ばぼちゃんの日記

ばぼちゃんの暢気な毎日の記録です。

くろ

2018年06月23日 | Weblog
くろが亡くなりました。
5月26日早朝です。

突然のことで受け入れることができずにいました。
悔やんだり、自分に対しての怒りがあったり、寂しかったり。

亡くなって数日後、くろが夢に現れました。
私は夢で知っている人や生き物が出てきたことがほとんど無いので今から思えば
不思議なことです。

死を受け入れられないので現れたような夢でした。
いつもこたつの中から出るとき、ひとりで出入りできるのに膝の脇でもぞもぞして
出たいこと伝えるので布団を上げるともぞっと出てきます。
そういうときのように夢の中で普段のようにこたつに入って本を読んでいる私の膝に
もぞもぞとする感じがしました。
布団を上げると出てきてこたつのテーブルに横たわりました。
私はくろを腕で囲んでごめんねと言って腰の辺りを撫でました。
毛の中に指を入れると冷たいことに驚きました。生きていると暖かいです。
あぁほんとうに亡くなってしまったのだ。と思いました。
そこで夢から覚めてくろは「くろはしんじゃったんだよ」と伝えたかったのだと
解りました。

わかったからと言って悲しい気持ちは変わりがないのですが解ってきたという
ことは大事だと思います。

ここにくろの死を書くことができず、心に岩が詰まったような気持ちで過ごして
きましたがまるで理由がわからないのですが、岩が無くなりました。
昨日の午後、近所のマンションの駐車場で子ネコの声がするのです。
親を呼ぶ鳴き声です。しばらく様子を見ていると通りかかった女の人が行きにも
鳴いていて気になったというので二人で駐車場に入って行くとペンキ塗りの人が
植え込みの中を走っているというので見に行くとちらっと走っていく子ネコが
見えました。そのまま見えなくなったけれどここには同じ模様の雌がいたので
その子供かなと思って弱っていない様子だったので一緒に見ていた女の人と
帰りに様子を見ますと言ってその場を離れました。
帰りには声がしなくなって、今日、母猫らしき猫が駐車場に入っていくのを
見たので問題はなかったようで安心しました。
こうしたことがあった後で岩が消えていました。悲しみも悔しさも変わりなく
存在しますが心を押しつぶすような岩が無くなった。
まるで理由がわかりません。猫というのだったらにわちゃんだって来ているし。
いつも猫に助けられているなって感じます。



わたしがおばあちゃんになるまで一緒にいるつもりだったくろ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする