おばあちゃんが家に帰ってきた。約半年振りの帰宅。
そして、無言の帰宅。
いつもおうちに帰りたい、帰りたいって言ってたおばあちゃん。
そんなおばあちゃんに何にもしてあげられなかった。
ごめんね、おばあちゃん。
老人ホームの人々は、私たち家族にこう話をしてくれた。
「今まで何人もの方がここで息を引き取られましたが、こんなにも家族に愛され、家族に囲まれ、幸せな形で息をひきとられた方をみたことがありません。本当に、素敵なご家族だったんですね」
家族全員・・・その言葉に涙した。
おばあちゃんが家族全員そろえてくれたんだ・・・みんな、そう思った。
家に帰ると、すぐに親戚が集まってきた。おばあちゃんは9人兄弟。弟2人はすでになくなっている。
私はずっとエプロンをして、お茶を出しつづけた。ひたすらお茶を出しつづけた。
そして、時間があいてはおばあちゃんの部屋へいき、おばあちゃんをみつめた。
葬儀の日取りが決まった。
約1週間後。
別にパパが希望を出したわけでもない。お寺さんの都合だった。
でも、妹は幼稚園を休まなくてよく、私は試験も終わりひと段落していたところだったので、家の手伝いもでき、なんといってもおうちに帰りたいといっていたおばあちゃんがゆっくり1週間も家にいるということは、きっと喜んでいるだろう。
おばあちゃんが、すべてことがうまく進むように設定してくれたのかもしれない・・・・
普通なら1週間は長すぎるらしい。
でも、おばあちゃんはそれを可能にしてしまった。すごいよ、おばあちゃん。
送り火の日。なくなったおじいちゃんが帰っていく日。
誰も、今日が祖母の最後の日になるとは思ってもみなかった。
私の祖母は95歳。いっしょに同居していたが、3年前より具合が悪くなり、今年の1月からは家の近くの特別養護老人ホームへはいっていた。
本当は病院に入院することも考えられたのだが、祖母の病気はもう治ることはなく、なおかつ95歳にして手術に耐える体力もない。だから、病院で寝たきりよりも、いろいろな行事があったりお風呂にもいれてくれる老人ホームのほうが祖母のためにもいいだろうと判断し、はいった。
前日まで、祖母はいつものようにおしゃべりをしていたのに。
天候によりときどきぼけることはあったけど、調子がいいときは本当によくしゃべった。私が会社を辞めて小学校で補助をしているという話を聞いて、すっごく喜んでくれた。なのに、どうして・・・
採用試験の打ち上げ後、2次会の場所にうつろうと思った矢先にままからメールが届いた。
おばあちゃんの意識がだんだん薄れてるから、もし可能ならホームにきてって。
おばあちゃんは今までに、何回も危篤といわれた。そのたびにお医者様や介護の方からご家族は覚悟するようにと言われた。
でも、そんなことをいわれながら元気に3年間もいきてきたおばあちゃん。今回も、きっとがんばってくれるって、そう信じていた。
私は駆け足で電車にのり、ホームへかけつけた。22時00分。
私以外、家族は全員そろっていた。そして、近くに住む親戚のおじさんとおにいさんも。
おばちゃんは眠っているかのように、スーっスーっと呼吸をしていた。でも、確かに、意識が朦朧としている様子だった。
私は、おばあちゃんにかけより、おばあちゃんの肩をたたきながらだいぶ大きな声で呼んだ。
「おばあちゃん、おばあちゃん」
呼吸はしっかりしているが、あまり意識がない様子。
でも・・・それから30分後、容態が急変した。
おばあちゃんの呼吸がときどきゆっくりになり、そしてふっと止まる。
慌てて先生を呼び、私、妹、弟の孫3人で呼吸がとまりそうなおばあちゃんを呼びつづけた。
「おばあちゃん、おばあちゃん、みんないるよ。がんばろ!!ねえ、おばあちゃん!」
すると、不思議なことに、しばらくとまっていた呼吸が再び始まる。
パパもママもおじさんも、みんなびっくりしている様子。そんなことを何回か繰り返すうち、おばあちゃんの顔色はすーっと色を引き、眠るように、本当に静かに眠るように、安らかに息をひきとった。
7月16日 (日) 22時40分 祖母 千鶴子 永眠 享年95歳
私が到着して、わずか30分。
おばあちゃんは、私を待っていてくれたのだろう。家族全員集まるのを、待っていてくれたんだ。
そう、思った。
16日の昼間、いつものようにお見舞いにいったパパとママに向かい、おばあちゃんはこういったそうだ。
「もう、さよならね。」
「おとうさん・・・おとうさん・・・」
おばあちゃんには、最期が近いことがわかっていたのか。パパとママにさよならっていきなり言ったようだ。そして、天国にいる大好きなおじいちゃんをいつもの呼び方で「おとうさん、おとうさん」って。
おじいちゃん、送り火で帰るときに、おばあちゃんもいっしょにつれていっちゃったの?
まだ先生になった姿も見せてないし、花嫁姿も、ひ孫の姿も見せることができなかった・・・
おばあちゃんとはよくぶつかりあって、喧嘩もよくしたけれど、おばあちゃんの孫で幸せでした。
おばあちゃんのような立派な生涯を過ごせるはわからないけど、一生懸命、生きていくから。
明治・大正・昭和・平成・・・・
4世代を生き抜いたおばあちゃん。
いつまでも・・・私たち家族のそばにいてね。見守っていてね。
ありがとう。
これは「故人の霊が家に帰ってくる際に、道に迷わないように」と行われるもの。うちは祖母と同居だったので、昔から迎え火をきちんとしてるけど、現在やっている家庭って少ないと思う。
でも今日は、迎え火をしている家を一件見つけた。なんだか、嬉しくなった。
といっている私も、ここ何年か家族行事の迎え火に参加していない。仕事が忙しくて19時頃に家にかえってくることがほとんどなかったから。
でも今年は私は参加。その代わり、今年から幼稚園の先生をしている妹が不参加となりました(笑)
おじいちゃん、おかえりなさい。
でも・・・・・そんな矢先、PAPAの携帯に特別養護施設の方から電話が
どうやら、おばあちゃんの容態がよくないらしい。
何週間か前に、もう危ないと言われた。でもうちのおばあちゃんは生きようという意志が強い。だから何回も危篤状態を乗り切っている。だから、今回も頑張って乗り切って欲しい。
ただ、最近は水分もあまりとれず、食事もしない。
唯一飲むのは「三ツ矢サイダー」。
家族がいくときは、一生懸命のますけど、やはり養護施設の人はおばあちゃんが断れば、ひっこめてしまう。
私が教員になるのは、おばあちゃんの夢でもある。だから、合格の知らせをしたい。
お願い・・・頑張って。
それにしても・・・・
サッカー日本代表世界ランク49位って・・・・

