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やっぱり「食」って大事だよね!

Over50、独身男の食卓に迫る。

抗生物質は飲まない方が「後々」良い気がします。

2021年07月04日 | 健康・病気

以前、インフルエンザA型に罹患した際、下痢の症状も出ていた為に抗生物質も処方されて飲んだ事が2年連続して起こったのですが、今考えるとこの「抗生物質」が問題だったのではないか、と思う様になりました。

それは僕の顕著な胃腸の変化に現れている様な気がします。更に考えると、自己免疫性膵炎にも関連している様にも思えるのです。。。

胃腸の変化、端的には「腸内環境」ですね。恐らく抗生物質を飲んだ時に、腸内の善玉菌まで死滅させてしまったのではないのかな、と思います。はっきり言って、今の僕の消化器官は、以前とは全く働き方が変化してしまった気がしています。

(以下、このブログを以前から知っていらっしゃる方々にはお馴染みの「比喩表現」が含まれます。)まずは、急降下爆撃機の急襲を受け被弾したかと思えば、その直後から爆弾処理室に於いては弾倉内の廃棄弾薬が全く投下されなかったり、急降下と投下不全を繰り返す様に成った事。次は廃棄弾薬の特性の変化。「超」高粘度物質化する事が常態化しており、バナナタイプは、もう既に遠い昔の思い出です。更には廃棄弾薬の弾倉内気化。その気化ガスの臭気と量。もう異常です。自己免疫性膵炎の診断前から既にこれらの症状を自覚しておりました。

腸内フローラの改善には、ビフィズス菌、乳酸菌、酪酸菌等の善玉菌の腸内定着が望ましいのですが、実際そうはいかなくて、数日で排出されてしまうそうです。毎日摂取しなくてはなりませんね。

僕は心臓血管外科、消化器内科(膵臓チーム)、糖尿病代謝科の三科が大学病院での主要受診科ですが、それらの各科から毎朝9種13錠、昼1種3錠、夜2種4錠と、計20錠/日の指定薬が処方されています。そしてこの度、その他に指定医薬部外品の市販整腸剤2種を服用する様にしてみました。

乳酸菌と酪酸菌ですね。ビフィズス菌は今後検討してみます。

兎に角、腸内環境の改善を考えなければ。

それと、抗生物質は腸内環境を激変させてしまう事が自覚できる程の影響を与えてしまうので、もう、服用しない様に、服用しなくても良い様に、気を付けたいものです。


解離性大動脈瘤の「瘤」肥大化。

2021年04月24日 | 健康・病気

これはもう、どうしようもない事だけど。

この4月20日の火曜日から会社には休日を申請して、東北大学病院で三日間の検査を受けて来ました。心臓血管外科、消化器内科(膵臓外来)、糖尿病代謝科の三科の集中検査です。糖尿病代謝科は、膵臓病由来のインシュリン不足からですので、大きく「解離性大動脈瘤」と「自己免疫性膵炎」の検査です。

僕の解離性大動脈瘤は、胸部から腹部、そして左右の大腿動脈、両膝上に至るまでの広範囲の急性大動脈解離によるもので、発症当初から人工血管置換術やステントグラフト内挿術等の大手術を受けるよりも、経過観察を強く希望した事も有り、現在まで経過観察で過ごして来ています。当然、自然治癒する病気ではありません。

一方の自己免疫性膵炎は、現代医学では発症原因や治療法が解明されていない指定難病。特に僕の場合は、対処療法としてのステロイド経口投与も空しく、一向に症状の快方が見られない活動型。

両方共に発症から年数を経ていますので、もう慣れたと言えば慣れているのですが、現状維持では無く「悪化」と聞くのは、やはり精神的に堪えます。

特に今回の指摘は解離性大動脈瘤の「瘤」肥大化。心臓から出て来た大動脈が「水風船」の様に膨らんでいるのですが、段々と広範囲に、そして径が肥大化しているとの診断結果です。いつの日か、僕の血管、大動脈も肥大化に伴い血管壁が薄く成り、耐え切れなく成って破裂してしまう日が来るのでしょう。

間違い無く僕の体内では、爆弾の点火へのカウントダウンが進んでいます。それは、明日の事なのかも知れません。

何気ない毎日でも、「今日一日」が、いえ、「今この瞬間」が平穏無事に過ごせている事に、そして今、生きている僕の「生命」に、深く感謝しなければなりません。


実験的な献立。

2020年09月12日 | 健康・病気

「体調が悪いのは判るが、体調が悪いなりに何か新規記事を書け。」

何とも意地の悪い、あ、いえ、そこまで新規記事を待望して下さっていらっしゃる、相当お暇な、あ、いえ、コアな読者様からのご要望が有りましたので、新規記事の掲載です。

 

実は先月8月中旬の夏季休暇後半から、みぞおちが「きゅぅっ」とする圧痛を度々感じており、これは「ああ、また来るのか。」と思っておりました。はい、この感覚は、かなりの倦怠感を伴う恒常的な鈍痛と同時に頻繁に起こる急激な圧痛による、例の「みぞおち痛」の前兆。案の定、夏季休暇明けから強い「みぞおち痛」が始まりました。

かなりの倦怠感と、常に重い鈍痛を感じるので、会社での業務もこの「痛み」との闘いの中で遂行しなければなりません。しかも更に追い打ちを掛ける様に頻繁に繰り返す、強烈な圧痛。これは、膵臓に疾患を持った事のある方で無いと理解出来ないと思いますが、本当にキツいのです。それでも業務遂行となると、精神的には「常に」、「戦闘モード」。精神力で痛みに打ち勝とうと頑張らねば成らないのです。

その様な状況が、今回はかなり長めに続いております。更にこれまでには無かった下痢と吐き気。今回はかなり症状として重いですね。肉体的には勿論の事、「戦闘モード」維持による精神面でも。

9月の初旬、下痢と吐き気が酷く成り、朝食、昼食は抜き、夕食に味噌汁やスープと言った流動食系の食事へと移行。それが一昨日の木曜日、少々楽に成ったので、昼休みに行きつけの定食屋で普通に昼食を摂ってみたのですが、これが失敗。午後、職場の洗面所で嘔吐してしまいました。

