大正2年8月26-27日におきた伊那(木曽)駒ヶ岳での修学旅行の遭難を扱った小説。
私達が実際に遭難が起きたコースを歩いたのは今から10年ほど前のこと。
H19年10月6-7日(土日)の丁度紅葉がきれいな時期でした。
その時に見た遭難記念碑です。
記録では、この『聖職の碑(いしぶみ)』 にも触れ、昔読んでいたかもしれないと書いていますが、今回初めて読んだ気がします^^;
最後に新田次郎氏の取材記がありますが、取材の様子が事細かに書かれていて驚きました。小説とはいえ、かなり丁寧に下調べをされ忠実に再現されているのが分かります。
大正初期の尋常高等小学校(現在の中学生くらい?)の修学旅行が駒ヶ岳登山で一行37名中生徒や教師ら11名が亡くなるという遭難事件。そのうち生徒は9名ですから悲惨な出来事でした。
今のように詳細な天気予報が無く、今と比較にならないほどの不十分な装備で登って暴風雨(台風)に遭い、頼りの小屋が壊れていた中での遭難は壮絶です。
遭難時は皆死と隣り合わせで悲壮感の中、生と死が分かれた訳で、亡くなった子供や親は悲痛極まりなく、生き残った子や親もまた辛かったことでしょう。
山国信州ならではの心身の鍛錬を目標とした登山ですが、学校や教育現場は非難を免れません。
この頃の教師といえば、尊敬と信頼を得ていたはずですが、ひとたびこういうことがあると、その信頼は失われます。
その後の記念碑の建つ経緯や教育方法の変遷、登山の再開など、いろいろなことが一つに纏められて圧巻でした。
記録としても素晴らしい一冊です。
私達が実際に遭難が起きたコースを歩いたのは今から10年ほど前のこと。
H19年10月6-7日(土日)の丁度紅葉がきれいな時期でした。
その時に見た遭難記念碑です。
記録では、この『聖職の碑(いしぶみ)』 にも触れ、昔読んでいたかもしれないと書いていますが、今回初めて読んだ気がします^^;
最後に新田次郎氏の取材記がありますが、取材の様子が事細かに書かれていて驚きました。小説とはいえ、かなり丁寧に下調べをされ忠実に再現されているのが分かります。
大正初期の尋常高等小学校(現在の中学生くらい?)の修学旅行が駒ヶ岳登山で一行37名中生徒や教師ら11名が亡くなるという遭難事件。そのうち生徒は9名ですから悲惨な出来事でした。
今のように詳細な天気予報が無く、今と比較にならないほどの不十分な装備で登って暴風雨(台風)に遭い、頼りの小屋が壊れていた中での遭難は壮絶です。
遭難時は皆死と隣り合わせで悲壮感の中、生と死が分かれた訳で、亡くなった子供や親は悲痛極まりなく、生き残った子や親もまた辛かったことでしょう。
山国信州ならではの心身の鍛錬を目標とした登山ですが、学校や教育現場は非難を免れません。
この頃の教師といえば、尊敬と信頼を得ていたはずですが、ひとたびこういうことがあると、その信頼は失われます。
その後の記念碑の建つ経緯や教育方法の変遷、登山の再開など、いろいろなことが一つに纏められて圧巻でした。
記録としても素晴らしい一冊です。
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