天声俊語-俊坊が語る-

 キチガイ芸術家、俊坊の毎日更新ブロク。
 主な内容は友人アーティストの楽曲紹介と、拙作「王善本紀」の製作記録です。

王善本紀 戦闘シーン サンプル

2006年04月30日 | 王善本紀
 向かい側の扉がゆっくりと開き始める。
 同時に、わたしは其れ迄の不動立ちから半身立ちの組手構えに切り替えた。
 背筋を伸ばしたまま、
 左足を前に、
 右足を後ろに、
 体重配分は其々に半分ずつ。
 軽快な歩法フットワークや、蹴り技を出し易くする為に両足の幅スタンスは狭くする。
 左手のガードは牽制の為に離し、
 右手のガードは顔面を守る為に顎の横に置く、
 息を丹田まで深く吸っては吐き、
 眼は真っ直ぐに前を見据えて、
 気を静める。
 戦闘準備完了!


 「殺(シャアッ)!」


 扉が完全に開いた。
 見ると其処には大きな狼がいた。
 わたしの身長は156cmである。
 奴はわたしの腰と同じ位の背丈があるのでかなり大きい。
 だが、わたしが負ける事は無い。
 何故ならば…
 わたしは知っているからだ…
 此の世界が…何なのかを。
 「おい。」
 閻王がわたしに呼び掛ける。
 「何だ?」
 「死合の準備は良いのか?」
 何だ、そんな事か。
 「応(オウ)!始めてくれ!」
 早く闘りたい。
 否、早く殺りたい。
 「開始(はじ)めいっ!」


      ジィヤァァァーーーン!
 銅鑼の音が鳴り響く。
 そして、
 狼が此方に走って来る。
 クアトロッチで狼の目を見据える。
 こうして威圧すると同時に、敵の目を中心に全体(更には其の周辺)を捉える事が出来る。
 此れがシチリア式短剣術(シチリアン・スタイル)基本の目付けであるクアトロッチだ。
 速い!
  逃げられない!
   ならば、向かうまでだ。
 無論、最初から逃げる気は無い。
  迎撃する!
   彼我の間合いが詰まる。


わたしも大きく前に出る。


 そして、
   更に接近し、
    両者の間合いが5m余りになった時、
   狼が喉元目掛けて飛び込んで来る。
 ならば、


 「止(シッ)!」


 口を開ける前に踏み込み、
 狼の鼻に左肘を、
 打ち込む!


 めじっ!


 左肘が鼻に食い込む感じがした。
 同時に、互いの衝撃の反動で僅かに間合いが開く。
 だが、わたしは攻撃の手を緩めない。
 狼は未だに宙を浮いている。
 ならば、


 「上(サン)!」


 右の中足前蹴上を放ち、


 ゴッ!


 見事に顎を粉砕する。
 狼の顔が上を向いたかと思うと、ぐるんと回り始める。
 間も無くして、目の前に大狼の腹が見えた時。
 蹴り足を静かに下ろして、
 更に一歩踏み込み。


 「哈(ハッ)!」


 右掌底突きをねじり込む。


 ぐにゅ


 掌撃(ショウげき)で内部破壊を起こしたものか、
 狼は血を吐きながら前方に吹き飛んだ。
 わたしは止めを刺す為に接近する。
 そして、


 ガッ!


 右踵で肋骨を踏み砕くと、
 左手で口を握り閉ざし
 (最も、先程顎を砕いたので、噛み付かれても大した事は無い。)、


 ぐりっ!


 右手親指で大狼の左の眼球を抉(えぐ)り出した。

 そして、取り出した眼球を無造作に投げ捨て、
 右手を下顎に、
 左手を上顎に宛がうと、


 がりっ!


 力任せに顎を引き裂く。

 止めにとばかりに腹面へと回り込み、
 右手を首の後ろに回して、
 左手を顎の前に掛ける。
 そして、
 右手で首を絞めつつ、
 左手に力を込めて、


 「死(セイッ)!」



 ゴッ!


