山崎元の「会社と社会の歩き方」

獨協大学経済学部特任教授の山崎元です。このブログは私が担当する「会社と社会の歩き方」の資料と補足を提供します。

【秋学期 6回目】職業によって稼ぎに差があるのはなぜか?

2010-11-03 23:30:02 | 講義資料
 以下の文章は、拙著「お金とつきあう7つの原則」(KKベストセラーズ刊)の第2章「お金の稼ぎ方」の原稿の一部を加筆修正したものだ。
 収入に大きな個人差が生じる理由と、拙文で言う「四つの階級」について、皆さんなりに、考えてみて欲しい。

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★お金は何かと交換で手に入れる

 お金は支払いの手段であり、不測の事態に備えるために、また、自分の自由を実現するためにも、ある程度必要なものだと前章で述べた。
 そのためには、まずお金を手に入れないと始まらない。基本的には、何かと交換することによってお金を手に入れる。
 最も普通に考えられるのは、自分の労働を提供することだ。
 自らの身体を動かし、場合によっては頭を使い、文字を書いたり、モノを動かしたりすることによって、一定の時間とその時間に自分が行使することができたはずの自由を諦めて他人に提供する。「自分の時間と努力をお金に換える」と考えてもいい。
 その際に稼いだ額と使う額との差がプラスになれば、その差額を自分のお金として貯めたり、増やしたりすることができる。
 この際考えておきたいのは、「時間」と「お金」と「自由」は緩やかに交換が可能だということだ。
 たとえば、お金をもっと増やしたいと思った場合。ごく一般的には、自分が働く時間、自分が提供する時間を増やすということが考えられる。具体的には、昼の仕事だけで足りなければ、夜のアルバイトをすれば、お金は増える。残業を増やして残業代を稼ぐというのもこれに該当するだろう。このように「時間」と「お金」は交換が可能だ。
 一方、「自由」と「お金」も、ある程度交換可能だ。
 たとえば、好きな職業、それ自体が楽しい仕事に就いた場合と、それをすることが苦痛であるような仕事に就いた場合を比較してみよう。
 傾向としては、楽な仕事よりもきつい仕事のほうがお金になる。仕事の好みは人それぞれだが、傾向として「嫌な仕事」なら、さらにお金になる。たとえば、アルバイトにしても路上でのビラ配りよりは、重い荷物を運ぶきつい仕事のほうが、同じ時間に対して多くのお金をもらえることが多い。
 そして、このお金を蓄えることによって、「お金」を「自由」と引き換えにすることが可能になる。たとえば将来1年間仕事を休んでアフリカにボランティアに行くようなこともできるだろうし、希望していたNPOの仕事ができるようになるかも知れない。また、退職後には、給料は安いかもしれないが、学校でものを教えることも考えられる。いずれにしろお金があれば、自分の時間を自由に使えるようになる可能性が高い。
 そもそも人が持っている資源というのは、最初は「時間」と自分の身ひとつの場合がほとんどだ。しかし、時間を提供し続けることで「お金」が貯まり、今度は自分の「自由」のために時間を使うことができるようにもなる。
 このように、「時間」と「お金」と「自由」は緩やかに交換可能なので、それを少しでも有利に交換していくことを心がけたい。そう考えると、自分が何をしようとしているのか、人生の見通しがよくなるはずだ。

