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yuyuの日々

yuyuの日々の出来事です

ベネチア男の野望・その10

2017-03-15 03:22:34 | 美術館・絵画
聖カタリナの神秘な結婚です。

さて、何が神秘なのでしょうか?

この絵の特徴は、「ダビンチコード」のおっぱいです。
主役は、カタリナの乳首です。

画像では、見えません。
しかし、フォーカスを少しだけずらすと、乳首(の模様)が見えてきます。

そのヒントは、この画像です。

同じ模様が、この絵の中に表現されています。
それは勿論、この右側のマリアに分類される女性にも、他のベネチア絵画に見られる描写にも認められない描写です。

本当に書きたかったのは、この描写です。

しかし、この絵は宗教画を基本としているので、そこまでは踏み込めません。
そこで、どこまでこの表現に近ずけるのかに作者は挑戦したと考えるのが、この絵の正当な評価だと考えています。


カタリナと対極的にあるのは、このマリア画像です。


このマリア像の平坦な胸は、性の嬉びを知らないつまらない女を表現しています。

だから、ヨセフは退屈そうな顔をしています。

性の楽しみは、娼婦のマグダラが相手です。

マグダラのヨセフの肩に添える手が、二人の関係を表しています。

この絵がルネッサンス的なのは、マグダラは将来、この赤ん坊であるイエスと関係を持つのに、その父としてのヨセフと関係していたという設定にしたことです。
このような性の昏倒を、肩に添える手だけで表現しちゃうのが凄いところです。

そして、それを悔い改めただけで、神の使徒となれちゃうのがキリスト教の慈悲深いところです。

映画「卒業」は、この逆バージョンで構成されています。
ラストシーンが感動的です。
しかし私としては、花嫁を親族の面前で連れ去られてしまった教会に残された新郎の立場を心配しています。

で、こちらのヨセフをご覧ください。

思慮している風ですが、実はカタリナのおっぱいのことで頭がいっぱいなのです。
ヨセフは、苦悩の表情ではなく、思い浮かべているような表情です。
さて、その頭の中を覗いてみましょう。
漫画であれば、ちょうどヨセフの吹き出しに当たる位置の雲が、ロケット乳と尖った乳首の形で描かれています。
(この画像を、反時計回りに90度傾ければ、見事なおっぱいが現れます)

ヨセフは、このまま立ち上がったら、カタリナの胸元を覗き込む形になります。
年老いても、また年老いたから、若きカタリナへの思いは特別のものがあるのです。

妻であるマリアにはなかった思いが、もしも人生が二度あるならば「おっぱいの綺麗な女と結婚しよう」と過去のつまらなかった性生活を眩んでいるのです。
で、子供に生まれ変わって登場したのです。
その思いが、この子供のカタリナへの視線で表現されています。
この子供は、ヨセフに似せて(鼻筋からおでこにかけて)描いています。
ヨセフの思いを、この子は、指輪で示しています。
ただし、この妄想は現実のできごとではないので、指輪は人差し指にはめています。

この絵の題名は、「聖カタリナの神秘な結婚」ですが、ダビンチコードで、「性カタリナとの淫靡な結婚願望」を描いています。

この絵の色彩としては、右が赤を基調としていますが、中央の肌色のマスをポイントとして、カタリナのビロード調の赤紫のドレスを、全体の構成の中で、それは負けないくらい目立つようにしています。

右側の女性の肌を暗くした対比効果で、カタリナの色白を引き立てています。
この絵で、濃淡の先端が白色へと浄化されて、カタリナへの右胸に向かいます。
目線は自然とカタリナのおっぱいに向かいます。
右胸の上部が、精神力が集中する場所となり、ドレスを鷲掴みにして引き裂きたい欲情を与えています。
うまいぞ! イタリア人。
(医学・解剖学の教科書では、左右は、医師から見た患者の左右になるので、ご注意ください)

