こんな日記を見てくださる方がいらっしゃると嬉しいですね。
有り難い限りです。
ところで、
以前の日記で実家は他人に賃貸してると書きましたが、他人に貸すという事は家の中を整理しなくてはならなくて…。
賃貸に出した当初は私も全部は手を付けることが出来ず、貴重品だけは手元に置いて、ある程度の物はその方を信用してそのままにしておきました。その方も置いていても大丈夫とのことでしたし、なにより、知人の知り合いでしたので。
東京から帰省する時は、一週間ほど長崎に滞在してましたが、母の事、妹の事、その当時はまだ父も健在でしたので父の事、とやることがあり、家の中の整理までするゆとりもないし、どこまで整理していいやら悩みどころで…。
いずれ家族が帰って来た時になにもないとそれはそれで大変ですし…。
でも、家の中を見てると、着物の量が半端ない状態。タンス3棹分以上ありました。枚数にしたら何枚くらいになるんだろう…。100は超えているだろうけど数えるのもいやになるほどでした。
これはすべて母が買ったものなのですが、昭和4.50年代は、業者の方が家まで来て売ってましたもんね。
「着物は一生ものですよ。サイズが合わなくなったらお直しも出来ますしね」なんて甘い言葉に乗ってしまったんでしょうね。当時の我が家はお金もあまりなかったと思います。共働きで、四苦八苦しながらの生活で、母が電気も止められたことがあるとか言ってました。そんな状況の中、分割できっと着物を買っていたのでしょうね。たぶん私と妹のために。
でも、時代はほとんど着物を着ることがなくなり、私はもう東京に出ていて、成人式にも出席しませんでしたので、母が用意してくれた振袖一式着ることがありませんでした。その振袖自体はまだあるのですが、私は未だに着ていません。この歳ですからもう着ることもないでしょうね。
タンスの中を見ると、仕付け糸がそのままついてる着物も多数…。すごく勿体ないです。
たくさんある中で「もうこれは処分してもいいだろう」と思うような着物は引き取り業者に査定してもらって買い取ってもらいました。私が買ったわけではないので購入金額が分からないのですが、半端なく安い金額でした。
そんな安い値段だったら、私がほどいて何かに使った方がいいと思い、2.30枚残しました。
以前は「母が戻ることがあるかも」と思ってたんですが、今は認知症が進み、認知機能だけではなく、動作機能もだいぶ低下し、もう家での生活は難しいだろうと言われています。
だったらもう、実家にある物はすべて処分した方がいいと思い、長崎に私がUターンで戻った昨年全部処分しました。
母は物を捨てることが出来ない性格でしたので、私の七五三の時の着物とか、ひな人形などたくさん出てきました。
昭和の大変な時代を生き抜いた人たちってみんなそうなのでしょうね。
という事で、取っておいた着物をほどいてキッチンマットを作ろうとしてる私でした。(これが言いたかったのですw)
でもなかなか難しいのですが(笑)