もう北鎌倉は春、椿の花びらが散り敷かれ、座禅の方々の耳には椿の落下音も響いておるのかも、、
亡き人を偲びながら銀杏の殻をあけ、ゆっくりゆっくり黄金色に茹で上げました。黄金に染まる銀杏並木に思いを馳せながら、やさしい笑顔を思い出していました。沢山して頂いた事に感謝いたします。
緋寒桜の咲く、上野へ、カラバッジョ展にご招待頂きました。彼は血気盛んすぎて、訴訟沙汰やら、傷害事件やら、、、言うに言えない事件もおこし、なってこったな人生にも関わらず、圧倒されるその絵画の持つ迫力に吸い込まれそう、、でした。さっきまでそこに存在していたかのような人物が陰影の中に光とともに佇み、肌のぬくもりさえも感じ取れそうで、、なんだかとても新鮮な感慨に浸りました。技巧のうまさを凌駕する表現の深さは、まさに天啓という恩恵にあずかっているのではというような、なぶしがたい迫力があるのです。蘇ったイエスの丹精で昇華されきった透明なウツクシサに、作者が悪行を重ねている人とは思えなくなりました、、そんな時に阿弥陀様は雲の糸をたらしたのでしょうか、、シノバズの池の周りはアチコチ工事中で何やらかつての上野公園の面影が偲ばれ、どうかあまりいじりすぎないで!と願わずにはおれませんでした。大観先生のお住まいをとおり、湯島へ、骨董屋さんのショーウィンドーには井伏鱒二先生の「花にあらしのたとえもあるがさよならだけが人生さ」とあり、一粒涙。
友たちと午餐をし、お別れの志を頂き、お別れが日々近づく事に、さみしさがつのり又涙。
天婦羅油バスで一路香取郡神崎へ、微生物の殿堂、寺田本家へ。
そこにもここにも微生物、微生物、自ずと心身共に昂揚してくるようでした。全ての機械を潔く捨て去り、寒さの冬の寒じこみは人のてのぬくもりと微生物たちとの対話で行われているそうです。杜氏さん達の歌う一節を聞くと人も発酵してきそうな気がするのでした。友と共に酵素風呂に手足を付けて、すっかり微生物になりました。しばらく、バチルス菌の匂いがたちこめていました、、、
食品衛生責任者認可の真っ赤な手帳頂きました。久々の試験に緊張しました。
満点嬉しかった!
そう、みんな家族! サヨナラするその日まで、ヨロシク。