goo blog サービス終了のお知らせ 

デザインひともんちゃく

デザインを愛せばもっとハッピーになるのに、いつも一悶着起こるのは何故か、プロの現場から赤裸々に。

宮城の空から、はとはあと

2011年04月14日 10時43分53秒 | 東奔西走・出会い催事記

(前略)

当地は運よく沿岸池より約30km程離れておりましたので、地震そのものの被害だけですみましたものの市内だけで約70軒の家屋が倒壊し、いまだに町の機能は動いておりません。

私ども夫婦もライフライン復活までの5日間、車の中での生活をしておりました。先日、沿岸部の石巻市に行ってまいりました。テレビで見るのと全く違う光景を目の当たりにし、その被害の大きさに只々驚くばかりでした。外来診療をしておりましても沿岸地域から避難してきた方々の話は、これからの生活に対する不安はいくばくのものかと思います。

是非とも皆様には義援金の募金活動に積極的にお願いしたいと思っております。勿論、皆様がすすんでやっておられることは百も承知での上で、僭越ではございますが、それ以上のものをお願いする所存です。(後略)      

宮城の空から  菊地 玄  (文責・石田)




バスが並ぶ東本願寺前

2011年03月26日 14時39分52秒 | 東奔西走・出会い催事記

 

湖国では、例年3月26日を「比良八講(ひらはっこう)」といい、

修験者らが比良山からの“法水”を琵琶湖に注ぎ安全を祈願するが、

そのことより寒気がぶり返し突風が吹いて大荒れに関心がいく。

「比良の八荒、荒れじまい」の日として春が来る前の厳しい寒さを共有する。

京都でもこのことを「昔の人はよう知ったはったんやなあ」と挨拶の中で使われる。

いま東北の震災もあり原発もあるが、

親鸞生誕750年の東本願寺前には、

その事実を振り切るように、各地からの観光バスが並んでいた。


本能寺の墓石

2011年03月19日 14時30分17秒 | 東奔西走・出会い催事記

織田信長が京都の本能寺で討たれたという話しは、

先日のNHK大河ドラマでも周知だが、

ここに若いとき仕事の面でも個人的にも世話になった人が眠っている。

電話で「デザインの仕事はないか」という私に、面接もそこそこに仕事をくれた。

茶道の裏千家御用達の印刷会社の社長だった。

夫婦でボーリングが趣味だったが、一時は小型の馬(ポニー)の牧場を夢みていた。

ある日、西陣の自宅兼社屋からでた火と煙の中に、

奥さんを助けに飛び込んで亡くなった。

その人がこの本能寺に眠っている。

いま頭から冷水をかぶった日本、その彼岸、

ずっと気にしてきた掌を、今日、合わせることができた。

 

 


渋谷駅前横断歩道

2011年03月10日 13時57分30秒 | 東奔西走・出会い催事記

出張には、カメラはiPhoneで済ませているが、

シャッターがバーチャルなボタンなので、

うっかり指が触れるとなんらかの写真になる。

しかし、意図しないのに、意図した以上に面白い絵になることがある。

この写真らしき絵も、どちらかいうと、うっかりの結果。

いっさい手を加えていないのに緊張感のある構図。

横断歩道にしては、新鮮なコンポジションになっている。

東北の大地震は、この翌日の11日であり、

揺れのせいではない。

 

 

 

 


日吉大社に初詣

2011年01月02日 20時04分50秒 | 東奔西走・出会い催事記
緩んだ気温に載せられるように、
今日は日吉大社へ。
雪どけの参道の足下を選びながら入ってみる。

最近の若い参拝客は、どこで倣ってくるのだろうか
参拝の礼法に忠実で丁寧であるが、
その分時間が掛かって列が長くなる。

これには、気分を慣らすことが必要だ。
遙か遠い歴史に意識を向ける新鮮さ。

だだちゃとががちゃ

2010年12月25日 13時59分15秒 | 東奔西走・出会い催事記
22日、酒田駅の土産コーナーで撮ったポスター。
郷土色の豊かさを感じた。

庄内のががちゃ(お母さん)が子どもたちの
幸せを願って晴の日に炊いたおこわ、
だだちゃ(お父さん)丹精の
「だだちゃ豆」が使われていました。
今よみがえる郷土の味です。

ポスターどおりに書くとこうなるが、
その拙さに温かさが迸って。

それにしても、ががちゃ、だだちゃとは。

花灯路に追いつけ陶灯路

2010年10月16日 21時28分35秒 | 東奔西走・出会い催事記
土曜日の仕事を終えて山科へ帰ってきたら、
今年で2回目という陶灯路という灯りのイベントが、
自宅近くの公園で行われていた。

秋祭りの前夜祭とかで、清水焼に因んだ陶器の灯が、
幻想的なひとときを浮かび上がらせていた。
ギターと胡弓の共演にも声援・拍手が耐えなかった。

毎年、東山一帯で行われる花灯路の華やかさには及ばないが、
日頃は地元のつながりが薄くなっている地域だけに、
このような試みは貴重だと思う。