この日はそのまま寮に戻ったのですが、下痢も酷く、昨日金曜日も会社を休んでしまいました。

一方で9月初頭には、定期通院で血液検査を受けていたのですが、この日の診療科は糖尿病代謝科。膵臓病由来のインシュリンコントロールの為です。担当医師は糖尿病代謝科ですので、膵臓の数値に言及する事は無かったのですが、帰宅後、数値を再確認したところ「リパーゼ」「アミラーゼ」と言う二つの膵臓指標が、共に「Ⅼ(低)値」でした。

僕の過去の「リパーゼ」「アミラーゼ」は共に「四桁」に達する程の高値でしたが、今回だけはなぜか「ひと桁」。ネットで調べると理由は複数有るものの、「慢性膵炎末期」「全摘後」「膵臓癌」の症状でもある模様。嫌な感じですよね。「全摘(膵臓全摘出)後」の症状と同じと言う事ですから、数値上は膵臓が全く機能していないのです。

そこで、この嘔吐、下痢との関連性です。えぇ、膵臓からの消化液分泌不足(膵臓の機能不全)かも知れない、と思う訳です。

 

さあ、これから実験に向けて考えてみましょう。実験のテーマは「膵臓からの消化液分泌不足を実証しよう。」(サブテーマ「冷蔵庫の食材を整理してしまおう。」)です。

木曜日午後の嘔吐と昨日金曜日一杯の下痢で、今日土曜日はお腹の中が空っぽ。今日は何かしら食事はしないと体力が持たないので、食事は必要。で、ついでに膵臓の機能(消化液の分泌)の確認もしてみたいですよね。確か、膵臓からの消化液は、炭水化物の分解と、脂肪の分解が主な役割でした。炭水化物の糖への分解は、他の器官でも消化液を分泌していますが、脂肪を脂肪酸とグリセリンへ分解する消化液は、胆嚢、肝臓、膵臓(胆膵管膨大部括約筋の奥)からの分泌液が中心だった筈です。脂肪が分解されない為に下痢が起きているとすると、先ずは「脂肪」の摂取をしてみよう、と成る訳です。

はい?そうですよ、ここで脂肪を摂取して、また下痢が起きるかどうかを確認するのです。

消化器に於ける脂肪分解不全は、「あくまでも単純に考える」と、少なくとも胆嚢、肝臓、膵臓どれかしらからの消化液分泌不全が起因とされるものなのでは無いのでしょうか。①9月初頭の血液検査では肝臓障害は起きていない。②便の色調で胆汁は分泌されている。これらの状況から、「総胆管」側では狭窄や逆流等の分泌不全に関する問題は無さそうですから、もし、消化液分泌不全が起きるのであれば、残る膵臓に起因しているものと、推測出来る訳です。なので、下痢が起きれば、やはり膵臓が機能していない検査結果(「リパーゼ」「アミラーゼ」の「ひと桁(極低値)」)が、事象として発現し、納得出来る、と言う事です。

 

【今回の献立「ボロネーゼもどき」】

「もどき」なのは野菜が多過ぎた為です。ボロネーゼは肉料理。野菜は少量で良かったのですが、買い置きはこの際ですから、全て使って、冷蔵庫の中を片付けてしまいましょう。

写真を見れば一目瞭然ですね、野菜が多過ぎる上に、トマトピューレも多かった様です。これでは普通の「ミートソース」ですね。でもね、体調不良の中で作ったのです。買い置き野菜の使い切りの目的も有ったので、その辺は勘弁して下さい。

なお工程は、野菜(玉ねぎ、人参、セロリ、今回は特別にピーマンも)は全て多めのオリーブオイルで(弱火長時間。特に最初は玉ねぎのみで。)炒めた後に、別鍋で(胡椒とナツメグを添加して)炒めた牛豚合挽肉に投入。更に赤ワイン投入で煮込みます。じっくり煮込んだ後は、トマトピューレで最終仕上げです。(因みに、殆ど塩分は入れませんでした。炒めた野菜の甘みと旨味、赤ワインによる、ほんのりとした香りと渋みとコク。本当に「ウマい!」。体調が良ければ、どんなに楽しく食べられる事でしょうか。)

はい?材料それぞれの分量ですか?適当に作りましたし、今現在も体調不良なのですから、材料と分量の記載も今回はご勘弁願います。

実験は、これをご飯茶碗一杯。パスタ(炭水化物)無しで、このソースだけ。塩分は殆ど入っていませんからね、素材の旨味だけで戴きました。ご飯茶碗一杯。少ないでしょう?でもですね、これ以上は食べられませんでした。(味が悪いからではないですよっ!僕の胃が受け付けなかっただけですよっ!)

でも、どうしよう。作り過ぎちゃった。

それから、消化不良の実験も、どうなる事でしょう。(オラ、わくわくすっ、あ、緊急地震速報ですね。「キュワッ、キュワッ、キュワッ!」携帯電話が鳴っています。)


インフルエンザA型罹患

2019年12月12日 | 健康・病気

昨日12月11日(水)、定期的な通院で東北大学病院にて受診したのですが、診療科の受付に向かう途上で、ばったりと、以前ひと月以上入院して大変お世話になった入院病棟の看護師に遭遇。今は外来に異動されていたそうです。

そのご挨拶の中で、「どうも風邪を引いた様で、全身倦怠感が強く、咳と痰が出ます。異常を感じたのは前日(12月10日(火))の午後からです。今朝の体温は37度6分で、大した発熱では有りませんが、インフルエンザの流行時期でもありますし、少々不安です。」と報告したところ、受付前だったのではありますが、即、(隔離用?)別室に案内され、検査キットで喉と鼻の奥を長い綿棒でグリグリ。

結果、インフルエンザA型陽性反応。罹患確定。本来の担当医師による診察もこの隔離用個室で対応戴き、インフルエンザA型の診断書も即日発行して戴きました。

本来、インフルエンザは呼吸器内科なのではないか、とは思いますが、全く無縁の科の定期受診にも拘らず、良く知っていた看護師にばったり出会った御陰で、通常の受付を通過させて受診するよりも、かなり迅速、的確に対応して戴けました。また、体調異常が現れたのも、計画受診の前日午後、と言うタイミングの良さも有ったので、今回の対応は、すべて運が良かった様です。

