アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第3章 レムリアとアトランティス ④エジプト文明の起源

2009-11-07 15:55:14 | 第3章 レムリアとアトランティス
④ エジプト文明の起源
エジプト文明は謎に満ち満ちている。ピラミッドは、本当に5,000年も昔、エンジンやモーター等の動力源が無かった時代に当時の人々の労働力のみで造られたのだろうか。更に、スフィンクスに至っては、ピラミッドの造られた遥か昔、まだ気候が温暖で雨にも恵まれ、辺りが樹木に覆われていた時代(一説には1万年前とも云われている)に造られたとの説もあったように記憶している。そこで、次のような仮説は成り立たないであろうか? 
仮説(イ)エジプト文明は、アトランティスの文明で、洪水による破壊を免れたピラミッドなどの建造物とその周辺に居住していたアトランティスの人々によるものである。
仮説(ロ) アトランティスの人々の内、生き残って当時の技術や知識を引き継いだ者たちが、エジプトの地にアトランティスの文明を再興したものである。
即ち、エジプトのピラミッド建造に見られるような技術や文化が、数千年以前の人類が独自で開発したものとは筆者には到底思えない。エジプト文明が5,000年前に始まったのであれば、前述したシュメール文化の影響も考えられなくもないが、仮にスフィンクスが1万年以前に造られたとしたらシュメールの影響とは考え難い。そこには全て失われたと思われているアトランティスの文明や技術が、何らかの形で引き継がれていると思わざるを得ないのである。
簡単ではあるが、以下はその仮説の裏付けとなりそうなゲリー・ボーネル氏の著作Hからの引用である。
「レムリアからアトランティスを経由した叡智の道の教えは、トトによりかなりの部分がエジプトのアモンの神官たちのグループの前身に伝えられました。おおよそ紀元前1万5百年のことです。エジプトの神官クラスはファラオの家系の人たちとともに、トトによって叡智の道のイニシエーションを受けました。エジプトにとってのトトは・・・叡智の道を伝える者でした。」
少々古いが、より確かな文献に基づいたアトランティスに就いての話としては、古代の哲学者、プラトンがその著作『クリティアス』のなかで、アテネの政治家であるソロンがエジプトの神官から聞いた話として紹介している。大意は、昔ジブラルタル海峡の更に西にアトランティスという国があり、エジプトより西のリビア全域とテュレニアに至るまでのヨーロッパを支配していたが、1万年ほど前に地震と大洪水によって一夜にして海中に没したというものである。
塩野七生氏の『ローマ人の物語』によれば、昔アレキサンドリアにはムセイオンという世界一の図書館があり、そこには多くの書物が集められていた。そして学者或いは学問を志す若者たちがそこに集まって勉強していたと言われている。一方プラトンによれば、このアトランティスに関するエジプト人神官の話は、書物に基づいたものであったとされている。従ってその当時、仮にアトランティスに関する文献が残っていたものとすれば、その書物はムセイオンに保管されていたと推定されるのであるが、その数百年後シーザーがポンペイウスを追ってアレキサンドリアにローマの軍隊を引き連れて入城した際、反クレオパトラの勢力との間で戦争が起こり、残念ながらムセイオンはその戦火の中で多くの大切な書物と共に消失してしまったとされている。従って証明することは出来ないものの、アトランティスに関わる知識の多くは当時エジプトのムセイオンに保管されており、スフィンクスやピラミッドの建造にもアトランティスの技術が使われたという推測は十分に成り立つと思う。
ゲリー・ボーネル氏風に語れば、2万6千年前にレムリアが自然災害によって滅びるときアトランティスの人々とその叡智を分かち合った如く、1万3千年前にアトランティスが滅びるとき、その叡智を分かち合ったのがエジプトの人々であったと云うことになる。

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