kira kiraな☆しあわせ ~多発性海綿状血管奇形・心因性非てんかん性発作(PNES)と共に~

病気があるからこそ今いる私。楽しいことも悲しいことも、すべてがkira kiraの思い出になると信じて‥☆

入院日記 その1

2006-02-27 23:15:27 | 病気と障害と私の生活
~入院1日目~

なんか身体が左に傾く気がする・・。

でもとりあえず1週間は放っておこう。
大体、風邪とかなんでも1週間もすれば自然治癒力で治ってしまうと思ってるし、
今までもこういうこと何度もあったけど、いつの間にか治ってるし。

そう思い続けて、2週間・・1ヶ月経ってしまった
さすがに1ヶ月経っても治らなかったら、病院行こうと決めてたのもあったけど。
気持ちが限界だった。
「なんでこんなに身体がおかしいことになってるの!?」
って思うのと、
「気のせいかもしれない。気にするから気になるだけだ、きっと!!」
と思うのが、毎日ごちゃごちゃ頭の中をめぐっていて嫌だった。
もし病院に行っても、気のせいだったらバカみたい・・とか考えてなかなか行けなかったのもある。
けど、いい加減ぐちゃぐちゃな気持ちから解放されたかった。

結局、1ヶ月経ったところで、それでも家を出たときは「学校に行くか、病院に行くか??」をまだ迷っていたけど、友だちから「すっきりした方がいいんじゃない?」というような内容のメールをもらい、電車を乗り換える直前に、大学のある方面ではなく病院に行く方へ足を進めました。


病院は、予約してないからかなり待って・・。
そのうちにまた、だんだんどうでも良くなってきたけど、この日初めて会ったお医者さんは、とても声が「谷原章介!!」な先生でした
(私にはそう聞こえる・・笑)
「はじめまして」のシチュエーションはとても苦手なので、すごく緊張しました。
何を言いたいか自分でもよく分からないし、緊張で言いたいことを忘れちゃう
なのに、よく話を聴いてくれるなぁ って印象の先生。
ひとこと言えば、そこからどんどん質問してきてくれて、「聴いてくれてる」から話しやすかった

そして、出血を疑われてCTを撮ることに。
かなり、よたよたフラフラしてたのでクラークのお姉さんが車椅子で検査室まで連れて行ってくれました。

でも、CTで出血が認められず・・
「だけど、歩き方は病的な歩き方してるし、リハビリが必要」と言われ、MRIの後で入院するかどうか考えることになった。

MRIは混みこみで、検査待ちの間にどんどん日が暮れて、終わって戻ったときにはすっかり夜でした。
もう外来の待合には誰もいない。
結局、検査とリハビリのために入院することに。

病院から近い会社に勤める父を呼び出し、(こんな時代に携帯を所持していなかったので、私も父のパソコンメールしか分からなかったから・・病院→自宅→会社という面倒な連絡法で)
父が来るまでの間、診察室のベッドでうとうと・・
ステキな声の先生は、過去の情報を見つつ、何か聞いてきたり、させたり、私のつぶやく言葉も漏らさず聴きつつ、頭を抱えている様子でした。こんなに症状が強いのに、画像に決定的なものが表れていない。何で?と・・。
「診て欲しい患者さんがいる」と、今度はおしゃれメガネをかけた先生を呼んで来た。

この先生の印象は本当に、「あ、この人おしゃれ」っていうほか、いい印象じゃなかった。(今となればこんなに好きだけど。。)なんとなく、かかわりづらいと言うか・・初対面なのに、この人きっと私のこと嫌いだ、と思った。
被害妄想・・?


