ワカキコースケのブログ(仮)

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歌っておくれよピアノ・マン~ファッツ・ウォーラーと友達になれたの巻

2024-04-11 18:51:56 | 日記

 
【前説という名の予防線】

半可通だというのに、ジャズについて久々に書きたくなってしまった。
ファッツ・ウォーラーという人が最近、妙にしっくり来ているのだ。まさか戦前のレジェンド、教科書の中の存在な人が、ふつうに、こんなに親しく感じられるなんて……と自分でも驚いている。
まるで、こころの友達ができたよう。ジャズ通、音楽通の方に恐縮しつつ、その気持ちだけでも書いておきたくなった。

それに今のところ、シロウトがファッツ・ウォーラーについて長文をしたためている例があまり見当たらないのも、書きたくなった理由だ。
ビッグな存在は、シロウトものびのび語れる対象であるからこそビッグな存在である。「ジャズが最初に開花した時代の偉人のひとり。誰それらに大きな影響を与えた」云々の短い解説文か、詳細なデータ記事のどっちかばかりでは、いささか味気ないじゃないですか。




最近、『もっと知りたい歌川国芳 生涯と作品』(2008 東京美術)という本を読んだ話をこのブログで書いた。著者の悳俊彦によるまえがきの一文、
「そのようなわけで、私は読者の皆さんに、最も身近な人を紹介するような気持ちで、本文を進めてゆくことにしたいと思う」
が、気取らない、あたたかい感じでとても良かった。人間のつくりが単純なので、さっそく影響されているわけだ。

 

【聴くきっかけは『ストーミー・ウェザー』】

もともと僕は、ファッツ・ウォーラーについてほぼノーマークだった。部屋に何冊かある古いジャズ・ガイドを開けば、必ず最初のほうに紹介されている人だが、(パイオニアの一人なのですね)以上の興味が湧かなかった。日本の近代文学史における二葉亭四迷のようなものだ。勉強として接する必要がなければアンテナは立たない。

ところがやはり最近、『ストーミー・ウェザー』(1943-1988公開)という音楽映画を見て、そこで代表曲「浮気をやめた」を歌い、バンドを率いるファッツの姿が粋なのに、すっかり感心した。おもしろくてかっこよいのだ。(この映画についてもブログで書いています)

古いジャズ・ガイドにおける大和明や油井正一といった大御所評論家のファッツ評は、「当時のエンターテイナー、コメディアンとしての人気が、彼の音楽面の真価を相対的に下げてしまった」とするトーンでほぼ共通している。
尊敬と哀惜の念をしみじみ感じる。だけど、どうしても、コメディアン=道化=スターより一段下、の価値観が根強かった時代の先生がたのお話ではある。

今では、おもしろくてかっこよい、は無双に近い。愛嬌ある太っちょがひとたび歌い出せば誰よりもキマるだなんて、『ブルース・ブラザーズ』(1980)のジョン・ベルーシや『スクール・オブ・ロック』(2003)のジャック・ブラックの先輩みたいなものだ。

それでさっそくspotifyで、手頃なアンソロジーと思われる『The Essential Fats Waller』を聴いた。クレジットは2014年。おそらく本格的にレコード会社と契約した1930年代以降の録音が収録の中心になっている。

第一次世界大戦後のニューオリンズ・スタイルを受け継ぎつつ、第二次世界大戦前のスイング時代ど真ん中な、ハッピーなオールド・ジャズがてんこもり。メロディは甘く、リズムは陽気に跳ね、ファッツの歌声は愛嬌たっぷり。そして時々のぞく感傷。

とても楽しい。楽しいのだが、それだけならば何度もは聴けない。聴くたび、何かカツンと当たるものが残る。骨っぽさというか。知的な含羞というか。

そう、映画でのファッツの歌う姿はジョン・ベルーシ、ジャック・ブラックの先輩みたいだと感じられたのと同様に、録音された歌や演奏自体にも、現在の空気ともズレない、今の音楽としてスンナリ伝わってくる何かがあるのだ。

