平成内乱記・日本の長い夢

日本の未公開犯罪史・天皇陛下を始め、著名人の隠された犯罪を、告発する。

(7)川口密室殺人事件

2007-07-18 23:15:15 | Weblog
(7)―①川口密室殺人事件
S・50年岩槻市の北海製缶に入社し、ポストコーター(コカコーラの、タブ付きフタ内部の、塗装をする機械)を担当する。 機械を改良し、毎分360個を、700個以上にする。 コカコーラ社には、一兆円の利益をもたらしたそうだ。後日この事が、ニュース・ステーションで、報道されるが、数年後に大問題となる。この職場は、シンナーを大量に使う為、有機溶剤中毒(医者は、結核と診断)に成り退社、東埼玉病院に、半年入院(医者と治療方針で対立、私の体だから、私の方法で治療させてと、医者を説得し、2・3年かかると言われたのを、3ヶ月で治す。 この事が学会で発表され、世界中に広まる。 退院後、三ノ輪のダイオーズに入社して、ダスキンの営業をする。 そこでダスキン中目黒の関口と知り合う。 そして関口の紹介で、多田・張替と中目黒のアパートで会う。 三人が副業で、清掃業を、しているのを知り、客を紹介する事にする。S55年、ダイオーズの上司が、強引な方法(給料天引き・企業年金・税金・野球のユニフォウム代・麻雀で負けても、勝った事にする。ギャンブル税を取る。)で、社員全員から、借金をして返済しなかったり、無断で部下の契約を、自分の契約にした事などに対して、(大竹は気違いだから、相手にするな。)と言う、同僚の忠告を無視して、抗議をした。 そしたら上司の不正契約を、私が契約した事にされて、責任を取らされて、クビになる。 そしてブラブラしていると、張替から電話が有り、高島平14Fの藤原宅に行き、松山・藤原を紹介された。そして藤原が「佐川急便で金を貯めたので、掃除屋を始めたいから、手伝ってくれないか」と言った。 (嘘かも知れないが) その後、松山が「俺も手伝うから、用が有る時は、池袋マルイの、リビングに来てくれ。」と言った。 松山は信用出来そうな感じの男だ。 その様に感じたので、営業を引き受けた。後日、藤原宅に行くと、若い男が居た。 その男は尾林と名乗り、すぐに出て行った。 数時間後戻ってきて、こう言った「下の車誰の」。 私のだと言うと、「なんでグローブが入っているの」と聞いてきたので、「高校で野球をしていた。」と答えると、 「俺もやっていた」と答えてきた。 そして「キャッチボールやらない」と言ってきたので、OKし尾林が持っていた、硬球でやった。 数日後、藤原宅に行くと、尾林が椅子に座りながら、[やめろ、やめろ]と言っていたので、バルコニーの方を見ると、張替が藤原を14Fから、突き落とそうとしていたので、二人を止める。 二人は仲違いを始める。張替が中台のマンションに引っ越してきた。 そして張替・関口が「多田は、住友商事専務の娘婿だと聞かされるが、あまりにもボロ家だったので、怪しいと思いながら、家に入ると、ダンボール箱があり、その中には、住友商事の手形が、たくさんはいっていた。 そして「これをどこかで、換金して来てくれ」と言われたが断った。又、中目黒のアパートでは、この様な事もあった。(関口が、慶応大学の学生に、サラ金のカードを作らせ、キャッシングさせた金を騙し取り、学生の親に怒鳴り込まれる。) そして、関口が「これいいね、今度やろうよ」と言った。 その後、中台に行くと、張替から「1リットル入りのワックスを売ってくれ。」と言われた。私が「仕入れ値近い値段で売って、儲かるはずがない。」と言うと、「売り掛けで仕入れ、大量に売ったら、夜逃げするのだ。」と張替が答えた。 私が「そんな事をするなら、仕事をやめる。」と言うと、中止した。 なお当時は、中央区のユーホーケミカルでワックスを買っていた。  ある日、中台に行くと、尾林がいた。 二人に対して張替の奥さんが、カレーライスを作ってくれた。その時、尾林が「腹減った。 俺はいつも飢えているんだ。」と言った。この時のアクセントから、栃木県民かなと思った。 そして数日が経ち、中台に行くと張替に「大口の商談が有るので、市川市のサンショップ山崎に、行ってくれ。」と言われたので行った。担当の仲村氏に会い、(「毎年、春に山崎・春のパン祭り」という、イベントを行っている。 イベント成績の良い店に、サービスで、掃除を行っている。 今回は、お宅を使ってみたい。 この位の値段で、できないか。)と言われた。これでは赤字になる。 そう思い、即答せず中台に帰る。 張替に話すと、「下請けに、やらして金を払わなければ儲かる。」と言われた。 私は、「この仕事は、断るべきだ。」と言った。そしてこの仕事で、経費がどの位掛かるか、見積もりを出す。「どうしてもやりたいのなら、黒字になる金額で、見積もりを出し直そう」と言うが、張替は、独断で契約してしまった。 しかも店のカギを預かる事に、泥棒にカギを預ける様な物。 張替の性格からして、悲劇的な結末になるのは、明白だと思った。 後日、高島平に行くと、張替・藤原・尾林が居た。 藤原が「仕事は辞めた、機械は張替に譲った。」と言った。 そして一人で酒を飲み始めた。 寂びしそうなので、私も付き合う。当時は、ボトル一本位飲めたが、この日は尾林が、「腹に入れば同じでしょ。」と言って、ウィスキー・ビール・酒・焼酎を買ってきたので、二人で全部飲んでしまい、泥酔してしまった。 眠くなり、横になっていると、張替が「皆で銀座に、ステーキを食べに行こう。」と言ってきた。藤原、一人が断ったため、三人で行く事に成る。 私の車で尾林が、運転して行く途中、首都高で、スピードの出しすぎで、カーブを曲がり切れず、側壁に激突、横転事故を起こす。 尾林と、助手席に居た私は無傷。 尾林の運転が、とてもヘタだったので、事故を起こす様な気がしていた。 その為つり革に、ずっと掴まっていたので、無事だった。後部座席にいた、張替のみ、怪我したが、警察には、言わなかった。 警察は物損事故として処理した。 後で高速機動隊に行くと、事故の記録が無い。 事故車両の所在も不明との事。 尾林は事故の翌日に引っ越す。 引っ越し先は、中目黒のアパート以外無いと思い、行くと、来ているが、今いないとの事で、長い時間、部屋で待つ。 そこには、警視庁警察官試験のパンフレットが有った。 部屋に居た、見知らぬ女が「尾林君には、やって、もらわなければ、成らない事がある。」と言ったので、「それは何」と聞くと、「いえない」と女が答えた。 どうやらサギを働く為に、警官に成った様だ。 その夜、尾林は、夜逃げした。 私は仕事をやめ、独立する。 そして市川の、仲村氏の所へ行き、「張替の所は、危ないから、取引しない方が良い。」と忠告する。 そして一年位が経ち、仕事は順調に行き、車の事を忘れた。 そしてある日、春日部の知人宅で、麻雀をした。 その食事休憩中に、テレビを見ていたら、久米宏氏が、「密室殺人事件が、起きました。」と言った。 すぐに張替の顔が、浮かんだ。 事件内容は、川口市内の、山崎デイリーストアに、深夜、賊が入り、店長を殺し、現金を奪うと言うもの。 店内は、密室状態だが、張替が、板橋区近辺の店のカギを、大量に持っているのを、しっている為、犯人は、ヤツだと思った。 そして、いつも張替の運転手をしていた、尾林も一緒だと思った。(今、考えると、伊藤かも知れないが?)張替は、昼しか運転しない。(免許を持っていない、そう思っていた。)犯人は、この二人。 警官が、こんな事をして、いいのか。 怒りが込み上げて来て、警察に協力する事にする。 まず尾林の家に行く事にする。 尾林の家は、事故の跡すぐに、以下の様な方法で、見つけていた。 ヒントは、栃木弁と野球好き。 野球好きは、名門校に行きたがる。 尾林は、頭が弱いから、中以下の名門校に、電話して見る事にする。 まず足利工業野球部に電話する。 尾林マサオと言うのがいる。進学先は、拓大。尾林と同じだ。 後日、学校に行き、住所を聞く。 下北沢だ。 実家は岩舟町。 町役場に行き、地図を見る。 交番の辺りだ。 交番に行き、家を聞く。 親切に教えてくれた。 親に会い、事情を説明する。 最初から、知っているみたいだ。 父親が、「マサオを呼んで来い」と言った。 そして電話を、しようとしたら、母親が止めた。 息子が悪いと、思っている様だ。 そして父親の態度から、警官に、成っている、そう思った。 母親が「車は、息子が、貰った物だから、返さない。」と言った。 近所の人に、話を聞くと、「母親は変人だ」と言われた。 こんなの相手にしていても、仕方が無い。 そう思い下北に行くも、またしても逃げられてしまった。 下北沢の不動産屋から、「警視庁の警官になっている。」と聞いた。 やっぱりだと思った。 この時は、100万円位いいや。 そう思い、追いかけるのを止めた。 しかし警官が、サギだけでなく、殺人まで行っている。 ゆるせん。 しかし、どの様にすれば、民間人が、警察官を逮捕できるか。 父親は、頭がかなり弱そうだ。 ここを衝くしかない、気も弱そうだ。 すこし脅して見よう。 そう思い今度は、知人と三人で行く。 そして「車を貰ったと言うなら、証拠をだせ。」と言うと。「張替が証人だ。」と父親が言った。 ならば「張替の連絡先を教えろ。」と言うと、電話番号を教えてきた。 三人の内の一人が、その場で電話をする。 電話の相手が「うちは、張替では無い。」と言ったらしい。 張替が本当の事を言うはずがない。 知人が父親に「本当の電話番号を教えろ。」そう言うと、 「合っているハズだけど、おかしいな」と言った。 ここは番号違い、と言う事にしていた方が、都合が良い。 ここで騒ぐと張替に、逃げられる。 そう思い、とぼける事にする。 今夜、実家に行くと、尾林が
来るかもしれない。 そう思い、朝まで尾林の帰りを待つも、尾林は帰って来なかった。 事件の成り行きを書いた手紙を、前出、交番の警官に渡す。 親切にしてくれたので、手柄を立てさせてやろう。 そう思ったから。 犯人が逮捕されたと言う、報道が無いので、気になっていたが、私が見逃したのかと思っていた。 後日、岩槻駅前交番で、犯人が逮捕されているかどうか聞くと、まだだ
言われたので、交番に武南署の刑事を、呼んでもらう。 そして尾林達の事を話すと「もっと早ければ」と言われた。この犯人グループは後日、サラ金カード詐欺事件で、逮捕される。
(7)-② (一部、読者へのサービス)
友人宅で、麻雀をしていると「休憩して、相撲を見よう。」としつこく言われ、私が相撲を見るより、麻雀の方が良い、と言うつもりで、「相撲は嫌いだ。」と言った事が有る。
(7)-③(ブログ27・35参照)
春日部市・小渕・市場前の雀荘TOP。 マスターのあだ名は、{屁コキ・ゴリラ}と{バカ}。趣味はブーブー観賞(車)・競馬・オナラをする事。 私を含め多くの客に、オナラをかがせたり、バカと書いた紙を渡したり(初めて来店した、セットの客にも、渡した。)本人は、ユーモアのつもりらしいが、客達は怒って帰ってしまった。 オナラについても、「場を和ませる為に、やっているのだ」「サービスで、オナラをして、あげているのに、怒る方がおかしい。」と言う。 客から金を借りて返さない。 私の場合、深夜に家に「10万円借してくれ。」と、しっこく電話して来て、五月蝿いから、貸してやると、「貸す方が悪い」と言って、まったく返さない。 だが私が、他の客から、5万円借りた時、家に帰ったら、すぐに電話して来て、「金を借りたら、すぐに返せ」と言った。 一日も待ってくれない。 「お前こそ、金返せ」と言い返すと。「貸す方が悪い。」「返す気はない」と言ってきた。「それなら、俺も返さない。」そう言って、電話を切る。 それ以降、別の雀荘に行く。 なお、この店の客の中に、アルカイダのメンバーが居た。 この男とは、どういうわけか、行き違いになり、一度も卓を囲んだ事が無い。 私がもう少しTOPに通っていたら、9・11テロは起きなかった?そんな気がする。 この経験が後日、殺人犯逮捕に繋がる。 なお当時の春日部の雀荘に、二人もアルカイダのメンバーがいた。 春日部辺りには、他にもメンバーが、いるみたいだ。 アルカイダが、日本に対して、テロを行う時、私に許可を求めに、来るかもしれないので、土曜日は、ゆの郷に行く様にしている。 