片足で立てば転びそうになり、目を閉じればすぐよろけ、まっすぐ歩こうとしてもどうしても左に傾く・・。
身体の軸が左にズレてしまったような感じ・・。
一体どうなっちゃったの!?
そう思ったけど、病院に来てお医者さんがいて、やっと今までの不安から解放される 助けてもらえる と思ったら、不思議とほっとしました

父が来て、原因をはっきりさせるためにも詳しく検査をして、リハビリをした方がいいという話をして、すぐ外来Nsと一緒に病棟へ上がりました。
こんな夜まで、私がいるから仕事終われないんだって思うと、本当に申し訳なかった。事務の方も遅くまで・・。
なのに、お礼を言う間もなかった。

病棟に上がり、私がまだ好きになれない先生から何かいろいろ話を聞いた気がするけど、内容は覚えてない。話が父に向かってる感じがして、父もひとりで聞いていて、それが気に入らなかった。
「私のことなんだけどっ!!」って、心の中でイライラの言葉を抑えた。

部屋に戻って、Nsとお話したり、感染症の検査(だと思う)をしたり、身体の動きを診てもらったり・・一通りのことがあって、レンタルしたパジャマに着替えてうだうだ。
Nsの質問の中に、
「病気のことを先生からどう聞いているか」とか、
「この入院のことをどう聞いているか」とか、
そういう質問があったけど、
自分で勝手に調べて推測な部分が多いような気がして・・
ちゃんと答えられないことに気づく。私は病気のことをよく知らない・・。
これじゃいけない!と思いました。


遠くから聞こえてくる機械の音と、同室のおばあちゃんの大声で眠れない!!
しかも、ベッドから離れるときはナースコール
ベッド降りて壁をつたえば3歩でトイレ。4歩でシャワーだったけど・・。
「先生の指示だから・・転ぶと危ないから呼んでね」と言われていた。
でもいちいち呼ぶの申し訳ないと思っていて、巡回に来てくれたときに「トイレ行きたい」って言うようにしてました・・。

「たいしたもの出来ないと思うけど、栄養課になんか作ってもらおうか?」
そんないい話を断ってしまったバカな私。
おなかがすいてさらに眠れない



~入院2日目~

あれも、これも・・とメールをし、母に必要なものを持ってきてもらう。
すぐに、私の生活空間が完成した
ロッカーには昨日着ていた洋服と、靴、バッグが納められ、棚にはタオルと着替え、シャンプー、CDなどをしまい、ベッドサイドテーブルには教科書とレポート用紙。
ゼミで読んでいる本と、テレビとベッドのリモコンを手の届くところに置き、ナースコールは頭上のライトにNsが結んでくれた。
いつもつけていた誕生石のついた指輪をストラップに通した携帯電話は、離せなかった・・。
いつもはあってもなくても一緒。というくらい、携帯に無頓着なのに。
入院している間は、メールでならいつでも友だちに会えた。家族と一緒に居られた
だから、こっそり(・・のつもりだっただけ)充電もしてたし、メールを打つボタンの「カチャカチャ」っていう音と、画面からもれる明かりだけ気をつけて、布団にもぐってメールをしていた。

もちろん、あの部屋に重要な機械がなかったし、それに、携帯を使う私と一番近い隣りの人のベッドまで1m以上ある。(それだけの問題じゃないかもしれないけど)そういうことを何も考えないで使っていたわけではありません。
携帯電話の使用、全面禁止!!なところもあるけど、それは使用する人自身のモラルの問題と言うか・・そういうところにあると思う。
 隣りに赤ちゃんがいて「タバコの煙良くないかな」と思えるように、病院で座ってるすぐ近くに人がいたら「ここは病院だから、どんな人がいるか分からないし携帯は良くないかな」と思って、なるべく広いところに移動して使うとか・・。
携帯の及ぼすものは目に見えにくいから、タバコよりも、その人自身に問われるところがさらに大きいのではないのかなぁ??と思う。


さっそく夕方、リハビリが始まりました
「行ってらっしゃぁい
その日の午後担当だった、紺色カーデNs(←私の印象)に見送られて出発。
必ず、リハビリ助手の方が送り迎えしてくれます。だから、いつまでたっても病棟からどころか部屋から一人で出られないし(迷子になりそうだから)、感覚を掴むまで、部屋から出るとどこの住民だったか分からない・・ 

