裏妙義、表妙義中間道、桜山公園と歩いた三連休の最終日は
今年の6月、世界遺産に登録された富岡製糸場へ。
周囲に駐車場はいくつかありますが
料金の違いに差があります。
裏手に一回300円という駐車場に停めました。
時間が早かったのですが
混むと思って1時間前に行くと既に数名待ち。
開門9時近くにはかなり長い列になりました(@_@;)
天気は予報通り曇り。
山の紅葉は晴天の二日間で堪能しましたから
曇り予報のこの日は最初から観光目的。
以前から雨だったら行こうと話していたのですが、
実際行ってみて、構内は外歩きが多く観光客が多いので
雨だと大変だったかもしれません。
山に行くにはチョット残念な曇り空ぐらいの時で
良かったような気がします(^^ゞ
日本式のやり方からフランス式の機械化へ。
フランス人技術者の指導で効率的な作業ができるよう、
日本の風土に合わせて工夫された建物と機械が画期的。
日本の木材と当時珍しかった赤レンガで造られた建物
東繭倉庫
あっという間に団体さんがあちこちに。
1872年(明治5年)にできた富岡製糸場。
東繭倉庫、アーチ形の入口の中央に明治五年と。
自然光を取り入れて作業をしやすくするため
当時としては珍しく高価なガラスを広く使った工場
140年以上経った今でも傷みがほとんどなく、
当時のまま残されているのは凄いです。
工場(操糸場)内部は柱を無くし、梁を吊り上げる工法で
広い作業スペースを確保。
フランスから取り入れた機械は
日本人の体形に合わせて調整されました。
今では使われていないこれらの機械ですが、
現在も群馬の他の会社で同型の機械を使って
操業している工場があるそうです。
「女工哀史」や「あゝ野麦峠」などをイメージしていましたが
実際には官営(後に民間に払い下げ)で
模範工場として設立され近代的な設備。
現代のような労働時間(8時間)で休日もあり、
余暇には現在のクラブ活動のような趣味の時間や
お稽古事などもできたそうです。
全国から集められた工女さんの寄宿舎。
中には入れず外からこうして眺めるだけ。
浅間寮、妙義寮、榛名寮などと名がついているのが上州らしい(^^ゞ
技術を覚えて指導的立場となった女性の日記が本となり、
当時の様子が生き生きと描かれているそうですが、
いくら労働条件が良くなったとしても、
親元離れて働く若い女性にはやはり大変だったことでしょう。
排水設備も完備
西繭倉庫
こちらも中には入れず外から見るだけ。
煙突。こちらは五代目だったかな?
団体さんはガイドツアーで、
私達は音声ガイド機を使って分かりやすく、
そして効率よく動けました。
6月の世界遺産登録を前に
今年2月の大雪で一部倒壊した建物もありました。
これから修復工事が始まるそうですが、
それに合わせて今まで無休だったのが
来年からは週一(水曜日)休日になるそうですから
ご注意ください。
他にもフランス人技術者のブリュナが住んでいたブリュナ館(後に寄宿舎)、
検査人館などありますが、これらも外観見学のみでした。
最後に実演していた昔からの座繰り
自分で紡いで機を織ったらなんて素敵でしょう。
憧れてしまいます(^^ゞ
世界遺産としては
「富岡製糸場と絹産業遺産群」ということで
他に蚕種(蚕の卵)の貯蔵施設として荒船風穴(下仁田町)、
蚕の開発と普及に努めた田島弥平旧宅(伊勢崎市)、
養蚕技術の改良や技術を広めた高山社跡(藤岡市)が
登録されています。
全部まわるのは無理ですが、
この後荒船風穴に行ってみました。
行ってみれば、あらあら、去年の9月に行った内山牧場の近くではありませんか!
その時近くの神津牧場には行きませんでしたが
その神津牧場の中を通っていくのでした。
係員がいて、簡易トイレも二つある急ごしらえの駐車場(無料)。
ムラサキシキブ
なんとどんどん下り、その標高差約100m(・_・;)
帰りはタクシーにしよう・・・・^^;
そうなんです、自家用車は入れませんが
下にはタクシーが待機で登りだけ利用できるのでした♪
山歩きしていてもこの舗装路を歩いて登るのはイヤダ~^^;
ということで帰りは楽チン♪710円也
タクシー待機の場所にはトイレや椅子テープルもあり、
簡単に説明してくれる方も待機してくれてました。
(無料)
説明を聞き、風穴へ。
少し下りますが近いです。
風穴の全体。
風穴は三つあります。
↑
写真左から右へ三号風穴、二号風穴、一号風穴と進みますが、
奥の一号が一番気温が低く、
必要に応じて蚕種(繭の卵)を移動させ
徐々に自然の温度に移行させてました。
冷蔵施設の無かった時代、この風穴は
繭が春一度に孵すのではなく、
春から秋まで長く生糸の操業ができるよう
この風穴で調整しました。
この場所を見つけ
大金を投資して石組を作り、
この上に貯蔵施設を作りました。
地下二階、地上一階の三階建て。
現在建物はありませんが石組はそのまま保存されています。
長く使うつもりの投資でしたが
冷蔵施設の普及により、この風穴は
30数年の使命を終えたそうです。
日本の生糸産業は評価を受け、
輸出は世界一でした。
その後化学繊維の発達で
生糸の生産は衰退。
今では輸入するようになっているようです。
今日のニュースによりますと、昨年の和食に続き
和紙が無形文化遺産に登録となったそうですが、
この生糸もまた日本の大切な財産だと思いました。
それにしても一つの繭から1300~1500mの糸がとれるって、
すごいですね~・・・・(@_@;)
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