We can be Heroes,just for one day (Heroes/David Bowie)
僕らは英雄になれる 1日だけは
英語がさっぱりなまま洋楽を漫然と聴いてきたので、えッ、この曲ってこんな歌詞だったの! と今さら驚くことはしょっちゅう。
デヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」にしても、ウィ・キャン・ビー・ヒーローズ……まではさすがにヒアリングできるので、〈屈折する星くず野郎〉から始まって〈しらふのアラジン〉に〈ダイアモンドの犬〉とめまぐるしくキャラクターを変えてきた華麗な〈王子様キャラの元祖〉らしく、おそらく傾奇でイケイケなノリをファンタジックに謳い上げているのでしょう位に思い、70年代のヒットシングルをざっとまとめたアメリカの企画ものCDを楽しむ程度でずっと済ませていた。
just for one dayと続くと、まるで意味合いが変わってくることに、最近まで思いも及ばなかった。
もう一度繰り返す。
We can be Heroes,just for one day
僕らは英雄になれる 1日だけは
気付いた時はショックだった。「深いよね~……」と感心している余裕はなかった。
どうして、1日だけだなんて、そんな突き放したことを言うのだろう。人には人に対して、言っていいことと悪いことがあるぞ。このフレーズはそれをギリで越えている。
いや待て、「You」ならば確かに冷たく聞こえるが、ボウイは「We」と歌っている。
「ヒーローズ」がアルバム『“Heroes”』(現在の邦題=『ヒーローズ』)のリード・シングルとしてリリースされたのは、1977年9月。すでに大成功を収めた天下のロックスターが栄光の時の短さを歌って、イヤミにならないどころか、名曲中の名曲として今も愛されている。
誰もマネのできないコンセプトとパフォーマンスの変化を繰り返しながら、それでも「僕らは」と歌って、それがサマになり、多くの人の心に染み入った。
どうして両立が可能になったのか、しばらく考えさせられた。
考えてる間にとても参考になり、勉強させてもらったのは、次に挙げる3本の記事。
〈A〉
カルチャーサイト「リアルサウンド」の、円堂都司昭のコラム「デヴィッド・ボウイ「ヒーローズ」はなぜ普遍的な名曲であり続ける?」。(2020年3月10日アップ)
https://realsound.jp/2020/03/post-518173.html
〈B〉
雑誌「サウンド&レコーディング・マガジン」(リットーミュージック)のウェブ「サンレコ」の記事「【デヴィッド・ボウイ追悼】名曲「HEROES」の制作秘話」。(初出:2003年8月号・2016年1月12日アップ)
https://www.snrec.jp/entry/column/archives/51618
〈C〉
個人のブログ「katosのブログ」の「デヴィッド・ボウイ「ヒーローズ」を和訳してみた」。(2016年2月11日アップ)
https://blueeyedson.hatenablog.com/entry/20160211/1455179256
〈A〉は、この曲の制作背景が端的に説明されていて、とても助かる。なにしろ僕はボウイのアルバムは飛び飛びでしか聴いておらず、〈ベルリン時代〉は前述の通りベストもので済ませてきたので、ようやくこの時期をちゃんと聴くためのガイドをしてもらえた。
自分のおさらいも含めて大まかに言うと―
もともとボブ・ディラン・フォロワーの一人として60年代後半に平凡なデビューをしたデヴィッド・ボウイは、ほどなくして文学・芸術の素養をロック音楽に活かす才能(いわゆる「世界観」をこさえる能力)を開花させ、70年代半ばまでに人気・作品の完成度ともに頂点を迎えた。
その絶頂期のステージ姿が見られるのが、最近もリバイバルで劇場公開された『ジギー・スターダスト』(73年撮影・83年初公開)。
細かく言うと、この映画はボウイがジギーのキャラだった最後の姿を収めたものであり、すでにアルバム版『ジギー・スターダスト』(72)の次作『アラジン・セイン』(73)もリリースされていて……と順を追った確認が必要なのだが。
ビギナーの方が〈戦メリの前のボウイ〉がどんなだったかを知るには、まずはとにかく、映画『ジギー・スターダスト』を見て、ビジュアル系のパイオニアっぷりに触れてもらうのがよいと思います。
(1本のドキュメンタリー映画としても魅力がある点は書いておきたいのだが、「ヒーローズ」の話から離れていくので、またいずれ)
こうして、ザ・ビートルズ解散の後、最も影響力のあるロック・ミュージシャンの一人となったボウイだが、薬物中毒になるなどして心身を弱らせ、拠点をロサンゼルスからベルリンに移した。
新天地でリフレッシュ、と、当時勢いのあったジャーマン・ロック(クラウト・ロック)から新しい刺激をもらうため、両方の目的があったと思われる。