★ 仕事によって稼ぎが違うのはなぜ? ~お金の立地条件~

 一生懸命、同じ時間働いたとしても、たくさんお金をもらう人もいれば、生活するのにいっぱいいっぱいの収入しか得られない人もいる。
 たとえば、同年齢で、同じ大学を似たような成績で卒業した2人がいたとしよう。片方は銀行に入り、もう片方は電機メーカーに就職した。ところが、入社10年後の収入を比べると、銀行員のほうが電機メーカーの社員の2倍もらっているというようなことがよくある。
 仕事によって稼ぎが違い、同じ時間を提供しているのに収入格差があるのは、動かし難い現実だが、その理由は何なのか。
 お金には「立地条件」があると考えるのがわかりやすいだろう。
 そもそも、会社というものは何なのかというところから考えよう。ごく単純に言えば、会社は、他人の力を利用してお金を稼ぐための仕組みと位置づけられる。
 自分で会社を興す経営者の立場になれば、働く場を提供して、1人だけでは稼ぎにならないような仕事を稼ぎに結びつける。働いてくれる人に対してはその人が貢献した稼ぎの中から、ある部分を会社が利益としてもらう。そのような関係の中で、経営者は社員の働きを利用し、社員は経営者がつくった会社を利用して、お金を稼ぐ。
 仮に、1人の社員が年間1000万円を稼ぎ、会社はその人に年収500万円を支払うと、会社には500万円が残る。そのような社員が10人いれば、粗利が1億円となり、そのうち5000万円が会社の利益で、それぞれの社員は1人当たり500万円をもらえる。単純化すると、そのような仕組みで運営されているものが会社だ。
 社員にとってずいぶん不利だと思われるかも知れないが、そもそもが、この会社という仕組みがなければ、稼ぐ場がないのだとすると、社員の側も会社で働くことには十分なメリットがある。
 ただし、現実の会社では、これらの10人はみな同じ立場ではないだろう。たとえば、この人でなければこの仕事はできない、あるいはこの人がいなければ会社が成り立たないというような人が1人いる場合がある。
 何らかの商品の訪問販売をしている会社だとして、セールスの「やり方」を考える人と、このやり方を使ってセールスするだけのセールスマンの差を考えてみよう。あるいは、誰かに国家資格が必要なサービス業で、その資格を持っている社員が1人だけだと考えてもいい。
 こうしたケースでは、会社は1人当たりに500万円ずつ払っていれば5000万円の儲けがあるが、その人がいなくなってしまうと、儲けそのものが成立しなくなってしまう。そうなると、たとえばその人だけに1000万円、あるいは1500万円をあげてもいいかも知れない。
 いわゆる「余人をもって代えがたい仕事」をしている人は、利益の中からそれ相応の配分がもらえる可能性が大きい。逆に、「代わりがいくらでもいる」仕事をしている人の報酬は安くなる傾向がある。たとえば、同じ会社にいながら、一方はボーナスで稼ぎ、一方は一定額の給与だけというように分かれる。

