とこのへや

とこの雑貨と、とこのお洒落着。とこは樺太に住んでいたことがあります。とこの嫁の体験談、日記、備忘など。

ある意味解放されている、私

2018-11-18 00:04:25 | 日記

こんばんは。

足の状態はなかなか順調で、ときおり引きつった感じがあるけれど、かなりいいと思う。
この夏、異動のすぐ後に「骨折」のためギプスに松葉杖状態となり、やや強引な経過だったけれど、有休を使った休暇をもらい、療養した。精神的にも追い詰められていたんだなと実感したが、以前の部署の雰囲気の悪さ、私自身の居心地の悪さは、思い過ごしとか、自分に都合のいい解釈とか、そういうわけではなかったんだと思うところがあった。

転職できないだろうかとも考えた。

結論は、私は今の会社、好きであるらしい。

評価に対して不満があるが、この休暇で、思いつめてもいいことないし、と少しフラットになれたのかもしれない。

有休を一旦使い切ったということも、「有休消化したの、私ぐらいかな」と思えたので、復帰した今はとにかく、周囲の助けとなるようにできることをやる、ということが一番大事だ。
復帰した9月はとにかく、休暇はもらわなかった。有休もなかったし。
11月に入っては断り続けていた時差出勤も対応した。それが先週。
夫がやや体調がすぐれず、家のことも任せきりにはできないので木曜日だけ早く帰ったけれど、金曜日は他の人の仕事を引き受けた。
以前の部署なら、どこかで、「これで私は仕事を受けた相手に対してちょっとは感謝されるはず」みたいな、いやらしいことを考えていたような気がする。その日の仕事のこともよく家に帰ってから考えていたりした。あれはもっとこうしたほうがいいのか、とかね。

時差の時だけでなく、私はこのところ、仕事から帰ると、とにかくゆったりと過ごそうと、これまでやらなかったことをやろうとした。
ウェブサイトのニュースを読んだり、日経を読んだり。
楽しんでいるのだが、ずいぶん、目が疲れやすくなったと実感する。
しかし、何か文章を書こうとすると、なんだか、躊躇している自分がいる。

すこし、これまでの自分と距離をおきたいと、思っているからなのだ。文章を書くことは、細かく細かく自分の中を検めていくようなところがある。そういうのをやめる、止めていいのか? というそれが躊躇であり、止めてなんら問題ないんじゃないか? という、ちょっと解放、なのだ。

もう、楽になればいい、そういわれているような気がするのだ。
別に、そうしたって、私の真価がどうこうなるわけじゃないのだ。

今年3月の初めに入院してからずっと病院にいる、姑 とこ と夫のことを考えると、そう、思うのだ。


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