PT(=理学療法(士))のお姉さんは、とてもステキなオーラを放っている方でした。苦手な「はじめまして」だったのに、一瞬で好きになった
「福祉の勉強をしてる」と言ったとき、「そういう視点で見ないでね」って言われたけど、こんな人になりたいと思うような、そんなお姉さん・・。
それは・・。
手をつないでもらって歩いたとき。2,3歩で思うように歩けなくなり、涙が溢れ出し止まらなくなりました。
こんな状態になっている自分がとても嫌だったし、
高校生の頃から、もしかしたらこういうことが起こるかもしれない・・って考えていたことが現実になってしまったことにも、悲しくなって・・。

PTのお姉さんは、ただ寄り添ってたくさん泣かせてくれました。
ティッシュをたくさん消費するくらい、いっぱい泣かせてくれた。
「お部屋にはほかの人もいて泣けないと思うから、ここに来て泣いていいよ」
と言って、「泣き場所」をくれました。
そう言ってもらえることは、とても気持ちをラクにしてもらえる。
つらいとか悲しいとか、苦しいという感情を出してもいい。さらにそれをちゃんと受けてくれるということだから。
この人は私を受けとめてくれる人・・ と思えました。
すごく心強かったです

泣いてこの日はリハビリおしまい・・
でも、「がんばろう☆」って気持ちになりました



~入院3日目~

病院の日曜日って、何もすることがなくてヒマ
テレビを観るか、ゼミで読んでた本を眺めるか・・。
院内のコンビニに行くとか、うろうろするにも、大した用じゃないのにナースコールするのは気が引けるし・・。
『ボディ・サイレント』を読みながら、ゼミのことを考える。
友だちがゼミで何を話したよとか、メールで報告してくれていたし、私がレポートを担当するところを来週使うとかも教えてもらっていたし、飲み会はどうする??というメールもくれたし、どこにいてもあのゼミの一員でいれる感じがしていて嬉しかった

本とテレビだけではもたなくて、持ってきてもらった勉強道具も活用
就職試験に備えてSPI対策に数的処理をせっせとやり、ゼミレポートを書き始めた。
・・と言っても、身体の軸がズレてる感じがするので、気づけばテーブルにのった左腕で身体を支えているみたいな姿勢になっていて、すぐ疲れてしまって30分も続かないし
読書も、程よい姿勢を保ち続けることが出来なくて、結局すぐ閉じてしまっていた。
どんな体勢でも長時間しっくりくるのは、音楽を聴くことでした
何かしたいけど姿勢が保てなくなって何も出来ないとき、眠れないときも、音楽に癒される



~入院4日目~

その日の予定というのは、前日にNsが伝えてくれて、当日の担当Nsと回診に来た先生からも伝えられました。
この日は脳波の検査があることは知っていたけど、突然知らない人がやって来たからびっくり 誰・・!??

「リハビリで良くなるようにしようね」と言ってくれて、とても気さくな感じのやさしい方リハ科の先生でした。 すぐに検査に呼ばれちゃったから、少ししか話せなくて残念。

小柄ですごくかわいらしぃNsが、検査に連れて行ってくれました。かなり久しぶりに受けた検査は、「こんな大変だったっけ!?」って感想。
しかも、髪を洗わなかったことを後悔して「昨日シャンプーしてないから汚い・・」って言ったら、検査技師さんに笑われた
だって、そういうの気になる

前の日にぐぅぐぅ寝てしまったのにまだ朝だから、そんな簡単には「うとうと・・」なんてできなくて 長かった50分 
 
「結果は主治医の先生から聞いてくださいね」と言われて、
はて? 私の主治医とは一体誰なんだろうか??
って、ナゾだった。
外来でいつも診てもらってる先生はいるけど、入院したときは「はじめまして」の先生だったし・・。