そう、更に「会計は次回来院時で結構です。今日はインフルエンザなのですから、即帰宅して下さい。」と言われていたのですが、どうも会計を済ませたくて、会計順番カードの番号呼び出し迄、小一時間、人気の無いベンチで休んでいました。次回来院時に支払い、と言う病院側の手配は、会計は混み合うので、他者に移す危険が有るからなのは解ってはいたのですが、過去、通算3か月以上も入院生活を送った病院です。人気の少ないベンチの場所も把握済み。少々会計から距離は有りましたが、人混みは避けられました。そして会計順番カードの僕の番をかなり超えてから、会計へ。おっ!「お疲れ様です。」なんと、別部署では有りますが、会社の女性社員にばったり。「インフル?近寄らないで下さいっ!!」と物凄い反応を示されましたが、その女性社員、この後直ぐに会社に戻るとの事で、診断書を託し、会社に届けてもらいました。色々、本当にタイミングが良かったですね。(当該女性社員にとっては、最悪のタイミングだったのかも知れませんね。本当に御免なさい。)

当然、会社は休まねばならないのですが、本当にご迷惑をお掛けします。心からお詫び申し上げます。

因みに昨日、病院とその後の調剤薬局も立ち寄り、帰宅したのが午後3時半。それから24時間で20時間以上を爆睡しています。まだまだ寝足りない感覚です。

それでは、お休みなさい。


夏休みの入院生活。

2019年08月30日 | 健康・病気

前回記事にも記載しましたが、今年の夏季休暇は入院しておりました。大腸ポリープの内視鏡的切除術だったので、短期でしたが、その入院生活を、写真で振り返ってみましょうか。

入院は東北大学病院消化器内科。今回は、東北大学病院に於ける過去3回の入院でお世話に成りました西病棟とは違い、東病棟でした。下の写真は、その東病棟の東端部からの風景です。15階と高さが有った為、天気が良ければ海まで見渡せると思うのですが、ちょうど台風の接近も有り、晴れていても視界には少々霧が掛かり、はっきりと海までを見通す事は出来ませんでした。

 下の写真は、この東端部の窓を背に、西方向のナースセンターに向けて、僕が入室した病室前の北側廊下の様子です。

 そして同じ廊下を、ナースセンター前から、東端部に向けた北側廊下の様子。

次の写真は、今回の僕の病床周辺です。先ずは、僕の病床から見た病室内、病室入り口方向。

続きまして、病床から真正面。

そして次の写真は、ちょっと立ち上がって、窓方向。病室は北側病室でしたので、北方向です。

同室の皆さんは、重篤なご様子。昼もカーテンを閉め切り、病室内の会話は有りません。まぁ、入院などこの様なものです。前回入院が、あまりにも開放的な患者さんの集合した部屋でしたので、これが普通なのでしょう。

そして下の写真が、今回の僕の病床。前回入院と違って短期ですから、前回入院のご紹介(僕のこのブログ2018年8月29日付け記事「退院して社会復帰しておりますよ」https://blog.goo.ne.jp/wasabidaikon/e/2962065ddf51b6549cf7461da1a791d9ご参照。)でお馴染みのマイテレビ以外は、あまり身の回りの物は持ち込みませんでした。

さて、続きましては院内のその他の場所の様子です。先ずは病院正面です。

下の写真は正面玄関の庇(ひさし)部分。撮影日は8月15日、終戦の日。戦没者慰霊の為、黒布付きの国旗が掲揚されておりました。

そして、前回入院記事に掲載した「院内ベーカリー」では無く、院内に店舗を構えた、全国チェーン喫茶店です。この様に病院内には、この喫茶店、院内ベーカリー、外来食堂と、食事処が多くてとても便利です。

当然、座席も有りますよ。

そして、当該喫茶店のオープンテラス。四方を建物に囲まれており、多少閉鎖感は有りますが、それでも病院内ではかなり雰囲気の良い場所です。

前回の入院時の紹介記事にも記載しましたが、病院正面玄関の西側、緑の多い広場には、今年もボランティアの皆様方が植栽したお花が、奇麗に咲いておりました。台風の影響も有り、陽が陰ってしまった瞬間ですが、この場所は本当に心癒される広場です。

陽が出たので、近くで撮影し直しました。台風の影響が有って雲が多く流れ、写真撮影には向かない日でしたので、タイミングが難しく、アングルが良くないのはご勘弁を。

本当に、東北大学病院にはボランティアの皆様方による活動が盛んで、至る所に、ボランティアの皆様方がいらっしゃいますし、その皆様方による様々な作品も展示されています。本当にボランティアの皆様方には、心から、深く感謝申し上げたいと思います。

この様な中で、今年の夏季休暇を過ごしました。当然、病床ではマイテレビにて高校野球のテレビ観戦三昧でしたよ~♪

なお、この入院で切除したポリープの生検、病理診断の結果は、9月初旬の外来で報告が受けられる予定です。


また入院決定。でも短期で良かった。(今度は大腸ポリープ摘出)

2019年07月28日 | 健康・病気

また入院が決定しました。

持病の膵臓病(自己免疫性膵炎)の診察の中で、「胃カメラから十二指腸カメラも実施していますが、大腸カメラは経験が無かったですよね。」との事。確かに大腸カメラは経験が無く、兄の死因は大腸癌。まぁ、大学病院の売上貢献にも成るかな、お世話に成っているし。と考え、大腸カメラを実施してみたのが、この春。

結果は直径1cm級が計4つ発見され、内1つは「病理診断の結果を見ないと断定出来ませんが、大腸癌の疑いも有りますね。」との事ですが緊急性は低く、この春、大腸ポリープ摘出の入院順番待ちリストに、最後尾で記載されておりました。

時間は流れ、4か月後のこの7月下旬、「三日後に入院のベッドが空きますが、ご都合はよろしいでしょうか。」と東北大学病院消化器内科からの問い合わせ電話を受けました。実はちょうど日程的に動かせない役所からみの重要な予定(指定難病登録の継続手続き)が有った為、今回の順番到来は見送りましたが、間違い無くあと一、二週間で入院と成ります。

と、言う事で、大腸ポリープの摘出ですが、今回の僕には「三泊四日日程」の入院スケジュールが適用されるとの事で、非常に短期間で済みそうです。

しかし、もうこれで東北大学病院の入院は4回目。「またか。」と言う感覚ですが、早く済ませてしまいたいものです。

因みに、前回記事に記載しました先月来の「みぞおち痛」ですが、ようやく快方に向かって来ました。二か月間も掛った訳ですが、今後の僕の人生で、頻繁に起こり得る事を考えますと、全く以って面倒な事ですね。

前回記事でコメント(非公開)を戴きました旧友には、お返事をしておりませんでしたので、本記事記載にて、「快方に向かいつつある」旨、ご報告とさせて戴き、お気遣い戴きました事に対し、深く感謝と御礼を申し上げる次第でございます。


CT造影剤でかゆみ、薬疹、鼻閉塞。

2019年04月23日 | 健康・病気

今日の午前中は、僕の抱えている重大疾病の中でも特筆すべき「解離性大動脈瘤」の定期的経過観察の為、東北大学病院の心臓血管外科の外来受診。ただ単に外来に行くのではなく、事前にCTスキャンを掛けて、その画像を以って判断するので、先ず病院到着と共に、CTを受けました。

これまでにも、数え切れない程の回数のCTを受けて来ているのですが、実は僕、大のCT好き♪

CTを受ける際には、造影剤を注射して撮影するのが一般的ですが、その造影剤が体内に入ると、温かく成るのですよね。まるで温泉に浸かっている様な感覚です。この感覚が大好きで、造影剤の静脈内投与が終了すると、とても残念な気分に成ります。その事をCT検査室のスタッフの方々へ話すと、「そんな人、今まで一人もいませんよ。」「私も今までで初めてですね。」と、とても珍しがられるのですが、好きなものは好きなのですから、仕方ないですよね。

何度も何度も受けてきたCTなので、今日もいつも通り進められたのですが、どうもその温泉感覚の「造影剤静脈内投与」の終了と共に、背中がかゆくなって来ました。急にくしゃみも連発。『今日は暖かい気温だし、少々、汗をかいたのだろう。』、『暖かいから花粉も飛んでいるのだろう。』などと思っていたのですが、検査終了でCTの台から降りたところで完全に違和感。心臓はバクバクするし、気分も悪い。真っ直ぐ歩けないし、鼻詰まりで、完全に鼻が塞がってしまいました。そして何よりも、体中がかゆい。CT撮影中は背中でしたが、台から降りたら、体中です。もう、手のひらまでもが、かゆくてたまりません。皮膚の色も赤くなって来てしまいましたし。

しかし僕の性格で、楽観的に『ま、時間が経てば、治るだろう。』と考えながら、東北大学病院名物、ホスピタルモールのベーカリーで、心臓血管外科の外来受診予約時刻まで小休止。ベーカリーで「バジルチキンサンド」を頬張りました。だって、CT受診の朝は、食事禁止で、お腹減ってたんだもん。(完全に詰まった鼻から鼻水を垂らし、悪寒に震えながら。)

食後、『う~ん、でもやっぱり変だな。』と放射線部に行ってみたら、スタッフの皆さんの慌ただしい反応。ドクターや看護師、計8人に取り囲まれる状態に成りました。色々伺ったところ、間違い無くCT造影剤の副作用との事で、とうとう今回、CT造影剤(イオ○ロン)でアレルギー反応発症です。再度ルートが確保され、ぶっとい注射と点滴処置が行われました。

その後の心臓血管外科の外来にて、「次回CTは単純CT、つまり造影剤無しで対応しましょう。」との事。ですがドクター、僕のCT画像は、心臓血管外科だけでは無く、消化器内科膵臓チームでも必要とされているのですよ。消化器内科でも、単純CT対応で大丈夫なのかな。

次回の消化器内科膵臓外来はゴールデンウィーク中の5月2日です。その時に膵臓の主治医に確認してみましょうかね。


定期的なCT検査を受けましたが。。。

2019年02月10日 | 健康・病気

現在、僕が定期的に通院している診療科は、東北大学病院では、消化器内科(自己免疫性膵炎)、糖尿病代謝科(糖尿病・高血圧)、心臓血管外科(解離性大動脈瘤)の三科。その他に、東北大学病院の南側を東西に通る作並街道を西に向かい、国宝、大崎八幡宮の参道入り口のちょっと手前、柴崎内科小児科医院(睡眠時無呼吸症候群)。そして、会社から西に徒歩5分、千田眼科(糖尿病網膜症等、糖尿病性の病状の発症が無いか定期的に確認)。これだけの診療科に掛かっていたのですね、改めて考えますと、幼い頃から太っていた事が原因している病気ばかりの様な気がします。

成長してから痩せる事を考えなかった訳では無いのですが、結局、痩せられないまま社会人生活を過ごして来てしまいました。言い訳はいくらでも有るのですが、結局、大病するまで痩せられなかった事は、厳しく言えば自分に対する甘えなのでしょう。

しかし、糖尿病を贅沢病と言う人がいらっしゃいますが、この認識は、どの様なものなのでしょうか。贅沢ばかりして来た人間が発症する病気だから、と言う意味でしょうか。確かにその様な原因で発症する人も居るでしょう。ですが皆が皆、ではありません。先天性の方々もいらっしゃいますし、僕の場合は、食費を安く抑える為に、かえって炭水化物(糖質)の過剰摂取に成ってしまったとも言えると思っています。

本当に太っていた頃は、自室に帰るのは多くても一週間に1回。日曜日に洗濯と風呂に入る為。その他は職場か、移動用の連絡車の中で寝泊まり。(遊び歩いていたのでは無いですよ。仕事です。)当然、食事は外食ですが、一週間も着たままの下着と作業服ですもの、気の利いた料理屋で食事する訳には行きません(値段も高いし)。ドライブスルーを利用するかどうかはその時々によって変わりましたが、圧倒的にファストフード店を利用。若しくは、コンビニエンスストアのお弁当でした。痩せられないのは贅沢をしていたから、と言う訳では有りませんが兎に角、腹一杯に炭水化物ばかりでした。はっきり言って炭水化物依存症。炭水化物中毒。(深夜残業も、おにぎりを幾つか頬張ると目が覚めましたから、当時の体質は異常だったのかも知れませんね。)時には、仕事上の節目での自分へのご褒美に、大好きだったシュークリームを大量購入したり。これでは痩せられる訳は無いですよね。しかし、あくまでも「贅沢をして来たから」では無いつもりです。(戦後間も無く迄は、炭水化物を摂取する事こそ、贅沢、だったのかも知れませんが。)

ですが、「糖尿病は贅沢病。」これは、糖尿病を発症してから治療する段階に成ったら確実に言えますね。炭水化物を摂取しない様にしながら蛋白質と食物繊維の摂取。これ、結構食費が高く成るのです。如何に世の中、糖質を含めた炭水化物の食品食材で溢れているのか、また炭水化物の食材は安価に入手出来るのに、その他の物は高値に成るのか。所得に対する食費の割合、いわゆるエンゲル係数は、発症前よりも糖尿病に成ってしまってからの方が高いと思います。

と、言う訳で、現代社会では食費を安価に抑えようとする人こそ糖尿病に成ってしまい易い一面が有る事を、また、決して贅沢をして来たから発症する訳では無い事を、ご理解戴きたく存じます。

さて、炭水化物への未練たらたらの中、この2月に入ってから東北大学病院で自己免疫性膵炎の経過観察にCTを受診して来ました。自己免疫性膵炎は消化器内科のドクターが主治医なのですが、今回のCT画像から衝撃的な発言が有りました。

「膵臓内の水溜まりが退院時よりも大きく成っています。」「それと更に。診療科が違うのですが、解離性大動脈瘤も瘤が肥大している様です。」との事。

本当にこれまで、忙しく仕事をして来て、出会う機会も無かった為とは言え、僕は結婚していなくて良かったです。僕に妻が居たとしたら、僕に子供が居たとしたら、僕に家族が居たとしたら、本当に多大なる心配と迷惑をお掛けしてしまっていた事でしょう。

あぁ、炭水化物が食べたく成りますが、病状悪化。いゃ~、我慢ですね。


退院して社会復帰しておりますよ。(2018年 東北大学病院 消化器内科 自己免疫性膵炎)

2018年08月29日 | 健康・病気

皆様、記事更新が大変遅く成りまして、申し訳ございませんでした。

前回記事の通り、6月に東北大学病院の消化器内科病棟に入院し、自宅療養期間も有った為、社会復帰は8月1日からでした。

社会復帰から間も無く夏季休暇の季節で、現部署の皆さんのご理解も有り、身体に大きな負担の掛かる様な状態では無く、順調に身体を慣らす事が出来た様です。

とは言え、土日は基本的に休みましたが、業務上、「夏季休暇」らしい休暇には成らなかったのが現実です。平日で休んだのは二日間でしたので。(業務の内容は、当ブログでは記載しない様にしておりますので、悪しからず。)

その二日間の内、一日は日帰りで東京に戻りました。「自己免疫性膵炎」(IgG4関連疾患)の指定難病行政手続きの為です。僕は現在の居住地は仙台ですが、住民票は東京に残しており、東京での手続きが必要だったのです。

その様な事情で、何だかんだと忙しくしておりましたこの夏ですが、実は退院後、僕のパソコンが壊れてしまいました。(はい、新規記事の更新遅延の言い訳では有りますが。)

二台持ちなので、もう一台でブログ記載は、可能と言えば可能ではありましたが、そこは「ステロイド剤(プレドニゾロン)」大量内服による微妙な体調管理。申し訳ございませんが、ブログ更新は難しかったのが実情です。

退院してから、この記事更新までに既に一か月が経過しており、入院中の話題は、もうタイムリーではございませんが、ほんの少しご紹介しましょう。(パソコンの修理に関する記事は、また後日に掲載します。)

 

先ずは、敷地正面入り口ですね。

下の写真は、僕の「病室移動前」です。入院中に病室を「北側」から「南側」に移動する事に成りました。で、これは今回の入院当初。「北側」の病室にて。ピンクのテレビは持ち込んだ、入院直前にド〇・キ〇ーテで購入した安物(ですが、BSチューナー・CSチューナー・HDMI端子のそれぞれが付いています。)の「マイテレビ」。内緒の話ですが、病院のテレビカードを介さずに視聴出来る様、更にマイ分波器を用意する等、アンテナ配線を工夫して接続しています。入院生活が長いと、テレビを購入しても、この方が実質的に安価に収まるのです。無料でテレビが見放題ですよ、本当に、絶対に、内緒です。

下の写真は、病室移動後です。この病室で、一か月以上を過ごしました。違いは窓の外の風景なのです。南向きの部屋は、窓枠まで熱くなる程で、目の前は建物。何とも味気無い風景でした。因みに、この病室は病棟婦長室の目の前。持ち込み「マイテレビ」がバレない様に、タオルで隠しております。

病室移動後の「南側病室」の窓の外の風景です。先ず下の写真は、「南西方向」ですね。

そして「南方向」。

更に、「南東方向」です。

因みに、僕のベッドからは、こんな風景で見えました。逆光なのは、ご勘弁を。

と、この様に、病室から見える味気無い風景、そして窓枠からの放射熱とで、夏場の「南側」は少々キツい気がします。ですが、流石に東北大学病院。構内はかなり癒される風景、場所も有るのです。

上の写真は、ボランティアの皆様方が植えられたお花ですよ。下の写真は、正面入り口から少し西を向いた方角ですが、敷地内正面部分は、緑が多くて、目に優しいのです。

そして、極めつけのゾーン。食事制限中の入院患者にとっては、最高の「精神鍛錬」の場ですね。病院内のベーカリー前。起床時刻前(6時前)の風景です。既に午前3時には、小麦とバターの最高の「香り」が充満します。

朝3時に出勤なさっていらっしゃったベーカリーの職人さんに伺ったところ、店長さんは午前2時にはパンを焼き始めているのだそうです。しかし、本当に「ウマそう」な香りに、胃液が大量分泌されるエリアです。

下の写真は夏至の頃、朝4時15分頃の8階北エレベータ室から北東方面。まあ、病院ですから、窓ガラスの清掃は行っておりませんでしょうし、綺麗には写りませんよね。ですが、病院の配置から、もう少し階が高い東病棟側では毎日、もっと綺麗に日の出が拝める事でしょう。

朝の写真が多い事からお察し戴けたかも知れませんが、午後9時には消灯、就寝する毎日でしたので、娑婆での生活で6時間も睡眠を取る事など無かった僕は、毎朝3時前には目が覚めていたのでした。

この様な入院環境でしたが、今回の南側病室(4人部屋)は、重篤な患者さんばかりなのにも拘らず、会話が弾んで、他の病室とはかなり違った雰囲気だったと思います。看護師さん達にとっては、少々(いや、かなり)騒がしい印象の病室だったかも知れませんが、精神衛生上、全く会話の無かった前回2月の入院(2018年3月4日記事https://blog.goo.ne.jp/wasabidaikon/e/6f7e282edb7b43cc870b8a9ec30d3031ご参照。)に比べて、僕自身は、ずっと過ごし易い環境でした。

 

僕のお隣だった〇藤さん、きっと今頃は泉ヶ岳、定義山方面の山歩きを楽しんでいらっしゃる事でしょう。でもね、勝手に採取してはいけませんよ。

僕の相向かいの〇島さん、現場は若手に任せて、ご自身のご健康に専念して下さいね。

僕の斜向かいの齋〇さん、〇汁は「いちご味」「バナナ味」、どの様なフレーバーを添加してお飲みになられたのか、聞かせて下さいね。


再入院決定。6月中旬から7月一杯までかな。(東北大学病院 消化器内科)

2018年06月02日 | 健康・病気

また東北大学病院、消化器内科に入院する事に成りました。

3月の記事(https://blog.goo.ne.jp/wasabidaikon/e/6f7e282edb7b43cc870b8a9ec30d3031)でステロイドを先送りする事にした旨を報告しましたね。実は5月末の診察で、黄疸は治まりましたが、肝心の「自己免疫性膵炎」による膵臓の炎症は、退院後、返って悪化している事が判明致しました。

「差額ベッドなら早く入院出来ますが。」「いえ、大部屋で結構です。」「そうですね。いや、差額ベッドの件は確認しなければならない規則なので。」

と、言う事で、ベッドの空き待ちの順番最後尾に登録しました。「およそ2~3週間の待機が予想されます。」との事。6月中旬には入院です。今回の入院は、前述の3月記事にも記載しましたが、ステロイド投与による副作用のコントロールが目的なので、約8週が必要なのだそうですが、幸い、次回入院までの間に、進められる検査は外来で対応して行きましょう、との事。少し短く、6週間が目安だそうです。

それにしても6週間。業務に多大な影響が有るのは勿論の事、前回入院の様に、同部屋の患者さん達の容態によっては全く会話の無い入院となる訳で、副作用の心配も相まって、少々気が重いです。

実は7月初旬に、学生時代にお世話に成った恩師の、或る記念パーティーが東京で開催されるそうなのですが、僕は入院中で参加出来ません。学生時代からの友人で、このブログの存在を知っているのは、おそらく一人きり。そこで業務連絡。

僕が参加出来ない旨を、先生、そして集まるであろう皆に、お詫びと共に伝えておいてはくれまいか。今回の入院は「自己免疫性膵炎」だけど、「大動脈解離」で、二度と本気で楽器を演奏する事も出来なくなってしまったと。そして、皆に、健康に留意する様に、と。


退院しました。(ステロイド使用開始は先送り=今回の入院期間は大幅短縮)

2018年03月04日 | 健康・病気

自己免疫性膵炎を起因とし、胆管及び膵管の狭窄、胆汁うっ滞等による黄疸症状の悪化により、肝機能障害が現れて入院しておりましたが、今般、退院致しましたので、お知らせ申し上げます。

入院当初、会社に提出する入院期間の見込みを記載した診断書には、「2か月」と記載されておりました。この期間は、膵臓以外の臓器不全を起こした場合、ステロイドを使用して膵炎の炎症を抑える必要が有り、ステロイドの使用に伴う副作用なり、糖尿病の悪化なり、事前に予測される悪影響のコントロールの安定化に要する期間なのだそうです。

ところが今回、僕が入院を開始したら、黄疸の症状が快方傾向にあり、膵炎起因の胆管狭窄も、快方に向かっているとの診察判断。主治医の、「将来的にはステロイドの使用は避ける事は出来ないでしょう。但し、極力使用はしたくないので、今回は使用を開始する判断を避けました。使用に踏み切るのは、なるべく先送りにしたいですね。」との説明で、退院して参りました。

但し、黄疸による肝機能障害は完治した訳ではないので、まだ、かなりの倦怠感が続いておりますが、社会復帰は明日、3月5日(月)です。

それは、私の48歳の誕生日。戌年の年男ですから、何か良い事が起りそうな期待を胸に、寒いこの冬が緩む様な温かい日差しの中で、明日を迎えたいですね。

 

ちなみに、入院中の東北大学病院、消化器内科病棟の或る朝6時、起床時刻に撮影した廊下の様子です。未だ吹雪の日も有るこの季節です。この写真を撮影した朝も、6時とは言え、外は真っ暗でした。

下の写真は、西病棟の南側廊下を、ナースセンターから西に向かって。

下の写真は、西病棟の北側廊下を、ナースセンターから西に向かって。(僕の入院した病室の周辺)

下の写真は、西病棟の北側廊下を、西端部からナースセンターに向かって。(僕の入院した病室の周辺)

考えてみると、前回入院(2017年6月11日記事https://blog.goo.ne.jp/wasabidaikon/e/0420e13b6c944d4a6c8159cddd5dc0adご参照。)した東北大学病院の、同じ「西病棟」です。部屋の配置や造りは全く同じなのですが、朝6時に人影が無いのが全く違いますね。今回の消化器内科病棟は、重篤な患者さんも多く、皆、静かに寝ていらっしゃいます。前回入院した糖尿病代謝科は、「糖尿病は重篤」でも、臓器不全を起こすまで重篤な患者さんは、僕の入院当時にはそれ程いらっしゃらなかったのでしょう、起床前の朝5時には既に、どの病室からもガサゴソと人が動く気配が有り、廊下にも誰かしら歩いておりました。病室内でも、患者さん同士の会話は有りましたが(本当に楽しい会話で退屈しなかったですね。)、今回の消化器内科では、同室4名の患者さんの間で、会話らしい会話は、全く、本当に文字通り「まったく」、有りませんでした。

入院する診療科の違いで、これ程にも雰囲気が異なるのですね、色々な意味で、良い勉強と成りました。


また入院します。(ブログ更新一時停止のお知らせ)

2018年02月10日 | 健康・病気

実は昨年末、12月28日(仕事納め)に、僕の勤務先の部署では、昼から打ち合わせコーナーで小宴が催され(僕は当然、お酒は飲まずに、緑茶のみでした)、午後2時には解散、帰宅したのですが、そのままバタンキュー。年末年始は、東京に戻って、兄嫁、甥、姪にも会うつもりでいたのですが、みぞおち痛が非常に重く、ずっと寝込んだ年末年始休暇と成っておりました。(母校出場の箱根駅伝のテレビ中継も、布団の中でうつらうつらしながら、ほぼ記憶に無い有様でした。)

年始、仕事始めから出勤はしていたものの、1月20日過ぎからはみぞおち痛の他に、極度の疲労感と倦怠感に悩まされ、ちょっと別件の有った「ついで」に東北大学病院の消化器内科に寄ったのが、2月2日。予約は入れないで外来に行ったのですが、その場で「黄疸(おうだん)」が発覚。緊急入院を勧める主治医に対し、さすがに急過ぎる為、拒否をしたのですが、1週間の猶予を戴き、再度2月8日にCT、レントゲン等の検査で、「待った無し」で入院手続きに入りました。(外来の主治医から、病棟のベッド管理担当医師宛ての申し送り事項に「大至急」と記載されていたのが、チラッと見えました。)

結果、三連休明けの2月13日(火)に、入院が確定し、ついに、自己免疫性膵炎のステロイド投与が開始されます。

副作用や、将来的にも、生涯続けなければならないステロイド投与は、主治医も、僕自身も、極力避けたかったのですが、黄疸が出た上に、極度の疲労感、倦怠感には、とても耐え難いものも有り、入院加療を決意致しました。

主治医曰く、約二カ月の入院見込みとの事、業務上、かなり問題も有るのですが、致し方無いですね。会社には多大な迷惑をお掛け致しますが、誠に申し訳ございません。

元日のブログ更新からこれまで、通常に出勤はしておりましたものの、帰宅しても体調不良により記事更新が出来ませんでしたが、入院中は当然、一般的な大部屋ですので、インターネット環境では無い為に、このブログの更新は不可能です。

皆様、再びこのブログ更新が停滞致しますが、何卒、ご理解賜り、ご了承下さいます様、何卒宜しくお願い申し上げる次第でございます。

ちなみに、「黄疸」は、亡き父が、最期の入院前に自宅で発症したのを覚えており、今回の僕自身は「まだだろう」と思っておりました。(父の様に、眼球までが黄色く成る事は有りませんでした。)ですが、今年に入り、僕の皮膚の色素の黄色味が深く成った様に感じられ、尿の色もレンガ色(濁りは無く、澄んではいるのですが、鉄さびの様な、これまで見た事も無い色調でした。)に成る事で、「もししかしたら」とは、薄々、感じてはいたのですけどね。

約二か月の入院との事、来月(三月)初旬の、僕の満48歳の誕生日は、入院中の病床で迎える事に成りました。今年の干支は、僕の生まれ干支で、年男。厄年では無いので、年神様のご加護によって、「何か良い事が有るかも」と期待しておりましたが、どうにもキツい戌年前半です。

ステロイド投与ですか。どうしても避けたかったのですが、もう、諦めるしかありません。


国の「指定難病№300=IgG4関連疾患」だそうです。(自己免疫性膵炎)

2017年07月30日 | 健康・病気

前回記事で入院していた事は記事記載しましたが、退院直前に実施した検査で「自己免疫性膵炎」が確定し、外来受診の際に、消化器内科の医師から説明が有りました。

国が指定する「指定難病」の「300番」で、「IgG4関連疾患」なのだそうです。

診断書を戴いたので、マイナンバー通知書と一緒に保健所に持ち込み、手続きする事に成ります。

急性大動脈解離も経過観察中ですし、今回の指定難病罹患の確定。前回記事の最後にも記しましたが、毎日を大切に過ごしたいです。

でもね、(みぞおち痛と全身倦怠感等)体調が悪い日は、疲れが取れずに本当にキツいのですよ。。。

職場では、「体重が落ちて身体が軽くなったでしょ、これでますます仕事に打ち込めますね。」と期待されるのですが、そうもいかないですね。もっぱら苦笑いで対応です。


東北大学病院に入院しておりました。(「自己免疫性膵炎」って何だ?)

2017年06月11日 | 健康・病気

皆様、ご無沙汰致しておりました。前回記事を含め、今年の始めから体調不良が続いていたのですが、とうとう入院する事となり、ひと月以上、会社を休ませて戴いておりました。

「みぞおち痛」が酷くなり、前回記事の外科病院では「みぞおち痛」は専門外ですので、会社近くの内科病院で診てもらったところ、即「入院治療を要する」とされ、その受診した内科病院では無く、東北大学病院(旧名称:東北大学医学部附属病院)宛てに紹介状が出されて、東北大学病院に入院となったのです。

「みぞおち痛」については、入院中に精密検査を受けて原因を探る事として、内科病院で明らかになった血糖値の上昇についてを、まずは管理しましょう、そして膵臓を休ませてあげましょう、と言う事で、糖尿病代謝科に入院致しました。

実は、この糖尿病代謝科の入院も意味が有り、このブログ前回記事の抗生物質の点滴も、右膝下の怪我が元で傷口が化膿。周辺の部位にまで高熱を帯びる状態となっており、血糖値の高値安定(糖尿病の悪化)が、血液検査からも顕著だった訳です。そうです、高血糖が続いていると傷口が治りづらくなる為に悪化。僕の場合、右ひざから下を切断、なんて事も有り得ない訳では無かったのです。糖尿病代謝科の病棟に於ける総回診「教授回診」(毎週月曜日昼食後から)でも、その点を充分に注意する必要が有る旨、とても丁寧に説明を受けました。

