登る時は、まだ名前を知らなかった内ノ外山。

1983mの山頂は、白い岩山となります。
内ノ外山を乗り超えると、赤薙山たちの崩落のある壁の真下に出ますが、ここを超えるにはザイルが必要です。

ま、山の後ろ側は砂でできた尾根なので、私は行きたいと思いません。

ここまで来ると「内ノ外山」という名前を理解できそうです。

つまり、麓から見ると赤薙山の一群という意味では「内」ですが、いざ赤薙山に来てみると、それは孤高の存在となるので「外」なのではないでしょうか。
この内ノ外山に来るためには、痩せた尾根道を通ります。

その先には行くべきピークが待っています。

あそこまでなら行けそうだ、と思って行ってしまいます。

とにかく雲竜渓谷の谷に落ちないようにします。

失敗したら死ぬのが確実となる壁を越える必要があります。

特に最後の5mは、かなりの精神力を使いました。
技術ではありません。
滑ったら死ぬので「行くぞ!」という根性だけです。
京大山岳部の友人は、何人もの仏を崖下から引き上げてきたそうです。
仲間は必ず連れ帰り、それが仲間だそうです。
その彼曰く「怖いと思ったら死ぬ、絶対に生きて帰るのだと思え!」と言っていました。
そのピークを超えると、樹木の向こうに内ノ外山が待っています。

内ノ外山の白い岩の付け根にやや広いスペースがあり、そこからの展望です。

う〜〜〜ん、生きてるぞ!

ちょっと死にかけたけど。

じつは、そんな馬鹿な!ということがありました。
内ノ外山直下の急斜面を登っていました。
登りは何とかなるのだけど、下りは足つきが出来ない場所が何箇所かありました。
ザイルの代わりになるロープはザックにおいてきたので、降りる時のことを考えて地形を記憶しながらほとんど手だけで登っていました。
その時。
「ご〜ん」と頭をぶつけました。
一瞬めまいがして、思わす後ろにのけぞりました。
あと5cmほど後ろに傾いていたら、確実にそのままひっくり返っていたと思われます。
もしもザックを背負っていたら、やはり滑落(転落)していました。
ふ〜。
どうして頭打つかなあ?
なんと!
直径25cmほどの硬い木が、斜面から斜めに生えていたのです。
斜面が急すぎて木の付け根が見えなかったのです。
ああ怖かったあ。
先ほどの光景を画像処理したので、富士山をご覧ください。

あの山でも冬期には二桁の入山者が命を落としています。

(これは丹沢の蛭ケ岳から見た風景です)
冬期は入山禁止となるのですが、それを無視する人が大勢います。

そんな人々は、凍てついて閉鎖された道路を1合目から登ります。

森林限界を越えたあたりで「む〜ん、これは死ねるなあ」と思って引き返してきました。

瞬時に天候が豹変して、突風が吹き、視界がなくなります。
それはいきなりやってきて、しかも想定していた対策を越えた勢いがあります。

山で吹かれるという言葉がありますが、それは厳冬期の富士山にぴったりです。
自分の人生を振り返ると、もしかしたら死んでいた可能性があったことが幾つかあります。
人はしぶとく逆境を生き抜く力がありますが、反面もろくて簡単に死ぬことがあります。
大きな悪い出来事において、幾つかの不幸な偶然が重なると死に、いくつもの生き残るための努力または大きな幸運があると生き残れるように思います。
この位置からは、女峰山も見えます。

生きている実感が湧いてきました。
標高1983mの内ノ外山の最頂部付近まで来れました。

装備なしで登ることができる終点です。

帰路につきます。

振り返ると、赤薙山が見えます。

今度こちら側の尾根も登ろうかな。
赤薙山(たち)の中で一番優しげな赤薙山、標高2010m。

ちっとも赤くなく、大鹿落としからも離れている赤薙山、あれもう山頂なの?というくらいあっけない山です。
そして赤薙山(たち)、大鹿落としの上に位置するピークは標高2203mもあります。