~入院5日目~

血管造影検査をするかどうか?という話が出ていた。
脳波は異常がなかったけど、それは薬が効いてるだけかもしれない。
原因解明には繋がらなかったし、もともとの血管奇形は合併症を起こすことが少なくないということで、それを調べるためと、ガンマナイフ治療を選択するにも必要なことだから・・。そう聞いて、
もしかしたら治療ができて、この身体の不調が良くなるかもしれないし・・とにかく検査をしてみないとわからないなら、少しでも自分にプラスになることなら、この検査を受けたい と思いました。

でも、私がそう言ったから「じゃあそうしましょう」というものではなくて。
私と家族の「同意書」が必要だった。私だけではダメ・・。
親は、そんなすぐには決められない、と。
局所麻酔で足の付け根のとこの血管をちょっと切ってカテーテルを入れる、
なんて簡単なものに聞こえないし、なにより、
「1%の可能性で起こるかもしれないこと」
それが引っかかっていた。
それが何なのかも、私はよく覚えてないくらい「たった」1%だったけど、親にとってはすごく重大なことだったようです。
造影剤のアレルギーの話だったか、カテーテルを入れるときに血栓が飛んで脳梗塞になる?とか何とか?だったか・・
 「そんなこと言ってたら何もできない!私のことなのに、1%の「かもしれない」危険だけを見て考えないで!1%でも私に利益があることなら何でもしたいよ」
そんなようなことを父に言ったと思います。

親の心、子知らず・・
でしょうね 親が当然のように子どもを心配するという気持ちはそのとき何も考えなかったから・・。
私の気持ちを、意見をいちばんに考えてほしいこれは私の問題だから。
そういうふうにしか考えられなかった。
だから、家族がどう思っていようがどうでもいい!!くらいに思っているところがあって、先生に「お父さん(お母さん)なんて言ってる?」って、家族の意見を聞かれるのがすごく嫌でした。
「なんで?私の話を聴いてくれればいいよ。どうしてそんなに家族の意見が大切なの
しばらくそんな気持ちが態度に表れていたと思います。自分で、すごく嫌な奴だなぁって思っていました。いっつも納得いかない顔して、だからって何か言うわけでもない。
そんな気持ちでいたので何か悲しくて、毎日シャワーに音を消して泣き、ベッドに潜って泣き、友だちにメールで相談していました。

そんな気持ちが続いていたせいか、その日の夜中に過呼吸を起こしました。
そうなるとパニックで、自分でどうにもできません・・。
都合よくペパーバッグがあるわけでもないし、かと言ってタオルで口をおさえようなんて考える余裕などなく・・。
「この人なら安心」と思える人が隣りで、気持ちが落ち着くように手伝ってくれることが、なによりも早くパニックの状態から解放される方法・・。
このときは、巡回に来たNsが助けてくれました。ベッドを起こし、ベッドに座って体を支えて「大丈夫」と、ずっとさすっていてくれた 
酸素を大量に取り込んで、二酸化炭素不足になったせいで手も足もしびれて、「全介助」の状態になってしまいました
ベッドから降りれない、トイレに行っても自力で座っていられない、着ている物も自分でどうにもできず・・
しばらくNsを独り占めしてしまった夜だった。

そこまでストレスフルになるほど・・
「自分で何が気に入らないのか、どこにイライラしているのかわからない・・」

けれど友だちに話していくうちに、「何かが嫌」なのは「先生が家族の意見を求めること」ではなくて、「家族と病気の自分との関係」に問題があることだと、わかっていきました。
 それまで、ずっと私は、病気のことは自分「だけ」の問題にしてきました。誰に言ってもどうにもならないことだし、家族は私の病気は面倒なことなんだな・・と感じていたから。だから、病気のことなんて知りたくもないって思ってるんだろうな・・って感じていました。
なので、今さら、病名も薬の副作用でどれだけ眠いかもわかろうとしてなかったのに、いきなり介入されるような感覚で、それが嫌だった。私は何年も一人で病気と向き合おうとしてきたのに。この何年もの空白は一瞬で縮められるわけがない。なのに、どうして急に病気の私の家族になれる??
そんな気持ちでいっぱいでした。

