昨日、東京都知事の舛添氏が辞任する決意をしたが、今度は、50億もかかる都知事選挙費に対して都民から苦情が出ているそうだ。
その前にも、東京都庁には舛添氏に対する苦情の電話が後を絶たなかったらしいが、これらの苦情を申し立てた人達は皆、選挙に行ったけれども舛添氏に投票しなかった人達なのであろうか?おそらく、舛添氏に投票した、もしくは選挙さえも行かなかった人達が大半ではないのか?
2年前の都知事選挙の投票率は、昭22年からの統計を見ると、昭62年、平成15年に次いで過去最悪の投票率(46.14%)だった。つまり、都民の半数以上が選挙に行ってないのである。勿論、今回の騒動の責任の大元は舛添氏にあるのだが、彼を選んだ東京都民の責任も大きいであろう。その結果、50億の選挙費だけでなく、今回の騒動だけでも相当の経費のロス、業務の停滞が発生していることを考えると、かなりの金額になり、結局、そのツケは都民に回ってくるのである。
そのお金を児童待機問題につぎ込めば、一気に解決するかもしれないものを、なんと無駄なことをしてしまっているのか。舛添氏を批判したい気持ちも分かるが、そもそもその様な人物を選んだ都民が原因なのだ、ということを良く知らなくてはならない。もちろん、舛添氏を後押しした自民党・公明党にも責任があるが、最終的には都民が選ぶのである。
聖書で書かれている通り、自分達の撒いた種は、自分達で刈り取らなくてはいけないのである。悪い種をまけば、悪いものを刈り取ることになるが、良い種を撒けば、良い実を刈り取ることができると聖書では教えている。また、悪い木から良い実を成らすことはできない、と聖書でははっきり述べている。(ルカの福音書6章43~45節より)
悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。
木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくは採れないし、野ばらからぶどうは集められない。
善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。
5年程前のブログで、福沢諭吉の「愚民の上に苛(から)き政府あり」という言葉を紹介したが、これは、今の日本の政府の状態は、私達国民の状態の反映である、と述べているのである。
愚かな政治家がいるのは、私たちが愚かだからである。愚かにならない為に、どこかの有名人や、スポーツ選手、タレントなどの知名度の高い候補者に目がくらまないように、人を見る目をきちんと養うことが大事であろう。
次の都知事の候補者を各党では既に考えているようだが、現在、自民党からは有名タレント桜井翔の父親である桜井俊氏の名前があがっている。それに対する自民党側のコメントに呆れてしまうのだが、彼は有名タレントの父親だから、若い人達の票が得られるかもしれない、という理由で彼を押している。もちろん、それだけではないかとは思うが、結局はまた人気取りか、と思ってしまう。では、彼が桜井翔の父親でなければ、いくら仕事ができたとしても、候補者にはおそらく上がらなかったであろう。ご本人の桜井俊氏は、自分の器ではない、と都知事選候補の可能性を否定しているが、自民党のこの浅はかな考えは、まさに私達国民を愚弄していることではないのか、と思う。
残念ながら、私達国民は、人気者を出せば選挙に投票してもらえる、と政治家達によって安易に思われているのである。彼らは国民の状態を良くみており、どうすれば勝てるのかが分かっている故に、この様な愚策に出るのである。従って、たとえ政治の経験がなくても、政治家としての適性や人格が備わっていなくても立候補できてしまうのが、今の日本の政治の状態であり、その様な状態を生み出したのは、まぎれもなく、私達国民なのである。
いい加減に私達も目を覚まさないと、本当に日本の将来は本当に壊滅的な状態になるだろう。