社が見つからなかった。

 そんな訳で、「そろそろ外資に出る頃合いかな」と思って、外資系の会社に転職したのが、33歳の時であった。

 外資系の会社では、基本的に、報酬は個々人が別々に決まるし、何といっても、「クビ」の心配がある。近年は、日系の会社でもクビがあるし、年俸制の契約もあるが、外資系の会社の緊張感はまた少しちがう。

 しかし、考えてみると、一人一人違う個人が「自分の仕事」を売るわけだから、「給与テーブル」によってではなく、個々人が個別に評価され、かつ個人と会社が合意の上で取引をするのが当たり前の姿だろう。ちなみに、日本企業の「成果主義」は、マネジメント構造をそのままにして相対評価にお金を絡める「陰気な成果主義」だが、外資系のそれは、会社によって差はあるとしても、成果(≒利益)への貢献に対して喜んで報酬を払う「陽気な成果主義」であって、両者は似て非なるものだ。

 外資系の会社に転職して以降、筆者は日系の会社に勤める場合も、個人として年俸を決めるような形で会社と契約して働く道を選択している。勤め人ではあっても、ある意味では個人事業主の感覚だ。雇用の保障は曖昧になるが、近年では、日系の会社でも交渉次第で外資系的な年俸を払うようになっている。

(3) より自由な働き方を求めて(明治生命→UFJ総研)

 大きかったと思う三つ目の転職は、働き方を大きく変えた11回目の転職だ。

 それまで三社ほど、日系の会社に外資系的な報酬で勤める形を取っていたのだが、もっと自由な時間あるいは仕事が欲しかったことと、特に自分個人の名前で(正々堂々と)意見を言いたいという欲求が強まってきた。数年前から、かなりの頻度で雑紙に原稿を書いたり、専門書を書いたりしていたのだが、前者では多くが匿名ないし筆名の原稿であって、意見発表の形態としては不満であった。

 また、年齢的にも40代に入り、当面はいいとしても、50代以降に自分のペースでできる仕事の基礎を作っておきたいということも考えた。

 さりとて、いわゆる「起業」が好適とも思えなかったので、次のような仕組みを考えた。先ず、(1)勤務の日と時間が自由で、(2)個人としての発言の自由が確保され、(3)副業(もちろん本業と競合しないものだが)を認める、という条件の職場を探した。ただし、自由度が大きい代わりに、(4)収入は少なくても(前職の半分以下で)満足する。そして、自分の活動(ほぼフリーの個人としての活動と友人との会社的活動の両方)とサラリーマンとしての立場を両方確保するライフスタイルを軌道に乗せようと試みたのだ。

 この働き方は、現在も試行錯誤的に進行中だが、個々の仕事の稼ぎ能率はそれほど良くないものの、収入源が多方面にわたる分リスク分散が働いており、何よりも個人としての自由度が大きい。自分で自分を要領よくマネジメントしなければならない、といった多少の苦労もあるが、今のところ気分も経済的条件もまあまあだ。

 一人が一社に完全に取り込まれる形以外にも、会社と個人双方にとってリーズナブルな雇い方・雇われ方(より正確には対等の契約なのだが)があるのではないか。働き方にはまだまだ多くの工夫が可能なのだろうと思う。

以上
(2005年6月8日 読売新聞)
http://job.yomiuri.co.jp/howto/experience/ex_05060801.htm
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