
行程
友人宅⇒(車)⇒高鍋駅⇒(日豊本線)⇒宮崎駅(これより一日観光タクシー利用)
宮崎駅⇒青島⇒堀切峠⇒鵜戸神宮⇒道の駅なんごう(食事)⇒都井岬⇒飫肥城⇒宮崎観光ホテル(泊)

朝食を済ませ準備が終えた頃ご主人がいらして
私達6人を高鍋駅まで送って下さいました<(_ _)>
昨日、今日と二往復でお手数をおかけしました^_^;
高鍋と言えば昔は高鍋藩があったと言いますから
立派な城下町だったのですね、きっと。


前日は普通でしたがこの日は時間の関係で特急にします。

小さな駅だと言いますが、特急が停まります。
宮崎駅に着くと改札でMR観光の黒木さんが待っていて下さいました。
(6人ですからジャンボタクシーを予約済)
料金も良心的でしたし、行き届いた説明と案内でラッキーでした。
先ずは青島へ。
神話の国ならではのお話を聞きながらまわります。

青島は海幸彦、山幸彦が遊んでいた場所。
しかし釣り針をめぐるいさかいから山幸彦は海の神の領域へ。
山幸彦が海神の娘、豊玉姫と結ばれ三年後、兄海幸彦の釣り針を持って
青島に戻ってきます。兄とのいさかいは海神のお陰でおさまります。

この地ではそれ以来釣り針を始め、針と名のつく物の貸し借りは
諍いの元になるため、しない風習だということです。
鬼の洗濯板と呼ばれる波状岩の海岸線は満潮で少しだけ見られました。

古事記や日本書紀に書かれている神話が分かりやすく書かれています。

山幸彦と豊玉姫の孫が神武天皇!神話ですが初代天皇となります^_^;



青島神宮は山幸彦と豊玉姫と塩筒大神を祭神としています。
本宮をお参りして元宮へ。
まるで熱帯雨林です^_^;

ビロー樹だそうで

元宮

お参りを済ませて戻りますが、海に囲まれているだけに
暴風被害も多いのでしょうね・・・


夏は海水浴でも賑わう浜辺

海と一体になっているような気持ち良い空。

堀切峠。南国情緒豊かです。

すぐ海の見える峠というのも珍しいような。

ここも鬼の洗濯板(波状岩)がありますが、潮の流れのせいか遭難船が多いそうです。
今も処理できずに残っている沈没した船のマスト?が2本。


黄色い花はコバノセンナ。あちこちで見られました。

MRタクシーに乗って。ハイエースですが中が広くて快適でした。

鵜戸神宮(うどじんぐう)へ


こちらもまた神話が。神武天皇の父君が祀られているのだそうで。



扉には珍しい金具

日南海岸はどこも波状岩。
山の方も海から隆起したため同じ地層が見られるそうです。

下に見えるのはトヨタマヒメが乗ってきた亀が石となったもの。
その穴に運玉を投げ入れ入ると願いが叶うといいます。

運玉(5個で100円。投げ入れましたがかけらがチャポンと入っただけ^_^;)

岩に挟まったような場所に建つ本宮


神話
海の神の娘豊玉姫が山幸彦との間に出来た御子を出産の時、山幸彦に見てはいけないと言いましたが
本当の姿(ワニの姿)を見られてしまい、海へと帰ってしまいました。
その時産んだ御子のために残していった乳が乳岩だというお話です。
この御子は鵜の羽などで作られていた産屋が間に合わなかったので
鵜葺屋葺不合命「ウガヤフキアエズノミコト」と呼び、豊玉姫の妹玉依姫に育てられました。
鵜葺屋葺不合命が鵜戸神宮の主祭神。
鵜葺屋葺不合命と玉依姫の御子が初代天皇といわれる神武天皇です。
乳岩。それらしく見えますか?

