私がナゴヤ球場で斎藤が中日を2安打完封した試合を見たのは、1996年5月のことだった。
それからもう20年がたとうとしているのに、斎藤は、楽天でいまだ現役投手として当時とほぼ変わらない速球を投げることができる。そのときの正捕手が谷繁だから2人とも、ここまで息の長い選手になるとは想像すらできなかった。
2006年に大リーグ挑戦をしたときは、すぐに帰ってくるだろうと思ったものだが、まさかまさかの活躍で大リーグを代表するクローザーにまで登り詰めてしまった。
その後、セットアッパーとして活躍し、結局、日本にいたときよりも遥かにいい成績を出して日本に凱旋することになった。大家と並んで、最も大リーグに適応した選手なのだ。
そして、45歳になった今も楽天のセットアッパーとして活躍している。左投手では山本昌がいるため、最年長記録の更新は困難ではあるが、斎藤は、右投手としての最年長記録をどんどん打ち破っていくことになるだろう。
そして、もしかしたら5、6年後、山本昌の記録さえ抜く存在になっている可能性もある。
「伝説のプレーヤー」
http://dogyamanet.web.fc2.com/
それからもう20年がたとうとしているのに、斎藤は、楽天でいまだ現役投手として当時とほぼ変わらない速球を投げることができる。そのときの正捕手が谷繁だから2人とも、ここまで息の長い選手になるとは想像すらできなかった。
2006年に大リーグ挑戦をしたときは、すぐに帰ってくるだろうと思ったものだが、まさかまさかの活躍で大リーグを代表するクローザーにまで登り詰めてしまった。
その後、セットアッパーとして活躍し、結局、日本にいたときよりも遥かにいい成績を出して日本に凱旋することになった。大家と並んで、最も大リーグに適応した選手なのだ。
そして、45歳になった今も楽天のセットアッパーとして活躍している。左投手では山本昌がいるため、最年長記録の更新は困難ではあるが、斎藤は、右投手としての最年長記録をどんどん打ち破っていくことになるだろう。
そして、もしかしたら5、6年後、山本昌の記録さえ抜く存在になっている可能性もある。
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