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義経黄金伝説●第13回

2005年01月16日 | SF小説と歴史小説
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■義経黄金伝説■第13回 
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(C)飛鳥京香・山田博一
http://www.geocities.jp/manga_ka2002/

第3章 奥州平泉
■■1 一一八六年(文治2年)10月 平泉

奥州の黄金都市平泉にはすでに初雪が舞っている。10万
の人口を抱える中心に
ある藤原秀衡屋敷が騒がしかった。多くの郎党が玄関先
に並んでいる。
「我が子よ」
 義経と秀衡は、お互いの体をがっしりと抱き締めてい
た。それは親子の愛情
よりも、もっと根深いものであった。いわば、お互いに
対する尊敬の念であろ
う。が、この二人の仲むつまじさが、秀衡の子供たちの
嫉妬を義経に集めたの
である。
「よくぞ、ご無事で、この平泉まで」
義経は肩を震わせている。それは平氏を打ち破った荒武
者の風情ではない。
「遠うございました。が、秀衡様にお会いするまでは、
この義経、死んでも死
にきれません」
「死ぬとは不吉な。よろしいか、この平泉王国、ちょっ
とやそっとのことで
は、頼朝を初めとする関東武士には、負けはいたしませ
んぞ。おお、どうなさ
れた、義経殿」
義経は涙を流し、秀衡の前にはいつくばっていた。
「くやしいのでござる。実の兄の頼朝殿の振る舞い。そ
れほど、私が憎いの
か。疎ましいのか。一体、私が平家を滅ぼしたのが、い
けなかったのか。私は
父の敵を打ちたかっただけなのです。おわかりでござい
ましょう」
 秀衡は、義経の肩を抱き、慰めるように言った。
「おお、そうでございますよ。よーく、わかっておりま
す。その願いがなけれ
ば、あなたを戦の方法を習わせに、女真族の元まで、い
かせるものですか」
奥州の帝王、藤原秀衡はゆっくりと義経の全身を見渡し
、顔を紅潮させてい
る。
「そうなのです。私の戦い方は、すべてこの奥州、さら
には秀衡様のお陰で渡
れた女真の国で学んだものでございました。おもしろい
ほどに、私は勝つこと
ができたのでございます」

義経は、頼朝のことも忘れて、目をきらきらさせて、戦
の話始めていた。義経
の圧倒的な戦い方は、日本古来の戦法ではなかった。外
国、特に騎馬民族から
学んだ戦い方、異なる戦い方をするということが、坂東
武士から嫌われる原因
の一つともなっていたのである。

 義経は、純粋の京都人でありながら、平泉王国という
外国へ行き、そこから
またもう一つ遠くの女真の国へ出向き、新しい地平を見
たのであった。
 義経は、自分の力を試したかったのだ。自分の力がど
れほどのものか。外国
で培った戦術がこの日本で、どれくらい有効なのか。義
経は、そういう意味
で、
戦術の技術者であった。技術者同志ということで、不思
議と冶金の技術者であ
った金売り吉次と気があったのかもしれなかった。もっ
とも、吉次は、今は商
人という技術者だが。
 義経は京都人であった。ましてや、源氏という貴人の
血を持っていた。また
義経は十五歳以降源頼朝の元へ参じる二十三歳までは、
奥州人でもあった。奥
州は京都から見れば、異国である。義経はいわば奥州と
いう外国生活をした訳
である。後年、戦術においては、それまで存在していた
戦い方を一変させた義
経の戦闘方法は、いわば奥州という外国製である。
 義経にとって育ての親は、藤原秀衡である。秀衡は当
初義経を京都に対する
政治的道具として使おうとしたであろう。が、義経の素
直さ。また何とも人を
引き付けるいわば少年のような健気さをこの奥州の帝王
は愛したのである。
(続く)
(C)飛鳥京香・山田博一
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