ちなみに、ベネチア絵画で多用されている赤は、日本でいう赤ではなく、いわゆるフェラーリのrosso corsaです。
一番右の男の衣装です。

以前、フェラーリのV12を所有していたことがありますが、これは赤ではなく朱色です。
ベネチアの青い空にものすごく映えます。
これに対抗したのが、アルファロメオのブラッドレッドです。
右側の女性のドレスに近いもので、赤に黒を加えた血の色です。
(ランボルギーニは、後発なので、この時代にはまだ登場しません)

話題を元に戻しましょう。
今回のテーマは「おっぱい」です。
この絵が描かれた時代のフローラをご覧ください。


ね!カタリナと同じ表情でしょ。
(流し目は、ヨーロッパ人にとっては、男に媚びを売る仕草と思われています)
そう、このカタリナは美人画として描かれているんです。
作者は、本当はこの様なおっぱいを描きたかったのですが、この絵のテーマから絶対に許されないことです。
そこで、精神の世界で、このおっぱい画像を描いたのです。
この絵は、宗教画における美人画の合体の極限の大作です。

この絵では、結婚が聖なる誓いであることを、聖書を開くことで誇示しています。
したがって、もしも淫らなイメージが少しでもあれば、それが作者の死(宗教裁判における異端者としての極刑)を意味しています。
そのような悩みを、ヨセフが全て表現しています。


結論を申し上げます。
この絵は、宗教とおっぱいのせめぎ合い・葛藤を表現しています。
宗教の象徴である聖書を覗き込む老人は、これ以上エロさが増すと警告するための鐘を下げています。


この絵の右端が厳格な宗教の世界、その側にいる退屈な女に対して、煩悩にふけるヨセフと、その煩悩の根源であるおっぱい、そしてその境界をジャッジメントする鐘を持った老人と考えると、この時代におけるルネッサンスの意義が理解できるように思います。

ルネッサンスが、反キリスト教的でなかったにしろ、それを脱皮しようとした思想は、聖書を持つ男の足元に、死者の首と見える影を書き込んだことで分かります。

当時の体制を強烈に批判するメッセージを、「これはライオンの首です」と言い切れる度量があってこそ、ルネッサンスを発展させることができたのだと思います。

私の解釈では、この時期の絵は、いたるところに作者(の心情)を表現したアイテムを描き込んでいると考えています。
この作者は、自分の首をかけて、おっぱいの描写を行ったのです。
凄いぞ! イタリア人。


この時代(まあ、いつの時代でも)のおっぱい万歳の美人画は、マグダラのマリアを例にあげることにします。

最高峰のおっぱい画像は、これです。
カタリナのおっぱいは、この絵をイメージしているはずです。


苦悩を、リアルに表現した秀作としては、これです。


妥当な線では、これです。



そうすると、今回の展示会での画像が不自然だと思いませんか?

故意に露出された部分を修復しているように感じませんか?
本来は、青い静脈が浮き出るほどのたわわな乳房の上部を、ここに乳首があるような描き方にしてしまいました。
この失敗は、他のマグダラのマリアと比較すれば一目瞭然です。



ここだけ際立って幼稚なペインティングのように感じます。
この白い顔料が腕の部分の上側にまで乗っているのが分かります。
また毛の付近で、不自然な筆使いとなっています。
指先の白い絵の具も、この絵をぶち壊す意味で書き加えられたような印象があります。

「ダビンチコード」のおっぱいこそが、ベネチア男の野望です。
しかし、この絵を購入したベネチア男の亡き後は、つまらない女に負けてしまったのでしょうね。
絵の下手な画家に、気に入らない(自分が羨む)部分を修正させて、さらに腹いせで、作業中の画家から筆を取り上げて、指の部分に筆を走らせたのです。
そのように解釈すれば、不自然な書き込みの理由が分かります。
多分、その未亡人は、おっぱいの魅力に欠けた人生を終えたのだと思います。

ここまで考えて、やっと「マグダラのマリア」の意味が分かってきました。
つまらない女(=聖女・修道女)と理想の女性(淫乱な聖女)を対比させて、初めてマグダラのマリアの「挑発的で官能的な聖女」の称号を理解できたように思います。
<(つまらない女に)挑発的で、(セックスの上手い)官能的な、(理想の)聖女>


  この絵画展を通じて、様々な発見がありました。
  実物の絵でないと、分からない感動が多々あります。
  そこで、yuyuさんと、もう一度絵画展に行くことにしました。


        ベネチア男の野望「完」




コメント (2)
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殻付き有頭エビの夜♪

2017-03-14 17:04:16 | 楽しい食
楽しく美味しく食事を楽しむためには
食材探しはとても大切!。。。

「これの中味な~んだ?」と、家に帰ってくると
包みを私の手にのせたyoyoさん
表情はニコニコでした!

