バレー気ちがいの部屋

バレー大好き人間が“バレー気ちがい”になるべく日々過ごしています。色々な話題で盛り上がって行きたいと思います。

父との別れ

2021年03月13日 | Weblog
先日、父が亡くなりました。
亡くなる1週間前に入院先の主治医に呼ばれ、「やれることは全て尽くしました。余命1週間です。病院ではコロナ禍の影響で皆さんが入ることはできないので、自宅に戻って最期を看取られた方がよいです。」と言われました。その話を聞いた時は全く信じられませんでした。ここ数年で何度も入退院を繰り返していましたが、その度に元気な姿で戻ってきたので、今度もそうなると思っていました。ところが、真逆の展開になり、焦ってしまいました。
大急ぎで訪問看護師やケアセンターの手配等をしましたが、介護用ベッドが搬入できず、退院したのは宣告から3日後になってしまいました。
自宅に戻ってからは、これまでの感謝を込めて必死で看病に当たりました。病院では全く栄養を摂れずにいましたが、ゼリーや水を少しずつ口にできたので、何とかもってくれるかもと期待しましたが、それは叶いませんでした。
亡くなる日の午前に二女がアイスを4口ほど食べさせたのが最後になりました。午後には容態が変わり、痙攣するようになってしまいました。それでも、私と長女で父の両手を握り続けました。
夜になって私がウトウトしていると、父の方から強く握ってきました。言葉ではなく、何かを私に伝えようとしているのを感じました。それに応えようと、何度も握り返しましたが、ついに握りがなくなり、呼吸が荒々しくなり、瞳孔が開いているのが分かりました。
そして、最後は穏やかな表情になって息を引き取りました。
その瞬間、悲しみよりも感謝と安堵感に満たされました。苦しそうにしている姿を見ていると涙が溢れ、切なくなっていましたが、息を引き取った後の安らかな表情に心を癒されました。
父には、いくら感謝しても感謝し切れません。無鉄砲な私は、色々と飛び回って怪我をし、その度に強く叱られていました。高校選択の際も猛反対され、それでも気持ちを曲げない私に呆れていました。
私の結婚披露宴の打ち合わせの際も、私は部活動で忙しいことを理由に父に押し付け、打ち合わせに一度も行きませんでした。
長女が生まれると、初孫が可愛いからと何度も我が家に来てくれ、我々夫婦が忙しい時には平気で預かってくれました。
親孝行らしいことは一切できませんでしたが、「お父さん、中学に入学したらバレーボール部に入るよ。」と言った時に、父が何とも言えない笑みを返してくれたのが忘れられません。
そして、私が指導者になってからは、常に私の意見に賛同して協力してくれました。晩年は、私が買い与えたジャージやシューズを年がら年中身に付けてくれていました。
父の身体はありませんが、魂は心の中にあります。父が残してくれた言葉をしっかりと胸に刻み、これからの人生を大いに愉しみたいと思います。





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