★4つの階級 ~「株式階級」「ボーナス階級」「給料階級」「非正正社員階級」~

 収入格差が生じる仕組みは、それだけではない。
「株式」の仕組みが収入に影響することもある。
 経営者の立場で考えよう。先ほどのケースだと、社員が1人当たり1000万円ずつ稼いできて、10人に500万円ずつ給与を支払うと利益は5000万円だ。ところが、その5000万円には課税されるので、税金を払わなければいけない。仮に税率が4割とすると、経営者にとっての儲けは3000万円に目減りする。
 これでは満足できないと考えると、たとえば、売り上げを増やすために、この仕組みを10倍にできないかといった発想がわく。たとえば、一店舗で10人を使っている場合、これを10店舗まで増やす。社員も10倍の100人を使えば、単純計算では、10億円の売り上げとなり、粗利益は5億円。これに4割が課税されるとして、最終的な儲けは3億円になる計算だ。
 仮にここまでたどり着いたとして、さらに、大きなお金を手にするために、今度は株式を公開することを考えてみよう。
 そもそも株式の価値は次のような要領でカウントされる。まず、その会社の1年分の利益を織り込み、そこに来年稼ぐであろう利益、再来年稼ぐであろう利益、さらには将来稼ぐであろう利益をいずれも「現在の価値にひきなおして」積み重ねて、合計として評価する。
 現実には、1年先がもっと成長するとか、その先はあまり成長の見込みはないとか、見込まれる利益成長率の差が重大だが、投資する側は、たとえば今年の利益の何倍くらいかと考える。たとえば、将来の利益は総合的に今年の利益の20倍くらいでいいのではないか、などと考える。
 年間3億円の利益を計上する会社なら20年分の利益を見込んで、一気に60億円で評価される。この株式の評価額の合計が「時価総額」と呼ばれるものだ。
 ちなみに、この倍率を「PER(株価収益率)」と呼び、現在の株価を1株当たりの今期予想利益で割って算出することが一般的だ。このPERが高いほど、利益に比べて株価が割高となるが、将来の利益成長率が大きいと評価されれば、投資家はPERが高くてもいいと納得しやすい。
 仮に、株式の半分を創業者が持っているとして、株式を公開して得たのが60億円の時価総額だとすると、この創業者は計算上30億円の富を得たことになる。会社設立から株式公開までが10年だとすると、1年当たりで換算して年収3億円の計算だ。もちろん、株式の価値を現金に換えようとすると、株式を売らなければならないが、このケースでも持ち株の一部を売ることで何億円ものお金を得ることが可能になる。
 株式は、他人に、会社の儲けを先取りして評価させて、現在価値としてそのお金を先に手に入れることを可能にしようという仕組みなのだ。
 多くの従業員を使って利益を取る、いわば「横方向のピンハネ」だけでなく、この先の何十年分かの利益を投資家に期待させて富を手に入れる、時間方向、いわば「縦方向のピンハネ」も利用して、短期間にリッチマンになる人がしばしば登場するようになった。
 仮に、六本木ヒルズのような近代的なオフィスビルで働き、首からIDカードをぶら下げ、Tシャツにジーンズという出立の35歳のビジネスマンがいるとしよう。
 もしも彼が株式を公開した会社の創業者や幹部クラスになれば、その会社の株式を保有していることが少なくない。彼は通常の給与よりもずっと大きく「株式」によって稼ぎを得ていて、それは年収に換算すると数億円にのぼるかも知れない。
 あるいは彼が、会社側から特別な社員と認められて多額の「ボーナス」をもらっている人なら、年収で言えば数千万円になるかも知れない。
 しかし、多くの場合、一般的な社員として年収数百万円相当の給料を受け取っているくらいの人が多いだろう。給料で稼いでいる人の収入は、彼が会社の「正社員」なら、まだ安定的だと言えるが、同じ社内にはいわゆる「非正規(労働者)」と呼ばれるような非正社員のアルバイトや派遣社員などの形で働いている社員もいる。彼ら彼女らは、必要がなくなれば、その時点でクビ(契約解除など)になることがままあるのだ。
 同じ場所、同じ会社で働いていて、似たような歳格好でも、どのような立場で働いているのかによって、経済力には大きな格差が生じる場合がある。
 職業に貴賎はないし、人間性まで格付けするつもりはないが、お金との関わり方に関して一種の「階級」があると考えるとわかりやすい。
 株式で稼いでいる「株式階級」、主にボーナスで稼いでいる「ボーナス階級」、安定的な雇用を得て給料が収入の大半の「給料階級」、雇用の継続性がほとんど「保証されていない「非正社員階級」の4つだ。
 中でも株式で稼いでいる人々は、会社の将来の稼ぎまでを含めて現在の富を手に入れている。資本主義というゲームの中では一番効率よく稼ぐことが可能なグループだと言えるだろう。人生でそれが一番の価値を持つのかどうかは別の議論だが、人を使って会社をつくり、その会社を上場させることで、将来の利益まで他人に評価させて、莫大な報酬を手に入れるというのが、短期間に大金持ちになる最も典型的なパターンだ。
 ついでに1つ注意しておきたいのは、いわゆるベンチャー企業に勤める場合、株式に対して自分がどういう権利を持てるのかをぜひ、しっかりと確認しておきたいということだ。たとえばストックオプション(あらかじめ決められた価格で自社株を買う権利)という形で報酬がもらえるのか、あるいは自社株そのものを給料とは別にもらえるのか、そして、その時の株価はどのように決まるのか。また、株式は公開されているのか、されていないとすれば、公開される見込みがあるのか。こうした株式まわりの権利は特にベンチャー企業で働く場合に重要なポイントとなってくる。
 あえて言えば、株式で大儲けできる可能性がないなら、いわゆるベンチャー企業に勤める楽しみはない。ベンチャー(=冒険)企業である以上、いつつぶれるかわからないというリスクもある。
 いずれにしろ、自分がどの階級に属しているのか、どの立場を目指そうとしているのか。まずはそのことを確認しておきたい。大きなお金が動くような場所にいて、そこにかかわっている会社はお金を稼ぐチャンスが大きいし、そこに携わる人間の実入りも大きくなる。たとえば、まったく同じ大きさ、同じ品揃えのコンビニエンスストアでも、人通りが多いところにあるかどうかで収益が大きく異なるように、「お金の立地条件」は、個人にとっても重要なものなのだ。

