聖武天皇の命により行基によって757年に建立された国分寺・・・
建立当時、境内には、七重塔があったようだが・・・失火や兵火により江戸時代後期に三重塔となったようだ・・・
、
なお、表門から入って行くと・・・まず、目に付くのが右手にある三重塔・・・
そして左手正面には、樹齢1,250年以上と言われる大イチョウの大木があり・・・本堂が小さく見える・・・
(写真は、表門と三重塔・・・)
(写真は、本堂と本堂内・・・)
(写真は、大師堂と大イチョウ・・・
(写真は、今はなき七重塔の礎石・・・)
また、この国分寺は、高山市では最古の建物となっており・・・飛騨三十三観音霊場の第一番札所に・・・
中部四十九薬師霊場第41番札所となっているようだ・・・
(写真は陣屋・・・)
その後、高山陣屋に行ったのだが・・・
ここは、当時の飛騨高山藩の藩主の金森氏が国替えとなると・・・この地は、江戸幕府の直轄地に・・・
それによって出来たのが陣屋・・・所謂、代官所である・・・
まぁ~メタボオヤジは、大岡越前や鬼平犯科帳などのテレビにて建物の状況は理解していたので・・・
見学はしないで・・・写真だけ撮って退散を・・・
建立当時、境内には、七重塔があったようだが・・・失火や兵火により江戸時代後期に三重塔となったようだ・・・
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なお、表門から入って行くと・・・まず、目に付くのが右手にある三重塔・・・
そして左手正面には、樹齢1,250年以上と言われる大イチョウの大木があり・・・本堂が小さく見える・・・
(写真は、表門と三重塔・・・)
(写真は、本堂と本堂内・・・)
(写真は、大師堂と大イチョウ・・・
(写真は、今はなき七重塔の礎石・・・)
また、この国分寺は、高山市では最古の建物となっており・・・飛騨三十三観音霊場の第一番札所に・・・
中部四十九薬師霊場第41番札所となっているようだ・・・
(写真は陣屋・・・)
その後、高山陣屋に行ったのだが・・・
ここは、当時の飛騨高山藩の藩主の金森氏が国替えとなると・・・この地は、江戸幕府の直轄地に・・・
それによって出来たのが陣屋・・・所謂、代官所である・・・
まぁ~メタボオヤジは、大岡越前や鬼平犯科帳などのテレビにて建物の状況は理解していたので・・・
見学はしないで・・・写真だけ撮って退散を・・・
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