カレー屋(EXA)

エキプロ5で遊ぶブログでした。もはやその名残りはほぼない。

10 years after

2022-09-13 21:55:00 | スポーツその他
カレーです。



今月はなんか、久しぶりに忙しい。
プロレスで。

“なんとなく観に行きたい”で観続ける体力(および経済力)がなくなってきたので、
“とても観に行きたい”興行を中心に観に行っている今日このごろなのですが、
それでも今月は15興行予定が入っております。

私がプロレス会場に足繁く通うようになったきっかけは、
お恥ずかしい話、
(仕事を中心とした)現実を見限る、
という、
どちらかといえば負の感情からでした。

でもそのマイナスを覆い尽くして余りあるほど、
リングの上は眩しかった。

それが今、
なくなっているわけでは決してなくて。
どちらかといえば、欲し続けなくて良くなった…
くらいに、
私は健康的な生活を取り戻しているんだろうと思われます。

その私のいわば健康を、
プロレスに特に強く支えていただいた(と勝手に思ってる)期間、
とりわけ熱心に通っていた(る)団体が、
この度、団体設立10周年を迎えます。

団体名は、プロレスリング我闘雲舞。

さくらえみ選手を代表に、
プロレスの息づいていなかったタイの地で産声を上げ、10年。

9.15新宿FACE大会で、10周年記念大会が開催となります。



我闘雲舞の歴史のうち個人的には一部分しか存じ上げないので、
“我闘雲舞とは”みたいなことを語るのは向いてない。
でも私がつらつらと書いてる感想文の半分くらいは我闘雲舞関連な気がしないでもないので、
まあ、知ってる範囲で言葉を並べます。

私が(知識として)存じ上げてる我闘雲舞の歴史は、
2012年、タイでの旗揚げから始まり、
りほ(のちに里歩に改名)、帯広さやかの合流と、
「ことり」のデビュー。

2013年には当時まだ新人だった遠藤哲哉選手が市ヶ谷に出入りしたり、
我闘雲舞の選手とともにDDTで試合してたりしたので、
1,2回たぶん会場で“我闘雲舞”の世界と遭遇しています。

2014年には我闘雲舞生え抜き1号(※「ことり」選手曰く自身は「生え抜き0号」)の
北沢ふきん選手がデビュー。

またこの年の後半、DDTを中心に行われた
「プロレスキャノンボール2014」でも、
酒呑童子チームの道中で大会を開催をしており、
私の我闘雲舞初観戦はこの大会でした。

2015年には旗揚げ3年にして初となる後楽園ホール大会を開催。
このとき私が観戦していた席の周辺に、
この後選手としてリングに上がることとなる紺乃美鶴選手がいたらしいことが
後々明らかになりました。

そしてまたその大会が大変面白かったため、
我闘雲舞のリングの大会で、
タイミング合うときについてはチラホラと足を運ぶようになったり。

さくらえみvs高橋奈七永っていうシングルを
板橋で観たのは大変インパクトありましたし、
あと、この年に初めて観た“ブリバト”(現在のSAKI&瑞希)のタッグの練度に
衝撃を受けたりして、観戦を通じて観に行くプロレスの幅が
より一層広がりました。

前述のとおり、2016年くらいから私は不安定になりました。

で、
“仕事場から遠くないところで、日夜魅力的カードが繰り広げられてる団体がある”
ということに…

それまでも気づいてはいたのですが、
二郎系ラーメンの店に入る入らないみたいな敷居を勝手に感じていて、
でも、そんなことがどうでも良く(なるくらい現実が嫌に)なって。

市ヶ谷チョコレート広場に、
頻りに通うようになりました。

で。

二度目となる後楽園ホール大会に強烈な個性を以てデビューした新人選手が、
アーサ米夏選手。

さらに同年10月には“戦う社会人”、紺乃美鶴選手がデビュー。

今の世代区分でいうところの、
“我闘雲舞第2世代”にあたる二人のレスラーの姿が、
私をなんというか、“これまでの生活”に戻れなくする、
大きな要因だったような気がしてます。

2017年には5周年記念大会を新宿FACEで開催。

この大会では現在の我闘雲舞を牽引する水森由菜選手が
デビューを予定していましたが、大会直前に腕を骨折。
っていうか、この大会が5年前なのが…
時の経つ早さにただただ焦ります。