★需給。代わりの少ない仕事は報酬が高い

 もうひとつ、収入を決める条件として、その労働力に対する「需給」がある。
 その仕事が誰にでも取って代われるような仕事なのか、それとも、ある程度の経験やノウハウを要する代わりが少ない仕事なのか、その違いが大きい。有利不利は、求められる需要に対してどの程度の供給があるかという「バランス」で決まる。
 たとえば、日本で電気製品をつくっている労働者は、間接的とはいえ、韓国や台湾、中国などで電気製品をつくっている労働者とその製品を通じて競争している。外国の製品価格が下がれば同様に日本製品も値下げしなければ売れなくなるから、その分、日本の労働者の賃金が圧迫される。国内と海外で同じような物をつくることができる場合、それにかかわる労働者どうしは、製品を通じて競争させられる。そして、現在、中国などの新興国の労働者の賃金のほうが日本の労働者よりも安いケースがほとんどだから、彼らと競合する日本の労働者の賃金には下方への圧力が掛かる。賃金だけの問題ではなく、少しでも安い賃金を求めて生産自体が海外に移管されて、雇用機会が減ってしまうこともある。
 こうした競合は製造業労働者に限らない。たとえばソフトウェアの技術者など、知的な労働を提供する労働者にも当てはまる。
 アメリカのプログラマーたちがしばしば悩むのが、ソフトウェアの制作会社が、アメリカにいるプログラマーに発注するのではなく、インターネットを使ってインドにいるプログラマーに発注するような、仕事の海外流出だ。
 インドのプログラマーは英語を不自由なく使えることが多いし、数学はもともと非常に強い。高度なプログラムもつくることができて、しかもインドのプログラマーに頼むほうが安いのだ。アメリカからインドへの仕事の流出は、顧客に電話で受け答えをする「コールセンター」などで大規模に存在する。通信の発達と多くのインド人が英語に強いことでこうなっている。

 産業・職業の将来性は簡単に見通せるものではないが、同類の職業の人が余っていないかという単純な現状認識に加えて、将来に関して、敢えて、職の需給のチェック・ポイントを考えると以下の三点だ。
(1)その仕事は新興国労働者で代替が利かないか?
(2)その仕事はコンピューター・プログラムで置き換えが利かないか?
(3)その仕事が貢献している製品・サービスは社会が豊かになってもニーズがあるか?

 仮に、国立大学の理科系の学部を出て大手メーカーの技術者としてエンジニアをやっているようなケースでも、安穏とはしていられない。彼(彼女)は、社内や国内ばかりでなく、中国やインドの技術者とも競争しなければならない環境におかれている。どのような知識と技術を身につけてれいれば安全圏で一生食べるに困らないのか、ということに対して、確実な正解がなくなってきた。
 このように考えると、たとえば、銀座で売れっ子のホステスをやっている女性のほうが東大出のエンジニアよりも競争上有利かも知れない。彼女たちは、銀座の中で競争しており、そこで勝てばいい。上海やムンバイの女性達と直接競争しているわけではない。
 話を戻そう。
 よく代わりがきかない何か強みを持つことが大切だと言われると、すぐ技術とか資格に走りがちだ。
 しかし、たとえば外資系の証券会社などで高く評価されるのは、資格を持っているかということよりも、「自分の顧客を持っているか」であり、次に「業務に必要な知識と経験を持っているか」だ。特によい顧客をがっちり持っているセールスマンには確実な需要がある。これは、雇う側の立場に立って考えるとわかることだろう。英語ができるMBA(経営学修士)よりも、単によい顧客を持っているセールスマンのほうが断然採用されやすい。加えて、採用された場合の稼ぎもたぶん多いだろう。
 そんな人材になるためにはどうしたらいいのだろうか。
 即効薬はないが、1つの発想法として、自分を「個人商店」と位置づけると見通しが良くなるはずだ。自分は、自分の労働力を売っている個人商店で、自分という社員1人を使っている経営者だと考えてみるのだ。
 たとえば、今後、売り上げ(=年収)を向上させるためには、どういう方面のスキルを身に着けて、どのような労働を提供できるようになればいいのかということを真剣に考えなければいけない。これは、企業でいうと、調査やマーケティングの仕事に相当する。
 たとえば、自分が経理マンなら、日本の会計制度だけでなく、アメリカの会計制度も把握していれば外資系の会社に勤めることも可能になり、収入アップの可能性が見えてくる。この場合、英語もできるようになれば、管理職への道も開けるし、経理だけではなく、税理士の資格を取れば仕事の幅が広がり、収入はさらに上がるかも知れない、といった具合に「商品としての自分(の労働力)」をバージョンアップしていくことが考えられる。
 ただし、たとえば、税理士の資格を取るためには結構な時間と労力がかかる。資格を取ることのメリットが、資格取得にかける時間と苦労に見合うかどうかは、人によるし、時代によっても変化する。世間のニーズを絶えず考えて、自分の商品価値を計画的につくらないと、人生の貴重な時間を有効に使えなくなってしまう。
 人材価値について1つ恐ろしいことは、仮に、まったく同じ価値、同じ能力の人間が2人いた場合、若い人のほうがより大きな価値があるということだ。雇う側から見ると、若い人のほうが長く使うことができるし、長く使っている間にスキルを習熟することが期待できるからだ。経済合理的には、同じ能力なら、より若い人に高い給料を払ってもおかしくない。だから、去年と今年とで同じ能力だとすれば、それは去年より自分の人材価値は落ちているという具合に考える必要もある。
 時には本人が自分自身の価値がピークから下がっているということを認めることも大切だが、それに甘んじることなく、せめて下げ方を小さくしよう、あるいは価値を上げようと意図するなら、去年より進歩した自分をつくり続ける必要がある。年齡を重ねるごとに収入が上がるのが当然というのは過去の話であり、これからは、ますますこうした経済的な現実に向き合うことが必要になる。
 ただ、何にせよ、目指すべき方向は割とはっきりしている。「なるべくなら、代わりの少ない仕事を選ぶ」ことであり、それは、そのほうが有利に稼げるからだ。自分の代わりの少ない仕事、自分が有利な競争環境のつくり方が求められている。
 有力な手段は、しばしば複数の能力の組み合わせによる。
 これだけというのではなく、これもできるしあれもできる、という組み合わせによって「代わりの利きにくい自分」をつくるのだ。英語もできるし、経理もできる。あるいは、デザインなどもできて美的センスもある技術者であるとか、複数の長所の「組み合わせ」を考えるといい。
 もちろん、それは今まで自分が持っていたものに何かを付け加えていくことでつくることができる場合が多い。
 本書はキャリアデザインの方法を語ることが主題ではないので、仕事の仕方の話はこれくらいにしておくが、自分の「人材価値」を育て、かつ維持していくということを絶えず考えておいてほしい。
 こうした考え方は、お金の扱い方や財産の増やし方にも大きく関わる。現金だけでなく、預貯金や株式投資をどう組み合わせてお金を増やしていくのかを考える時にも、欠かせない要素だ。
 自分の人材価値や労働力を商品と考えることについては、これを否定的にとらえて目をそらしたり、禁止したりしようとするよりは、現実を認めて、その中でなるべく有利に要領よくやろう、と考えるのがいい。
 現実に働く経済原則を無視すると生きづらくなるからだ。稼ぎの多寡が人生の価値を決定づけるわけではないが、自分の労働力を高く売れるほうが、自分の自由を豊かに拡大できる可能性が高まる。
 単に「頑張れば何とかなるだろう」とだけ考えるのでは不十分だ。頑張っている姿だけを誰かが密かに見ていて、その頑張りの分だけ評価してくれる、というほど世の中は親切にできていない。

 自分の時間と努力を投入することに対して何を得ようとするのかを常に考えておく必要がある。同じ頑張るのであれば、せめて何をどう頑張ると効率的なのかを気にかけてほしい。なりふり構わず身体を動かす前に、少し頭を使って考えてみよう。
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