侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

令和三年弥生三月春 来し方行く末 

2021-03-06 18:03:11 | Weblog
         雛の朝天から届く光合成

      

  日の光が届ける命の光 ヴィリディタス レジリエンス の 光の矢

  お日様が出ると窓に駆け寄る 

   そのようにして今日が一番しあわせと思いながら生きてはきたけれど、、

   その魔法の言葉が霞のように薄くなりかけそうになる今日この頃

   そしてやがて迎える 10年目の三月十一日

   この日を境にしてスタートした 第二の人生

   そしてあれから10年を経て 常世に向かう 第三の人生を 思ってみたい

   決してどうなるものでもなく なるようになるっ のだとは思うけれども
  
   胸を去来する 心細さを 言葉に変えて 我が身を励ましてみたい 夕まぐれです。

       夕まぐれセンチメンタル雛をさめ



      

   雛さまがたは今も櫃には納めがたく一堂に介していただき 笛太鼓で囃したてていただいていないと
   一転にわかにかき曇りそうになるから、、でもあります。


      

   10年前のあの日 あの時 あの時間 もう その時住んでいた家も 一緒に暮らしていた人も 居ない
   それから 移転を繰り返し 様々な仕事を経て 古希を迎え 71歳の 高齢の寡婦 に なりました。

   東日本大震災を契機に 私たちの国はこれまでの 経済最優先から命最優先の 国柄に パラダイムシフトを
   するに違いない その期待を胸に 命を根こそぎ不安の淵に引き摺り下ろす原発ゼロ実現の狼煙を
   あげる人々と共に 日比谷 渋谷 新宿 高円寺と 日に日に 増える脱原発のデモに 出かけた。
   なべての国民がこぞってその願いをあらわにすることできっとこの国は 変われる と 思った。
   
   生まれ故郷のふるさと岩手 海際の街の 津波の痕跡は 茫々たる なき人々の 悲嘆に埋め尽くされているような
   悲しみに覆われていた。

   女川の仮設住宅の寒々とした集会所へ 傘布製カーテンや古綿の小座布団、布草履や お針箱やミシンを
   チャリティーイベントでの収益を元にお送りし その哀しみを癒し亡き人々を 悼み そして 原発をゼロに
   することが 生きている人々の 役目だと 思っていた。

   地震直後は余震も度々ありその非常時を肩を寄せ合うようにして暮らしていたのでしたが   
   密かに進行していた破綻の根元が 少しづつ あらわになり 罅が入り やがて ぱっくりと亀裂が生じた。

   行きつ戻りつの思案のはて、不安と恐怖の闇を抜け出すには住み慣れた家を出る他はないと
   未知への旅たちを、不安を風呂敷に包んで決意した。

   

   それからの月日 自尊心と思って大切に真綿で包んでいた思い込みや高慢をとことん
   洗いざらい 引っ剥がして手放して きれいさっぱり からっぽに なるまで これでもかこれでもかと
   いう 手厳しい 出来事に遭遇してきた。 無駄な事は一つもないと やっとこの10年の月日の中で
   数多の方々から気づかせていただいた。
   何もないからっぽでいることの安寧を やっと知った。ような気がする。

   この間、どれだけ多くの方々のご縁をいただき 導かれ 見守っていただいたことか。
   そのご縁があってこその安寧であることに深く深く深く 感謝をしています。



     

    71歳の今日まで働けてこれたこともありがたい。
    
    その仕事ももうすぐおしまいになる。

    第二の人生の10年から 常世へ向かう 第三の人生設計は何もないのだけれどからっぽの
    高齢の寡婦の第三の人生を歩み始めることになる。

    10年前のような不安や恐怖はないけれど 71歳が働いて生きていくのは決してたやすくはない。
    諦めずに就活を続けているけれど なかなか ご縁に恵まれない
    とはいえ ほがらかで いたいと思う。

    だから今年は 今しばらく 雛さま方に いらしていただきたいと 願います。

  
  
   

  






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