そして、その中味をいただいた夜の私の表情?

有頭エビ~16匹が皿に盛られたのを目の前に


それはそれはニッコニコ(*^▽^*)でしたよ~!


他にも料理はあったものの
なんといっても主役は有頭エビ!


タルタルソースにも一工夫し
いただきました
美味しいポン酢も良かったです♪

しかし~エビ16匹は食べきれませんでした
少し余った分は次の日に生春巻へと変身です!


こちらエビの他、中味は~キュウリ、シラガネギ
そしてパクチー♪
チリソースをつけていただきました


美味しいものです~生春巻!

二晩続いたエビが主役の夜ご飯


満足満足♪
お酒もより美味しく感じました

このお酒は…

こだわりの手作り酒?というところです。。。
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表参道ヒルズ~エルメスの手仕事展

2017-03-14 15:18:21 | 宝石のこといろいろ
お仕事で出掛けたついでに見てきました。。。

地下鉄から出たところは表参道でした

〝エルメスの手仕事展〟の旗


今日お納めしたものをとても気に入っていただき
気分も良く行ってみました

表参道ヒルズの吹き抜け通路から
カラフルです

中央に〝エルメス〟のロゴ看板があったので
その辺りで展示しているのかと思ったら何もなく…

表参道ヒルズの展示やイベントといえば
地下だったはず!
と思い出し地下3Fへ行ってみると
平日にも関わらずたくさんの人でした

いただいた案内を見るとエルメスブランドのメイン商品を
実際に作っている職人さんが来ているのだとか…

カバン、スカーフ、食器など様々

これ、手袋です
キレイな色に染め上げられた革は
とても柔らかそうでしたよ♪

他にもいろいろなものがありましたけれど
私の一番の興味はこちら!

宝飾品の職人、その中でも石留職人さんのところです!

簡単に石留めの説明があり
その後に実演してくれました
実演に使われたのは
ピンクゴールド台の馬をモチーフにしたブレスレット
細かいダイヤモンドが全面に入るデザイン
仕上がったらかなり豪華な品物です
ここで留められたメレーダイヤの大きさ

約0.01ct.くらいの小さなものでした
まあその方が手間がかかります
具象の馬なので立体的ですからその形に合わせるのには
このサイズにこの石留があっていました

1つ留めたところで
ギャラリーに顕微鏡を使って見せてくれました
私も見せてもらいましたが、キレイでしたよ!
馬の頭の辺りに留められたメレーダイヤは
日本風には〝泡留〟という技法です~そうだ!

フランスではこの留め方、何て言うのか聞けば良かったです~!

今月の19日まで表参道ヒルズでやっています


そうそう~入り口にあった
紙で作ったという展示も楽しかったですよ♪

エルメスの工房を紙だけで作り上げていました
金具や道具

バッグなどもあり


表参道を散歩がてら立ち寄るのも良いですね♪。。。
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アフタヌーンティーの時間

2017-03-14 09:43:26 | 楽しい食
外に出かけるとお昼ごはんの時間がいつもより
遅くなることが多いです。。。

でも都内は便利、この日は日比谷にいました
帝国ホテルの1階ラウンジでのアフタヌーンティーです



3段になったお皿



一番下のサンドイッチからいただきます

付いていたピクルスもおいしかったのですが
ここのオリーブ
特にブラックオリーブが美味しくて好きだと言ったら
付けてくれてうれしかったです♪

2段め~スコーンには
クロテッドクリームとジャムが二種類
スコーンって、小さめでも食べごたえがあるところに
濃厚クリームやジャムをつけていただいたら…この辺りで
お腹はふくれてきてしまうもの

でも、だからといって我慢はできないですよね~!
一番上はスイーツです♪
カワイイ小振りなケーキやお菓子は
お腹がふくれていても手が出てしまいます!

