フランスのテロが起こった時、必死になってニュースを
聴いて色々と書いたりしていたら、「こんな時に
語学力があるっていいね」と言われたことがある。
語学というのは武器だと思う。武器、というのは
よく言われるように就職に役立つ、履歴書に書けるという意味よりも
自分を武装してどこかに向かわなきゃいけない時に
本当に武器になってくれるもの。最近強くそう思う。
フランスのテロが起こった時、私は日本の報道の仕方に
随分とショックを受けた。どうしてこんなに
情報が遅いんだろう?どうして正確とは言えない情報が
大手テレビ局のニュースでさらりと流れてしまうんだろう?
それはひとえに語学の問題ではなかったのか と最近
イギリスに関するニュースを読むたびに思う。
英語は相当なレベルの人たちが日本にも数多くいて、
おそらくジャーナリズムの現場にもきちんと存在しているのだろう。
だから英語圏からニュースが入れば、それはわりと早く
翻訳されて、さっとニュースになりやすい。
だから日経に書かれたイギリスのニュースはなるほど、と
思わせるものも多くあり、情報源が英語だと
こんなにしっかりしするのかと関心してしまう。
ところが英語以外の言語になると、一般的には
それが英語になったものを日本語に翻訳しようとするから
時間がかかり、伝聞している間に湾曲されてしまうことがあるのだろう。
確か昨年のことだったと。私がフランスに行った時、
立て続けにバイリンガルの友人に会い、彼らは
鬼のような形相をして私に言った。
「息子をバイリンガルにしなさいよ!」
私には何で彼らがいきなりそう言ったのか よくわからず、
そうはいっても日本ではそれは大変だ・・・お金もかかるし、とつい
言い訳がましい言葉を吐いた。でも普段は優しい彼らが
なぜ私に怒るように我が子をバイリンガルにせよ!
それが親の務めである・・・というような口調で言ったのか
しかも別々の日に立て続けに起こったのか、
私は不思議に思っていた。あれはもしかして神様が
彼らに乗りうつり、何かを伝えようとしたのだろうか?
それくらい不思議な出来事だった。
そのうちの一人でいつも国際的な交流会を開催しており
あのカフ・ド・フロールで哲学カフェを開催している友人が言った。
「1言語は最悪、2言語でまし、3言語でまあよいだろう」
1言語は最悪か・・・当時の私にはわからなかった。
そしてしぶしぶ、言われたからちょっとはやらないとまずいよな、と
息子にフランス語で話しかけたり教えてみたり、虚しい
努力を続けていた。そのあとに11月のテロが起こって
「1言語は最悪」に納得がいく。
結局1つの言語では、見えるのものが限られている。
特に私たちのようにに島国に住み、自分たちしか
使わない言語で暮らし、それだけで情報をとろうとすると、
どうしても情報が限られ、偏りが出てきてしまう。
多少なりとも翻訳に関わる者としてわかるのは、
全文の翻訳がいかに大変かということだ。よく訳者あとがきに
書いてある「思った以上に翻訳に時間がかかり、出版が
遅れたことをお詫び申し上げます・・・」の気持ち、たった1冊の
本とはいっても、1年以上翻訳にかかることもある。
だからこそ、海外のニュースや出来事は基本的には要約された
形で日本に入り、これだけははずせないという点が翻訳される。
一方で向こうのネイティブの人たちはその背景となる情報も
しっかり母国語で把握し、理解しているわけで、そういうことの
積み重ね で 私たちがようやく「語学力」を手に入れた時、
外国人と社会について話したくても、言われたこと自体を
知らない、その背景すらわからない、そして結局
お話にならない という悲しい事態が生まれてしまう。
私は口を酸っぱくして自分の生徒さんに言う。
「フランス語で書かれた文章を理解するには
語学力と、文脈を理解すること、その2つが大切です!」
語学力があったって、ワイン用語やワインの世界を知らなければ
なんのことやらわからない。でも背景を知っているなら、
語学力が低くても大抵はイメージできる。
だからこそその両方が必要なわけだけど。
文脈を理解していくためには(専門知識だけでいいならともかく)
世界で何が起こっているか、それなりにずっと追っていないと
「あれは?」「これは?」「それについては?」
と言われた時に、ひたすら黙ることになってしまう。
世界ではたくさんの問題や事件が起こり、
からまりあって動いている。世界を理解するために
日本語だけでは情報が遅く、情報量が限られている。
だからこそ、私たちに語学は必要で、特に情報を伝える側の
人間にはかなり高度な語学力が必要とされていると思う。
通訳や翻訳なんか通さなくても、1度聞いたらだいたいの意味は取れる。
そしてより突っ込むために、自分の言葉でそれを質問できる。
そして理解したことを、わかりやすい日本語で市民に伝えていく。
ジャーナリズムにおいてこれは欠かせない点だと思う。
私はひたすらフランス語に浸っていたけれど、
イギリスのEU離脱についてもっと知りたいと思った時に
これではまずいと気がついた。フランスにはフランスの態度があり、
アメリカやイギリスにはまた違ったジャーナリズムの態度がある。
フランスはイギリスの離脱についてはわりとそっけなく冷淡で、
必死になって追うよりも、まさに今開催されいているサッカーの
ユーロ2016が大切だ。これではわからん、と思ったので
必死になってBBCを聞き、英語のニュースを読むことにした。
そのときなるほど、「2言語でまし(フランス語があっただけでもかなり
助かった)3言語で良し」というのはそういうことかと
納得できた。私にフランス語しかなかったら、Brexitを理解するのは
至難の技で、特にその後何が起こるかを考えるのは難しい。
英語を勉強していてよかった、そしてもっと本気で
やっていかねばと思わされた瞬間だった。
世界には沢山のニュースが流れている。
どの国の新聞でもトップになるニュースもあれば、
そうでないものや論考もある。
その国の新聞や雑誌に載っているだけでも
すでに編集部の指向はあるだろうけど、世界に山ほどの論考がある中で
1つだけを日本語に翻訳して抽出するなら、その指向性はもっと強いかもしれない。
自分の頭で世界をもっと理解するには、やっぱり語学が必要だ。
広い視野を持っていくこと、色んな意見を検討すること、
そしてできれば誰かとそれを議論し、より一層深めていくこと。
私にバイリンガルの忠告をした二人はまさにそんな世界で
ずっと生きてきて、今でもパリで英語とフランス語で暮らしている。
何かを言いたくても言葉につまり、心底悔しかった留学時代。
あれから相当な年月が経ったけど、なんとか私も語学力と
文脈力と、それからしっかり表現できる力を手に入れて、
そんな世界で自分の意見を語りたい。
※4年前のBrexitが決まったころに書いた文章です。