(8)阿佐ヶ谷、麻雀店長バラバラ殺人事件

2007-07-18 23:12:31 | Weblog
(8) 阿佐ヶ谷、麻雀店長バラバラ殺人事件
平成2年頃、色々なフリー雀荘に良く行っていた。 ある時、巣鴨のドラドラに行く。 帰り際に、店長に呼び止められ、下の喫茶店に行くと、「場代、一割返すから、うち専門で、打ってくれないか。」と言われた。 月5千円位にしか、ならないが、どこで打っても、同じだと思い、話を受ける。 ある日、500円・内装屋・店長と四人で打つ。 この日の店長は、絶好調で、上がり続ける。振るのは、内装屋ばかり。又、半ちゃんが始まり、すぐに店長が内装屋から、満貫を上がった。 そおしたらすぐに上中里のママが来た。 店長が、「ここどおぞ、満貫上がりからのスタートです。」と言った。 「普通は、チャラにして、始めるのに。」内装屋が、怒りながら言った。 そして「俺からばかり、上がりやがって。」 「早く金払え、阿佐ヶ谷の風子の、内装工事をしているが、代金を全然払ってくれない。」と言うと、店長は狼狽して、突然ズボンを脱いだ。 内装屋は、呆れていた。 追い詰められると、見境がなくなる。 危ない性格だ。 私はそう思った。 ある日の朝、ドラドラで打っていると、店長が「内装屋が夜逃げした。」と店の従業員や、客に言って回っていた。 そして「昨日、青い顔して、工事代金を貰いに来た。」 「丁度200万円、持っていたので、渡した。」 「今日の朝、用事が合ったので、家に行くと、空室だった。」と言った。 嘘だと思った。 その根拠は、以下の通りです。
① 空室だからといって、夜逃げとは、かぎらない。
② 数日前に、金が無いと言っていた。(一万円も払えなかった)
③ 従業員が「家賃が払えないので、二・三日、逃げ回っている」と言っていた。
④ 遠くに逃げたとは、かぎらない。 麻雀好きな男が、200万円持っていたら、店に来る可能性が高い。 その時揉める。 店にはもう来ないのを、知っている事に成る。男は死んでいる。 今朝、店長が殺した。そう思った。後日、「風子の内装屋を変えた。二重に金が掛かった。」と店長は、言った。 殺害場所は、風子の店内だろう。その時は、そう思ったが、最初の内装を誰も見て居ないので、この時点では、なんとも言えない。 風子には、巣鴨から人が行く。 小山・鈴木のカーサン・ケンチャンこの三人だ。私とケンチャンとは、たまに飲みに行った。支払いは、折半か私持ち。何も知らずに、危険な所に行かされる三人。店長に、「阿佐ヶ谷に、遊びに行ってくれないか。」と言われたので、行く事にする。 店に行くと、ケンチャンが、店長になっている。 可笑しいと思い、小山氏に聞くと、「最初は俺が、店長をする事に、成っていた。」と言われた。 そしてケンチャンの羽振りが良い。 「たまには、俺が奢るよ。」と言って、昼飯を奢ってくれる様になる。 そして、店が早く終った晩に、飲みに行った時、帰り際に「なんで、そんなに金が有るのだ」と聞くと。 「俺は、金蔓を掴んだ。西山の秘密を掴んだ。」と答えてきた。 「人を殺したのだろう。」と言うと、「なんで知っているのだ」と答えた。 「ケンチャン殺されるよ」そういうと、「俺もそう思う。」と答えた。 「一緒に警察に行こう。」と言うと、「解った。」と答えた。 そして阿佐ヶ谷署に向かうが、途中でケンチャンの、気持ちが変わり、「こんなチャンスは、もう無い、用心するから大丈夫。」 「お前は、もう店に来ないでくれ。」と言われた。 その後、阿佐ヶ谷の住民達の、態度が変わった。 その後私は、阿佐ヶ谷に行かなくなった。 このあとニュース・ステーションの報道によれば、ケンチャンが、阿佐ヶ谷の住民達に、私が、「店長は、人殺しだと言っている。」と言い触らした様だ。 だいぶ経った後、白岡の自宅に、小山氏から電話が有り、「今、池袋の雀荘で、働いている。」 「暇なら遊びに来て」と言って来た。「風子をなぜ止めた」と聞くと。「無理やり止めさせられた。」と答えた。 ケンチャンを殺すのに、ジャマなのだろう。 そう思った。 私が傍にいたら、殺されずにすんだのに。 自分のウソに殺された、と言う事。 後日、今度は阿佐ヶ谷の住民達がウソをつき、オウムの信者達を、怒らせる。 なお麻雀をする人に、偽名を使う人が多い。 前出500円は、あだ名。 この女性は、後日、首を切断され、西山の娘の部屋の冷蔵庫の中で、生首で見つかる。 西山も偽名らしい。 本名は分からない。