この感覚をもう少し具体的にするために、『The Essential Fats Waller』の収録曲を1曲ずつ聴きながらメモを取ってみた。
門下生に何の説明もなく器を見せ、直感での感想を求めたという柳宗悦式トレーニングだ。
なにしろ半可通なので、コルネットとトランペットを間違っていたりなどがありましたら、スミマセン。





【『The Essential Fats Waller』を聴きながらのメモ】

「Honeysuckle Rose」
初期の代表曲。しばらくはピアノとドラムスのみ。歌い出すと管楽器やギターも入ってくる。エンディングでおどけた歌声。

「How Can You Face Me?」
一緒に歌うようにして、コルネット(かな)が絡み付く。ピアノは間奏から跳ねる。間奏は二部仕立てで、ピアノの後にトロンボーンやコルネットが。その間、ファッツが「イエーッ」と掛け声で盛り上げていく。

「The Joint Is Jumpin’」
テンポが速い。これもヒットしたらしい。ドラムの強い間奏で早口のしゃべくり。ラップみたい。女の人の掛け声が入る。パーティーソングかな。だんだん、速いままディキシーランド風に。いきなり笛が鳴る。サイレンまで。フランク・ザッパのはしりのような凄い情報量。

「All That Meat&No Potatoes」
小粋なリズムのピアノから始まる。軽快でメロディがきれいなのをストンとユーモラスに落としてから、歌が始まる。同じリフを管楽器が担う。途中からギターのソロ。ジャンゴ・ラインハルトみたい。おどけたぼやき?で幕。

「Cash for Your Trash」
スイングしたピアノ中心で歌う。少人数でさらっと。ピアノを聴かせる曲。しかし後半から、ディキシーランド風の管楽器が高らかに。二番の歌詞から歌い方が急にねばつく面白み。

「Ain’t Misbehavin’」
代表曲「浮気はやめた」。約4分と、ここで聴けるなかでいちばん長い。その分アタマからしばらく続くメランコリックなピアノがいい。うまくて温かい。歌も味わい。ダミ声から甘い伸ばし方。そしてどんどことドラムが戦後のドラム合戦の時代のように鳴り、狂騒的にみんなでディキシー風。ミニ組曲という感じ。

「African Ripples」
ピアノソロがすでに戦後のモダン・ジャズ調。連弾のように聴こえる。アフリカのさざ波というタイトル? なんとソロのまま終わる。

「The Jitterburg Waltz」
ジャズにオルガンを導入した先駆例らしい。この人は、自分がやっていることはジャズだと思っていなかったのでは? とフト感じる。油井正一さんはカウント・ベイシーのお手本になった曲だと。ゆっくりしたメロディに、楽器が少しずつ乗っていくのはオーケストラ・ジャズみたい。グレン・ミラーの先輩という気も。これもインスト曲。

「Lulu’s Back in Town」
ルルが街に戻ってくるぜ、と囁きながら始まり、テンポの速いピアノ。これも歌に管楽器がオブリガードのように絡む。第一間奏は珍しくサックスかな。その間奏をピアノが乗せていく。おしまいはやはり、何かおしゃべりして締める。

「I’m Gonna Sit Right Down and Write Myself a Letter」
流麗なピアノとドラムスのブラシで、少しメランコリックな曲を明るく。歌い出すと、コルネットとデュエットのように。ノベルティ・ソングとは歌い方がガラリと違う。ささやくように優しく。チルというか、座ってゆっくり聴いてもらうための曲。

「Christopher Columbus(A Rhythm Cocktail)」
歌いながら一人何役も。まさにノベルティ・ソング。コロンブスのことを歌ってるのかな。間奏はサックス。戦前のサックスは、コルネットが人気の時代だと少しダーティに聴こえる。ピアノの間奏は他よりも激しく、しかし面白い。

「It’s a Sin to Tell a Lie」
速いラグタイム調なピアノ……というのを何と呼ぶのか。これも、急に低音でいばるように歌ったり、ひょうきんにささやいたり、何役も。おそらくサックスのソロが凛々しい。その間、ピアノはリズム中心。