 首の骨を折る。



 こうして一匹目は斃した。
 わたしは立ち上がる。
 「もっと綺麗に殺れよ。」
 閻王は文句を付けて来た。
 「だったら、犬の急所や経絡・経穴を教えて貰いたい。」
 敢えて狼を「犬」と言ったのには訳が在る。
 「お前はあれをして「犬」と言うのか?」
 「当然だ!全然物足りん。
 次はもっと手応えのある奴を出してくれ!」
 「分かった。
 所で、お前の拳法の流派(スタイル)はフルコンタクト空手と蟷螂拳(とうろうけん)の折衷だろ?」
 正解。
 微塵も驚かずに答える。
 「何故分かった?」
 確かに構えや技は空手の其れだ。
 だが蟷螂拳を使った覚えは無い。
 …何故だ?
 「速いからだよ。」
 意味が分からない。
 「何が?」
 「歩法がだよ。
 あの歩法、確か猿猴歩(えんこうほ)とか言ったな。」
 流石は閻王、一瞬で見抜く。
 「ああ、正解だ。2回戦は?」

王善本紀 粗筋

2006年04月29日 | 王善本紀
 東洋の神話に曰く。
 阿修羅(アスラ)は元来、正義と慈愛に満ちた善神であった。
 だがその潔癖な性格故に「悪」と「敵」を許さず、その全てに戦いを挑みそして滅殺した為に修羅道へと堕ちいく。
 いつしか阿修羅は戦闘を司る鬼神となっていった。

 また西洋の神話に曰く。
 その異形故に迫害された黒き天使の魂魄が分裂し、善の魂を持つ鬼神と悪の魂を持つ魔神に分かれた。
 それはあたかも混沌の闇から光と影が現れるかの如きである。
 異形なる闇の天使より別れしふたつの魂が、光の善鬼と影の悪魔となり互いに相争う。
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 1983年6月20日。

 東北地方のとある田舎にて、1人の漢が産声をあげた。
 日本人の父・大沼秀一と台湾漢族の母・王秋江の間に生まれた其の子は紳助と名付けられるが、時既に遅く不幸は始まっていた。
 姑からの嫁いびりや、夫の浮気等で愛想を尽かした秋江はせめてもの報復のとして、離婚するついでに物心付いて間も無い長男の紳助を大沼家より連れ去る。


 1987年。

 母・秋江に連れられ、4歳の紳助は新潟県村上市へとやって来る。
 其処で秋江は紳助を自分にとって都合の良い人間にする為の「教育」を施し、文官にして老後の生活保障を目論む。

 同時に秋江は鬼母の本性を現し始める。
 自らが腹を痛めた上に自分の血が半分混ざっているとは言え、もう半分は自分を虐げた憎き大沼家の血が混じっている。
 褐色の肌や顔立ち等の外見も秀一に大変よく似ている紳助を虐待し始めた。
 また学校では混血児である事が災いした苛めを受けて、ついに小学5年生時の集団リンチの際に尖った石で左眼を潰されて失明する。


 許さない・・・絶対にこいつ等ぶっ殺す!



 苛めと虐待。
 2つの迫害に苦しむ紳助はやがてある1つの真理を会得する。


 力無き正義は無力であり、正義無き力は暴力である。
 そして共に無能。


 それは弱肉強食や勝てば官軍という武力こそが正義であり、正義こそが武力であるという覇者・覇道の思想を魂の奥底まで刻み込む。
 そして紳助は決意する。


 強くなってわたしを迫害した奴等を皆殺しにしてやる!