そして、やはり新しい音楽的相棒となったブライアン・イーノと一緒に、ベルリンの壁に近いスタジオで今までとはガラリと作風の違う音楽づくりを始めた。シンセサイザーの取り込み、金属的なサウンド、執拗なミックス。ほとんどイーノに任せた環境音楽的なインストもアルバムに入れてしまう。
にしても当時のベルリンは、よその国より長く続いた「政治の季節」のさなかである。
ドイツ赤軍創設者のウルリケ・マインホフが獄中死したのは1976年。テロ事件が次々に起きた「ドイツの秋」は1977年。これまでの生き方や活動を見直す新天地に選ぶには、いささか物騒。しかし、その緊張こそが必要だったのかもしれない。
ここまで環境や作風を変えれば、もうSF的な架空キャラのペルソナを借りる必要はない。
〈才能を枯らしかけてベルリンに逃げ込んだイングランド人〉=今の自分そのものが何を見て、何を得るのか。
人生と仕事の次のモチーフがパチンと決まった時、今度はジャーナリスティックな角度からポテンシャルの蓋を開ける術が分かって、充実の〈ベルリン時代〉が始まった。
「ヒーローズ」はそうして生まれた曲だ。
この文で僕は、「ヒーローズ」の決定的なフレーズについて考えたいのだが、曲・サウンド自体が素晴らしいのが大前提となる。
どちらかというとシンプルでスローなリズムが延々繰り返され、その周りで、シンセサイザーやフィードバックしたギターが華やかに爆ぜ続ける。実は意外なほど、反ドラマティックな曲構成。
オーソドックスなドラムとベースの進行を、電子音や歪んだギターが人工的な繭のように包み、反復を続ける。高揚しかけながら始まるメロディが、高揚しかけたままおしまいまでいく。
その中心にあるのがボウイの歌。この人の天性の芝居勘(デビュー間もない頃に出た短編映画「the image」(69)での、この世ならぬ者を佇まいと目だけで表現できている様を見れば、後の映画出演がスターの余技でなく必然だったのが分かる)が、堪能できる曲でもある。
歌いながらの抑揚の付けかた、声の表情で物語の陰影を豊かにしていく能力は、講談師やシャンソン歌手とはまるで別だけど、しかし根っこは同じものだ。
このサウンドづくりについて詳細に解き明かされているのが、〈B〉の記事。
なにしろ、ボウイの初期からの一番の協力者でプロデューサーのトニー・ヴィスコンティが、どんな機材でどんなレコーディングをしたのかをかなり具体的に話している。凄い記憶力。翻訳・構成された文章を通しても、アーティストと長く付き合える人の辛抱強さ、聡明さ、明るさがビンビンに伝わってくる。
ただ、あまりに具体的過ぎて、機材音痴の僕にはほとんど付いていけなかった。
〈C〉のブログは、ていねいな和訳を読ませてもらい、ありがたかった。
それにハハーッと感心したのが、歌い出しのフレーズ「僕は王様になろう そして君は女王だ」は、おそらくアルチュール・ランボーの詩を踏まえているというkatosさんの指摘。
慌てて、本棚の奥から古い新潮文庫の『ランボー詩集』を出して探してみたら、あった。
「諸君、僕はこの女(ひと)を王妃にしたいんだ!」
「わたしは王妃になりたいんです。」
「王威」(堀口大學訳)
恋に盛り上がっている最中の男女は、それは確かにキングとクイーンである。二人は二人の世界のなかで無敵である。そういう詩。
あがた森魚の「キミはハートのクイーンだよ」(72)にも、ランボーのこれがあるかな、とフト思う。
しかし「ヒーローズ」は、そんな僕らなら英雄にだってなれる。1日だけ……と続く。
この皮肉は、なんとしたことか。
〈A〉の記事に戻ると、筆者の円堂都司昭さんは、ボウイと交流のあったアンディ・ウォーホルに共通した発言があった点に触れている。1968年の発言だという、よく知られたマスメディア評。
「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれる」
これまた、ハッとさせられる指摘だ。ウォーホルが好きで、「アンディ・ウォーホル」(71)というモロなタイトルの曲を作り、本人に会いに行った逸話も持つボウイが、この発言を知らないはずがない。
だけど「アンディ・ウォーホル」は、憧れの芸術家への素直なラブソングのようで、どこかトボけている。
「アンディ・ウォーホルは、(ムンクの)『叫び』みたい。僕の部屋の壁に飾ろう」(僕の意訳)
大量複製・大量印刷の時代を逆手にとったファインアートで寵児となったウォーホルだが、こんな風に、カレンダーやポスターに飽きるほど活用され続ける名画みたい、とあけすけに歌えば、おちょくった味、ユーモアが出てくる。
最近で言えばカネコアヤノの、大切な日々の時間を愛おしむために「未読の漫画を読まなくちゃ」というフレーズがスッと出てくる鮮やかさに印象は近い(「恋しい日々」(18))。生活感、ということだ。
そう、僕は考え考えした過程をウダウダとまんま書き連ねているのだが、だんだん、そういえばと思い当たってくる。