「Hold Tight(Want Some Seafood,Mama)」
珍しくコーラスで始まる。シーフードをくれよ、ママ。これも歌いながらダミ声になったりして、コミック・ソング風。ファッツとコーラスの掛け合い。曲調が変わる時の、デデデ・デデデデと連打して「ウッ」と締めるやつ。ルイ・ジョーダンなどジャンプ・ミュージックの時代にはおなじみになるこの演奏、何といってよいのか。そう、これはもうR&Bのプロトタイプのようになっている。

'Tain't What You Do (It's the Way You Do It)
早口で歌い、たぶんトランペットとギターが追いかける。ここではまた軽快なピアノ。歌いながらひゃっくり。小粋な曲をわざわざふざけて崩している。

「Your Feets Too Big」
トツトツとゆっくり弾くピアノ。でも、時々凄く速い。美しい。ダミ声を活かして何かペーソスのあることを歌っている。管楽器の間奏も。底光りする明るさ。そしてまたブツブツと何かジョークを言って終わり。

「Gladyse」
これも、何というか速いラグタイム。完全なピアノソロ。ショー、ワンステージの間の緩急の演出のために必要で作られた感じ。凄くリズミカル。芸としてのソロ。

「I Wish I Were Twins」
ギターから始まり、コルネットやトロンボーンが続く。ピアノが脇。これも何役もこなす歌声だが、メロディがせつなくて味。ピアノは間奏になってから爆ぜる。都会化されたディキシー。キャブ・キャロウェイのように意味不明に歌いあげておしまい。

「Believe It,Beloved」
左手の低い音とギターのつまびきから始まる、珍しいアイデア。そこからさっと、おなじみの軽く跳ねるピアノとブラシ、ベースになり、歌い出すと管楽器が入る。ただ、間奏ではスティックでドラムスの端っこを叩いているような面白い音。またキャロウェイ風に意味不明なフレーズもまぜて。

「Don’t Let It Bother You」
演奏なし、ひとり二役の会話(落語みたい)から始まる。間奏では珍しくベースが立つ。同じパターンの曲でも細部が違う。ブギウギといってよいのか。

「Sweetie Pie」
カラフルなピアノから。よくある曲のようで、転調のメロディがせつない。後期ビートルズの時のポールの曲みたい。そうなると、突然のかけ声や声をつぶすのもポールみたい。

「(Oh Suzannah)Dust off That Old Pianna」
子どものクラシック練習曲みたいなところから、突然高速のブギウギに。歌もラップみたいに早口で詞が多量。間奏ではギターも速弾き。ここでの速さは、曲芸の精神に近い。

「Sweet and Slow」
一転してスロー。しかし左手はゆっくり、右手は流れるように。曲芸精神とリラックス。歌はけだるく。戦後のサッチモみたい。曲に合わせて歌い分けているというより、噺家に近い感性だったのでは。トランペットかコルネットか……のソロもブルース調。実は珍しい。

「My Very Good Friend the Milkman」
ノベルティ・ソングをスローに。ここではディキシー風だけど、もうニューオリンズのそれとは別のものになっている。都会の、都市生活者のための音楽。

「Sweet Sue,Just You(Take 1)」
これはもうアコースティック・スウィング。ギターが目立つ。間奏では管楽器に合わせて、しゃべくり。ノッているうちにそうなったのなら、ラップのはしりだ。ピアノが打楽器を兼ねている。

「I’m on a See-Saw」
やはりモダン・ジャズ以降のようなピアノ。上手いけど楽しく。上手いと感心させるようではダメだと考えていそうなところ、オスカー・ピーターソンと近いのでは。ここではピアノのタッチの弾き分けによって落語の会話をやっている。オチもピアノで。

「When Somebody Thinks You’re Wonderful」
珍しくインストから管楽器をフィーチャー。でも楽器は何だろう? ワルツ風。もともとジャズは、西洋音楽をくずした遊びだったという話を思い出させる。間奏では、たぶんコルネットがバイダーベックのように冴える。ファッツのバンドはみんなこなれている。