でも、こちらを赤薙山と命名しなかった理由は、このブログを読んでいただければお分かり頂けると思います。
<過去のシリーズもお楽しみください>
*女峰山より楽しい赤薙山(たち)・シリーズ
*女峰山って何て楽しい山なんだろう・シリーズ
*ようこそ「雲竜渓谷」氷の世界に・シリーズ
*女峰山の手前の黒岩まで・シリーズ
帰り道、もう一つ難儀がありました。

最後の1346mのピークの手前でピンクテープを巻いた木がありました。
日も暮れてきたので、ここ降りられるの?
もう、この時間でこれから先の藪漕ぎ1kmっていやだよな〜。
ここを下れば遊歩道があるのは知ってるし。
よーく眼を凝らすと、次のピンクテープは見つからないものの、標識を打ち込んだと(勝手に思い込んだ)木を見つけました。
こういう時って都合よく考えちゃうんだよね。
で、近寄ってみると、それは木の枝の切り口でした。

こういうところって登りはいいのだけど、下りは滑るのでいやですね。
ところで、行けども行けども川までたどり着きません。

そこで地図を見てみたら、なんと標高差が250mもあります。
あ〜あと思いながら、日が暮れて暗くなるギリギリに遊歩道まで降りることができました。

今回のルートを上空から眺めてみましょう。

登る前は、この画像を漠然と見ていただけですが、1603mから先のルートは決定していませんでした。
しかし道は一本しかないので、最初から地図をちゃんと見れば、登山ルートは明白でした。

厳密な計画を立てて十分な装備で安全な登山。
あたりまえですね。
でも人生って、登山とは違って思うようにはなりません。
生きるための装備ってなんだろう。
人生の計画ってありえるんだろうか。
安全な人生が面白いのだろうか。
やっぱり危ないとこ行ったんでしょうとおっしゃるyuyuさんへのお土産は「元気な笑顔」でした。
それにしても赤薙山たちって、なんて楽しい山なのでしょう。
めでたし、めでたし

1983mの山頂は、白い岩山となります。
内ノ外山を乗り超えると、赤薙山たちの崩落のある壁の真下に出ますが、ここを超えるにはザイルが必要です。

ま、山の後ろ側は砂でできた尾根なので、私は行きたいと思いません。

ここまで来ると「内ノ外山」という名前を理解できそうです。

つまり、麓から見ると赤薙山の一群という意味では「内」ですが、いざ赤薙山に来てみると、それは孤高の存在となるので「外」なのではないでしょうか。
この内ノ外山に来るためには、痩せた尾根道を通ります。

その先には行くべきピークが待っています。

あそこまでなら行けそうだ、と思って行ってしまいます。

とにかく雲竜渓谷の谷に落ちないようにします。

失敗したら死ぬのが確実となる壁を越える必要があります。

特に最後の5mは、かなりの精神力を使いました。
技術ではありません。
滑ったら死ぬので「行くぞ!」という根性だけです。
京大山岳部の友人は、何人もの仏を崖下から引き上げてきたそうです。
仲間は必ず連れ帰り、それが仲間だそうです。
その彼曰く「怖いと思ったら死ぬ、絶対に生きて帰るのだと思え!」と言っていました。
そのピークを超えると、樹木の向こうに内ノ外山が待っています。

内ノ外山の白い岩の付け根にやや広いスペースがあり、そこからの展望です。

う〜〜〜ん、生きてるぞ!