でも、病気の私をずっと支えてくれていたのは家族だし、入院して迷惑かけて、これからも私は病気なわけだし・・家族に助けてもらわなければ生きていけないと思う。
確かに病気なのは私だけど、それによって周りも巻き込む。入院して、日常から非日常の世界に変化したのは私だけで、みんなは日常を生きてることに変わりはない。けど、そんな人をも巻き込まなければいけないのだから・・。
家族にもちゃんと受け容れてもらわなければいけなかった。私一人だけの問題ではないんだと思うようになりました・・

やっと、病気の私と家族が向き合うチャンスがきた。
家族になれるチャンス・・。

こう思わせてくれるきっかけをくれた主治医の先生には本当に感謝です 好きじゃない!とか思っちゃって・・ホントにひどいな私。



~入院6日目~
 
朝は、6:30頃「おはよぉー」って、大爆睡なところに血圧を測りにNsが来てくれて・・その1時間後くらいに朝食が届くか、朝の薬を届けにNsが「起きたー??」って来てくれるので、それで起きていました そんなぐうたらな生活のせいなのか
「今日は、何月何日何曜日か教えて?」
そんな質問に「え~っと、え~っとぉ・・今日はぁ・・」ってなってしまったことに自分でびっくりした。それから、毎日今日がいつなのか意識するようになりました

朝の情報番組を観ながらごはんで、母とのメールは朝の日課になっていた。「また今日もいんげん・・」とか、そんなだけど。それから、その日の予定を聞いて、顔洗ったり髪を結わいたり・・。家でも朝することを一通りする。
そして、雑誌を見たり音楽を聴いてるうちに、朝の回診。と言っても、特に何をするでもなく・・あ、でもこれからどうするとか、そんな話はしたかな。で、検査がなければ本を読んだり勉強したりを、「とりあえず疲れ果てるまで!!」と、やっていました。

この日は、大学の友だちが遊びに(・・・?)来てくれるので、ゼミレポートを学校に届けてもらうチャンスだ と思い、どうしても仕上げておかなければ!とがんばった。
とにかく誰かと会話をすることがあまりなかったから、「何の勉強してるの??」って聞いてくれるだけでも嬉しかったけど、「社会福祉」と聞いて、誰もが「社会福祉士」「ソーシャルワーカー」と思ってくれたことが嬉しかった
紺色カーデNsは「病院の相談室にいるような、ワーカーさんになるんだ」と言ってくれて、「谷原」声の先生は「福祉士さんになるんだよねー」と言ってくれた。よく分かっている!!・・それは、病院のMSW(医療ソーシャルワーカー)がとてもがんばってるということなのかな??と思った。
だから、こんなに社会福祉士がメジャーなのかしら・・?
福祉=介護と思われがちなので、うれしかったです☆

友だちは、リハビリが終わる時間に合わせて、あんみつを持って遊びに来てくれました
時々食べに行くあんみつ屋さん 退院したらまた行こうね☆と
いつものように話していても、どんどん話は福祉の話になって、「障害者自立支援法」についてとか語り始める。どんなことでも真面目に語り合える、そんな友だちが大好き
友だちは一緒に夕飯も食べてくれて・・ すごくすごく、しあわせでした

当たり前のように毎日会っている友だちと会えないのは、とても寂しい。
会おうと思っても会えないから・・。来てくれて嬉しかったし、ありがたいなと思ったし、大切にしようと思いました


窓から東京タワーがキレイに見える談話室。あと1日遅かったら、とってもかわいいクリスマスデコレーションのお部屋になったのになぁ・・


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