お腹満足~目も満足
楽しいアフタヌーンティーでした♪

こちらは大手町です
地下鉄から地上に出ると、当たり前ですが

高層のビル群に圧倒されました!

永代通り…
国道1号線ですもんね、何だか雰囲気が違います

とはいえ、このビル群のどこかに
美味しいアフタヌーンティーがいただけるところが
あるのでした!


永代通り近くのビルにある
ホテルアマン 33階に位置するそこは
とても良いムード♪

3月は限定メニューだそう

この〝苺のアフタヌーンティー〟です~♪

なんと、この3段重ねのプレートプラスマフィンの
全てに苺が使われていました!

一番上の苺の入った白い器はホワイトチョコレート

33階ということもあり
私たちの座ったカウンター席からの見晴らし

良かったですよ♪

ここは紅茶だけでなく他のお茶の種類も豊富
私が最後に注文したカモミールティーなども
良いお味でした

眺めの良いライブラリーは
天井まで届く本棚があり良いくつろぎの場所でした



外国からのお客様も多い様子で
こんなディスプレイも


高いビル群の中に作られた居心地の良い場所です
ホテルアマンのアフタヌーンティーは通常は
〝ブラック アフタヌーンティー〟として
全部にチョコレートを作った仕様になるのだそうな!
それも楽しそうです♪

今度はいつ行けるかな~♪。。。

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ベネチア男の野望・その9

2017-03-14 03:12:34 | 美術館・絵画
今回は、横たわる裸婦像についてです。

どうやら、この画像が裸婦像の原点になるようです。


ダナエもレダも、ここから発展しています。
これは、ベネチアで絵画が盛んになった時期よりも半世紀前の本の挿入画です。

この絵の最大のポイントは、女の足の表現です。
女性器を閉じるような仕草がお分かりでしょうか。
ここに処女性を感じさせます。
しかしながら、背後の男の気配を感じて、足を閉じていると考えると、一気に妄想は発展していきます。
このような思考方法の進化が、ルネッサンスだと思います。

もうひとつの特徴は、この絵が静止画ではないことです。
横たわる裸婦像だけではなく、後ろのサテュロスは、裸の女を隠している天幕を開いて押し入ってきた動きを加えています。
それは、裸の女を覗き見るだけでなく、これから起こることを想像させます。
これは、当時の人にとって衝撃的な表現方法だったのではないでしょうか。

で、その40年後に、この絵が出ました。


神話としての要素は、端っこの方に描かれた天使だけですが、横たわる裸婦像だけであるならば、どこかに神話の要素さえ滲ませれば許されるようです。

その40年間の発展には、目覚ましいものを感じます。
それはもちろん!エロスとしての発展です。
そこで、これよりも15年前の作品をご覧ください。


この2枚の絵は、似て非なるものです。
それは、エロスとしての表現の発展と考えると合点が行くはずです。
そこで15年間の間に、ベネチア男のエロ度合いがどれだけ進んだかを確かめてみましょう。

2枚の絵を対比させるのは、まず足先が重要です。
足先を拡大してみます。


この透けた布地が、全てを物語っています。
・・・!
これを読んでいるア・ナ・タ!
この足先を見て、エロスを想像できないと、人生の1/3くらいは損をしてしまいますよ。
・・・というくらいエッチだと、この時代のエロスを想像して下さい。

我々日本人の感覚からすると、足を人前で露出するのは無感動・無関心です。
しかし世界レベルで、足を見せるのが恥ずかしい行為だと認識している民族は、日本の人口の10倍以上いるはずです。
そのような観点で見ると、この透けて見える足先は、もうたまらなくエロチックとなります。