(9)山梨(上九一色村)松本サリン事件

2007-07-18 23:09:54 | Weblog
(9)山梨(上九一色村)松本サリン事件
この頃私は、武里の麻雀荘で、良く麻雀をした。 1994年1月10日頃、武里に行こうと、家を出た。 その途中で、山梨の仕事を貰う為に、関東通信に、電話を掛けようとして、岩槻北稜高校の横の、電話ボックスに入った。すると、その中にカバンが在った。 中を見ると、300万円位と、小切手3枚、印鑑、通帳が入っていた。 落とし主は、困っているだろう。 そう思い東岩槻の交番に行く。 金額が多すぎる(小切手・通帳残高・現金合わせて、一億円)ので、交番では対処できず、岩槻警察署にパトカーで行く。 すると落とし主は、もう来ていた。 上司と一緒に。 謝礼を60万円ほど貰う。 給料は貰ったばかりで、ほとんど使ってない。 1カ月くらい仕事を休んでも大丈夫。 そう思い、会社に電話をしなかった。 あの日急に、電話を掛け様と思った事で、命拾いをする事に成る。 なぜなら、山梨に電話帳を配達に行っていたら、上九一色村サリン事件に、訳が分からないまま、巻き込まれていたからだ。 事件のあらましは、後日の、ニュース・ステーションの報道によると、私の知人に、高橋に良く似た、オウム信者がいて、上九一色村を配達する為、サティアンに奥さんと泊った。朝早く、配達に行く為に、第7サティアンにいる時、サリン工場で、事故がおき、サリンが漏れ出した。 そして私の知人だけが死んだ、とのことだ。 もちろん当時の私には、知るよしもない。私が会社の人から聞いた話は、「知人が急病で入院した。」しかし奥さんが、「入院先は教えられない」と言って、誰にも教えない。 後からこの話を聞き、おかしいと思った。 場所が場所だけに、オウムに殺られた?そう思い、山梨と市川の病院を調べるも、行方がわからない。 この時、山梨にいたら、上九に一人で行っただろう。 そうしたら、どうなっていたか、わからない。 その内に松本サリン事件が起きる。この事件については、なにもわからない。後日、高橋は私の知人になりすまし、市川で生活する。 付近の住民が、警察に通報したらしいが、別人という事に、成ってしまった。

(10)クーデター未遂事件

2007-07-18 23:07:09 | Weblog
(10)クーデター未遂事件
配達の仕事は、良い場所も悪い場所も、一個当たりの単価が同じ為、配達場所の良い悪いで、収入が決まる。 その為、良い場所を取り合って、内部で常に揉めている。 悪い場所を他人に押し付ける。
押しの弱い性格の人間は、金を稼げない為、仕事を続けていけない。 とくに短期の仕事で、多くの会社を渡り歩く人達には、上司も同僚もウソをつく人が多い。 今は判らないが、1995年当時は、パンフレットやチラシ類の配達は、要領良く立ち回れば、高収入を得られる。 一番要領の悪かった私でさえ、月に100万円以上は、稼いでいた。下の戦車の後送の仕事でも、5・6時間で25000円、個人の能力次第だが、私の場合、時給3000円以下も仕事は、無かった。 その為に、この
業界に新しく入って来た人は、先輩を辞めさせる為、会社にウソを言ったりする。 私の場合仕事が
出来る、との評判がたったため、当初から信じ難い嫌がらせを、受けるのです。 たとえば同僚と一緒に、私の行き付けのファミレスに行った時に、客が大勢いる中で、大声で「ウンコが出た・ウンコが出た」と叫ばれた上、ウンコの色・形・大きさ・硬さなどを大声で解説され、大恥をかかされた。 又こんな事も有った。 初対面で、ある男が突然「屁がでるー」と大声で叫んだ後で、「屁・屁・屁」と叫びながら、30分位オナラを出し続けた。 信じ難い話ですが、この男の夢は、スカンクに成る事です。 その為に、自宅でオナラの研究を、していたと言う。 後日に、このことがニュース・ステーションやスーパーモーニングで報道された。 報道内容は、(ブーブマンは、自分のオナラの臭さに自信があり、私がガス中毒で倒れると思ったらしい。) こんな男がいたなんて、信じられなかった。 この男のあだ名は、ヘオ・コイタ。 それ以外にも信じ難い変人が、大勢いた。 そして東証一部上場企業の系列会社から、ヤクザの様に、傷害犯として、警察に身代わり出頭を、してくれと言われた事も有る。 この様な事にいやけして、トラブルの無い仕事が、したくなったころ、日通王子支店から電話が有り、「自衛隊の戦車の搬送時における、前送・後送をしてくれ。」と言って来た。 以前にも、この仕事をやっている。 前送は道案内。 後送は交通安全。 朝霞に観閲式の為、各駐屯地から、戦車を集める、そして元に戻す。 結構、割の良い仕事だ。 時に1994年秋、観閲式が終り、自衛隊車両を、各駐屯地に返し始める。 二・三日目に、何時もの様に、早く朝霞について、昼寝をしていると、打ち合わせの為に来た課長が、「今日の山梨は、10台とも、2人ずつ乗っている。」と言って来た。 私は以前から、どこかの組織がクーデターを決行したら、真っ先に殺されると思っていた。 いよいよ来たのかな? そう思い山梨の車、一台一台を見て回った。 全員がものすごく緊張していた。 これはまずい、休憩の時に、今日は危ないと警護班に連絡しよう。 そう思い、車にもどった。 そおしたら山梨の人間が、私の車の脇に来て、こう言った「すごく良い体をしているね。」 「なにかスポーツやっていた」。 私は「キックボクシングをしていた。」と答えた。 すると「今度、乱交パーティーが有るので、参加しない」と言って来た。 私は怪しいと思い、断った。 そおしたら、その男は自分の車に戻り、誰かと相談を始めた。 しばらくしてから、大声で「今日は中止だ」 と言った。 そのとたんに山梨の人間達の緊張感が緩んだ。 課長は、「なにを中止したのだろう。」と言った。 私は、ほっとした。 そしてこの日は、なにも起こらなかった。 なお当時私は、165センチ・87キロ、この一連の話が、95年12月末TBSで全国放送される。(ニュース・23の2部・キャスターは、関口宏・筑紫哲也・渡辺真理)当時の私は垂直とび1メートル・ベンチプレス180キロ以上・車を一人で持ち上げられた。 なお後日の警察による捜査の結果、この時の20人のリーダーは井上だと判明した。ではニュース23で報道された、クーデター計画を、もう一度簡単に、説明します。 計画の内容は、自衛隊の武器弾薬は、北富士演習場に集約されているのです。オウムにこの点を狙われたのです。
① 北富士に向かう便の時に、前送車10台に、武道の達人20人を集める。
② 北富士周辺に信者を大勢集める。 
③ いつもの様に、深夜に、自衛隊車両をトラックから降ろす時、ライトの無い広場の為、民間車がライトの代わりをする。その時、山梨の10台は、最終車両の作業終了まで残る。
④ 自衛隊関係者が、広場を去った後、私を含めた民間人全員を殺害する。
⑤ 正門前の自衛隊員を殺害する。
⑥ 武器庫に侵入して、武器・弾薬を確保する。
⑦ 北富士演習場の、全隊員の身柄を拘束する。
⑧ 東京に行き、武器を持った大勢の信者で、皇居を占領する。
以上がニュース23で、報道された内容です。