ちょっと死にかけたけど。

じつは、そんな馬鹿な!ということがありました。
内ノ外山直下の急斜面を登っていました。
登りは何とかなるのだけど、下りは足つきが出来ない場所が何箇所かありました。
ザイルの代わりになるロープはザックにおいてきたので、降りる時のことを考えて地形を記憶しながらほとんど手だけで登っていました。
その時。
「ご〜ん」と頭をぶつけました。
一瞬めまいがして、思わす後ろにのけぞりました。
あと5cmほど後ろに傾いていたら、確実にそのままひっくり返っていたと思われます。
もしもザックを背負っていたら、やはり滑落(転落)していました。
ふ〜。
どうして頭打つかなあ?
なんと!
直径25cmほどの硬い木が、斜面から斜めに生えていたのです。
斜面が急すぎて木の付け根が見えなかったのです。
ああ怖かったあ。
先ほどの光景を画像処理したので、富士山をご覧ください。

あの山でも冬期には二桁の入山者が命を落としています。

(これは丹沢の蛭ケ岳から見た風景です)
冬期は入山禁止となるのですが、それを無視する人が大勢います。

そんな人々は、凍てついて閉鎖された道路を1合目から登ります。

森林限界を越えたあたりで「む〜ん、これは死ねるなあ」と思って引き返してきました。

瞬時に天候が豹変して、突風が吹き、視界がなくなります。
それはいきなりやってきて、しかも想定していた対策を越えた勢いがあります。

山で吹かれるという言葉がありますが、それは厳冬期の富士山にぴったりです。
自分の人生を振り返ると、もしかしたら死んでいた可能性があったことが幾つかあります。
人はしぶとく逆境を生き抜く力がありますが、反面もろくて簡単に死ぬことがあります。
大きな悪い出来事において、幾つかの不幸な偶然が重なると死に、いくつもの生き残るための努力または大きな幸運があると生き残れるように思います。
この位置からは、女峰山も見えます。

生きている実感が湧いてきました。
標高1983mの内ノ外山の最頂部付近まで来れました。

装備なしで登ることができる終点です。

帰路につきます。

振り返ると、赤薙山が見えます。

今度こちら側の尾根も登ろうかな。
赤薙山(たち)の中で一番優しげな赤薙山、標高2010m。

ちっとも赤くなく、大鹿落としからも離れている赤薙山、あれもう山頂なの?というくらいあっけない山です。
そして赤薙山(たち)、大鹿落としの上に位置するピークは標高2203mもあります。

でも、こちらを赤薙山と命名しなかった理由は、このブログを読んでいただければお分かり頂けると思います。
<過去のシリーズもお楽しみください>
*女峰山より楽しい赤薙山(たち)・シリーズ
*女峰山って何て楽しい山なんだろう・シリーズ
*ようこそ「雲竜渓谷」氷の世界に・シリーズ
*女峰山の手前の黒岩まで・シリーズ
帰り道、もう一つ難儀がありました。

最後の1346mのピークの手前でピンクテープを巻いた木がありました。
日も暮れてきたので、ここ降りられるの?
もう、この時間でこれから先の藪漕ぎ1kmっていやだよな〜。
ここを下れば遊歩道があるのは知ってるし。
よーく眼を凝らすと、次のピンクテープは見つからないものの、標識を打ち込んだと(勝手に思い込んだ)木を見つけました。
こういう時って都合よく考えちゃうんだよね。
で、近寄ってみると、それは木の枝の切り口でした。

こういうところって登りはいいのだけど、下りは滑るのでいやですね。
ところで、行けども行けども川までたどり着きません。

そこで地図を見てみたら、なんと標高差が250mもあります。
あ〜あと思いながら、日が暮れて暗くなるギリギリに遊歩道まで降りることができました。

今回のルートを上空から眺めてみましょう。

登る前は、この画像を漠然と見ていただけですが、1603mから先のルートは決定していませんでした。
しかし道は一本しかないので、最初から地図をちゃんと見れば、登山ルートは明白でした。

厳密な計画を立てて十分な装備で安全な登山。
あたりまえですね。
でも人生って、登山とは違って思うようにはなりません。
生きるための装備ってなんだろう。
人生の計画ってありえるんだろうか。
安全な人生が面白いのだろうか。
やっぱり危ないとこ行ったんでしょうとおっしゃるyuyuさんへのお土産は「元気な笑顔」でした。
それにしても赤薙山たちって、なんて楽しい山なのでしょう。
めでたし、めでたし