そして、ここから妄想が始まります。
それは、このような布地が寝具ではないからです。
この淑女のお召し物です。
そのお召し物が、このような状態になっていることが、ベネチア男を欲情させるのです。

前置きが長くなってしまったので、結論を申し上げます。
解説書では、「黄金色のスカーフが足元を覆い、くつろいでいる」とかかれていますが、そんなもので絵は売れません。

この絵は、情事の後の状況を描いた作品です。
黄金色は、スカーフに見せていますが、左足から下半身を覆う面積があることから、これは脱がされた衣装とみるべきです。
そして、この薄着だけで、他には衣類がないことから、女性はこのお召し物で男が来ることを待っていたことになります。


左膝を立てているのは、感じすぎて膝を閉じることができないでいるからです。
エクスタシーに達したことは右手で握りしめた布地から、そして気だるげな右手の感じから満足度を計り知ることができます。

女は、男が与えた快楽の余韻を楽しんでいます。
腰の下のシーツがシワだらけに淀んでいるのは、男が激しかったことを物語っています。
脱力した身体は、何回も達したことを示しています。

このようにリアリティーある描写は、性経験の乏しい者には理解されないかも知れません。
しかし、この絵が百戦錬磨のベネチア男を対象にしているとすれば納得できるはずです。

そして、さらに男女の営みを発展させてみます。
この絵に時間的要素を加えて、味わうことが重要です。
黄金色の薄手の姿で男を待ち、激しい情事の後の気だるさを楽しみ、その姿を男に見られている。
・・・
その続きは、本当に見る側の妄想力です。

女性は、髪の毛を紐でまとめています。
これは、情事によって髪の毛が乱されるのを気にしたからです。
そして、この髪の毛をほどいて、何食わぬ顔で(夫の前に)顔を見せるのです。
・・・
イタリア人に脱帽します。

そして、さらに15年後のこちらも、足先にご注目下さい。
こちらの絵は、先ほどと逆で、情事の前の画像です。

疼く身体を抑え、足をよじっている風に描写しました。

より具体的に解説します。
そっと、手を置いているだけであれば、指先は伸びているはずです。
しかし人差し指だけが淫部に第一関節分だけ埋もれています。
感じすぎている身体を抑えきれません。
慎ましやかな表現ですが、ベネチア男を興奮させるには十分すぎるくらいです。


さて、これが穏やかそうな寝姿に見えますか?
これは解説者の言う、休息ではありません。
この解説者は「あき盲」です。

この描写がこの作品の命なので、ここを感じとることができないと、海老の殻だけ食べて中身を捨てるようなものです。
顔は赤く上気しています。
これから起こることを妄想し、疼く身体を我慢している風に見ることができます。

その妄想は、時間的な要素を加味して描写されています。
動画のない時代、四コマ漫画のごとく、変化していきます。

それでは、この女性の脳裏に浮かんでいることをご説明します。
それは、この絵の3組のカップルで表現されています。
一番右は、二人で抱き合っています。


まあ、普通にそうなるのが自然ですね。
しかし、次からが妄想となって続きます。
赤いパンツの男が、水色のスカートをめくり上げているのがお分かりでしょうか?

この表現の免罪符は、見方によって女がスカートをたくし上げたのか、男がスカートをめくり上げたのかがどちらとも解釈できる点です。

そして、極み付けが3組目です。
赤いスカートからふくよかな両足がはみ出るくらい、スカートをたくし上げられています。
こちらを向いているのは、明らかに男性であり、女性の顔は見えないことから、男に後ろから抱きかかえられていることが分かります。

淑女が、このような行為を夢見ているなんて、もうベネチア男は大変です。











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お能「砧」

2017-03-13 09:06:55 | 今日の楽しい
先日、お能「砧」を鑑賞いたしました。


そして、2か月近く過ぎて、やっと感想をまとめることができる心境になりました。
その理由は、お能の奥が深すぎるからです。
この題材は、超困難な表現だと感じました。
強く感じたのは、演者の悩みです。