この入院期間中に於ける精密検査で、色々と新しい病気や症状が確認され、従前からの持病、①大動脈解離②糖尿病③高血圧④睡眠時無呼吸症候群⑤動脈硬化⑥不整脈⑦脂肪肝⑧胆嚢ポリープ⑨第五脊椎分離すべり症に加えて、⑩自己免疫性膵炎⑪心筋梗塞⑫脳梗塞⑬糖尿病性末梢神経障害⑭逆流性食道炎が加わりました。まぁ、大きなものから小さなものまで多くの病気を抱える、いわゆる完全な「大病持ち」に成ってしまいました。

しかし今回発覚した病気の中で問題なのは、この⑩番、「自己免疫性膵炎」ですね。

実は入院中の血液検査で「リパーゼ」 「アミラーゼ」が異常値を示した為、膵臓癌が疑われ、再度の血液検査は勿論の事、腹部超音波検査(US)、コンピュータ断層撮影(CT)、内視鏡的逆行性胆管膵管造影(ERCP)、超音波内視鏡下穿刺吸引法(EUS-FNA)、陽電子放射断層撮影(PET)等の各種検査が行われました。特にPET検査の説明の際に、病室まで説明にいらっしゃった消化器内科のドクターから、「膵臓は光ります。その他に光る所を探します。」と言われたので「それって『膵臓癌』だ、と宣告された様なものだよね。」とか、「癌の転移の有無を探すと言う事だよね。」と、入院同室の他の患者さん達からも、かなり心配されました。

どうやら結果は「膵臓癌」では無いらしく、この「自己免疫性膵炎」だ、と言う事の様でしたが、この病気、1995年に新しく分類された病気で、珍しい病気なのだそうです。今回の入院は東北大学病院でしたので、「今後の研究の為に、追跡調査に協力して欲しい。」との説明が有り、患者登録に協力致しましたが、登録患者数は、日本全国の各病院を合わせて5年間で千人を目標としているそうです。日本全国で年間200人。そうですね、登録しない患者もいるだろうとは思いますが、珍しい病気なのですね。

治療法はステロイド投与が効果的なのだそうですが、その投与量、投与期間等については医学界でのコンセンサスが取られていない様ですし、ステロイドによる副作用、そして「自己免疫性」による他の臓器への病変(勿論「癌化」を含む)は、免れないものである様です。

他界した母は、膠原病(全身性自己免疫疾患)由来の肺癌が脳転移して亡くなりました。膠原病治療中のステロイド投与の副作用、他の臓器の癌化は、目の当りにして来ておりますから、近い将来、僕も母と同じ道を歩む事なるものと覚悟を決めた次第です。

両親の亡き祖父、そして亡き両親、更には唯一の肉親である兄も含めて一家全員、癌患者。兄は現在、大腸癌からの全身転移により、東京の聖路加国際病院で壮絶な闘病生活を送っております。

僕も、今年の3月に満47歳を迎えました。そうそう長くは無い事を念頭に、日々充実した毎日を、心穏やかに送りたいと思います。

上の写真は、東北大学病院の正面入り口です。(但し、この写真は2年前、2015年6月に撮影したものです。)

上下の写真は、僕の今回の入院中のベッドですね。

点滴ですよ。別の輸液が途中に1本入った為、記載の予定時刻から遅れて、日が昇ってからの撮影でした。

ベッドからの風景です。病室は北側でしたので、風景その1。北東方向から。

風景その2。真北方面です。

風景その3。北西方面です。

実際のベッドからの眺めです。逆光なので、窓枠が真っ暗に映っていますが。

さあ、明日からは社会復帰です。

毎日を悔いの無い様、頑張って行きましょう!


インフルエンザ罹患

2017年04月09日 | 健康・病気

ただでさえ前回記事に記載した様に体調不良が続いている中で、今度は追加でインフルエンザA型を罹患してしまいました。何と言う体調のバイオリズムの低下でしょう。

4月6日(木)は朝から病院で「心臓」に関する診察と検査が有り、午前半日有給休暇を取得していましたが、体調が優れず、午後も心電図検査が残った事も有り、終日の有給休暇へ変更。午後4時には帰宅しましたが、そのままバタンキュー。翌日朝まで15時間睡眠。(実はこの間、何度か生理現象で目が覚めています。一度午前3時に目覚めているのですが、二度目に目を覚ましたら午後23時。三度目に目を覚ますと午前二時。あの午前三時の一回目の目覚めは何だったのでしょうか。不思議な時間の逆行を、間違いなく経験しました。ま、何も証明する事は出来ませんし、それよりも、ただ、具合が悪くて寝たかった為、「あれ?」で済ませてしまいましたが。)

4月7日(金)は、どうしても進めなければならない仕事が有る為、38度2分の発熱があったにもかかわらず出勤。ものすごい「くしゃみ鼻水鼻詰まり及び咳」の症状が出ていましたが、社外での仕事ですので、構わず独りで仕事を進めていました。昼休みに一時的に書類作成の為、帰社。その際に上司から「発熱が有るのに自動車運転を認める訳には行かない」と、急遽上司の運転により引き続き仕事です。

午後4時半にようやくひと段落。上司に断り、早引けさせて戴き、即病院へ。

インフルエンザA型罹患発覚。

午後、自動車の運転をして戴いた上司、及び取引先の皆様、本当に申し訳ございません。まさか、インフルエンザだったとは思ってもいなかったものですから。

4月7日(金)、僕と接触した皆様方に、深くお詫び申し上げますと共に、念の為、内科にて受診されます様、強くお奨め申し上げます。

4月8日(土)と本日4月9日(日)は、投薬の効果が有り、37度には達しない「微熱」とも言えない程の体温ですが、布団から出ると悪寒を感じ、ほとんど起きてもいられず、ただただ、睡眠を続けています。気が付くと寝ていた状態の繰り返しですので、意図的に寝ているのではなく、本当に本能で寝ている様です。

起きていても、もの凄くダルくて、すべての筋肉に力が入らず、頭痛がします。

この記事も、生理現象に合わせて布団を出たついでに書き込んでおりますが、皆様も、ご自愛下さいます様、謹んで申し上げる次第でございます。