 元来病弱ながらも勇猛で気性の激しい紳助は復讐を自らに誓い、人知れず秘密裏に修行を開始する!
 先ずは肉体を強化する為に常軌を逸した荒行を行って基礎体力を向上させ、次に競技の試合に勝つ為の武道では無く実戦の死合を制する為の武術を覚え始める。
 兵法(=武器武術)なら―――
  短剣格闘術。
  長兵術。
  短兵術。
  刀剣術。
  暗器術。
 拳法(=徒手武術)なら―――
  柳生心眼流。
  フルコンタクト空手。
  蟷螂拳。
  骨法。
  クラヴマガ。
 両法に共通するものとして―――
  軍隊格闘技。
  殺人術。
  点穴術。
  軽身功。
  童子功。
 等様々な武術を組み込んではスポーツ色皆無の我流実戦武術である助流を密かに創り始める。
 更に格闘能力だけでなく孫子や呉子、クラウゼヴィッツ等の兵学や自然界で生き残る為の生存術も学んで総合的な戦闘力の向上に努める。
 そして訓練だけでは飽き足らずに実戦の場数も積極的に踏み出す。
 月一で行われる地元猟友会の最年少メンバーとなっては素手やナイフで獲物の野生動物を死留めたり、闇討ちでの辻殴りで地元の悪人(=不良と暴力団員)を遊撃的に殺し回る。

 こうして紳助は確実に「殺す為の武力」を身に付けていく。
 但し、「能ある鷹は爪を隠す」と言う諺の通りに獲物に警戒心を持たせない様に平素は敢えて「弱虫で愚か者の変人少年」を装う。



 そして月日は流れ…

 1999年4月1日。

 紳助がもうすぐ16歳になろうとする頃より、此の本紀は始まる。
 此の日もいつも通りにハンティングで鹿を死留めた後に帰宅すると、鬼母秋江が包丁で紳助を刺し殺そうとする。
 原因は簡単。紳助の武術修行が露見したのだ。
 今まで紳助を虐待して来た事への復讐を恐れた秋江は今の内に殺ってしまおうと考えて襲い掛かる。
 だが、紳助はこの刻を待っていた。


 母上、キサマには死んで貰うぜ!


 強くなった紳助は今迄の恨みを晴らすべく素手で殴り殺す。
 そして自らの正当防衛を証明する為に敢えて警察に出頭し、口八丁の詭弁術で丸め込んで無罪放免となる。


 1999年4月4日。

 地元の不良グループが紳助をリンチにかけようと同市中洲公園に呼び出すが、もはや実力と武器を隠し持った紳助の敵ではない!


 お前等はわたしを人間扱いしなかった。
 だからわたしもお前等を人間として扱わない!


 得意のナイフ二刀流で其の場に居た全員を斬殺すると、死体から物資(武器やお金)を剥ぎ取り、公園に火を放つ。
 其の足で紳助は或る所へと向かう。
 先程誅殺した不良グループの黒幕バックに当たる地元暴力団事務所を襲撃。


 問答無用!死ね!


 とばかりに苦も無く皆殺しにする。
 又しても物資を奪って放火すると、其の混乱に乗じて村上を去る。



 警察と民間人(=実際は暴力団)が束(グル)になって追討しに来ると予測した紳助は、同県関川村の大石ダム経由で磐梯朝日国立公園内へと入る。
 逃げると見せ掛けて山奥へと討伐隊をおびき寄せ、伸び切った補給路を断った上で積極的に攻め込む。


 皆殺しだ。どいつもこいつもぶっ殺してやる!


 地の利を活かしたゲリラ戦を展開し、300人超の討伐隊をたった1人で殲滅させる。
 無傷で追っ手を全員殺した上で物資を奪い、通信機器を破壊した紳助は更に飯豊連峰の山奥へと歩みを進める。



 いつまで経っても紳助を斃せない事に業を煮やした政府は特殊部隊を投入する。
 そして、山中での交戦。
 銃剣を持ち、装甲を着けた兵士との死闘。
 此れ迄人獣問わずに全ての敵を一刀で屠って来た二刀流も通じない。
 しかも敵は複数。
 徐々に追い詰められて行くが、持ち前のしぶとさで何とか血路を斬り拓き始める。
 そして逆転勝利と思われたまさに其の時、


 ドウッ!



 狙撃。

 接近戦に意識が向いていた紳助の頭部を銃弾が貫く。
 致命傷を受けながら尚も精神力と闘争本能で闘い続けるが次第に衰えて遂に力尽きる。
 そして、紳助は死んだ!
 隊員が任務完了を報告した直後に交信が途切れ、彼等は消息を絶つ。
 不審に思い捜索隊を放って調べた所、何と紳助の死体は無く、代わりに在ったのは隊員達の死体であった。
 更に調査すると、近くから人喰い熊の斬殺体が発見され、両地点から紳助の物と断定された大量の肉片と血液が採取される。
 結局紳助の死体は発見されなかったが、発見された夥しい物的証拠により鎮圧宣言が出された。
 しかし其れは死なない方がおかしいと言う推測に過ぎず、確実な死亡宣言が無い為に人々の心の中には依然として恐怖が残った。
 そして、このテロ事件は紳助の乱として歴史に強く刻み込まれる。



 其れから3年余り経った―――

 2002年夏。

 東京都新宿区歌舞伎町に1人の漢が現れた。
 漢の名は善(シャン)。
 ビルマの少数民族出身の闇武術家である。
 彼は歌舞伎町に入るや否や其の神をも恐れぬ武力を使い、まるで獲物を狩る肉食獣の様に暴力団やチンピラを殺しては身包みを剥いで生活をし始める。
 1週間後、関東最大の巨大広域暴力団・泰平会の事を知ったシャンは早速事務所に殴り込んで言う。


 ワタシは強いヨ。だから雇え!


 相手方がぶつけて来た百人組手を楽勝で制し、シャンは泰平会専属の殺し屋&用心棒&武術師範として破格の厚遇で迎えられ、会長の福良大吉とも朋友の仲となる。
 そして此の日から後世の史書に王善(ワン・シャン)と尊称される漢の伝説と歴史、即ち王善本紀が始まる!

♪zwievel「MOZAIQ」

2006年04月28日 | ♪zwievel(シヴェル)
♪zwievel「MOZAIQ」
 何かが焼け焦げるかのようなプツプツ音を基調とした踊れるノイズ曲。
 その上様々な展開に富み、普段ノイズを聴き慣れない者すら飽きさせないのはお見事である。
 個人的にはラスト7:58のからの短い盛り上がりが一番ノレる。
 ノイズの入門曲として最適。

♪高津戸「xi」

2006年04月27日 | ♪高津戸(=Takazudo)
♪高津戸「xi」
 全編に渡って繰り広げられる疾走感と緊張感の二重螺旋がリスナーを心地良くトリップさせる。
 展開構成も良く、曲全体を3分割した中での3分の1が経過した箇所では映画でもよく見られる「敢えてゆっくりとする事で速さを強調する」技法が使われている。
 3分の2から終盤までのラストスパートでは速くて力強い展開が耳と脳を楽しませる。

♪狸穴「Amazonite」

2006年04月26日 | ♪狸穴(まみあな)
♪狸穴「Amazonite」
 この曲を聴いて浮かんだイメージはずばりRPGゲームのダンジョンである。
 といってもダンジョンには樹海や迷宮、神殿など様々なタイプが存在するが、この曲の私的なが南米アマゾンの樹海とそこにあるマヤやインカの古代遺跡だろう。(マチュピチュとかチョケキラウとかの空中都市。)
 タイトルにも「amazon」の字が入っているので、狸穴はそのイメージを基にこの曲を作ったのだと思われる。

♪sway「lustration」

2006年04月25日 | ♪sway
♪sway「lustration」
 出だしから清涼感溢れる爽やかなテンポで進み、サビの部分では深みのあるサウンドを上手く挟み込む事でスタイリッシュな楽曲に仕上がっている。
 曲の一部に声ネタを使い、ラストはさっぱりとした終わらせ方をさせるのも面白い。
 muzieでも公開されていたが、この曲はまさにリラクゼーション向けと言えよう。

♪katagi「生きよう」

2006年04月24日 | ♪katagi
♪katagi「生きよう」
 もの悲しげなトラックから一気にリリックに惹きつけられる感じが良い。
 特に「疲れたときはゆっくり休め・the key to life is 自分のpace・誰にも合わせず走れ it's your race」の部分に凄く励まされ、ともすれば焦りがちな現代人に対して警鐘を鳴らしているように思える。
 この曲を聴いていると、自分のこれまでの人生が走馬灯の如くフィードバックされて、まさに明日を「生きよう」とする活力が沸いてくる。

「死ぬ覚悟→殺す覚悟→生きる覚悟」

2006年04月23日 | 修行・鍛錬
■覚悟の自論:「死ぬ覚悟→殺す覚悟→生きる覚悟」

「恐怖を知らない人間は、皆、未熟なうちに滅びてしまう。
 恐怖を知っている人間だけが、それをバネにして本当に強くなり、やがては、その恐怖を克服できるのだ。」
□出典:松田隆智・藤原芳秀「拳児」

 何事にも覚悟は大切である。
 特に武技や闘争においては更に意味を増す。
 なぜなら覚悟の有る無しが勝負を大きく、しかもハッキリと分けるからだ。

 覚悟には大きく分けて3種類ある。
1.(自分が)死ぬ覚悟。
2.(悪や敵など自分以外の者を)殺す覚悟。
3.(自分に何があっても)生きる覚悟。

 ①の「死ぬ覚悟」。
 一般的に「覚悟」と言う単語はこれを意味するだろう。
 我が国が世界に誇る武士道の古典「葉隠」にも「武士道とは死ぬ事を見つけたり」との有名な言葉がある。
 だが同じく我が国が世界に誇る兵法(この場合は剣術)の奥義書で剣聖・宮本武蔵が記した「五輪書」にはこうある。
「大形武士の思ふ心をはかるに、武士は只死ぬるといふ道を嗜む事と覚ゆるほどの儀なり。
 死する道におゐては、武士斗(ばかり)にかぎらず、出家にても、女にても、百姓以下に至る迄、義理をしり、恥をおもひ、死する所を思ひ事は、其差別なきもの也。」
 訳するとこうなる。
「大体武士と言うのはただ死ぬ覚悟だけをすれば良いと世間では思われている。
 だが死を覚悟する事は武士の専売特許ではない。
 僧侶でも、女性でも、百姓以下庶民に到るまで、義理と恥を知って死を覚悟する事に人間である以上変わりは無い。」
 確かに覚悟といえば死ぬ覚悟であるが、あくまでも第一段階に過ぎないのでここでストップするのは良くない。
 それに人間はいつか必ず死ぬ。
 医療テクノロジー、特に再生医学の発達で近未来に人間の不老長寿は実現するだろうが、それでも人間である以上不老不死は不可能だと思う。
 以上の事を踏まえても死ぬ覚悟は持っていて当然とも思える。

 ②の「殺す覚悟」。
 ①の自分が死ぬ覚悟があるのなら、次は第2段階として自分以外の誰かを殺す覚悟を持つべきだと私は思う。
 人は死ぬ覚悟は簡単に持てても、殺す覚悟は中々持てないものだ。
 私自身殺す覚悟が無かった為、昔日にとんだ生き恥を晒す事があった。
 大変恥ずかしい話ではあるのだが、敢えてここで語り後世の為の教訓として残したい。
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 手に竹棒を持つ。
 長さは刀剣としても槍棒としても使える絶妙の長さ。
 そして目前の敵に対し、剣道で言う所の「中段の構え」に近い状態で構える。
 わたしは剣道の経験が無い。
 だがそんな事は関係無い。
 要は奴をぶち殺せば良いのだ。
 勝つ為には手段を選ばない。
 幸いにも奴はわたしをナメきっている。
 猫背の棒立ちで靴はスリッパ履き、竹棒の持ち方もなっていない。
 油断大敵という言葉を知らないようだ。
 ぶっ殺してやる!
 地獄で後悔しろ、クズが!

 「我(ガァッ)!」

 逆袈裟返しに振り上げる。
 狙いは奴の左耳。
 敵もとっさにガードを上げ、私の棒を受けようとする。

 ガッ

 本当に音がしたかどうかはわからない。
 わたしの棒が、ガードした奴の棒を折って敵の左耳にコンタクトした。
 狙い通り鼓膜を破裂させ、奴の左耳の穴からは血がどろりと流れ出る。
 これが差だ!
 迫害者達を殺傷する事を考えて日々鍛錬・修行しているわたしと、享楽にふけっている奴とでは一撃の重みが違う。
 「卑怯だぞ!下から突き上げるなんて!」
 後ろから野次が聞こえる。
 バカめ、わたしがやっているのは喧嘩じゃない、殺し合いだ。
 命がけの死闘に卑怯もクソも無い。
 第一わたしのやっている事が卑怯なら、貴様らがわたしを集団リンチしようとしている事の方が余程卑怯である。
 そんな連中に情け容赦は必要無い。

 クズ野郎、死ね!