(11)地下鉄サリン事件

2007-07-18 23:01:32 | Weblog
(11)地下鉄サリン事件
オウムのクーデターを阻止してから、オウムにマークされる様になる。 関東通信には、この頃、数人の信者が居た。 そして私が、会社内で、戦車搬送の仕事の事を、以前から話をしていた事を、麻原に漏らす。 話したのはペキン原人だと報道された。 ペキン原人とは、クーデター未遂事件、直後の94年12月、群馬県・伊勢崎の現場で、一緒になった。 その時、道路で倒れフォークリフトに、轢かれ掛けた時、助けてあげたのに、怒った。この事から後で、オウム信者だと、思うようになる。 この現場で深夜、何者かに、写真を取られた。 おそらくペキン原人。この頃警察では、オウムに対する、強制捜査の準備を、進めて居た。 上九一色村で、サリンの生成物が、見つかったからだ。 私の知人が殺された時のだと思う。 私は1月末から、関東通信で、東京の電話帳の配達を、3月末まで行う予定。 事務所は青山葬儀場の前。 この現場で見知らぬ配達員に、「どこに留まっているの」と聞かれた。 私は答えなかった。 そおしたら、後を付けられたみたいだ。 泊まったのは日暮里・御徒町・新宿のサウナ。 その日の気分で三箇所から、選ぶ。 会社には、何時に行くか、決められてないが、いつも9時に出社する。 つまりサリンが撒かれた時間帯には、必ず霞ヶ関駅にいる。 なお、この年は、珍しく仕事が早く終った。 その為、私はサリン事件の被害者にならなかった。 ニュース・23の報道によると、サリンの主要ターゲットは、私だそうだ。 私を殺せば、天皇陛下を暗殺できるから。 (ブログ17・18)参照。 あとの章に出て来るが、他の場所でも、私が天皇家を守っていた。 仕事の関係で偶然に。 サリン事件の当日に、私は山梨に居た。 この年は珍しく、東京の仕事が上手く行き、早く終った為。 例年なら、4月上旬まで、掛かるのだが、私の事をスパイする為に、仕事をした、オウムの信者達が、まじめに働いた為?脾肉な話で、オウムのお陰で、サリン事件の現場に、行く事が出来なかった。 配達中にテレビを見たら、事件の映像が流れていた。 すごい事件だ。 これが私の第一印象。 そして3月30日の朝、私は都留市内を配達中に、車に撥ねられる。当時の状況は、以下の通りです。まず相手の車は、自宅を出て、家の直ぐ前の道を右折して徐行。この時点で私と目が合う。現場は緩い下り坂。相手は私を見ながら、バイクに向かって、全力で加速する。当たる瞬間に下を向く。衝突地点は、Y字路の先だ。私のバイクは、Y字路を左側から、直線道路に入った所で衝突する。相手の車が、加速を始めた時点で、私を轢こうとしている。咄嗟にそう感じた。私の左側は田んぼ。相手は左に寄って来る。私は右側のスペースから、衝突を避けようとして、バイクの中央右側が、相手の左ウインカーに、衝突して転倒する。 相対速度は、100キロ以上。私は強い衝撃で、道路に叩き付けられ、しばらく倒れていた。 相手はバックで、坂道を登って行って、止まっている。 もう一度轢くつもりだ。 私はそう思った。 私が立ち上がると、相手の女が、車を降りて、こちらに歩いて来た。女が「私の旦那がNTTの所長だから、警察に連絡すると、お宅の会社に、圧力をかけて、クビにするから。」私が「構わないから、警察に電話する。」と言うと、近くで家を建てていた、大工に対して「○○さん今の事故を見ていた。」と聞いた。 大工は「見ていた。」といって、下に降りて来た。 そして「見ていた訳では無いから、良く判らないが」「今の事故は、二人共悪い。」事故の目撃者として、そう言った。 そして女は免許を見せて、車を運転して逃げて行った。すぐに110番通報したら「今そっち方面は、取り込んでいるから、すぐに来ないかも知れない。」と言われた。 本当に来なかった。 しかたなく自分で都留署に行く。 署内には、誰もいない。 臨時休業かと思ったら、上から警官が降りて来た。「事故に合ったので、現場検証をして。」と言うと。「今は忙しいので、後にしてくれ。」と言われた。 私が空き巣だったら、大変だったろうなと思いながら、三つ峠の旅館に帰る。 この日の深夜に、首筋より発熱する。 一緒に泊まっていた男に「ここ熱いから触って」と言ったら、「警察に行った方が良いよ。」と言われた。 そして、すぐに警察に行く。警察は被害届を受理し、女に連絡して、都留署に来させる、と言ったので、数日間、三つ峠で待つ。(一緒に泊まっていた仲間は、あわてて逃げ出
した。後日、この男がオウム信者だと分かる。 これ以降、社内でウソを付きまくる。数々の犯罪に関与し、世界的に有名に成る予定なので、当ブログでは、ホラーマンと命名する。)そしたら警察から電話が有り「女が逃げ回っていて、捕まらない。」 「今日、連絡が付かなかったら逮捕する。」と言って来た。 そしたら、すぐに出頭して来た。 タイミングが良すぎる。 そう思いながら都留署
に行くと、車がほとんど修理して有った。 しかし色が違う。 左側のライトも壊れたままだ。(昨日の電話の内容を知って、修理途中で、あわてて出て来たな。 私を殺そうとしている証拠を、つかんでやれ。)(頭が弱そうだから、カマをかけてやれ。)と、その様に思った。 事故車を警察官に見せながら「このキズが事故の物です。」 「これがバイクの塗料」と言うと、警察官が「白いバイクに、ぶつかって、黒いキズが付く訳が無いだろう。」「ウソを言うな。」と言われていた。(やはり頭が弱い) 今は旦那も一緒にいる。取調べ室に入ったら、化けの皮を、はいでやろうと思った。 
女から取り調べが始まり、「よそ見しながら運転していた。」「軽くチョコンと、ぶつかっただけで、痛くも無いのに、大げさに騒いでいるだけ。」 衝突地点も女の自宅付近、「そこからバイクに乗って、飛んでいった。」 そおしたら警察官が「人間が空を飛べるはず無いだろう」 「「この様な物を出したら、上司に叱られる。」「オウムの信者じゃないのか」「もう一度やり直し。」と言って、最初から始めた。 スピードの質問に女は、「私は60キロ位で、相手は50キロ位」と答える。 衝突地点も、私の主張通りに訂正した。今度は私の番だ。女は「衝突の瞬間まで、私に気が付かなかった。」と言っている。 女の様子を見ながら、左側から進入したのに「右側から進入した。」と証言した。 そしたら女が「この人ウソを付いています。」「あの時は、左側から来ました。」と言った所、「よそ見をしていたのに、なんで分かるのだ。」と警察官に言われていた。 これで当たる寸前まで、私を見ていた事が、証明された。これは事故では無く、殺人未遂事件だ。 しかし今、殺人の動機を、上手く説明出来ない。 今はオウムが、私を殺そうとしている。 そういう事が判れば、それで良い。 後は、オウムの動きを見て、殺人未遂事件に、切り替えよう。 この事が表ざたになると、オウムには大変な不利益となる。 結果として、オウムの逃走信者を、私の回りに集める事になる。 大宮・西所沢で、逃走信者が大勢、逮捕されたのは、以上の理由による。 西所沢は、平田信が、私を騙そうとして、逆に騙された為。

