(5)生まれ変わり
2011年6月26日 日曜日
思いがけず目を覚ました私は, 深い寝息を湛えている次男の無防備な寝顔の向こうに据えられた置き時計に何気なく目をやった。その週末に5歳の誕生日を迎えようとしている次男を寝かしつけていて,どうやらいつの間にか自分も一緒に眠ってしまった様だ。午前2時丁度から数秒だけしか先回りしていないところだと知って、私は嫌な胸騒ぎを覚え、物音を立てないように気をつけながら,ももたろうが寝ている玄関へと急いだ。
齢十二歳となる老犬のももたろうは近頃容態が芳しくなく,いつ粗相をしても良い様にと私の書斎に設置された特性の小屋ではなく、玄関の地べたに寝かされていた。ももたろうもひんやりとした場所が気持ち良さそうだったし,かまちを上がる体力も残っていなかったから,数日前からそこに寝かせるようにしていた。
毎年必ず受けさせている予防接種を兼ねた定期検診で「悪性腫瘍」を獣医が見つけたのは4月初頭だった。3月に12歳の誕生日を家族で祝ってもらったばかりのももたろうは、人間で言えば80歳以上。手術を受けさせて延命することも可能だったが、獣医師はそれを勧めはしなかった。
「痛い思いをさせるより、短くとも残された日を一緒に過ごしてあげた方がいいでしょう」
折しも東日本大震災が未曾有の災害をもたらした年であった。水道や電気が止まってしまった我が家から何の影響も残らなかった妻の実家に妻子が避難して過ごしている間も、ももたろうと私はリビングに灯油ストーブを1台置いて、以前妻が身ごもって実家に帰っていた時以来の“親子”水入らずの時間を楽しんでいた。地震から1ヶ月程はそんな風に過ごしていたから、病気のことを知らされた時、私は余計に打ちのめされる思いだった。
それでも、ももたろうが元気に走り回ったり食欲も旺盛な様子に、「病気というのは間違いなのかもしれない」という一筋の希望を抱いて祈るような毎日を送っていたのだが、六月の初め頃には白内障が急激に進み足取りも覚束なくなり始め,亡くなる数日前にはとうとう歩くことも食べることも出来なくなって,みるみる弱っていく愛犬の姿を見るのが悲しくてたまらなかった。
その場所に寝る様になってからは,ももたろうは私が近づくのに気付いても耳だけを動かすくらいで起き上がることはなかったが、その日は耳すらも微動だに動かさない様子に恐る恐る腰を下ろして首元を撫でてやると反応が全くなく、私の不安はいよいよ現実の物となった。私は呼吸ができなくなるような苦しい気持ちを必死で抑えながら「どうした,ももたろう」と声を掛けて、すっかり軽くなった愛犬の身体を抱き締めた。身体にはまだ温もりが残ってはいたが,ももたろうは力なくぐにゃりと曲がったまま、いつもの様に抱き返してくれることはなかった。そして、そのいつもと変わらない体温と匂いに、ももたろうが正に亡くなった直後なのだと悟って,きっと別れを言う為に私を起こしてくれたのだと確信した。しかも、その頃は早朝から深夜まで働き休日すらない様な日々を送っていた私にとって、久し振りの休暇の未明に息を引き取るなんて・・・、ももたろうがその日を選んだのだとさえ思えて胸が熱くなった。
「いい子だったな、本当にいい子だった。ありがとうな」
私はももたろうのお気に入りだった座布団の上に姿勢を整えて寝せてあげ,いつでも運び出せる様に予め準備しておいたケースの中に収めてから、しばらく身体を撫でてやりながら夜明けまで別れを惜しんで過ごした。
余命宣告を受けた段階で,ペット火葬専門の業者に声を掛けておいたので,翌朝にはももたろうを荼毘に付すことができた。人間さながらに遺骨を壺に納める儀式も行って,あんなに大きくて頑丈だったももたろうは小さな白磁の壺に納められて金色を基調とした綺麗な骨袋に入った状態で私の手に戻された。
