「年寄りの冷や水!」とそしられながらも、何故かどうしても今、この寒さの時に、その場に立ってみるしかないっ!
という思がつのり、夜行バスで東京駅前23:15分出発!
う~~ん、これが噂の夜行バス。 確かに噂に違わぬしろものでありました。
が事前のレクチャーをタップリ聴いていた故かさしておどろく事もなかったけれど、流石に7時間はくたびれました。
うつぶせになれたらなあ~~と何度も思った。
ほのじらんでいく朝方の光の中に雪げしきがひろがる、、雪におおわれた景色は
確かに懐かしいような東北の景色だ、、降りたって踏みしめる雪の感触にふる里の花卷がよみがえる。
痛いような寒さが郷愁を誘う、ついにきた、、ここにこなければならぬというおもいがとどいた。 . . . 本文を読む
お節に使った紅白の蒲鉾板に描いたのは菩薩様とおかめさま。
日本には福助人形やお福人形、招き猫など店頭に飾られる人形があまたあるけれども、、
その発祥の歴史をたどると、思いがけないところにたどり着く。
田川とも子先生の新春初ライブイン東京都現代美術館で
・人形論 偶の魔力~境界またぎのあやうさと強度
人形を通してフェティシズムを考察
午後からは諸行無常の絵画、、
・静物という遺物~ヴァニタス画を巡るエトセトラ
17cネーデルランドを中心に描かれたヴァニタス画
イタリアバロックの背後に歴然と佇むオランダバロックの
存在があることを知り、オランダという国は自転車やチューリップという側面だけじゃない
歴史に培われた独特の文化を創造してきたのだと言うことを知った。
田川先生の地下室にひしめく万巻の書物から引き出される夥しい蠱惑の世界、
まるで湧水からあふれるように、毎回、耳目を驚かすトピックにいろどられている。
新春の現美はとても力強く、アートシーンを牽引している矜恃のようなものを身につけているように感じた。
開館当時のまのぬけたようなわけのわからなさは払拭され、目的と手段が合致し現代アート最前線をはしっているかのような元気さがある。
長谷川裕子様のリーダー湿布じゃないシップなのか、、 . . . 本文を読む
あの瞬間が瞬時に蘇ってきた。
あれから一年もたっていないのだ、
年が明けたら何もかもがあらたまる、、という日本の概念はある意味
とても意味のある良い風習とは思うけれど、
今日の揺れはそんな事への戒めのように思われて震撼とした。
あの日の事は風化させてはいけない。むしろこれからなのだ。
福島の原発発電の電気を使い続けてきた私たちはこれからも東電の
原発発電を継続すべきかどうかの選択を問われてしかるべき、、と
の考えから都民投票条例制定の署名を集める受任者となった。
今9割の原発が止まっていると聞く。
なのに何処も停電しているという話は聞かない。
原発無しでもやれると言うことの証しとおもうのだけれど。
お正月早々の揺れは浮かれ気分を糺すには丁度よいカンフル剤となった。
年末をふりかえれば、もっともウレシイ事はベランダdeキエーロ、組み立て式日田郎プリモが完成したこと。
新年度にむけて、生ごみ半減ごみ半減を確実なものにしていく一歩を江東区は踏み出す。
快哉を叫びたい。
一般廃棄物処理基本計画に盛り込まれ、予算化され、春からはモニター制度が始まる。
燃やすごみの半分をしめる生ごみを元から減らし、どうしてもでるものは循環させる。
それもこの地球上のご先祖様微生物の力でだ。
2011年末を振り返り、あらたな年に向けて真面目に精励してゆける元気さを保ちたい。
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