
11月8日(日)曇り~快晴へ 通 55回目
昨夜の飲みっぷり&盛り上がりは、見事でしたが、朝になって顔みれば皆さん、何事もなかったように普通に朝食の席に着いています、二日酔いでフラフラ?じゃないかなと心配していたが、完全に裏切られて??、安堵!!!。昨夜は<白霧島>の一升瓶を枕にして寝た人いませんか~~??
さてさて、二日目の今日の山行先は、かの 西郷隆盛率いる薩摩軍が延岡、和田越えで破れ、最終宿陣を張っって薩摩へ山越え敗走して行った<可愛岳・728m>への大周回ルートです。
まず。北川・俵野集落、「西郷隆盛資料館」前から北コースを辿り 山頂到達~下山分岐から南コースへ下山するかなり長いあるきになります。
スタート地点の資料館案内など(画像はM氏提供分も含む)




入山地点

天気は予報に反して徐々に回復傾向にある、昨夜の雨で濡れている登山道ですが木立から漏れてくる木漏れ日が登山意欲を掻き立てます。ところどころには西郷軍の遺構、遺跡など点在する登山道、どんな思いで、総大将の西郷さんを守り、薩摩へ一歩、また一足と山へ向かったいったのだろうか、往時のことを思うにつけ、薩摩人の血を少なからず受け継いでいる自分にとっては胸に迫り来るものがある。
登山道にふと目をやれば、小さな真っ白い花<キッコウハグマ>が点々と咲き和ませてくれます

時々、こうして展望の効く場所もある

目印案内


ここにもあるんだ!、センブリに似ているが葉も細く、長く ??でしたが同定作業すればやはり 痩せた センブリの
花と判別できました

巨石文明の遺構と言われる、花崗岩のメンヒル岩やサークルストーンなど巨石群にも出会いながら更に高度を上げて行く



やがて、抜群の展望できる<烏帽子岳・585m>に出た。ここから延岡市内の展望が抜群


ここからまた結構なアップダウンを幾度となく繰り返して、前屋敷を通過、ロープの急坂などクリアしながら前へ~前へ
ここらが踏ん張りどころです。
やがて、樹間が開けた小広場は<可愛岳山頂、728m>です、結構長い歩きでした。

山頂からは大崩山系の山々が指差しで確認でき、南側には 延岡の主峰、行縢山が またいらっしゃいと手招きしています。
山頂でしばしの昼食タイム&休憩を取れば下山道途中分岐から 急坂の南コースを着実に辿り、登山口へと快調に下山です



総行程約、8時間弱の大ロングの登山は終了しました、南登山口近くには西郷軍の宿陣跡の案内もある

案内板によれば、こうして、午後10時、夜陰にまぎれ総勢600名の西郷軍は村人の案内でこの険しい山道を敗走し、可愛岳越え、明かりなど少ない中道なき道の山岳逃避行を重ねて鹿児島、城山まで半月近い敗走の徒に付いたこの地、(俵野・可愛岳)であったのでした、そして高千穂・三田井を経て、鹿児島・薩摩は遠く、遠く、厳しい敗走であったのだろう。
。
登山口の西郷資料館には時間の関係で見学できませんでしたが 最後の軍議を再現した様子など展示してある。
昨夜の飲みっぷり&盛り上がりは、見事でしたが、朝になって顔みれば皆さん、何事もなかったように普通に朝食の席に着いています、二日酔いでフラフラ?じゃないかなと心配していたが、完全に裏切られて??、安堵!!!。昨夜は<白霧島>の一升瓶を枕にして寝た人いませんか~~??
さてさて、二日目の今日の山行先は、かの 西郷隆盛率いる薩摩軍が延岡、和田越えで破れ、最終宿陣を張っって薩摩へ山越え敗走して行った<可愛岳・728m>への大周回ルートです。
まず。北川・俵野集落、「西郷隆盛資料館」前から北コースを辿り 山頂到達~下山分岐から南コースへ下山するかなり長いあるきになります。
スタート地点の資料館案内など(画像はM氏提供分も含む)




入山地点

天気は予報に反して徐々に回復傾向にある、昨夜の雨で濡れている登山道ですが木立から漏れてくる木漏れ日が登山意欲を掻き立てます。ところどころには西郷軍の遺構、遺跡など点在する登山道、どんな思いで、総大将の西郷さんを守り、薩摩へ一歩、また一足と山へ向かったいったのだろうか、往時のことを思うにつけ、薩摩人の血を少なからず受け継いでいる自分にとっては胸に迫り来るものがある。
登山道にふと目をやれば、小さな真っ白い花<キッコウハグマ>が点々と咲き和ませてくれます