先日観たベネチア展の絵画を引用すると、こんな感じです。

これは憂です。
受難を受け入れる母性の表現として、ものすごく考えさせられるものが表現されています。

しかし絵画は、ある意味で単純なので、お能の困難さとは別次元です。

さて、このマリア様が、性を枯渇する悩みを抱えていたとしたら、もはや絵画では「難題」となるはずです。
それを、お能で表現するとは、本当に可能なのでしょうか。

一方で、ツレの舞は明確でした。
この方は、初めてみたお能「二人静」で見事に舞われていたのですが、二人静でありながら、もう一方の演者との技量の差がつきすぎていて、一体感として評価が下がっていた気がします。
若いっていうのは、こんなことなのかと、思い直してしまいそうです。

マグダラのマリアは、性に枯渇する悩みを超えた崇高さを表現しようとしたものです。




はたして「砧」は・・・、








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木瓜~ボケの花の色について

2017-03-13 08:24:22 | 今日の楽しい
元々ボケには白やピンクも有りますが
うちの庭にあったのは真っ赤なボケでした。。。

四、五日前の花色です

濃い朱赤でした

そしてこちらが今日の同じ花


今日は曇っていて暗いので蛍光灯の光です
なので光の加減が違うのですが

やっぱり色の濃さ、鮮やかさは変わってきていると思います

名前の由来が気になりちょっと見てみたら

【和名の「木瓜(ボケ)」は
果実が瓜(ウリ)に似ていることから
木になる瓜で「木瓜(もけ)」と呼ばれ
その後「ぼけ」に転訛したともいわれます。】

だそうです…飾っている間に色が薄くボケてくるからボケ
と呼ばれる、というのもありではないかな~?

そんなボケですが、飾って楽しいお花です♪
この花瓶にさしてあるボケの蕾も
同じ木からとってきました


けっこうタフ!
枝に付いていた時に蕾だったのが
こんな風にしても咲きました

春は良いですね~♪
いろいろな花が次々と咲きだします

水仙とヒヤシンス
良い香り♪



桜の開花も楽しみです♪。。。
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サム君 河原にGO~!

2017-03-12 15:29:13 | 警察犬サム君
歩いていると近くでウグイスの声を聞きました!
今年初です♪~春を感じますね。。。

元気いっぱいのサム君は大きな土手も何のその
ここを駆け下りました

元気です!

大好きな河原に来られたということもあるのかな
トットコとよく歩きます


気分良さそう


サム君の元気な姿にyoyoさんもうれしそう♪



サム:久しぶりの河原ですよ…

止めないでくださいね!


あら~まだ水は冷たいでしょうに!

どんどん

入っていってしまいました!

どうするのかなと見ていると



サム:遊びましょうよ!

誘います~!


「サ~ムダメだよ、タオル持ってきてないしなぁ」

サム:ダメ?

「ダメ」


サム:ではまた暖かくなったら遊びましょう!

しかしです
川の水に浸かったサム君は洗われることになりました!
「サム~おいで~」

ヒン…


「そっちじゃないぞ」

そとに出ようとしてる~サム君!
呼ばれているのに
あえて無視?

サム:だってボク~!

片足だけの
いつもの抵抗むなしく

しぶしぶと…
シャンプーされたサム君です

今日はいろいろあったね♪。。。
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すごいぞサム君!4年ぶり

2017-03-12 10:09:43 | 警察犬サム君
4年ぶりに車の後部座席に飛び乗れました!。。。

お出掛けなのでうれしくて
ちょっと耳がたれてます…


実は、4年前に病気が発覚
お腹の中に大きな嚢腫ができ
呼吸が困難なくらいで、もしかしたらもう…
そんな心配をしていたのです



ここに飛び乗れるくらいに回復したなんて!

良かったよ~!サム君


今、車の中でこんな顔して
ヒンヒンいっています


お出掛けのムードに興奮ぎみの様子です
サム君の元気は私たちもすごくうれしいです♪♪♪。。。


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ベネチア男の野望・その8

2017-03-12 05:55:42 | 美術館・絵画

マグダラのマリアです。


この絵は、ものすごく難解でした。
何回みても、難解です。
何故なら、もう解説書がベタ褒めしているからです。
「挑発的で官能的な聖女」であるとか、「傑出した美しさ」の如くで解説書を埋め尽くしています。
しかし私としては、全くそのような感動は生まれません。
本当に、解説者が感動したならば、この絵画の構成要素によってそれを説明すべきです。
結論から言って、この解説者は、単なる受け売りを並べただけの文章を作成したのだと感じています。
私も、分野は異なりますが文字を書く仕事で生きていますので、三流の解説書には辟易します。

たった一つの真実は、単なる受け売りを並べただけの解説書ができるほど、この絵が素晴らしいということです。
では、何が素晴らしかった(過去形)について考えてみることにしました。

この時代の女性像には、3種類があります。
まず、1)マリア像またはその延長にある女性像です。
その対極的に存在するのが、2)美人画およびエロ画像(他の表現をするならば官能的な女性像)です。
そして、3)依頼者による肖像画です。
このマグダラのマリアは、分類としては美人画に含まれるので、マリア像と肖像画と対比させて考えてみることにしました。

まずマリア像です。

これは癒し系ですね。
この絵は、家中のどの部屋に飾っても存在する価値のある絵となります。

あ!マリア像とその類似画像の見分け方ですが、簡単です。
伏し目がちな女性像は、すべてここに分類されます。
まあ、こんな感じです。


しかし、これらの女性は実在しません。
したがって、マリア像にはベネチア男の願望が隠されているはずです。


結論から申し上げて、ベネチア男は癒し系の女性に渇望していました。
つまり処女性です。
これは、田園の奏楽でちゃんと表現されています。

右側3人の女性は、全員伏し目がちです。
これはマリア像に分類されます。
しかし、左の二人は違います。
作者は、これを「はしたない女性」つまり男に気軽に声をかける女性として区別して描いています。
これが女性の当時の認識であると考えると、マグダラのマリアのヒントと成りえます。

次に、肖像画を観てみましょう。


肖像画と美人画の区別は、簡単です。
胸を隠しているのが肖像画で、胸を意識させているのが美人画です。
肖像画は、必ず胸元をキッチリと閉じて描いています。
逆に言うと、美人画のエロスとは、胸がはだけるイメージがどれだけ上手く描かれているのか勝負となるはずです。
と考えて、フローラを観ると合点がいくはずです。


フローラを解説者が語ると、100%ベタ褒めします。
しかし、本当の価値は、現代の感性を捨てないと見えてきません。
脳裏をよぎる様々なエロ画像が消去されて、初めてフローラに手を合わせたくなるベネチア男の気持ちと同化できるようになります。
それが、マグダラのマリアの第二のヒントです。

さらに肖像画と美人画(ではないが)に属する絵の微妙な区別をご覧ください。


この絵は、二人の女性の襟元を加筆しました。
最初に描かれたものに、購入者が注文を付けて、エロっぽく(別の表現をすると官能的に)させたのだと思います。
で、おとこの首をもらって、この勝ち誇った感じの表情をご覧ください。

え!私のことですか?


まあ、そ、そっそうかもね・・・。
と・・・、男は萎えてしまします。
男を喰う女。


キツイ顔だよ〜。

おとこの首を切り取って満足げな女。
これがマグダラのマリアの第三のヒントです。

よくよく見れば、この時代の女の顔は、キツイ。


つまり、キツイ女性の現実から、理想の女性像であるマリアを渇望したベネチア男の気持ちを理解することで、初めてマグダラのマリアを理解することができるのだという結論に達しました。
マグダラのマリアには、必ずドクロが登場します。



このドクロは、女の高慢さ・身勝手さ・我儘さ・理論での説得を嘲笑する様・目先しか見えない愚かさ・などなどなどを凝集した象徴です。


その女が、過去を後悔して泣いている。


もう! ベネチア男は身震いしちゃいます。


どうしよう!
だんだんdeepになってきちゃいました。


となりで、デザイン画を作成しているyuyuさん!
そろそろ朝ごはんにしましょうよ。
今日は、新鮮な野菜をゲットだね〜。



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