貧乏から、少し脱出できそう

さて、今日も朝から図書館でお勉強。でも図書館は食べ物持込禁止のため、いつも外のベンチで一人お弁当を食べる。
そんな私を可哀想に思い、MAMAがお昼にきてくれることに。図書館近くにあるびっくりドンキーでお昼をご馳走してくれるという

二人でポテサラをチョイス。おいしかった


少し前までは元気だったのだけれど、病気を患い、とうとう老人ホームへ入りました。老人ホームへ入ってからおよそ3ヶ月が経ち、ホームにはなれたものの、病状は悪化するばかり。
おばあちゃんのいる老人ホームは家からも近く、毎週家族でお見舞いに行っている。でも最近、おばあちゃんは時々私達のことがわからなくなる。
いつもいつも憎まれ口ばかり叩いていたおばあちゃんで、元気がとりえだったのに、いざこうして具合が悪くなり車椅子での生活やオモユを食べる生活になると、本当にかわいそうで、頑張って欲しいって思う。
お医者様には、そう長くはないと言われた。人の命に終わりはつきものだということはわかっているけれど、まだまだうちのおばあちゃんは頑張れるはず。おそばも、うなぎも、てんぷらも食べたいって言ってた。私はおうちに帰ってお留守番するんだって。みんなでおいしいもの食べに行こうって。あんなに犬猿の仲だったMAMAを気遣い、MAMAは本当によく働く、感心するって泣いてた。
どうか、おじいちゃん、まだまだおばあちゃんを連れて行かないでね。もう少ししたら桜が咲くし、妹は幼稚園の先生になるんだよ。私も会社を辞めて、先生を目指すの。まだ花嫁姿も見せてないし。孫の姿だっていつか見せてあげたいの。
だから、お願い・・・・・ね。

勤務地が3人とも違うからなかなか集まれないんだけど、こうしてときどき3人でご飯食べてお酒飲んでたわいもない話をするのがとても楽しい

今日はなんといっても転職の話題が盛りだくさん

パスタやピザを食べて、満足