その乳岩から滴り落ちる水で作られたという「おちちあめ」

なにやらご利益ありそうで、今妊娠中の娘に買ってきました^_^;
お昼は見晴らしの良い道の駅なんごうで。


宮崎駅で買い求めてきた名物のしいたけ弁当(980円)です。


マロンソフト、お腹一杯だったので少しだけ貰いました^_^; 美味しかったです。

そして都井岬(といみさき)へ。

野生の馬がいっぱいおりました。





こんな自然な場所もあるんですね~
馬の後ろに立って触っているオジサン蹴られてました\(◎o◎)/!
こんな感じの場所で、灯台の方にも行ってみました。



次は少し内陸へ入って飫肥城(おびじょう)へ。

大手門からは小学生がいっぱい出てきました。
社会見学かと思ったら、城跡が小学校になっているそうで
なんとも格式の違いを感じます^_^;
こちらが小学校。かつて本丸があった場所。飫肥城は平城でした。

こちらは鎌倉時代に頼朝から拝領の伊東氏がずっと守ってきたお城だそうです。
4万石ほどの小さな藩ということですが修復再現された建物や城壁などみると
立派に思えます。
伊東家のお屋敷と広い庭園(明治2年築)。

大手門

隙間の少ない緻密な石垣と本丸へ続く道。



江戸時代初期の藩主の御殿を再現した松尾の丸。



庭には桜が少し狂い咲き

旧本丸跡



お濠は自然の川(酒谷川)を利用しています。

飫肥城歴史資料館にも寄りまして・・


最後に小村記念館へ。

小村寿太郎はポーツマス条約を調印し日露戦争を導いた業績をもちます。
伊東家の重鎮の家柄でハーバード大学卒。後に外務大臣を2度務めたそうです。
身長156センチ、私と同じくらいです。小柄だったのですね。

おっと、まだ最後がありました^_^;
飫肥城名物の厚焼き卵。友人がお買い上げ、ご馳走様でした(^^ゞ。

NHKで見ていたお店ですが、この炭火で時間をかけて焼いています。

プリンのような食感。甘くてボリュームがありました。
そして高速を使って一気に宿泊の宮崎観光ホテルへ。
入った途端、宮崎市長の演説がこれから始まるということで
フロントはものすごい人、人、人・・・でした。
ようやく落ち着いたホテルで。


一日お疲れ様でした。
友人宅⇒(車)⇒高鍋駅⇒(日豊本線)⇒宮崎駅(これより一日観光タクシー利用)
宮崎駅⇒青島⇒堀切峠⇒鵜戸神宮⇒道の駅なんごう(食事)⇒都井岬⇒飫肥城⇒宮崎観光ホテル(泊)






朝食を済ませ準備が終えた頃ご主人がいらして
私達6人を高鍋駅まで送って下さいました<(_ _)>
昨日、今日と二往復でお手数をおかけしました^_^;
高鍋と言えば昔は高鍋藩があったと言いますから
立派な城下町だったのですね、きっと。


前日は普通でしたがこの日は時間の関係で特急にします。

小さな駅だと言いますが、特急が停まります。
宮崎駅に着くと改札でMR観光の黒木さんが待っていて下さいました。
(6人ですからジャンボタクシーを予約済)
料金も良心的でしたし、行き届いた説明と案内でラッキーでした。
先ずは青島へ。
神話の国ならではのお話を聞きながらまわります。

青島は海幸彦、山幸彦が遊んでいた場所。
しかし釣り針をめぐるいさかいから山幸彦は海の神の領域へ。
山幸彦が海神の娘、豊玉姫と結ばれ三年後、兄海幸彦の釣り針を持って
青島に戻ってきます。兄とのいさかいは海神のお陰でおさまります。

この地ではそれ以来釣り針を始め、針と名のつく物の貸し借りは
諍いの元になるため、しない風習だということです。
鬼の洗濯板と呼ばれる波状岩の海岸線は満潮で少しだけ見られました。

古事記や日本書紀に書かれている神話が分かりやすく書かれています。

山幸彦と豊玉姫の孫が神武天皇!神話ですが初代天皇となります^_^;



青島神宮は山幸彦と豊玉姫と塩筒大神を祭神としています。
本宮をお参りして元宮へ。
まるで熱帯雨林です^_^;

ビロー樹だそうで

元宮

お参りを済ませて戻りますが、海に囲まれているだけに
暴風被害も多いのでしょうね・・・


夏は海水浴でも賑わう浜辺

海と一体になっているような気持ち良い空。

堀切峠。南国情緒豊かです。

すぐ海の見える峠というのも珍しいような。

ここも鬼の洗濯板(波状岩)がありますが、潮の流れのせいか遭難船が多いそうです。
今も処理できずに残っている沈没した船のマスト?が2本。


黄色い花はコバノセンナ。あちこちで見られました。

MRタクシーに乗って。ハイエースですが中が広くて快適でした。

鵜戸神宮(うどじんぐう)へ


こちらもまた神話が。神武天皇の父君が祀られているのだそうで。



扉には珍しい金具

日南海岸はどこも波状岩。
山の方も海から隆起したため同じ地層が見られるそうです。

下に見えるのはトヨタマヒメが乗ってきた亀が石となったもの。
その穴に運玉を投げ入れ入ると願いが叶うといいます。

運玉(5個で100円。投げ入れましたがかけらがチャポンと入っただけ^_^;)