デヴィッド・ボウイの(初期の)主要曲の詞には、実はその生活感、地に足に付いた実感がある。その上で若い人間の感傷や希求をヴィヴィッドに表現するところが、とても魅力的。
例えば、
「変わるんだよ。変化してこうぜ。金持ちじゃなくてもいい。少しでもマシな奴になりたいじゃん」(僕の意訳)
と、ディランの「時代は変る」(64)を自分の実感に引き寄せた「チェンジズ」(71)。
「テレビに出てしゃべってる奴はクソ。『多くの青少年は非行に走っています』だとさ。だけどテレビが無けりゃあTレックスが見られねえだろ。クソー、おい、そこのおまえら、何かいい話ないのか。おまえらだよ、いいニュース持ってきてくれよ」(僕の意訳)
と願う、まるでケン・ローチの映画のワンシーンのような「すべての若き野郎ども」(72)。
英雄になりたくてもなれない十代の苛立ちを、もともとボウイはよく知っている。
だからこそ、英雄物語が必要なこともよく知っている。
ファンタジー・イズ・リアリティ。
僕らだってみんな、空想の中の自分のほうに自信を持っていられた季節があったし、未来や異世界を舞台にした漫画やアニメのほうが、勇気や友情をまっすぐに描けて、そっちのほうが素直に親しめたことを知っている。
酒場や社交場から生まれたロックンロールは、エルヴィスによってティーンエイジャーの娯楽になり、ビートルズによって愛と平和を歌う公器の性質まで持つようになり、そしてボウイやブルース・スプリングスティーンによって、心の中の想念を慰撫するもの、不良になりきれない子、イケてない子、学校で浮く子の傍にもいてくれるものになった。
分かってくれてる大人がいる、と思えば、現実世界でしのげる力はずいぶんと湧いてくるのだ。
さらに繰り返す。
We can be Heroes,just for one day
僕らは英雄になれる 1日だけは
ここでボウイがたくし込んだ皮肉は、優しさではないか。
1日だけしか英雄になれない? いや、本物の英雄になんて、なるのは1日だけで十分。でもその1日がとても大きな支えになるんだ。
そう歌っているのだと受け取っても、いいのではないか。
ボウイの教養を大事にした姿勢と、あえてベルリンに一時移住したことを考えると、当然、ベルトルト・ブレヒトもよく読み、芝居をよく見ただろう。
そして、『ガリレイの生涯』(39)のこんなやりとりも脳裏に刻んでいただろう、と想像される。
アンドレア「英雄のいない国は不幸だ!」
ガリレイ「英雄を必要とする国が不幸なんだ」
(岩波文庫・岩淵達治訳)
ボウイが本人役で出演し、「ヒーローズ」ほか数曲を提供しているのが、1981年の西ドイツ映画『クリスチーネ・F』。
13歳で麻薬中毒になった女性の、更生してから綴った体験手記がベストセラーになり、それを映画化し世界中で大ヒットしたものだ。翌年、僕の住んでるところまでロードショーで来たが、そんな西ドイツ映画なんて『Uボート』とこれ位。
『ドイツ映画零年』(15・共和国)の著者・渋谷哲也さんから、当時の西ドイツ映画界は、「政治の季節」に呼応して難渋だったニュージャーマンシネマの反動で、国外セールスが見込める商業性に力を入れるようになっていた……と教わったことがある。原作がベストセラー+デヴィッド・ボウイの全面協力のこの映画も、その一つだろうか。
田舎の中学生が見るには内容のハードルが高過ぎて、だけど映画館で貰ってきたちらしはずっと保管していて、やっと最近、『クリスチーネ・F』を初めて見た。
夜遊びする男の子と女の子たちが、アーケードで現金を置きっぱなしの店のガラスを破り、パトカーが来たので逃げ出す。クリスチーネと出会ったばかりの男の子も。
傍から見ればチンケな非行行為。だけど本人達にとっては、鬱屈した気分を一気にぶっとばす真夜中の冒険。ここで「ヒーローズ」が流れるのだった。
監督のウルリッヒ・エデルは、僕が何とか手繰り寄せた曲の解釈と同じ狙いで、「ヒーローズ」を使った。
しかし、見事にそうなると、図式がキチンとはまる納得感はあっても、おお、ここでこの曲を……!という喜びは意外と少なかった。かえって曲の解釈が狭まる気がしてしまった。
ここまで書いておいてなんだが、「ヒーローズ」という曲のサビは、いろんな受け止め方ができる謎めいた余地があるからいいんだ。こうまとめるのが結局は正しいのかもしれない。
ただ、それが小さな、刹那の輝きであっても、英雄的な気分に浸る瞬間は誰でも若い時には(いや、精神が若いうちは幾つになろうと)切実に必要であり、だから音楽があるのだ、と強烈に教えてくれる曲なのは確かだ。
日本にも、「ヒーローズ」とよく似たストーリーと精神を持った曲は幾つもある。そんな曲達に今までどれだけ救われてきたか。
例えば、中島みゆきの「狼になりたい」(79)。
つまりは、僕は、「ヒーローズ」をよく吟味したおかげで「狼になりたい」がますます大切な曲になった、と言いたかっただけなのかもしれない。
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