Are you Wimpy?

次々と心に浮かぶ景色と音。
そこからは絶対に逃げられないんだ。

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巡り逢いの妙巡り逢いの妙③ 「同期」=synchronizationの不思議

2020年12月23日 | 日記
 とかく最近の端末というヤツには「同期」というシステムが搭載されていて、最初は何のこっちゃ分からずに余り活用しようと思ったことはなかったのだが、最近ではスマホで撮影した写真や動画がドンドンとグーグルのサーバーに自動的に転送されるようになって、いちいちスマホのSDというのを抜いてPCに接続する必要性がなくなって非常に便利なことに気付いた。このシステムは実に快適。特に動画に関しては私が利用するアンドロイドのスマホとウィンドウズの相性が悪く、ムービーメーカーで編集しようとすると不具合が起きて諦めていたところだったのだが、この「同期」とやらで転送された動画ファイルは同様に編集しても何の問題なく使用できるので、何よりそれが1番助かっているところだ。
 いや,今回、この「同期」という話題を持ち出したのには別にその便利さを伝えたかったからではなくて、これを英語に直すと“synchronization”というらしく、その響きに幾つか思い出す事があったからだ。

 かつて、カタカナの「シンクロナイゼーション」という単語は、もう少しミステリアスな意味で使用されていた。有名な事例で言うと「タイタンの遭難まはた愚行」という小説がある。ご周知の通り、この小説はタイタニック号が沈没する14年も前に書かれたもので、その内容がタイタニック号の沈没を予言したかの様な類似点がいくつかあるということで有名。こうした「偶然の一致」というのを同様に「シンクロナイゼーション」と呼んで持て囃した時代もあったのだ。これはもしかするとノストラダムスや聖書の黙示録にも通ずる部分があるかもしれないが、そんな事はもうどうでも良い。
 私が伝えたいのは、私自身が人生の中で摩訶不思議な経験をしたことがあって、それが正にこのシンクロナイゼーションだったんじゃないかと信じている事象のことなのである。1度目は私が中学生の時、もう1度は私が英国に留学している時に起きた。

 私が中学3年生の時分、小学生の頃から理恵という女子が気になっていて、当時私は中2の時のある騒動が切掛けで“女性不信”に陥っていたものの、思春期の恋心は強烈に私のことを支配して、受験勉強どころではなくなっていた。ある日、彼女のことが頭から離れなくて何も手に付かなくなった私は、軽い気持ちで気晴らしに近所にジョギングにでかけた。30分ほど走って小休止の為立ち止まって呼吸を整えていると、人気のない通りの向こうから同じ様にジョギングをしながら彼女が近付いてきたのだ。同じクラスになった事もないからいきなり話しかけるわけにもいかず、その時はそのままやり過ごしたのだが、「こんな風に不思議なことがあるものだな」と爽やかな気持ちで帰宅して、以来受験勉強に身が入った。話もしたことのない彼女が私と同じ私立高校を希望していて、入学後同じクラスになって仲良くなったのは、それから数ヶ月後のことだった。


 私は大学卒業後英国に留学していた。3ヶ月ほど経って、友人の勧めもあって地元のコミュニティカレッジに入学して資格コースで知り合った日本人の女性の名前は思い出せないが、発音が綺麗でとても情熱的な姿勢で語学に勤しんでいて、とても好感を抱いた。同じ日本人同士の私にも敢えて英語で話しかけてきてくれて、2人きりのときにも日本語で話したことが全くなかった。彼女を誘ってブランズウィックというパブで飲んでいる時に、友人のベンとマシューが連れてきたエリオットという青年が彼女のことを大層気に入ってつきあい始めた。それから間もなく資格コースも終了して私と彼女も会うことがなくなったから、しばらくの間は疎遠になってしまっていた。
 2ヶ月程経って、何となく彼女のことを思い出して、やはり軽い気持ちで書いたグリーティングカードを住んでいたフラット前の通りのポストに投函して部屋に戻ってきた途端、玄関の壁に設置していた電話がけたたましく鳴った。余りにもタイミングが重なったので少々戸惑いつつ、その一方で「まさか彼女じゃあるまいな」なんて想像しながら受話器を取って、日本語で話しかけてきた懐かしい声に心がときめいたものである。エリオットとは上手くいっているとのことだったが、どうやら日本語が話したくなって電話をしてきた様だ。私も実は同じ様な心持ちでカードを送ったところだと話すと相手も大層驚いていた。その時、彼女とは初めて日本語で10分ほど近況を交換し合って電話を切った。本当は会って話をしたいとも思ったが、お互いにエリオットに気を遣っていたのかもしれない。

 私達はお互いにケーブルで繋がっているわけではない。かつては「PCのキーボードとモニターの様に以心伝心は難しい」などと喩えたものだが、ワイヤレスが当たり前の現在においてはそれは良い喩えではなくなった。もしかしたら機械と同様に波長さえ合えばコンタクトが取れるのか・・・と最近は考える様になった。
 グーグルのフォトというソフトを利用する度に、ふとそんなことを思うこの頃なのである。


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