現在チョコプロの“エース”たるバリヤン・アッキは、
この年の11月に来日し、ガンバレ☆プロレスで唐突に一試合戦うと、
その後は市ヶ谷チョコレート広場に定着。
アッキを見始めて、もう5年になるんですね…
(どんどん焦る)

そして、この年の末には“生え抜き0号”「ことり」選手がプロレスを卒業。

私はそれをキッカケに、カメラ沼にどっぷり浸かる。

2018年の我闘雲舞は、衝撃の第3世代が登場。

2月に水森由菜選手が待望のデビュー。
満を持してのデビュー戦の戦いぶりは実に破格で、衝撃的でした。

そしてさらに3ヶ月後、
“さくらえみ史上最短”デビューとなった
駿河メイ選手がまた、衝撃のデビュー。

たしか6月にデビュー3ヶ月の水森選手と
デビュー2週間くらいのメイ選手のシングルが組まれましたが、

“え、なにこの新人たち”

というとんでもない才気に恐れ慄いたのも記憶に新しいところです。

この年の10月、前年末から持病のため休業していたアーサ米夏選手が、
正式に卒業を発表。

実働1年半だったその活躍はしかし、
この時期プロレスを見ていた人々の記憶深く深く刻まれたものと思われます。

2019年、団体のエースである里歩選手が退団を発表。
その所属最後の大会が行われたのも、新宿FACEでした。

直後「誰でも良かったんです!」と、
さくらえみ選手主催の“誰でも女子プロレス”で
「片っ端から声をかけ」た結果、
いわゆる、我闘雲舞第4世代のデビューが決定。

桐原季子選手、
リンリン選手(当時)、
沙也加選手、
ルル ペンシル選手に加え、
咲百合選手、
小石川チエ選手、

6選手が新木場1stリングで同時にデビューを果たしました。

2020年、世界は感染症禍に呑み込まれました。

我闘雲舞は早々に予定していた全興行の中止を発表。
と、同時に。
新たな“団体”の設立を発表することとなりました。

それが、インターネット団体・チョコレートプロレス。

…この歩みについてはもはや散々言葉にしてきましたので、
もはや書き加えることがない。

ただ、この“チョコレート一粒の幸福”のお陰で、
迎えられている今日があります。



10周年という時間の区切りを振り返ると、
プロレスよく観てたな
て思うのと、
よく生きてたな
て思うのと。

“こんな時間とお金の使い方ができるのは、きっと今だけだ”

そう思い、
観たくなったら観に行くわがまま放題な日々を過ごしてきました。
(過ごしているうちに“そんなにできないこともないな”と気づく)

足繁く通ってプロレスとか、
プロレスに準ずる何かを見始めた当初、
さくらさん…
に、
声が波形レベルでそっくりなYouTuber・アサッテ海苔香さんに、
(ノリで)言われた言葉をよく覚えています。

「30歳にもなって、プロレスばっかみてんじゃない」

あれから6年。
すいません。
まだ、プロレスそこそこみてます。



10年。

こうやって生きない方法もあったかもしれない、
と思うことはあります。

でも、やりたいときに、やりたいことを、好きなだけ。

心理的な“チートデイ”を重ねてきた日々は、
例えそれがチートであったとしても、幸福でした。

そして、幸福だから、生きられた。



…ん、なんか私が死にそうな文章になってきた。
生きます。
全然生きます。



“幸せは、明日に巡り会う力”

幸福そのものが人生の目的とは思わないし、
“生きること”そのものが目的でも、幸福だとは思いません。

ただ、“幸福”と“明日”を結びつけて、
人生なんて壮大長大な話をウヤムヤにしてくれるこの歌詞が
子どもの頃からなんとなく好きでした。

まあ、子どもの頃は10年なんて時間の長さ、
想像もつかないものでしたけども。



重ね重ねてきた幸福が、切り開き続けてきた明日。

その積み重ねの10年の姿は、
とても幸福に満ちている。

そしてその幸福はきっとまた、明日に繋がる力に変わる。



ここまで紡いできた10年という時間への感謝とともに。

新宿FACEで迎える記念の一夜を、楽しみに。



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