(12)ニュース23

2007-07-18 22:58:29 | Weblog
(12)ニュース・23
私がオウムのクーデター計画を、阻止した事が、1995年の末に、TBSテレビのニュース23の2部で、放送された。キャスターは渡辺真理・香川恵美子(現在は田口恵美子)・筑紫哲也・関口宏の各氏。 ぞくにスーパーマン物語と言われ、視聴率93%で、ほとんどの日本人が、見た事に成る。 私はこの日は、朝から「ゆの郷」にいた。 朝からテレビで、渡辺キャスターが、「オウムのクーデター計画は実在した。」 「今晩、その計画の全貌を公開する。」と言っていた。 TBSテレビでは、放送内容を、当日まで秘密にしていて、一部の人間しか、知らされたいなかった。それなのにオウムに洩れていた。 (後日のテレビ報道によれば、関口宏が、当時オウムに入信していて、彼がもらした、との事だった。) この日は、オウムの信者達が、「ゆの郷」に集まっていた。 狙いは、私に「スーパーマン物語」を見せない事。 二階のテレビ前は、オウム信者達に、独占されていた。 放送時間になり、「スーパーマン物語」が始まると、すぐに「ニュース・ステーション」に、チャンネルを変えられてしまった。 他の客が「スーパーマン物語」を見せろと言うと、「ニュース・ステーション」の方が、面白いと、前の席の全員が言った。 この日、「ゆの郷」で「スーパーマン物語」を流したのは、1Fのテレビだけだった。 テレビの前は、黒山の人だかりで、後ろの人間は、はにも聞こえなかった。 一方で2Fのテレビは、見ている人が居ない為、ガラガラだった。 私は客同士がチャンネル争いを、始める前に、テレビの前で、立ち見していたら、最前席の客に席を譲られた。 その直後にチャンネル争いが始まった。「ニュース・ステーション」では、キャスターの久米宏・小宮悦子氏が、「どうせ誰も見て居ない」と言いながら、TBSの「スーパーマン物語」を見ていた。 そして、二人でスポンサーに謝りに行く相談をしていた。(後日、「ニュース・ステーション」を見ていたら、この日の「ゆの郷」での出来事が、放送されていた。) そして久米宏氏が、「家の放送を見ていたのは、オウムの信者だけなのじゃないか。」と言っていた。

(13)平田信登場

2007-07-18 22:52:55 | Weblog
(13)平田信登場
1995年10月頃。 平田は、NTTの関連会社の、関東通信株式会社の、入社試験を受けて、合格していた。本社は新宿区。 本人が、電話帳事業部を希望して、同事業部に入ってくる。 同社で一番、不人気の部署を、希望するとは、変わっている。 その様な噂話が、社内で囁かれていた。 その男の名前は、高橋と言う。(私の予想では、指名手配される前に、試験を受けて、合格してから、入社後に指名手配された。 その為に、逃げるに逃げられない。そういった状況だったのでは、と思っている。) この男は背が高い。この会社には、Sという背の高い男がいる。身長は185センチ。 スポーツマンで筋肉質。 贅肉が無く、スタイルが良い事から、ついた、あだ名が、「筑波のマリリン・モンロー」高橋は、マリリンと同じ位、背が高い。 1996年1月、東京の仕事が始まった。 新年の会合にも、東京の仕事にも、高橋は顔を出さなかった。 その間に、へんな噂話を聞いた。 それは高橋が、警察に行くのを異常に嫌がると、いう事だった。 やけに気になる男だ。 そして私に合った事など、一度も無いのに、悪口ばかり言っているらしい。 妙だと思った。㋃になり、茨城の仕事が始まり、土浦のデポに行く。 ここではじめて、高橋に合う。 噂通りに、背の高い男だ。 顔は指名手配中の平田信に似て居る。 しかし似ているだけで、別人かも知れない。 なんとか調べる方法は無いのか?その様に考えていた。 そして、ある暑い日、所長のI氏が、新入社員の高橋の為に、飲み会を開いた。 最初に高橋は、酒が飲めないと言う理由で、出席するのを、嫌がったそうです。しかし出席せざるを得なかった。 本人が歓迎会に出なければ、歓迎会にならないから。 その会で高橋が、美味しそうに缶ビールを1本、一気に飲み干した。 そしたら所長のI氏が「なんだよ、飲めるじゃないか。」と言った。 そして「もう1本どうだ。」と言ったら、「いただきます。」と言って、もう1本飲んだ。 会の途中で、甲府の事務所で、内部の人間の犯行としか思えない、事務所荒らしが、有った事が、話題になる。 その時、私が「誰の犯行か分かる。」と言うと、隣に座っていた男が、小さな声で、「あの男だな。」と言った。 そして私に向かって「当ててみようか。」と言った。 そして「犯人は。」と言った所で、私が「ハズレ」と答えたら、「まだ言っていない」と言った。「それでは言ってみなさい。」と私が言うと、ある男の名前を言った。 犯人は男では無いので、当然ハズレだ。 その一連の話を、高橋は、唇を震わせながら、聞いていた。 相当、驚いたようだ。 歓迎会は、1時間ほどで終った。 同僚がビニールに、ゴミを集め始めた。 しかし高橋は、2本のビール缶を、ゴミに出さずに、自分の車に、持って行った。一本だけなら、飲みかけと言う事も有るが、2本だから一本は空だ。  指紋を取られるのを、警戒している。 そう思った。 どう考えても高橋は、平田信だ。 しかしまだ、気が付かないフリを、していた方が良い。 そう判断して、惚ける事にする。 ある日高橋が、「コーヒーを飲まない。」と言って、缶コーヒーをくれた。 大勢見ている前で、毒入りコーヒーなど、飲ませるはずがない。 そう思い一気に飲んだ。 高橋はその時、嬉しそうな顔をしていた。 自分は、まだバレていないと、思ったのかもしれない。 そして、どこかで、毒入り缶コーヒーを、飲ませる気だな、そう思った。 青酸化合物は、コーヒーやチョコレートと同じ味がするから。