「Fat and Greasy(Take1)」

インストからみんなで。ブギウギ調がはっきりしてきている。早口で歌い、サビではコーラスがレスポンス。同じメロディを一斉に吹く時のかっこよさ。冗談音楽的に、何かの音を模したものを混ぜつつ盛り上がる。ジャズ・オーケストラとして洗練されている。

「Cross Patch」
よく跳ねるピアノ主体のインストから。これが定番のファッツ調らしい。気難し屋さんという意味らしく、ペーソスある物語の曲なのだろう。

「Us on a Bus」
アコースティック・スウィング風に、歌声もリラックス。しかし、途中でブワーンとヘンな音を楽器で表現。こういうところはスパイク・ジョーンズ的なのか。ザッパのように、ふつうにいい曲を歌い演奏することに照れてしまうところがファッツにもあったのか。

「Nero」
早口ノヴェルティ・ソング。間奏の過剰さは、カーニバルみたい。これが後半も続く。デューク・エリントンが同時代のニューヨークで大物だった時代だから、ミュートしたトランペットを中心に管楽器がうねるのは、ジャングル・サウンドのイタダキ、パロディだったのかも。

「Why Do Hawaiians Sing Aloha?」
ギターから始まる。歌い出すとそのギターがハワイアン風に。スライドの音だ。当時、ハワイのブームでもあったのか。ディズニー的な観光音楽のはしりか。

「Let's Pretend There's a Moon」
ここではギターからカントリー風だ。違う作者。何かのカバーな気がする。ファッツ風の構成にまとめられているが。

「The Curse of an Aching Heart(Take1)」
またひとり何役かの歌。おそらく誰かの歌い方のパロディ。ザッパみたいだとまた思う。これも別の作者。

「The Love Bug Will Bite You(If You Don't Watch Out)」
ピアノ→サックス→ギター→コルネット。いやトランペットか? そしてまたピアノに戻り、みんなで。バンドのまとまりの良さが分かるインスト。

「Your Socks Don't Match」
とぼけたタイトルだが、けだるい感じで。しかしファッツのけだるさは、ウェットにならない。自己憐憫がない。ぼやいてみせて終わる。

「Got a Bran' New Suit」
数曲ぶりに、らしい軽快さ。手に入れたぜ、ブランニュースーツ、ブランニューガールと続く。ギターがまたまたラインハルトみたい。もう完全に都市生活者のためのポップスだ。ジャズというよりも。

「I've Got My Fingers Crossed」
らしい軽快さに、意味不明フレーズの歌がいつもより多く。コルネットのソロも長い。曲によって柔軟にバンドメンバーを立てる。

「A Little Bit Independent」
ピリリピリリと可憐に鳴る、これはピアノ? Bメロからピアノの音も一緒に鳴るので、同時に弾き分けているみたい。曲自体はブルースのつくりだが、ユーモラスに仕立てている。もろなブルースはやらないぞ、と決めていたのか。

「You Stayed Away Too Long」
インストはまたオルガンかな。いや、これはブルースの雰囲気たっぷり。ただし嫋々とはならない。ピアノのおちついた感じで、ポップスに戻す。地味だけど多彩な弾き方。なのに歌い方は後半になるとストレート。くだけずに歌うとかっこよくてドキッとする。

「The Panic Is On」
クラシック調のピアノから始まる。アート・テイタムとどっちが先輩・後輩なのかなあ。格調高いのもやれと言われたら弾けるんだよ、という感じ。そこから、他よりもディキシー風が強い展開になる。ほんと、構成やアイデアにひねりのある曲が多い。嘆きの歌なのだろうに、おかしみを入れる。こういうところに作家を感じる。

「Night Wind」
オルガンをフィーチャー。ゆっくり歌う。ひとの曲なのもあるのか、フェイクなしで歌う。そうなると味のある、うまい人だ。

「I Believe in Miracles」
これもオルガンをフィーチャー。教会の楽器をたのしく使う。こういうところは、先例があるのか。本当にファッツが始めたのなら、大変なチャレンジではないか。オルガンと管楽器のソロが合う、なんてカツカレーのような発明だったのでは。

