KOBE Diary

神戸から、愛する人たちへ。

愛する神戸より

2007-03-16 | Weblog
ずいぶん長い間、東京にいた。帰ってきた神戸は、けれども何と寒空の広がる風景だったことだろうか。そこには18年間のブランクがあった。震災は東京の自宅で知った。すぐに駆けつけた神戸の街は、まるで空襲の跡のようだった。
神戸は復興したという。だが、いったい神戸の何が復興したのか。長田には真新しい住宅が展示場のように立ち並び、そして人影はない。三宮は東京ブランドが押し寄せ、ファッション都市の面影は消えた。異人館の坂を上る人々はまばらになり、ビルたちは白い肌を冬空に煙らせるばかりだ。
だがそれでも人々は生きている。ぼくもここで生きる決心をした。
神戸を愛している。だから。

崎山昌廣氏は『神戸学』のエピローグで語る。
「グローバル化、情報化とともに成熟社会化が進む21世紀における大都市間競争は文化的土壌が厚いか薄いかで決まるという。それはバブル期などに流行した大文化ホールなどのハコ物づくりではない。ハードよりソフト。文化を大事にし、文化の香りと温もりに包まれたいわゆる〝知域社会〟として大都市にしていくことだ。知的、文化的魅力に満ち溢れた雰囲気が人々を惹きつけ、賑わいを生み出す内外に幾多の成功例がある。風格と活力を併せ持つ国際文化・港湾都市を、神戸は目指していく必要に迫られている」

氏の語るとおりだと、ぼくも思う。

危機感は、現実化している。神戸は知らぬ間に没落への坂を歩みはじめている。
けれども、本当に危機意識を持って戦っているリーダーたちが、いったいどれほどいるというのだろうか。
文化力は低下し、かつては文人たちの憧れだった「進取の気風」は、どこかに消え果てたように見える。
アートも音楽も、活躍する人々には申し訳ないが、その力がない。
「神戸のホスピタリティが低下している」という、神戸以外の人々からのメッセージを知っている人は少ない。
デザイン業界が神戸では生きられない現実は、そのまま美的アイデンティティの喪失を映し出している。
在神戸外国人の数は確実に減少し、国際都市の風貌は揺らめく蜃気楼の向こうに消えはじめている。

神戸を愛するという人よ、どうかもっと血眼に愛してくれ、とぼくはいいたい。
世界を知り、神戸の現在に地位と位置を知り、何が必要で、何をしなければならないかを考えてほしい。
ぼくも、そうする。
同じ想いの人々が、きっとこの神戸にいるはずだ。
この手紙は、だから、神戸を愛するすべての人々に届けたいと思う。


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