(14)発見オウム武器庫

2007-07-18 22:51:06 | Weblog
(14)発見オウム武器庫(当章では、サリンの所在を、一般公開します。 6年位前に、政府に文書で、報告済みです。 現在、一部のサリンが、有る所に移動しています。 この場所は、公開出来ませんが、政府には、報告済みです。ブログ17・18に内容が、かぶっています。)
1995年の5月、私は栃木県・那須町の高久地区の、電話帳配達をした。 この地区は、5地区に分かれていた。この年の3月に、地下鉄サリン事件が有り、上九一色村に、強制捜査が入り、麻原彰晃が逮捕された。 そして村井幹部が、刺殺された。 その時に、上佑が、防弾チョツキの様な物を着ながら、報道陣に向かって、「今度は麻原を殺好きですか。」と言っていた。 感じとして、麻原の上に、誰か超大物がいる。(今は誰か判っているので、ブログの最後に、公開します。 なお警察は、誰か知っていますが、大物すぎて、警察も手を出せないのです。 その為に当ブログを、作ったのです。 誰かが勇気を持って、告発しなければ、日本とアメリカが戦争に、成るからです。 このブログを公開したら、殺されると、忠告されていますが、死ぬ気で書き続けます。) (今は大宮で、警察関係のアルバイトをしながら、ブログを書いています。) (当ブログを、紹介するチラシを、14万6千枚位、撒くつもりです。) 当時テレビでは、オウムの報道が、盛んに放送されていた。 その中で2点、気になる報道が有った。
① 上九一色村からサリンが、何処かに運び出された。
② オウムを脱会いようとして、上九一色村から、逃げ出そうとした信者が捕まって、上九一色村に連れ戻され、一週間に渡り、500人以上の信者に、レイプされた事(一部のテレビでは、実名
で報道されたので、被害女性の名前を、知っている読者も、大勢いるのだろうが。)そして1996年5月に、私は又も、高久地区の電話帳配達をした。 その時に、4地区のカードを渡された。私が所長に「大島地区は、どうしたの。」と聞くと、「今回は、地元の人がやるから良い。」と言われた。 大島地区は、100軒位(あとから100軒位、家が建ち、200軒に成る。西川・高木宅も、この中に入る。) 家は本当にマバラで、広大な土地に、家がパラパラと有るだけ。 こんな割の悪い場所を、配達するとは、変わった人が、いるもんだと、不審に思っていた。 後日に「ゆの郷」2Fの、テレビの前で、テレビに背を向けながら、他の客の顔を見る様な体勢で、週刊誌を読ん
でいると、テレビのニュースで、「歌手の西川峰子さんの家が、水害で流失しました。」と言っていた。そのニュースを聞いた瞬間に、オウムの信者達が、一斉にテレビを見た。 皆が心配そうな顔をしている。 続いてアナウンサーが、「西川邸は、那須町の大島地区に有ります。」と言った。 この頃には、「ゆの郷」の客の内、誰がオウムか、調べがついていた。 西川峰子はオウム信者だ。 そう確信した。(後日のニュース・ステーションの報道によれば、オウムは使い物に成らない信者を、強制捜査以降、「ゆの郷」に集めていた。 渡辺真理によると、「ゆの郷は、オウムのゴミ箱」 そういう事で、「ゆの郷」の常連客には、アホが多い。 それなら、ここでカマをかけてやろう。 そのカマとは、オウムは私の行動を監視する為、常にスパイを私の回りに置いている。 そのスパイに対して、さりげなく「西川峰子はオウム信者だ。」と言った。 そおしたら、一度も話をした事が無かった、常連客でオウム信者の高橋が、私の所に来て、西川峰子の悪口を、長々と言って帰った。 西川はオウムではない。 その様にアピールしたかったのだろうが、これではオウムだと教えて居る様な物。 高木美保も大島地区に転居している。大島は、那須の御用邸の裏側に有る。この時に、二度目の高久地区配達の時に、大島地区のカードが、抜けていた理由が判った。 オウムは私に、西川・高木が大島に住んでいるのを、知られたくなかったから。 大島には何か有る。そう思い考えていると、有る事を思い出した。 それは最初に、高久地区の大島を、配達した時、○○ケンネルと言うカンバンを出した家に、配達した時の事だった。 印鑑を貰おうとして、よそ見して待っていると、二人の男の内の、一人の男の手が動き、もう一人に静止された事だった。
(14-2)
この時は相手が、殴りかかってきそうな感じに見えたが、そんなはずが無い、そう思ったのだが、「ここだ、ここにサリンがある。」テレビのニュースを見て、その様に考えた。 この大きな家なら、工事中にトラックが、沢山来ても怪しまれない。 西川峰子は、サリンに関わっている。 そう確信した。 後日に、TBSのハナマル・マーケットで失言していた。 それを聞いて、オウムは西川に、サリンを捨てさせていると思った。 水害後も、この場所を離れないのは、まだサリンを、処分出来ていないからだろう。 その様に考えた。 高木美保は、銃器類の保管係。 朝日テレビのワイド・スクランブルでの失言から、そう思った。 話は変わって、この頃、歌手の八代亜紀が、麻原彰晃の幼友達だと言う、報道が有った。 この時、八代亜紀は、全面否定していたが、当ブログを最後まで読めば、事実かどうか、判ると思う。 そしてオウム信者の中には、車の車検書の中に、麻原彰晃の写真を、入れている者もいる。 この事が後日に、芸能界を揺るがす、大スキャンダルに成り連日、テレビや新聞で報道された。 ほとんどの日本人が知っている大スキャンダルとは、SMAPの稲垣吾郎が、駐車違反で、婦人警官に、車検書を見せるように言われたが、拒否して、婦人警官を轢いた後、逃走した事です。