「Whose Honey Are You?」
意味不明なつぶやきから始まり、ピアノとギターに。歌っている時もギターが効いていて、やはりジャズというより戦後のフォーク/ポップスに近いところがある。

「Until the Real Thing Comes Along」
ムードのある曲。ムードのあるサックス。こういう時はダミ声がコントラストとして面白い。ロックを通した耳だとすぐ入ってくるのだが、当時は捉え方が難しかったのでは。だからコメディアン扱いするしかなかったのでは。

「I'm Sorry I Made You Cry」
楽しいブギウギ。定番のファッツ調。でも、管楽器のソロは鋭くなって、ピアノとの絡みにはスリルがある。同じパターンでも工夫がある。

「You're Laughing at Me」
ヴィブラフォンかな、今までにない音が。甘く歌う。それで後半、急に男っぽく唸ってみせる。落差のかっこよさをよく分かってらっしゃる。

「Smarty(You Know It All)」
これも軽快なピアノから。間奏で久々の速弾き。サックスの番になると打楽器のように弾く。

「I Love to Whistle」
口笛から始め、ヨ~レイヨ~とヨーデル風に。白人音楽のパロディ。スライより早い例だ。

「There'll Be Some Changes Made」
リズムに乗せて、長尺のぼやき。ヒップホップのようなことをしている。管楽器とギターが前面。もうディキシーともスイングとも違う。

「Rhythm and Romance」
タイトル通り、リズミカルで優しいメロディ。ここまで聴いたファッツ調らしさが全面に。

 

【ファッツを親しく感じられる理由】

『The Essential Fats Waller』収録曲をほぼノータイムでメモしていく作業は、以上。

抜群に凄い曲は、そんなにはない。ヒアリングはできないが、歌詞も他愛ないものが大半だろう。同時代ならブルース・シンガー達のほうがずっとずっと、今でも〈刺さる〉曲を弾き、歌っている。

にも関わらず、ファッツがスンナリと僕の中に入ってくる理由が、メモしてみてやっと呑み込めてきた。
直感で引き合いに出したミュージシャンとジャンルを、おさらいしておくと。

〈ジャズ関係〉
ジャンゴ・ラインハルト
戦後のドラム合戦
戦後のモダン・ジャズ
カウント・ベイシー
グレン・ミラー
ルイ・ジョーダンなどのジャンプ・ミュージック
キャブ・キャロウェイ
戦後のルイ・アームストロング(サッチモ)
オスカー・ピーターソン
ビッグス・バイダーベック
スパイク・ジョーンズ
デューク・エリントン
アート・テイタム
戦後のR&B

ファッツの幅広さが改めて分かる。ポピュラーなジャズ・オーケストラと、ロックンロールの種になったジャンプ~R&B、どっちも辿ればいずれファッツに当たるようになっている。
ただ、ここまではジャズのパイオニアとして当然の連想ではある。自分でも驚いたのは、以下の名前とジャンルだ。

〈ジャズ以外〉
ラップ/ヒップホップ
フランク・ザッパ
後期ザ・ビートルズのポール・マッカートニー
カントリー
戦後のフォーク
スライ・ストーン

こういう名前が1930年代の音楽から連想されることが凄い。
つまり、ファッツの音楽の成分には、僕のように洋楽体験はロックから始まった世代でもすぐに馴染むものが、かなり多く含有されているのだ。

それに、全体にはもっと連想される名前がある。
エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、トム・ウェイツ。ロックンロール誕生以降のピアノ・マン達だ。

ここでいったん、ファッツの道のりをちゃんと確認してみる。

 

【ファッツのバイオグラフィー】

インターネットのなかで、ファッツについて比較的長く書かれているサイトは、
Encyclopedia of Early Jazz(ジャズ百科事典)」(日本語)
https://wiki.earlyjazz.jp/Fats_Waller
「ALLMUSIC」(英語)
https://www.allmusic.com/artist/fats-waller-mn0000162762#biography
のふたつ。参考にさせてもらいながら、ざっくりとまとめると以下のようになる。

