気楽に山歩き

山歩きもHPも気楽に楽しむ日々を綴ります。話題は主に山歩き関連です。

群馬:富岡製糸場と荒船風穴(2014.11/24)レポ

2014年11月27日 | その他お出かけ

裏妙義表妙義中間道桜山公園と歩いた三連休の最終日は
今年の6月、世界遺産に登録された富岡製糸場へ。


周囲に駐車場はいくつかありますが
料金の違いに差があります。
裏手に一回300円という駐車場に停めました。

時間が早かったのですが
混むと思って1時間前に行くと既に数名待ち。



開門9時近くにはかなり長い列になりました(@_@;)



天気は予報通り曇り。
山の紅葉は晴天の二日間で堪能しましたから
曇り予報のこの日は最初から観光目的。

以前から雨だったら行こうと話していたのですが、
実際行ってみて、構内は外歩きが多く観光客が多いので
雨だと大変だったかもしれません。
山に行くにはチョット残念な曇り空ぐらいの時で
良かったような気がします(^^ゞ



日本式のやり方からフランス式の機械化へ。

フランス人技術者の指導で効率的な作業ができるよう、
日本の風土に合わせて工夫された建物と機械が画期的。

日本の木材と当時珍しかった赤レンガで造られた建物
東繭倉庫


あっという間に団体さんがあちこちに。


1872年(明治5年)にできた富岡製糸場。
東繭倉庫、アーチ形の入口の中央に明治五年と。



自然光を取り入れて作業をしやすくするため
当時としては珍しく高価なガラスを広く使った工場


140年以上経った今でも傷みがほとんどなく、
当時のまま残されているのは凄いです。

工場(操糸場)内部は柱を無くし、梁を吊り上げる工法で
広い作業スペースを確保。


フランスから取り入れた機械は
日本人の体形に合わせて調整されました。


今では使われていないこれらの機械ですが、
現在も群馬の他の会社で同型の機械を使って
操業している工場があるそうです。


「女工哀史」や「あゝ野麦峠」などをイメージしていましたが
実際には官営(後に民間に払い下げ)で
模範工場として設立され近代的な設備。
現代のような労働時間(8時間)で休日もあり、
余暇には現在のクラブ活動のような趣味の時間や
お稽古事などもできたそうです。

全国から集められた工女さんの寄宿舎。
中には入れず外からこうして眺めるだけ。
浅間寮、妙義寮、榛名寮などと名がついているのが上州らしい(^^ゞ


技術を覚えて指導的立場となった女性の日記が本となり、
当時の様子が生き生きと描かれているそうですが、


いくら労働条件が良くなったとしても、
親元離れて働く若い女性にはやはり大変だったことでしょう。


排水設備も完備


西繭倉庫
こちらも中には入れず外から見るだけ。


煙突。こちらは五代目だったかな?


団体さんはガイドツアーで、
私達は音声ガイド機を使って分かりやすく、
そして効率よく動けました。

6月の世界遺産登録を前に
今年2月の大雪で一部倒壊した建物もありました。


これから修復工事が始まるそうですが、
それに合わせて今まで無休だったのが
来年からは週一(水曜日)休日になるそうですから
ご注意ください。

他にもフランス人技術者のブリュナが住んでいたブリュナ館(後に寄宿舎)、
検査人館などありますが、これらも外観見学のみでした。


最後に実演していた昔からの座繰り




自分で紡いで機を織ったらなんて素敵でしょう。
憧れてしまいます(^^ゞ




世界遺産としては
「富岡製糸場と絹産業遺産群」ということで
他に蚕種(蚕の卵)の貯蔵施設として荒船風穴(下仁田町)、
蚕の開発と普及に努めた田島弥平旧宅(伊勢崎市)、
養蚕技術の改良や技術を広めた高山社跡(藤岡市)が
登録されています。


全部まわるのは無理ですが、
この後荒船風穴に行ってみました。

行ってみれば、あらあら、去年の9月に行った内山牧場の近くではありませんか!
その時近くの神津牧場には行きませんでしたが
その神津牧場の中を通っていくのでした。

係員がいて、簡易トイレも二つある急ごしらえの駐車場(無料)。


ムラサキシキブ


なんとどんどん下り、その標高差約100m(・_・;)


帰りはタクシーにしよう・・・・^^;
そうなんです、自家用車は入れませんが
下にはタクシーが待機で登りだけ利用できるのでした♪

山歩きしていてもこの舗装路を歩いて登るのはイヤダ~^^;
ということで帰りは楽チン♪710円也



タクシー待機の場所にはトイレや椅子テープルもあり、
簡単に説明してくれる方も待機してくれてました。
(無料)

説明を聞き、風穴へ。
少し下りますが近いです。


風穴の全体。
風穴は三つあります。


写真左から右へ三号風穴、二号風穴、一号風穴と進みますが、
奥の一号が一番気温が低く、
必要に応じて蚕種(繭の卵)を移動させ
徐々に自然の温度に移行させてました。







冷蔵施設の無かった時代、この風穴は
繭が春一度に孵すのではなく、
春から秋まで長く生糸の操業ができるよう
この風穴で調整しました。




この場所を見つけ


大金を投資して石組を作り、




この上に貯蔵施設を作りました。


地下二階、地上一階の三階建て。
現在建物はありませんが石組はそのまま保存されています。

長く使うつもりの投資でしたが
冷蔵施設の普及により、この風穴は
30数年の使命を終えたそうです。


日本の生糸産業は評価を受け、
輸出は世界一でした。

その後化学繊維の発達で
生糸の生産は衰退。
今では輸入するようになっているようです。


今日のニュースによりますと、昨年の和食に続き
和紙が無形文化遺産に登録となったそうですが、
この生糸もまた日本の大切な財産だと思いました。

それにしても一つの繭から1300~1500mの糸がとれるって、
すごいですね~・・・・(@_@;)


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