(15)対戦、平田信

2007-07-18 22:48:41 | Weblog
(15-1)対戦、平田信
1996年に土浦のデポで平田信に始めて有った頃、「埼玉は何処に行くの。」と聞かれたので、「所沢は色々な仕事をしていて、慣れているから、所沢が良いな。」と答えた。 すると「所沢の何処が良い。」と聞いて来たので、「西所沢方面が良いな。」と答えた。 この話がオウムの上層部に伝えられて、西所沢に信者達が集められる。 その中に逃走中の信者が大勢いた。 彼らは交代で、西所沢のサウナを、見張っていたという。 私が来るのを待っていたらしい。 ここで双方に思わぬハプニングが起きた。 そのハプニングとは、私の車が、夜間走行中に道路に置かれた大石に、車の底面が接触して、オイルタンクが破損して動かなくなり、車を買い替えた事。 平田は、車のナンバーを、オウム上層部に伝えていた。 私の車はナンバーが変わり、私がパンフレット配布の為、所沢市内を走り回っても、気が付かない。 西所沢に、逃走中の信者が、集まっているだろうと思い、探しても何の反応も無い。大宮に逃走中の信者が大勢いたのは、偶然だったのかな?一時はその様に思った。 埼玉の電話帳の配達は、川越に行かされた。 この月には西所沢では、何も起こらなかった。 川越の仕事が終り、最後の日に西所沢のサウナに泊まったが、何時もの通りだった。 そして、すぐに、所沢にチラシを、配達したが変化なし。 日にちは流れて、11月に成った。 神奈川県に、電話帳を配達する月になる。 私は付き合いで、横須賀に行く。 横須賀は階段が多い町だ。 この頃は、熱心にボディイビルの練習をしていた。 ボブスレーでオリンピックに出よう。 その様に考えていた。 ボブスレーを選んだのは、背が高い方が有利だから。 ハンデは多い方が面白いと、そう考えたから。 横須賀の汐入町は、その中でも一番、階段がキツイ場所だ。 足腰の鍛錬も兼ねて、汐入町を配達する事にする。 場所は横須賀駅の直ぐ前、米軍基地の前でも有る。 横須賀の隣の町は、逗子市だ。 ここにも御用邸が有る。 オウムにとって、一石二鳥の場所である。 米軍も天皇家も狙える。 そこに私が来た事で、地元警察の注目を、集める事に成る。 一石三鳥に成ったのかも知れない。 横須賀は、小泉純一郎元総理大臣の地元でも在る。 後日に汐入町で、オウムの信者が大勢見つかる。 郵政選挙で、横須賀が揉めたのは、オウムが絡んでいるから。
(15-2)前文に掲載。
(15-3)
横須賀で夜間配達中に、私は事故に合う。 事故の内容は、(バイクで配達中に、直前を走っていた車が、急停車した為に、ブレーキが間に合わなくなり、事故に合う。 その時、車の左側は、線路で中に入れないように、コンクリート柱で、ブロックされていた。 バイクから見て右側は広く、左側は狭くなっていた。 前の車が急停車した瞬間に、わざと事故を起こそうとしている。 これはワナだ。 そう思った。 ワナならば、一見安全そうに見える、広い右側は危険だ。 私は、狭い左側にハンドルを切る。 バイクは、車とコンクリート柱に、挟まれて停止する。 車には、キズが付く。 私の方は、バイクも体も無傷だ。 車の運転手は、「何で狭い方に来たのだ。」 「車がこんなにキズ付いている。」と言った。 (広い方に行って貰いたかったのだろう。) 私が「どうして急ブレーキを駆けた。」と聞くと、「前方に人が居た。」と答えてきた。 100メートル位前に、オバアチャンが歩いていたが、急ブレーキを駆ける必要など無い。 この運転手は間違いなくオウムだ。 事故現場は汐入町ではない。 突然に決まった場所だ。 この事からしても、この時点で横須賀・逗子方面には、オウム信者が大勢居る事になる。 そして相手の運転手は、ブツブツ言いながら、立ち去っていった。 そして翌日の朝に、事故現場に行くと、予想通りに、右側はガケだった。 オウムは私を、ガケに突き落とそうとしたのだ。 この時、オウムと戦っていて良かった。 本当にそう思った。 オウムの襲撃に対して、常に用心しているからこそ、瞬時にワナだと見破れた。 オウムを恐れて、逃げ回っていれば、この時に、死んでいたか、大怪我をしていただろう。 後日に、横須賀のデポに、平田信が手伝いに来た。 その時、私に合うと、開口一番「何で所沢に来なかった。」と聞いて来た。 私が、「横須賀の所長が、気の毒だから。」そして「他の配達で、よく行っているよ。」と言ったら、平田が「あれ、車が違う。」「何時換えたの。」と聞いて来た。(オウムがイタズラして、壊したと思っていたから、当然上層部には、連絡が入っていると思っていた。) オウムも私も、西所沢で勝負を付けようと、おもっていたから。 この事がなければ、ここで決着が付いていただろう。残念だ。
オウムの所沢での作戦は、ニュース・ステーションの報道に依ると、次の二つ。
➀ 菊池直子達が住んでいるマンションに、私が配達に来た時、青酸カリ入りの、熱せられた缶コーヒーを渡す。
私は猫舌なので、マンションから遠い場所で、コーヒーを飲む。 私が死んだら、傍の自動販売機に、毒入りの缶コーヒーを、取り口に入れる。 そうすると、私は拾い飲みして、死んだ事になる。
私が良く行くサウナに行った時、夜中に「車のライトが点いている。」と客を装った信者から、フロントに話があり、私が下に降りてきたら、大勢で私を襲うと言うものだった。
この作戦を聞いた時、信者がびびって、私の車を、壊したのかもしれないと思った。 ナンバーが変われば、双方共に発見できない。 オウムは指揮系統が、はっきりせず、バラバラに動く傾向が有る。 
又、作戦がコロコロ変わる。結果として私は、決定的なチャンスを、逃がしてしまう。 オウムの損害も大きかった。 逃走信者が大勢逮捕された。 しかしこの事がオウムに幸運を齎すとは、脾肉な事で有る。 私は横須賀の仕事が終ったら、所沢に行って、決戦を挑むつもりだった。 そおしたら油断しているオウムは、決定的な敗北を、喫していただろう。 私に大敗北する前に、敗北した形になった。 しかし私の作戦勝ちには違いない。 この辺で平田信も気ずいた様だ。私に上手く利用されている事を。 12月に成り、群馬県の伊香保に配達に行く。 この時、平田と同じ事務所に成るが、平田は私を、避けるようになる。 完全に気づかれたようだ。 しかしまだ、惚けていた方が良いと思い、惚ける事にする。 そして伊香保では、何も起こらなかった。年末になり、とんでもない
ニュースが、ニュース・ステーションであった。 その報道とは、岩槻の関東通信支社で、平田が同僚の榎本氏を、殺害したとの事だった。 会社の中では、高橋は平田信だという事に、なっているようだ。 私以外の誰かが、警察に通報すれば、平田は逮捕される。(私が通報したのでは、逮捕しないかもしれないと、思っていた。) (TBSが栃木県警の尾林を、放送内で、リンチみたいな事をした為、この時点では、私の味方には、なってくれないと、思っていた。) (この時に、「この男が、住商手形詐欺事件の、犯人ではないか。」と言う、記者の発言を聞いて、手形の事を思い出した。 そして大変な戦いになる様な、気がしてきた。) オウムを壊滅寸前まで、追い込んでいる。 もうすぐ戦いは終る。 そう信じていたのに、仲間に裏切られるとは、思わなかった。
(15-4)
翌年の1・2月は、何も起こらなかった。 私に平和な2ヶ月間が訪れてきた。正々堂々と戦ったからだ。 戦争では、逃げる者から殺される。 戦意の無い相手と戦えば、自分が傷つく事が無い。 勝つ事が有るだけだ。 常識通りの結果だった。 そして3月になった。 又、山梨県に行く。 今度は甲府、石和がエリアだ。 甲府の事務所には、平田が来ている。 今回は、平田に異変が起きている。 それは、軍手を片時も、外さない事だ。 手の指紋を採られるのを、極端に警戒している。 書き損じの書類も、家に持ち帰っている。 それなら、平田が泊まっている家を、突き止めてやれ。 そう考え、深夜に尾行する事にするが、相手は私の車を知っている為、近づけられない。毎日
少しずつ尾行するしかない。 車のスピードが違いすぎる。 尾行は無理だと判断して、断念する事にする。 すると平田が、「石和温泉に泊まっている。」と言っている事を聞く。 それなら代わりに、石和温泉を調べて見る事にする。 まず警察に行った。 そしたら入り口の受付みたいな所に、二人の警官がいた。 平田は安月給取りだ。 本来なら、高いホテルには、泊まれないはずだ。 そこで私は、警官に「あまり高くないホテルを、探してくれないか。」と言った。 すると、若い方の警官が、「幾ら位」と聞いてきたので、「8000円以下位」と答えたら、値段付きのホテルマップを、渡してくれた。 そして警察署を出ようとして、入り口辺りに来たら、一人の警官が、階段を降りて来た。なにげなく振り返ってから、警察署を出ると、階段を降りて来た警官が、「今の男、何をしに来た。」と甲高い声で叫んだ。 ヤバイ。 見つかった。 今の警官はオウムだ。 瞬時にそう思ったが、ここは気づかないフリを、した方が良い。 そう思って、警察署を出る。 今日しか石和温泉を調べられない。 そういう状況になった。 そしてホテルの駐車場を、全部見て回ったが、平田の車は無かった。
(15-5)
翌日の朝、珍しく平田が、私の所に来て、「何時も、石和のサウナに泊まっている。」といきなり言って来た。 私が「なんだ、そうなんだ。」と答え、二人で大笑いした。 私が「あそこのサウナには、五右衛門風呂があるよね。」と言うと、「そんな物あったかな。」と平田が答えた。 私が良くカマをかけるのを、知っているのだろう。 この日の夜、平田は、石和のサウナに泊まった。 私がサウナに見回りに行った時、一番、目立つ場所に駐車していた。この時に平田は、五右衛門風呂が有るのを、確認したはずだ。 風呂ぐらいは、幾らでも、ごまかせられると、思うはずだから、まだ惚けていられる。 そう思っていたら、大変なハプニングが起きた。 そのハプニングとは、同僚の一人が「高橋君は、本当はオウムの平田信だよね。」 「皆がそう言っているよ。」と言ってしまった。 高橋は、「誰がそんな事を言った。」と言ったらしい。 昔から、この会社には、アホが多いと、警戒していたが、これほどアホとは、思わなかった。突然に、私達の身に危険が、迫って来た。 平田は車の中で、真剣に考え込んでいる。(平田は射撃の名手だから今晩、事務所に強盗が、入った様に見せかけて、会社の人間を全員、殺すかも知れない。 私一人を残すと、他の全員を殺しても、意味が無い。 つまり、私が今晩、事務所にいると、拳銃を持った強盗が入ってくる。 あと数日で、平田を逮捕する事が出来たのに、身内から裏切り者が出たのだから、残念だが、仕方が無い。 平田が入ってきたら、入れ替わりに事務所を出て、石和のサウナに行こう。 そして朝になったら、武南警察署に行こう。) そう思った。(なお、この日は、赤坂で拳銃を使った殺人事件が有った。) そして計画通りにサウナに行く。そして朝になり、サウナを出て、東京のTBSに行く。 スーパーマンと名乗り、筑紫哲也氏に面会を求めた所、警察に通報され、赤坂警察署に連行される。 そして刑事に事情聴取されていると、殺人事件の捜査から帰って来た刑事達が、入って来た。 その内の一人のW刑事が、変わって私への取調べを始めた。 話をしている内に、この刑事は仕事が出来そうだ。 そう思うようになった。 そこで、この刑事の実力を試してみた。(後日に、警視庁の名刑事と、呼ばれている事をしる。 今度は刑事が「都留の事故も計画的か?」と聞いて来たが、「偶然」と答えると、ビックリしていた。) その方法とは、石和警察署の警察官の中に、オウム信者がいる事を、「石和署からオウムに、情報が洩れている。」と言う言い方で、W刑事に言う。(警察の事だから、この程度の事位、判っているだろう。)(仕事が出来る刑事なら、この一言で私の事を、見直すはずだ。)とそう思った。 予想通りに、W刑事の顔色が変わった。 私は予定を変えて、赤坂署に平田信の事を通報して、あとは、この時点で知っている、オウムの情報を、高橋克也と菊池直子の事を抜かして全部話した。 二人の事を外したのは、100%の確信が持てなかったから。 不確実な情報を、警察に流したら、それ以降、警察は、私の事を信用しなくなる。(16-2)に続く。