○1904年5月21日、ニューヨークのハーレム生まれ。本名トーマス・ライト・ウォーラー。

○父親は教会の牧師で、母親は教会のオルガン弾き。6歳の時にピアノを始める。

○父は息子のトーマスに宗教音楽の演奏者になることを望んでいたが、トーマスはポピュラーな音楽に傾倒。

○14歳で学校を中退、日雇いの仕事をしながらタレントコンテストに出場。「カロライナ・シャウト」を演奏して優勝する。この曲は〈ストライド・ピアノの父〉と呼ばれたジェームス・P・ジョンソンの当たり曲で、当時のピアニスト志望者のお手本曲だった。
(ストライド・ピアノは、右手でメロディを弾き、左手はベース音となるコードを往復する奏法。譜面通りに弾くラグタイム・ピアノから、もっと弾んだものとして発展した)

○このコンテスト優勝を機に、ジョンソンからストライド・ピアノの手ほどきを受けるようになる。

○親譲りのオルガンの腕で無声映画の演奏仕事をしたりしながら場数をこなし、1922年には初めてレコード「バーミンガム・ブルース」/「マッスル・ショールズ・ブルース」を出す。この頃、同い年でまだ無名のカウント・ベイシーにオルガンを教えた、という逸話も。

○1920年代は、アルバータ・ハンターなどの歌手の伴奏で売れっ子になる。作曲も始め、「スクイーズ・ミー」がルイ・アームストロングらに取り上げられる。

○1920年代後半、同じハーレム育ちの詩人アンディ・ラザフと作詞作曲のコンビを組むように。

○1930年代に入ってから自身も歌うようになり、ラジオへの出演で注目され始める。

○1934年、ビクターと契約。ファッツ・ウォーラー・アンド・ヒズ・リズムの名義で、人気者になる。

○ニューヨークを拠点に多忙に活動していたが、1943年、演奏旅行中に死去。死因は肺炎。




【ファッツは早すぎたシンガー・ソングライター】

ジャズの歴史の文脈においては、ファッツ・ウォーラーはあくまでピアニストの偉人。さらに作曲の才にも恵まれ、歌い手としても個性があり、エンターテイナーの魅力まで備わっていた―という記述の順番になる。

もしかしたらこうした、器用貧乏を軽んじる心理が言外に滲む評価が、かえってファッツを今の僕らの耳から遠ざけ、教科書中の人物の枠内に追いやっていたのではないだろうか。

ファッツの多感な時期は、ジャズがニューオリンズからニューヨークにどんどん流出してきた時代と重なっている。
それに、ラグタイムのピアノをもっと弾ませた奏法で人気を得たジョンソンが、あにさんである。
年の近いエリントンやベイシー、アート・テイタムに刺激を受けたり与えたりしている。

ファッツは、ジャズとはこうあるべきもの、がまだ固まらない時代の人だ。あにさんや仲間とは違うスタイルを求めてどんどん変化していくニューサウンドづくりの真っ最中の音が、後で戦前のオールド・ジャズと総括されるようになった、という順序の人だ。
ファッツ自身に、自分はジャズメン、という自意識がどこまであったかどうか。

だから僕はここでは、弾けて作れて歌えたファッツは、才能があり過ぎてもともとジャズの範疇からはみ出た存在だった、と捉えておきたい。
時代より飛び抜けて早すぎたシンガー・ソングライターだったのだ。

そう指摘している方はすでにいるはずだ、と思って少し調べてみたら、やはりいた。戸嶋久さんという方が、ブログ「Black Beauty」の2019年5月更新の記事で、ファッツを「元祖シンガー・ソングライター」として見直したことを書かれている。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-12ae2b.html

僕が今、ここで書いているよりもずっとやさしく案内してくれる文です。
それに、ファッツの一番の名曲じゃないかと思うのに探してもなかなか出てこない「ブラック・アンド・ブルー」は、それもそのはず本人の録音がないのだ、とこのブログで知り、うわあ……となった。
ただ、なぜ自分では録音しなかったのか、を推測する戸嶋さんの筆にこまやかな襞があって、おかげであきらめがついた。いいもの読ませていただいた。