 棒の持ち方(グリップ)を刀剣術から槍棒術のそれへとシフトしつつ次に狙いを定める。
 鼓膜を打ち破った事で敵の体は大きく崩れた。
 後は、
 「突(トッ)!」
 咽喉を突いて呼吸と動きを止め、
 「死(セイッ)!」
 後に回りこみ絞め技で窒息、そして首の骨を折る。
 突く・打つ・払うだけが槍棒を含めた長兵術ではない。
 余り知られていないが長柄を利用した強力な絞め技も存在するのだ。
 そして1人目を斃した後、残る2人も片付ける。
 はずだった・・・。

 が、そこでわたしの棒は止まってしまった。
 咽喉を突けない。
 殺らなければ殺られる。
 殺られなくてもナメられる。
 わたしの様に混血で貧乏人という少数派(マイノリティー)かつ弱者はナメられたらお終いだ。
 生き地獄はもうたくさん。
 こいつらをぶっ殺して地獄から抜け出してやる。

 「突!」

 咽喉が突けないなら鳩尾を突く。
 体が崩れる。
 後に回りこんで首を絞める。
 だが、またもや掛け声と棒が止まる。
 恐れている、このわたしが。
 自分以外の誰かを殺す事を。
 強敵と戦う事も、その結果自分が殺される事も怖くは無い。
 苦痛も死も恐れない。
 それなのに殺す事はこんなにも恐ろしい。
 今気付いた。
 わたしには「死ぬ覚悟」はあっても、「殺す覚悟」は無かった。
 何と未熟で軟弱な事か・・・。

 「キャア-ッ!!!」
 その叫び声で我に帰った。
 通行人の女性がこの現場を見て叫び声を挙げる。
 その方に向き直って弁解しようとした時、脇腹に痛みを覚える。
 控えていた2人の内の1人がわたしを蹴ったのだ。
 直ぐに棒で応戦する。
 こいつは地元では有名な拳法家の息子で、その地位と腕っ節(ぷし)を頼んでかなり悪い事をやっている奴だ。
 先程のド素人とは違い、正規の訓練を受けている強敵である。
(対するわたしの場合はナイフ以外は正規の訓練を受けていない我流・・・。)
 隠し持つナイフ代わりの暗器で、ボールペンやアイスピックや千枚通しを使えば訳無く殺れるが衆目に曝すのは得策ではない。
 そうこうしている間に3人目が集まった野次馬に対してこう言った。
 「あいつがオレたちを殺そうとしたんすよ。」
 クズどもめ、あべこべにわたしを悪人に仕立て上げやがった!
 ボールペンを咽喉ないし眼球に突き刺して殺してやりたい所だが、このままでは分が悪い。
 おのれらは悪人で加害者だからわたしに殺されても文句が言えないが、善人のわたしを陥れるとは許せん。
 怒鳴らない、怒らない。
 静かに、黒き殺意の炎を燃やす。
 棒での攻撃と見せかけ、片手を離して敵の眼に掌底突きをかます。
 フラッシュ(めくらまし)なんて生易しいものではなく、敵の眼球に内傷でのダメージを与えて失明させる殺し技。
 ガードされて多少軌道がズレたものの、それでも顔面に命中したのでフラッシュにはなる。

 「多(タッ)!」

 そのスキに突きまくる。
 当時のわたしは点穴の存在すら知らなかったので突ける場所を兎に角突いた。
 その後3人は退いたが、野次馬どもは奴らの言葉を鵜呑みにしたままわたしを遠巻きに見ていた。
 非常に重苦しい雰囲気の中、わたしは静かに立ち去る。

 その翌日を境にわたしに対する迫害は段々と無くなっていったが、自身としては勝った気分になれず素直に喜べない。
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 随分と長くなった。
 殺す覚悟が無かった為に私は今でもこの連中にナメられている。
 歴史にもしもは無いが、もしもこの場で奴らを殺していれば私の人生はもっと良い方向へと変わっていたであろう。
 状況は正当防衛なのでたとえ殺しても罪に問われる事は無い。
 ましてや奴らは私の左眼を潰した連中なのだ。
 情けをかける理由などどこにも無い。
 なのに私は殺す事をためらった。
 これは私の心が弱かったからに他ならない。
 中国武術の諺にこうある。
 「手を出す時は、心に情けを残すな。
  心に情けが残っている時は、手を出すな。」
 私はめったな事では人を殴ったりはしない。
 逆に人を殴る時はすべからく確実な殺意を持ってやる。
 怒らず感情は無く、冷静かつ正確に。
 瞬き一つせずに淡々とやる。
 私にとって悪人や敵対人物は人間ではない。
 生物学的には確かに「ヒト」であるが、私の認識では殺されて当然である害虫の類と何ら変わらないのだ。
 こういった殺す覚悟、即ち非情さは闘争において特に重要な要因(ファクター)となる。
 あの時は殺れなかったが、私は少しも後悔していない。
 後悔と自虐は何も生まないからだ。
 これは③に続く。

 ③の生きる覚悟。
 後悔していないならどうしているのか。
 あれ以来私は非情でありたいと願い今に至る。
 そして当然の事ながら次の機会の為に魂を研いでいる。
 次こそは殺す為に、生き延びている。
 LIVE TO KILL.(生きる為に殺し)
 KILL TO LIVE.(殺す為に生きる)
 人間生きている限り必ずチャンスはあるのだから、何があっても諦めてはいけない。
 確かに左眼が見えなくなって色々不便はある。
・遠近感と立体感がつかみにくい。
・事務やPC作業の際に眼が疲れやすい。
・残った右眼に疲労が集中するので、右眼の視力も落ちている。
 だがそれでも人生諦めずにやってこれたのは連中に対する怨恨があったからだろう。
 その怨恨が生きる覚悟となり、やがては希望へと繋がったのだと思う。
 それで現在の私が在る。
 たとえ手足を失っても、両眼が潰れても、喋れなくなっても・・・。
 私は生きる事を諦めない。
 どんな卑怯なマネをしても生き延びる。
 何を犠牲にしても生き延びる。
 自分以外の全てを敵に回しても生き延びる。
 自分以外の全てが死滅しても生き延びる。
 今までそうやって生きてきたのだから、これからもそうやって生きてやろうと思う。

 以上「3つの覚悟」について語ったが、私はどれも大切だと思う。
1.「死ぬ覚悟」をする事で常に自らの死を意識して一瞬一瞬を悔いなく生き、
2.「殺す覚悟」で誰にも殺されずに、自分以外の誰かを殺しても平常心を失わない理性(即ち非情さ)を持ち、
3.「生きる覚悟」で生きている限り最期まで諦めない魂を持つ。
 これが私が理想とする人間の在り方だと思う。

親友マサノリ

2006年04月22日 | 
 去年の12月から今年の3月までの4ヶ月間、鬱同然の酷いスランプに見舞われて絵だけでなく仕事やその他のプライベートにまで支障が出る程の惨状となった。
 その時一旦描くのを止めて身内・webを問わず色んな人に相談してみた。
 オフライン、オンライン問わず顔が広いので沢山の人に送り、沢山の人からアドバイスを頂いた。
 全てのアドバイスが我が血肉となり、お蔭でスランプから脱却出来たのだが中でも一番心を打ったのが身内で親友のマサノリからもらったやつだ。
 彼とオフラインで遭遇しなくなってからかなり経つが、この相談の少し前にmixiで再開したのでそちらにメッセージを送ったのに対する返信文だ。
 美文ではないものの実物の私をよく知っているからこそ魂に響く何かを感じたのだ。
 マサノリに対する感謝を込めてここにそのアドバイスを紹介する。
 まぁミクシィのメッセージの保存期限は60日なのでそれが過ぎて消されても読み返せるようにする為でもあるのだが・・・。