(16)登場菊池直子

2007-07-18 22:45:38 | Weblog
(16)登場 菊池直子
₍菊池直子とは、一度だけ合った事がある。 その場所は、東大宮のフィットネスクラブのNAS。 菊池はハデなカツラを被っていた。 その頃、私はNASでトレーニングをしていた。 菊池直子は、私のトレーニング内容を、観察しに来たのだ。 菊池達が、大宮の宮原にいた頃の事だった。 この頃の事が、週刊現代に判りづらい形で、書かれた。「ああ、菊池直子の肉声を取った。」の中で、「外に出る訳にはいかない。」と菊池直子が言った事だ。1997年5月の頃の記事だった。週刊現代の記事に、全然非は無いが、タイミングが悪かった。 このタイミングの悪さが、菊池直子を死に追いやった様な気がする。 それ以外にも大きなミスが有ったが。
(16-2)(15-6)から続く。
この後、私は大宮の「ゆの郷」に行き浸りになる。「ゆの郷」には、マスコミ関係者と見られる、二人組みが来ている。その内の一人が、赤坂警察のW刑事に似ている。 名前もWで同じだ。 もう一人はカメラマンみたいだ。 親子で「ゆの郷」に泊まりこんでいる。 Wは兄弟なのだろう。 Wは良く日本テレビの話をしていたので、二人は日本テレビの関係者だろうと思っていた。 そして「ゆの郷」で私は不審な、おばさんに合う。 この、おばさんは、オナラばかりしている。 「ゆの郷」の館内を、オナラをしながら歩き回っている。 主要な登場人物なので、「屁コキ・メス・ガッパ」と言う事にしておこう。 私も、しばらく「ゆの郷」で寝泊りをしている内に、新しい客が増えている事に気が付く。しかも変人が多い。 「ワーワー」と奇声を上げながら走り回る客。 トイレの中で一人で将棋を指している客。 館内で何時も女装している客。「ニュース・ステーションの報道によると「ゆの郷」に来た事の無い信者が「ゆの郷」の信者達に、用事があって来た時の、目印として女装しているとの事。」 歌が恐ろしく下手な客。(他の客から苦情が出るほど。) 夜間にフロントの前辺りで、ウンコをする客。(私は二度もウンコを踏んだ。)(今は無くなったが、犯人は分からず。) 何時も風呂の中でウンコをする客。(日本ウンコブロ協会会長と呼ばれていた。)(常連客の間では、「ゆの郷」のウンコブロと呼んでいた。 かなり長い間、犯人が捕まらなかったので、数人が交代でウンコを、していたみたいだ。 私は大体、犯人が判っていたが、後日に、その男が「ゆの郷」の従業員三人と一緒に車に乗り、何処かに行った後に、ウンコブロが無くなった。)(16-4)に続く。
(16-3)「ゆの郷」の常連客の紹介
原田・(「ゆの郷」サル軍団のボスざる的存在。上記の歌が恐ろしく下手な客。婦女暴行の常習犯。逮
捕歴も多数有り、テレビで報道された事もある。あだ名はニュース・ステーションの報道に依ると、フランケンシュタイン。私はデロリンマンと言っていた。ゾンビ・(猿軍団の中心人物。ニュース・ステーションの報道に依ると、類まれなほどの醜い顔を買われ、オウムにレイプ専門の信者としてスカウトされた。逮捕歴も多数ある。まゆみ&パピー(「ゆの郷」猿軍団のメンバー)高橋・(猿顔の女性信者。 ニュース・ステーションの報道に依ると、職業は泥棒。仲間数人とで、「ゆの郷」のロッカーを荒らしていた。合鍵を持っていて、金を持っていそうな客のロッカーを荒らす。この事は、本人も認めている。9・11テロで活躍する。)・松田(自称「ゆの郷」の将棋の名人。得意戦法は、三枚飛車戦法「何時もポケットに飛車を入れている。」それと鼻曲がり戦法「服の洗濯は、半年に一度。 その為相手は、臭くて思考能力が無くなる。」そして良くウソをつく。口癖は、俺が「ゆの郷」の客の内で一番頭が良い客だ。後に将棋に負けた腹いせに、相手の客を殺してしまい、逮捕される。内籐・(婦女暴行・拉致監禁で逮捕される。東証一部上場企業の元社員) アルカイダ(Sの元鞄持ち。アルカイダと共に、9・11テロを起こす。 テロの主犯格。) ドラエモン・(アルカイダの知人。 アルカイダを騙して9・11テロを起こす。 テロの主犯格。ニュース・ステーションの報道に依ると、テロを成功させた褒美として、「ゆの郷」系列の龍車に、フィリピン人を、従業員として、使って貰った。昔は岩槻市内で、スナックを開業していた。)屁コキ・メス・ガッパ(頭の弱い女性信者。殺人事件に関与か。)池田社長・(「ゆの郷」の社長。上佑より古株のオウム信者。ニュース・ステーションの報道に依ると、本当は統一教会の信者。日本ではオウム真理教。韓国では、統一教会と呼んでいる。オウムの拠点は、本当は東大宮という事になる。そして「ゆの郷」に来た、プリティーガールのメンバーを、他の常連客と共謀して誘拐。監禁暴行して、逮捕される。それ以降、「ゆの郷」に歌手が、あまり来なくなり、一ヶ月単位で芝居の興行を行うようになる。
(16-4)
山梨の仕事の途中で、自宅に帰って来たら、隣に人が住んでいた。家の横には、三菱製の四駆車が止まっている。西所沢に捜索が入った時に、スポーツ新聞で、西所沢のアジトの傍に長い間、止めっぱなしの車があったが、捜索後に車の行方が判らなくなった。菊池が乗っている車ではないかと言われた、車と同じだ。西所沢の時と同じ様に、全然動かない。車の下には木の切り株が有る。この切り株の上に大きな貝殻を、置いておく事にした。割れなかったら、全然動いていない事になる。 一月の間、様子を見る事にする。菊池が住んで居るとしたら、狙いは私の命だ。家と家とは、2メートル位しか離れていない。おそらくサリンを持っている。そう思ったので、持っているか、いないか、実験をして調べて見る事にする。方法は簡単、私の部屋の窓を全開にする。相手がサリンを撒けば、私の体調が悪くなる。そして実験の結果は、家で寝ると異常に疲れる。この事から、サリンは有ると確信した。さて車の下の貝殻だが、一ヶ月経っても割れていない。その頃に週刊現代で、菊池直子の事が書かれた記事を読む。記事の内容は、今住んでいる場所が16号線沿いで、近くに菊池直子の事を知っている人物がいる為、外に出られない。この様な内容です。菊池直子は隣に住んでいる。そして週間現代を持って岩槻署に行く。岩槻署には昔、一億円を拾って届けた事がある。刑事にその事を言うと、簡単に信じてくれた。そして菊池・平田・高橋の事を話す。この日は「ゆの郷」に泊まり翌日、家に帰ると菊池の車が無くなっている。車が無いという事は、菊池が逃亡したという事だ。何故ばれたのだろうか。そう考えている内に「屁コキメスガッパ」の事が頭の中に浮かんだ。あれだけ恥ずかしげも無くオナラが出来るのは、回りにオナラばかりしている人が、いるのではないか。私の頭の中に「屁コキゴリラ」と「屁オコイタ」の事が浮かんだ。奴等がオウムに入信したのだな。それなら「屁コキメスガッパ」はオウム信者という事になる。それならば「ゆの郷」で、この女の回りにいる連中が、オウム信者と言う事になる。よく「かずちゃん」と呼ばれている女の傍にいる。「かずちゃん」は良く「カメラマン」の傍にいる。しばらく「ゆの郷」を観察して、誰がオウム信者か調べた後、「カメラマン」に、私が「かずちゃん」はオウム信者だよと言うと、絶句していた。その態度で「カメラマン」が「かずちゃん」に菊池達の事を洩らしたと思った。