戦後70年を迎えた昨年、感慨深い一年でした。生きている間に又軍靴の響きを聞くよ
うな事になるのだろうかとうなだれたくなる暑い夏でもありました。
大晦日、小津さんの家と呼ばせて頂いている昭和のお家にお邪魔させて頂きました。床の間の文箱から取り出してみせて下さいましたのはお父上の軍隊手帳でした、、、、ずっと長い間見る事もなくお父様の旅行鞄の中に軍隊時代の写真や手紙や葉書とともにしまわれていた手帳が戦後70年の年に、鞄の中から顕われる事になったのは必然であったのかもしれません。自筆で克明に日記がしたためられておりました。戦地で闘病されたこと、復員して、日本の地に辿り着いた所でその日記は終わっておりました。
最初の頁には明治天皇のお言葉から始まり、昭和天皇のお言葉まで、神武天皇の御代から歴史をひも解き、その折々にひるまず戦をしてきたことなどが記されているようでした、、読めない漢字が沢山あり、十二分に判読出来なかったのですが、内容的にはそんな感じだったのです。カーキ色の布表紙におおわれ、終戦から70年の時を経て目の前にあらわれた軍隊手帳に感無量になりました。私たちはどこへ行こうとしているのだろう、、正気をとりもどさねば、、と言う気持が去来しました。あらたな年を迎え、その思いも大切にしながら、この稀有な水の惑星地球で私たち一人一人稀有な煌めく星々として精いっぱい煌めいて生きなければもうしわけがないと、井上ひさしさんの「煌めく星座」の台詞を送って下さった方の言葉を噛みしめた元日でした。
以下長文ですが、引用いたします。
「きらめく星座」の初演は1985年ですから、30年も前になります。
この時には、犬塚弘、夏木マリ、橋本功、齋藤とも子、名古屋章、すまけい、藤
木 孝という芸達者な役者が演じていました。
この作品は、昭和15年11月から昭和16年12月7日(※真珠湾攻撃の前日)までの1
年間を、東京・浅草のレコード店・オデオン堂を舞台に描い たもの。戦争が近
づくにつれて、次第に人々の日々の暮らしや思想が統制されていく。抗いようも
なく押し流されていく時代に、それでもなお、人間ら しくありたいと願う人々
の姿が描かれています。
この戯曲の中で、井上ひさしは竹田(すまけいが演じた)という登場人物に、こ
う語らせています。
ぼくは、広告文案家です。いま、誰かから「人間」という商品の広告をたのま
れたとします。さあ、ぼくはどんな広告文を書けばいいか。おそらく 「人間」
を宣伝する文案は、こう書くしかないんじゃないでしょうか。
この宇宙には4千億もの太陽が、星があると申します。それぞれの星が平均
10億の惑星を引き連れているとすると、惑星の数は約4兆。その4兆の なか
に、この地球のように、程よい気温と豊かな水に恵まれた惑星はいくつあるで
しょう。たぶん、いくつもないでしょう。だからこの宇宙に地球のよ うな水惑
星があること自体が奇跡なのです。
水惑星だからといって、かならず生命が発生するとはかぎりません。しかし地
球にある時小さな生命が誕生しました。これも奇跡です。その小さな生 命が数
かぎりない試練を経て人間にまで至ったのも奇跡の連続です。そして、その人間
の中にあなたが居るというのも奇跡です。
こうして何億何兆もの奇跡が積み重なった結果、あなたもわたしも、今、ここ
にこうしているのです。わたしたちがいる、今生きているというだけ で、もう
それは奇跡の中の奇跡なのです。こうして話をしたり、だれかと恋だの喧嘩だの
をすること、それもその一つ一つが奇跡なのです。人間は奇跡 そのもの。人間
の一挙手一投足も奇跡そのもの。だから人間は生きなければなりません。
菊の花はコトバが喋れない、だから匂いでぼくたちの鼻に何事か語りかけてき
ます。星だって同じです。星もコトバを持っていませんが、光をきらめ かせな
がらぼく達の目に語りかけてきます。
「地球は奇跡だピカピカ、人間はピカピカの奇跡そのものだ」って。