岩に挟まったような場所に建つ本宮


神話
海の神の娘豊玉姫が山幸彦との間に出来た御子を出産の時、山幸彦に見てはいけないと言いましたが
本当の姿(ワニの姿)を見られてしまい、海へと帰ってしまいました。
その時産んだ御子のために残していった乳が乳岩だというお話です。
この御子は鵜の羽などで作られていた産屋が間に合わなかったので
鵜葺屋葺不合命「ウガヤフキアエズノミコト」と呼び、豊玉姫の妹玉依姫に育てられました。
鵜葺屋葺不合命が鵜戸神宮の主祭神。
鵜葺屋葺不合命と玉依姫の御子が初代天皇といわれる神武天皇です。
乳岩。それらしく見えますか?

その乳岩から滴り落ちる水で作られたという「おちちあめ」

なにやらご利益ありそうで、今妊娠中の娘に買ってきました^_^;
お昼は見晴らしの良い道の駅なんごうで。


宮崎駅で買い求めてきた名物のしいたけ弁当(980円)です。


マロンソフト、お腹一杯だったので少しだけ貰いました^_^; 美味しかったです。

そして都井岬(といみさき)へ。

野生の馬がいっぱいおりました。





こんな自然な場所もあるんですね~
馬の後ろに立って触っているオジサン蹴られてました\(◎o◎)/!
こんな感じの場所で、灯台の方にも行ってみました。



次は少し内陸へ入って飫肥城(おびじょう)へ。

大手門からは小学生がいっぱい出てきました。
社会見学かと思ったら、城跡が小学校になっているそうで
なんとも格式の違いを感じます^_^;
こちらが小学校。かつて本丸があった場所。飫肥城は平城でした。

こちらは鎌倉時代に頼朝から拝領の伊東氏がずっと守ってきたお城だそうです。
4万石ほどの小さな藩ということですが修復再現された建物や城壁などみると
立派に思えます。
伊東家のお屋敷と広い庭園(明治2年築)。

大手門

隙間の少ない緻密な石垣と本丸へ続く道。



江戸時代初期の藩主の御殿を再現した松尾の丸。



庭には桜が少し狂い咲き

旧本丸跡



お濠は自然の川(酒谷川)を利用しています。

飫肥城歴史資料館にも寄りまして・・


最後に小村記念館へ。

小村寿太郎はポーツマス条約を調印し日露戦争を導いた業績をもちます。
伊東家の重鎮の家柄でハーバード大学卒。後に外務大臣を2度務めたそうです。
身長156センチ、私と同じくらいです。小柄だったのですね。

おっと、まだ最後がありました^_^;
飫肥城名物の厚焼き卵。友人がお買い上げ、ご馳走様でした(^^ゞ。

NHKで見ていたお店ですが、この炭火で時間をかけて焼いています。

プリンのような食感。甘くてボリュームがありました。
そして高速を使って一気に宿泊の宮崎観光ホテルへ。
入った途端、宮崎市長の演説がこれから始まるということで
フロントはものすごい人、人、人・・・でした。
ようやく落ち着いたホテルで。


一日お疲れ様でした。
写真が多いので 行った気分になりました
ありがとうございます
ご主人様のお迎えは 2往復? 大変だぁ~
行ったことがあると思いだして懐かしくなりますよね。
そうなんです、送迎は2往復だったんですよ~
駅から近かったので良かったのですが、さすが細かいところに気がつかれて(^^ゞ
そのことを追記しておきました( ..)φメモメモ
盛りだくさんの観光旅行 ジィ~ジもこんな時間持てたら・・・と後悔。
山だけで2度九州行きましたが、3度目はなかなか。。。
私達は山が辛くなったら観光に切り替えようと思っていますけど、山が無理ということは観光も無理?
これはもう体が元気なうちに行っておかないとですね(^^ゞ
日本は狭いようで広いから大変ですけど(笑)