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デザインひともんちゃく

デザインを愛せばもっとハッピーになるのに、いつも一悶着起こるのは何故か、プロの現場から赤裸々に。

俗世表示物講座 10

2007年07月07日 12時26分19秒 | ビジョンヘルスケアズからのご案内

10回目となる当講座は「マムシ」の登場です。

いつもの散歩道に最近やたらと目につく警告。
なにやらその緊張感が伝わってくる表示物ですね。
なぜか、
それは全体から受ける印象が
「真摯」「懸命」な感じがあるからだと思います。
太く黒いゴシック体が特にマジメ。

この文字の太さで「意」の文字の抜けがなくなり、
ロービジョン者や付近を走る人には、
ちょっと捉えづらい。

ただ、マムシのイラストは自己満足?
描き手が描きたかったでけで、
コミュニケーション機能の上では
あまり意味がないでしょう。

でも、顔つきが真面目そうなマムシです。

みため家店主



俗世表示物講座 9

2007年06月28日 13時47分40秒 | ビジョンヘルスケアズからのご案内
免許の更新にいったら、
スゴい教材に出会いました。

字間を行間より大きくとりすぎた珍しい例。
だれでも見た一瞬は、
縦組みの文章と思うでしょう。

誌面の行間を使い切るのは、
プロの力ですが、これはプロがやらない、
というより出来ないデザイン。
医者が祈祷師を呼ぶに近く、機能不全だけが、
そこにアートがあって面白いね。

因みに免許は、中型・大型2輪のゴールド
まだ返却は考えていません。

みため家 店主


医師アタマが到着しました

2007年06月24日 12時19分55秒 | ビジョンヘルスケアズからのご案内

群馬・東京・宮城と回っている間に、
やっと届いていました。
尾藤誠司著「医師アタマ」(医学書院)
医師と患者はなぜすれ違うか?という見出しがついている。
医師と患者の異文化コミュニケーションという言葉もみえる。

パラパラ見た限り、限りなく正直な本だと思う。
正直こそ持続可能を実現する原動力だ。
これから読みます。
(目を通すと決めた本が20冊前後ありますが)

ところで、6月2日に紹介した
「戦わない経営」は、後半部を読んでガッカリしました。
ようするに、正面から「戦わず」、
スキマを見つけて、そこで戦おうというもの。
フツーの飽和拡大時代のマーケティング(妄想)でした。



気にかけていただいた方、もしあれば、お詫びします。


戦わない経営

2007年06月02日 17時21分36秒 | ビジョンヘルスケアズからのご案内

1週間の出張で、
最後の地、高崎から帰ってきたら
インターネットで注文した本がドサッと。

その中でも楽しみにしていたのは、
「看板」ものと人間の文化史135(法政大学出版)と
「戦わない経営」(かんき出版)だ。

後者は、若い起業家を対象にした
なかなかの感性のある見識で、
「社長は幸せの専門家」という言い方など、
その見方が参考になる。
開業する先生方も、こんな感性でいてほしいと思った。

建築の隈研吾の「負ける建築」とは少し違う。
鎌田実先生の「がんばらない」とも違う。

多くの経営理論は戦いを説くが、
「小さな会社や病院は、
雑草のように、誰とも戦ってはいけない」というのである。

癒しや幸せをいうなら、
自分のメンタルブロックを取り除くことが、
今、誰にとっても、どんな組織にとっても、
最も大切なことだ。

昨日、高崎で話したことにも通じてうれしい。







人もし善人たらんとすれば

2007年01月14日 21時02分57秒 | ビジョンヘルスケアズからのご案内
「人もし善人たらんとすれば、まず自らの悪人たる事を認めよ」
エピクターテス(紀元前50年頃の人の教え)

我々は強いて欲ばりで、無理に善人にならなくともよい。
ただ事実のあるがままを認め、自然に服従し、
境遇に従順であって、自分で努力するのも、
ズボラをするのも、おのおのそれ相当の応報、
結果を受ける覚悟でいさえすれはそれでよい。
(森田療法の教え)

癒しは、自分の中に。

ロボット化する日常

2006年10月23日 21時45分17秒 | ビジョンヘルスケアズからのご案内


雑誌2冊で1400円あまり。
小銭がないので「カードでおねがいします」と言ったら、
「お支払い回数は?」ときた。

敬語の使い方が話題になっている。
間違いが、正しくなるだけで、
その場の感覚が豊かになるだろうか。

正しいことと、人の血が通うことは違う。
いま社会に足りないのは、温かい感情のやり取りであり、
正しいかどうかではない。

客にお支払い回収を聞くのは正しい。
しかしこのロボットのいる店で、本は買いたくない。

サラリーマンというロボットの時代はすでに終わった。
格差社会と騒ぐが、
人とロボットの差の時代であるとも言えないだろうか。

辛くても、人を通す生き方こそ求められる。