カレー屋(EXA)

エキプロ5で遊ぶブログでした。もはやその名残りはほぼない。

ギャラリープロレスという「共犯」

2023-08-09 14:00:00 | スポーツその他
カレーです。

溶ける。

今年は諸般の事情でプロレス会場に足を運ぶ回数が減り、
伴いまして、Twitterを開く機会もすっかり減り、
気付いたら「X」になっていた。
なんとも親しみにくい、「X」。

あまり実態自体は大して変わらない中で、
社会認識としての「日常」は一気に取り戻されて行っていて、
会場に足を運ぶ機会が減っている中で「いいなーたのしそー」と、
指をくわえる機会もしばし。

遠ざかれば遠ざかったであまり情報を求めないものの、
しかし一方で日常(主に仕事がいやなとき)に「刺激」を求める場合は、
やっぱり「X」に集まるあまたの情報を頼りにしてしまいます。

と、3日ぶりに開いたTL
…タイムラインはそのまま言葉としてつかえるのだろうか…
に、
早速、「刺激」が飛び込んできました。

再構築された「日常」に今再び現れる、
強烈なまでの「非日常」…あるいは、「異常」。

そう。

あの、「ギャラリープロレス」の再開という、強烈な刺激が。



ギャラリープロレスとはその名の通りギャラリーで行われるプロレス。

あまたのプロレスラーのポートレートやグッズ作成を手掛ける
ハコ・ファクトリィのあきやまかおるさん(本職声優、通称ハコさん)が、
2017年より開催し、今回で7回目を迎える
レスラーだらけの写真展「レスラーズグラフィカ」において、
うっかり恒例となってしまった、謎の催しです。

ハコさんがレスグラ開催にあたり会場イメージをTwitterで公開した際に、
わるーい大人が”これくらいのスペースがあればプロレスできますね”
みたいなことを仰って、そしてそれがもっと悪いことに、
「これくらいのスペースでプロレスができる」レスラーに、
そしてレスラーたちに知れ渡ってしまったことで
まるで引っ込みがつかなくなってしまった、
レスラー、そしてファンたちによる凶悪な「協働」。

それが、この「ギャラリープロレス」の発端だったように記憶してます。
が、もはや6年も前のことなので、間違っていたらごめんなさい。



このギャラリープロレス再開の報に、
多くのプロレスファンが、そしてプロレスラーが、
恐ろしい瞬発力でレスポンスを見せました。

その中で、ヤス・ウラノ選手のレスポンスに反応した
ウナギ・サヤカ選手の動きを、ハコさんが必死に(ツイートで)
制していたのがとても印象的です。

ウナギ選手のファンは「ひつま武士」と称されています。
そしてそんな「善良なひつま武士」をこの催しに巻き込むわけにはいかない、
というのがおそらくは主催者の意図だったかと思います。

何故、こうも必死に止めたのか。

おそらくそれは、ギャラリープロレスが、
通常思い描くプロレスとは、
大 い に
一線を画す催しだからに他ならないのではないか、と想像します。



2017年、2018年、2019年と行われたギャラリープロレス。

振り返ってみるとこの気がディファレントな催しを3年「も」やってたのか、という気持ちと、
3年「しか」やってないのに恒例だと思ってたのか、という気持ちとがあります。

いずれにしても、この催しそのもののインパクトの強さ、
いわば、強毒性については、
まるっきりの疑いのない気持ちです。

私がこの奇なる空間を共有したのは2018,2019で、合計3回。
初回は確かチケット瞬殺だったので行けなかったような気がします。

2019の2日目については、自分自身でも引くほど当日の模様を詳しくツイートしてるので、
まあ、ご参照いただけるとよろしいかもしれません。


※Xで「whatever_spicy ギャラプロ」で検索すると、
自分でも目を疑う程度に詳報が流されています

…こんなことが、夏の平日の夕方に罷り通っていたのです。



ハコ・ファクトリィあきやまさんは、
このギャラリープロレスを「前衛芸術」とも表しています。

このギャラリーの中で、プロレスラーたちが鍛え上げた自らの肉体と技術、
何より、プロレスラーとしての思考を発揮し作り上げる、
芸術的空間。

ここに行為主体として「プロレスラー」が出てきますが、
行われるのは必ずしもイメージ通りのプロレスとは限りません。

…だって、暴れて備品とか壊せないし。

でも、その空間の中でプロレスラーたちが如何に思考し、
如何に(必ずしも身体的ではないかたちで)戦うか、には、
ギャラリー「プロレス」と呼ぶべき何かがあります。

もう一つ。

この空間は、必ずしも表現者や主催者に「与えられる」ものではないことも
留意する必要があるかもしれません。

例え身体的戦いが行われなかろうが、
突如としてダンスが始まろうが、
地底人との戦いが始まろうが、
外の公園に出て現地住民(こども)との交流が始まろうが、
別のギャラリーにいって芸術鑑賞が始まろうが、
全然出場予定じゃなかった選手が巻き込まれてバンドを結成しようが

例え何が起ころうとも、
そこにある空間を受け入れ(別に受け入れなくてもいい)、
今起きていること、起ころうとしていることを解釈し続ける(しなくてもいい)。

ともにこの前衛芸術構築の担い手として、
観客が存在したり(しなかったり)します。

第一回ギャラリープロレスの、
いわば開祖の一人であるくいしんぼう仮面選手は、
自身が主催するマットプロレスの協賛者を、
“共犯者”と称しました。

であるならばギャラリープロレスという催しは、
まさに「共犯」。

ともにこの恐るべき空間を作り上げるという、「罪」。

この夏、貴方も、そんなひと夏の罪、

重ねてみませんか?




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