ももたろうが真っ白な骨だけになって火葬炉から出された瞬間,一緒に来ていた長男が全身を震わせながら大声を上げながら泣き始め,その号泣は帰宅してからもしばらく止むことがなかった。昼前にはひととおり必要な事を済ませ,家族でももたろうの身の回りを片付けるなどして喪に服した後, 夕方になってようやく落ち着いた長男を宥めながら,未だにももたろうの死を理解していない様子の幼い次男も連れて,いつもの散歩コースをももたろうの首輪を持って歩くことにした。
近所に比較的大きな運動公園があって,夜明け前と私が帰宅した深夜の誰もいない時間帯,リードを外して思い切りグルグルと何週も疾走するのをももたろうは楽しみにしていた。散歩に向かうももたろうは本当にうれしそうに私の顔を幾度となく見上げたものだった。
そんなことを思い出して胸が詰まるような感覚を抑えながら黙って歩いていると,公園の入り口の石畳の上で一匹の猫がこちらをじっと見据えているのが見えた。下の子は喜んでその猫に走り寄ったが,私同様に猫の毛で喘息発作や皮膚アレルギーを起こしたことのある息子を呼び止めようとした瞬間,走り出した次男を避ける様に,その猫はくるりと向きを変えて公園の方へゆっくりと歩いて行ってしまった。息子は諦めずに何度か近寄ろうとしたが,その度に猫は私たちより10mくらい離れた所へさっと身を移して,最初と同じ様にこちらを向いて座って近付いて行く私達の様子を見ていた。「びっくりしちゃったんだよ」という私の一言に,今度は次男も私たちと一緒にゆっくりと慎重に近づいて行ったのだが,やはりあと数歩という所で猫は私たちから離れて行ってしまう。そんな事を繰り返している内に私は猫の不思議な様子に気づいた。長男も私と同じ事を想像しているということが,猫の方を真剣に見据える表情から見て取れた。猫はその後もずっと私たちの10mくらい先を,まるでももたろうの散歩コースを知っていて案内する様に何度もこちらを振り返りながら,私達を先導した。
そうしてとうとう自宅の前まで来たときに,我慢できなくなった長男が「ももちゃんだよ!ももちゃんが帰ってきたんだ」と泣き叫びながら私にしがみ付いた。
先に自宅の玄関に辿り着いた猫は,今度は私たちが部屋に入るのを見届ける様にドアの真ん前で静かに座ってじっとしていた。私たちがアレルギーを恐れて頭を軽く撫でてやるしかできないのも受け入れつつ,まるで禁じられたかの如く家に入ろうとする素振りは一切見せずに,ただそこに座って目を閉じて満足気にしていた。子供たちが何度か「おいで」とも声を掛けたが,猫は目を瞑ったまま佇んでいるのだった。
私は再び泣きじゃくる長男の背中をさすりながら「きっとお別れを言いにきたんだね」と言ってあげるのが精一杯だった。「じゃあね」と言いながらドアを閉める時も猫は置物みたいにじっとしていた。
長男はベッドに飛び込んでしばらく泣いていたが,私はそれを慰めることも忘れて遠い昔のことを思い出していた。めくるめく思い出の錯綜の中で,もしかしたら私たちが猫の墓標に近いこの家に住むことになったのも偶然ではなかったのではないだろうかという思いが溢れてきた。突然、ももたろうの優しく,それでいて物憂げだった様子が,私が殺してしまった白猫や私達父子を先導した猫と激しく重なった。そういえば、あの猫の模様が白猫とももたろうの体毛を足して割ったような柄であったことさえ不可思議な事の様に思えて、気付くと私は玄関を飛び出して日暮れの空の下に猫の姿を必死で探しているのだった。
ほんの数分前まで玄関に佇んでいた猫はいつの間にか姿を消していた。そして二度と私達の前に現れることはなかった。