侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

続、なめとこ山 Mさんへのお便り転載

2009-07-12 23:01:53 | Weblog
 お元気ですか。暑くなりましたね。近頃スクーリング漬けです。
人形町のサテライトキャンパスで文献購読の英語が土曜日に終わり、今日、日曜日はヨーロッパ美術史第一回目でした。何もかもが新鮮な学びで頭がウニのようになっています。でも知る喜びの方が勝っています。
 さてさて、花巻ですがサイコ~~~ でしたよ。オプションでなめとこ山のエクスカーションにも参加したのですが、これがもう話してしまうのが惜しい位素敵でした。
 先達を務めて下さった高橋美雄さん。そして様々な山菜料理をこしらえて下さった奥様のアサヨさんが傑出したご夫妻で、このお二人に出会えた事も珠玉の宝の数々の内の一つです。
 賢治が歩んだ道をたどりながら小岩井農場を歩いたのですが、彼の心の軌跡を追体験しているような昂揚感がありました。確かに、「der heilige Punkt」と 呼びたいような気がしたあたりは、何とはなしに聖いこころもちがするようでした。あくまでも青空が広がり、麦やトウモロコシが青くしげり、岩手山もクッキリとその姿を見せてくれました。 
 なめとこ山はまさにクマザサをかき分け道無き道を行くのですが、先達の高橋さんには道が見えるようなのです。
 彼はかつてこの辺りの山々を縦横無尽にはせまわっておられたのだそうです。
 今は豊沢ダムの水底に沈んでしまった、村に住み、近隣の農家から春から秋になるまで放牧する牛をあずかり
山々を牛を追って歩いておられて、この辺りの事を熟知しているのだそうです。彼はこの豊沢に伝承されていた豊沢大念仏剣舞の最後の継承者でもあります。
 私もですが、花巻辺りの人達は都会からお客様がこようものならそれはもうお祭りみたいなもので大歓迎で、
それこそ、在ること無いこと、相手が喜ぶことなら多少の誇張や、でたらめは無視してでも、ものがたるようなところがあります。こんなに沢山、元祖花巻弁に近い方言で語り尽くした日々は久々で身体のすみからすみまで
すっかり花巻人に戻ってしまいました。
 宿泊した鉛温泉の藤三旅館の自炊部もすごかった!!
昭和初期の映画の撮影に十二分に使えるすごさです。川の流れがごうごうとまるで雨音のように響くぐらい近くを川が流れています。
 この温泉近くまでなめとこ山のクマたちは夜ごと遊びに出没しているようで、その痕跡が残っていました。
桜の木に実っているさくらんぼの実を食べにやってきて、枝がそちこち折れていましたし、種が沢山つまった
うんちも残っていました。
 だのにこの地域の人たちは暢気にかまえていて、撃ち殺すとかそんな殺気だつ様子などいっこうになく、
寧ろ、まあいいんじゃないという雰囲気でした。昔からここらあたりのクマは気が優しく表情も柔和なのだそうです。なめとこ山の帰路に立ち寄った鱒の養魚場にも時折出没するらしいのですが、少しぐらいなら食べさせてやっても良いという構えでした。
 なめとこ山のみずならにも生々しいクマの爪痕がついていました。クマは自分でクマだなを木の上にこしらえて、そこから下を眺めたりもするらしいです。
 本当に「なめとこ山のクマのことならおもしろい、、」のでした。
 まあ、行くたび毎に人の気配がすくなくなり、寂れていくような花巻の町でもあるのですが、そこはそことして記憶をしてきましたが、、とりあえず陽の部分をお伝えいたしました。

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