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安倍総理の「こんな人たち」発言 ~人の口は、心に満ちているものを話す~

2017年07月04日 | 政治・国際情勢について

先日の東京都議会議員選挙の街頭演説で、「安倍辞めろ」コールを浴びせられた安倍総理は、そのヤジに対して、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と反撃。

一見、何でもないように見えるこの言葉、なんとなく違和感を感じたのは私だけではないことが、ネットニュースで分かった。そもそも、国会審議中のヤジもそうだが、ヤジは、たとえどんな理由があったにせよ、感心できるものではないし、相手がどれだけ気に入らなかった、おかしい、と感じても、決して感情的になってヤジを飛ばすものではないと私は考える。

しかし、そうとは言え、そもそもヤジを浴びせられた原因を作ったのは安倍総理自身ではないのか?国民を無視し続けた政治を続けた結果、国民の多くが怒り心頭になっている現状を謙虚に考えないで、有権者である国民に対して「こんな人たち」ということは何事であろうか?これでは、安倍総理もヤジを飛ばした人達と同じレベルになっているだけだということが、一国の総理が分からないのか?

先月の安倍総理支持率が急落したことに対して、本人は反省の意を述べていたが、あれは本当に反省しているとは思えない、と、この言葉を聞いて確信した。安倍総理が「こんな人たち」と発言しているのは、普段から私達国民をそういう風に思っているという証拠である。

新約聖書のルカ6章45節にこんな言葉がある。

「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら、人の口は、心に満ちているものを話すからです。

私達は、ついうっかり「売り言葉に買い言葉で...」とか、「イライラしていてつい言ってしまった」「酔った勢いで言ってしまった」など、言葉で多くの失敗をしていないだろうか?しかし、実はこのような場で発せられる言葉が、その人の本心・本性であるということが、あまり多くの人が分かっていない。安倍総理がああいう場で「こんな人たち」と発言しているのは、普段からそう思っている証拠であり、だから国民を軽視した政治をするのである。

従って、私達も普段から自分の心の中で思っていることに対して注意を払う必要がある。もし、生まれてから一度も失言したことがないと言い切れる人は、その人は、よほど類まれなる自己抑制力と自分の舌が制御できる人である。しかし、そんな人はこの世に誰一人いない、と聖書でははっきり述べている。それ程、私達の心の中は邪悪に満ちているのである。だから、私達は日々神様の導きが必要なのである。

安倍総理のこの発言に対して、菅官房長官は「常識的な発言」と述べ、しかも「民主主義国家ですから、選挙運動というのは自由だ」とまで言ってのけた。では、自由なら何を言っても良い、と言いたいのだろうか?

これは何を言ったかどうかではなく、安倍総理自身の人格・総理としての在り方の問題である。どれだけひどいヤジを浴びせられても、一国の総理ならば、じっと我慢して耐え、謙虚にこれは自分が蒔いた種なのだ、と思えない所が、そもそも一国のリーダーとしての資質に欠けているのではないだろうか?

また、他のインターネットニュースでも述べているように、何故この発言が大問題にならないのか、それもおかしい。稲田防衛大臣の発言もそうだが、あれは自衛隊を政治利用した発言であり、憲法違反ではないのか?安倍総理のこの言葉に対して、日本のマスコミが大きく取り上げないのは何故なのか?マスコミの追及があまりに手ぬるい。

それとも、そういうことが分からなくなってしまった程、日本人マスコミは鈍感になってしまったのか、政府から圧力を受けているからなのか真実は分からない。

 

 



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