ともかく、ファッツは早すぎたシンガー・ソングライター、と捉えてみるのは楽しい。
サッチモとはまた毛色の違うダミ声は、前述の「ALLMUSIC」では、sly vocalsと表現されている。Slyは、ひょうきん、お茶目とも、狡い、悪賢いとも訳される言葉だ。そんなしたたかな両義性を持ったダミ声を持つピアノ・マンと言えば、トム・ウェイツを思い出しませんか。

それに、ビリー・ジョエル。
僕がこれまでの人生でいちばん多く聴いている洋楽アルバムは、たぶん『ストレンジャー』(1977)なのだが、ファッツを通った耳で改めて聴くと、これまでと違った感触が活き活きと導き出されてくる。
三人称の物語風の歌詞が多いノベルティ・ソングの魅力が共通点としてまずあるし(ノベルティ・ソング=コミック・ソングと解釈されることが多いが、もともとの字義通りに言えば、小説風の歌ということだ)、「イタリアン・レストランで」「若死にするのは善人だけ」「最初が肝心」といった、ベスト盤には入りにくいユーモラスな曲調のものほど、うわー、ファッツみたいだ、となる。




ビリー・ジョエルが、ファッツのファンだったかは分からない。本人が影響を公言し、アルバム録音のゲストにも招いているのはレイ・チャールズだ。ただ、通ってないはずはないと思う。少なくとも、同じニューヨーク出身で、初めてレコードを出してからブレイクするまで時間がかかったこと、その間は自分と同じように夜のお店でピアノを弾いていたことを、知らないはずがない。

ファッツのように陽気に面白おかしくやるか、初期のビリー・ジョエルのようにしんみりと訴えるかは、本人のパーソナリティより、時代の空気と求められる音に左右される面のほうが大きい。
都会では、ユーモアとセンチメンタルは表裏一体だ。どちらかが欠けていれば、それはすなわち野暮ということになる。

いずれにしてもファッツだって、酔客に体躯を嗤われては笑い返し、道化と蔑まれればさらにおどけ返しながら、リクエストには応え続けてきたのだ。「ピアノ・マン」(1973)の一節のように。

歌ってくれよピアノ・マン 今夜はいい気分にさせてくれ

 

【おわりに】

ファッツ・ウォーラーについてシロウトが勝手気ままに書いた長文だって、ファッツの名誉のために必要だ、と思い立ったのはいいが、また長くなってしまった。

ファッツが親しい存在になったといっても、僕が聴いた録音はほんの一部。『The Essential Fats Waller』に収録された充実期のみだ。
今は、初めてのレコード、「バーミンガム・ブルース」/「マッスル・ショールズ・ブルース」が思いがけすおとなしいというか、平凡な演奏なのに戸惑っているところ。映画でも映える多才で賑やかなキャラクターに辿り着くまでの長い精進を思う。まだまだ知らない面がある。

一方で、新しく友達になってくれた人にその先輩を紹介してもらう、という調子で、ファッツのあにさん、ジェームス・P・ジョンソンも聴き始めている。これがまたいい。この時代のジャズに敷居が高いもの、楽理や知識がなければ楽しめないものなど本来はないのだ、と分かってくる。
そうなると、なんとなくなぞる程度できたデューク・エリントンとも、ちゃんと向き合ってみなくちゃとなる。

勉強するほど知らないことが増えていく。大変だ。溜息が出るけど、ありがたい。

そうそう、武満徹が「ジャズ好きに了見の狭い人はいません」と発言するのを以前に読んで、ウーン、それはちょっと頷きかねる……となったことがある。
あなた世界のタケミツだもんなあ、通の先輩に絡まれるゲンナリ経験がないからそんな能天気を言えるんですよ、とイヤミの一つも言いたくなった。
でも、武満さんが好きなジャズとはもっぱらディキシーランドやエリントンだったと知り、ようやく納得できたのだった。

それにやっぱり、ジャズ好きに了見の狭い人はいないと言い切れる心映えは大きくてまぶしい。少しでもあやかりたいと思う。

 


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