時々、こうして展望の効く場所もある

目印案内


ここにもあるんだ!、センブリに似ているが葉も細く、長く ??でしたが同定作業すればやはり 痩せた センブリの
花と判別できました

巨石文明の遺構と言われる、花崗岩のメンヒル岩やサークルストーンなど巨石群にも出会いながら更に高度を上げて行く



やがて、抜群の展望できる<烏帽子岳・585m>に出た。ここから延岡市内の展望が抜群


ここからまた結構なアップダウンを幾度となく繰り返して、前屋敷を通過、ロープの急坂などクリアしながら前へ~前へ
ここらが踏ん張りどころです。
やがて、樹間が開けた小広場は<可愛岳山頂、728m>です、結構長い歩きでした。

山頂からは大崩山系の山々が指差しで確認でき、南側には 延岡の主峰、行縢山が またいらっしゃいと手招きしています。
山頂でしばしの昼食タイム&休憩を取れば下山道途中分岐から 急坂の南コースを着実に辿り、登山口へと快調に下山です



総行程約、8時間弱の大ロングの登山は終了しました、南登山口近くには西郷軍の宿陣跡の案内もある

案内板によれば、こうして、午後10時、夜陰にまぎれ総勢600名の西郷軍は村人の案内でこの険しい山道を敗走し、可愛岳越え、明かりなど少ない中道なき道の山岳逃避行を重ねて鹿児島、城山まで半月近い敗走の徒に付いたこの地、(俵野・可愛岳)であったのでした、そして高千穂・三田井を経て、鹿児島・薩摩は遠く、遠く、厳しい敗走であったのだろう。

登山口の西郷資料館には時間の関係で見学できませんでしたが 最後の軍議を再現した様子など展示してある。
感慨ひとしおだったことと思います。
歴史に疎い私にも、今回の記事は切なく痛く胸に迫りました。
歴史をたどり、人を思う登山、いいですね。
山も歴史も山帽子さんも素晴らしいと思いました。
恵みの雨かも知れませんが、戸外活動予定しているとがっかりです。
可愛岳でしたか、700m級の山にしては結構ハードの山ですよね。
西南戦争の色濃い場所、熊本の田原坂訪れた時、可愛岳も一度登ってみたいと思い、数十年前に登りました。お写真で断片的に思い出しています。
気の置けないお仲間との山歩き、さぞかし楽しかった事でしょう。
>歴史をたどり、~~
実は今は亡き親父が生粋の薩摩男で、西郷さんの崇拝者みたいな父でしたのでどこか心の隅に、自分にもそんな思いがあるのでしょうね、鹿児島県人は
島津の殿様・西郷さん・丸に十の字の藩旗が神棚に飾ってあった家が多かったように記憶しています、さすがに今はそんな時代ではありませんが。どこで育ってもおらが故郷の自慢話があるものですよね。
さすずめ、けいこたんさんは 高杉晋作あたりかな?
最近空模様も不安定でシャキっとしませんね、
>700m級の山にしては結構ハードの山ですよね~~
はい、そうですよね、それこそ、可愛いの 可愛岳・・ネーミングに引かれてお気楽に行けば大変な長い歩きが待っていますよね、
それにしても 昔人の逞しさと根性には、これはもう、想像を絶する行動ですよね、重い軍備など担いで足元悪い中。よくもまあ、あの厳しい獣道みたいな山道を登り下り、したものですよね、
どんな思いで薩摩へと進んだのでしょうね。
私が可愛岳に登ったはもう少し早い時期だったかと思います
歩いたコースは逆だったようですね
山頂の手前でシモバシラとミヤマウズラ、それにシコクママコナがまだ盛りでした
下山時に烏帽子岳から延岡の市街地の眺望を楽しんで帰りました
いつもコメ有難うございます
>可愛岳~~
山のネーミングから想像したら、一見優しい山を連想しますがなにが、なにが、結構なロングの歩きが待っていますよね。低山を侮るなかれ!・・まさにその典型的な山ですね。やはり、もう少し早いといろんな野草も見れるのですね。
シモバシラはまだ見たことないので
一度是非みてみたいものです。
可愛岳(えのたけ)名前から簡単な山のようですが結構ハード、おまけによく道間違いをする山です。
「低山を侮るなかれ」ですね。
2~3日前から五ヶ瀬も雪化粧をしたようです。いよいよ本格的な冬がやってきますね。
花もなく淋しくなりました。
>五ヶ瀬も雪化粧をしたようです~~
ですね、いよいよ師走間近くで冷え込むようになりました。
つい最近の寒波ではくじゅうも阿蘇も雪景色、近くの鶴見岳や、英彦山・雲仙などでもきれいな霧氷が見られたと山仲間さん達の歓声が聞こえてきました、当方、最近 ヤボ用や風邪気味で外出ままならず~^
やっと昨日台上へも久し振りに上がってみました。
そして 夏、秋の花殻など拾い集めてきましたよ。