 因みに文中の「紳助」と「ヌーマン」とはわたくし俊坊の事である。
 由来を解説するとこうなる。
◆紳助:王善本紀の主人公の大沼紳助(おおぬま・しんすけ)から。
 私の本名とひらがな一文字しか違わないという微妙なネーミング。
◆ヌーマン:私のあだ名のひとつで、姓に由来する。
 主にマサノリや彼の仲間からこう呼ばれる。
 時々「ヌゥマン」とか表記が変わる事があるので注意。
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 予てから活動の話は直接聞いていたが、少し前にwebで見させてもらってからあなたの本気さがようやく理解できるようになりました。
 とりあえず今までお疲れさんでした。

 今はブランクにあるとのことですが、それが必要であり、無理矢理今何すべきということではないと思います。
 本能の欲求においてもあるように。
 何日も満足に食事できてない。
 ある日やっと満足のいく食事を腹いっぱい食することができた。
 いくらずっと待っていた食事とはいえ、それからもラーメン10杯食べて、ハンバーグ5個食べて・・・・
 がんばったって限界があります。
 そこに大好きな食べ物がある。
 死ぬまで好きでいることはむしろ難しいです。
 食欲という本能は僕が考える中で、現代の人間社会においてももっとも欲を満たすことに関して制限の緩いものとされている欲だと思っています。

 -was born. 
 生まれたくて生まれたという奴がいるとすればその人は偽りの人生・人生観を持つのではないかと思います。
 堕落でさえ肯定的なものなんじゃないかな?
 ブランクなんて超自然的に起こるものであり、超自然的な行為以外の中で解決するのではそこにおいて起こしている自分行動は偽りになってしまうと思います。
 そんな「がんばり」はやめて欲しい。
 いつものヌーマンパワーが絵から出てこない。

 女が描けなかった紳助だからこそ、今までの絵の良さ、話は完成されていたんじゃないかな。
 善し悪しの表裏一体考えたら、今の超自然の紳助が描く絵でやりたいことやんなきゃ紳助の絵じゃないと思いますよ。

 ずっと自分のやりたいことやってたら今自分の跡と先が見えなくなる。
 でも紳助の発した情報発信は、情報受信者に対して初めのお前のイメージに位置付けられた中で組み込まれていく。
 しんちゃんの声優が変わったクレヨンしんちゃんは興味を消滅させていくだろう。
 インディーズ時代に人気だったバンドはメジャーデビューを果たす。
 しかしライブに来てくれる客層に変化が見られる。
 食べ物だっって味だけじゃない。
 雰囲気を好んで通っていた客は、新しく改築したラーメン屋をその後も愛用できるのだろうか。
 常の自分に自信を持てばいいんだよ。
 やる気あったってなくったって。
 好きなことやってんだからまたやる気出てくるのが自然ですよ。

 なかなかお前と二人で語れる時間はなく、こういうところで話せる機会をありがたく思っています。
 標準偏差は大きいが、その大きな偏差をマイナスに見る人がいればプラスに見る人がいる。
 そして軽蔑する人もいれば大きく評価・共感できる人も必ずいる。
 紳助を大事にして欲しい。
 あくまで一友人の考えだから、でも真剣に考えて人前ではなかなか言えないことだったから、オレが紳助に対して考えることを少しでも参考にして今後の自分の肉してくれると、オレも嬉しいよ。

♪zwievel「Manneqin」

2006年04月21日 | ♪zwievel(シヴェル)
♪zwievel「Manneqin」
 4:00を境に前半と後半で曲調がガラリと変わる展開が良い。
 具体的には前半部では1:15~1:45のビートが強調されたパート、後半部では6:11からラストまでの高揚感あふれるピアノサウンドがノレる。
 前半部は闇の中でエネルギーを溜め込み、後半部は光の中でそのエネルギーを爆発させて自由を謳歌するというインスピレーションを受けた。